雛子ちゃんからの、受話器越しの衝撃発言。
 それはあまりにも突然過ぎたものだった。
 今まで「兆し」だったなにか、まだ残っていた平穏は、その瞬間から確実な「戦い」へのカウントダウンとして姿を変えようとしていた……。


「もしもし…………雛子くんかい……?」


 雛子ちゃんに驚かされ、咽ぶりながらも千影ちゃんに受話器を渡す。
 アタシが説明するより直接雛子ちゃん言葉を聞いてもらった方が早いと思ったからだ。
 今千影ちゃんがジュースまみれなのはこの際気にしない方向で。
 ただ一言言わせて貰うなら…………ごめん。

 千影ちゃんは受話器を受け取ると、それを通して向こう側の人物へと語りかけた。
 「あー、千影ちゃんだー☆」なんて、雛子ちゃんの嬉しそうな声がかすかに漏れるのが聞こえる。


「…………………………。…………すまないが………もう一度言ってくれないかい……?」


 妙に長い沈黙の後、千影ちゃんはそう聞き返してから、オレンジジュースを口に含んだ。…………何故?
 そして、受話器から再び雛子ちゃんの声が漏れたかと思うと、


    ブフーーーーッッ


 オレンジジュースは千影ちゃんの食道を通ることなく、目の前のアタシにぶっかかった。

 …………なるほど、仕返しですか?

 ばか姉の子供っぽい仕返しのお陰で、ピンと張ってた緊張の糸はゆるゆるになった。





 

Sister's Alive
〜妹たちの戦争〜

12月18日 火曜日

第10話 騎兵ライダー宣言







「……ああ…………うん、そうだね………。……それは…また今度にでも……………」


 千影ちゃんは、アタシに代わり雛子ちゃんとお喋りの続きを行なっていた。
 その脇で、鞠絵ちゃんはふきん片手にアタシに心配の言葉を掛けてくれる。


「大丈夫ですか?」

「精神衛生上とてもよろしくはないけど、なんとか」

「もう……ふたりして汚いですよ……」


 可憐ちゃんも、反対サイドから千影ちゃんにぶっかけられたジュースを拭ってくれる。
 ああ、ふたりともなんて優しい思いやりのある子なんだろう……。原因作ったばか姉とは大違いだわ。


「お電話、一体誰からだったんですか……?」


 アタシの髪を丁寧に拭きながら、可憐ちゃんから素朴な疑問が飛び出てきた。
 ……まあ、アタシ、千影ちゃんと、ふたり揃ってジュースを噴き出そうものなら、どんな内容か気にもなるだろう。


(さて……どうしたもんかな……)


 雛子ちゃんから聞かされた重大な事実をどう誤魔化すべきか、思考を張り巡らせる。

 スレイヴァーとして選ばれなかった者には、その情報すらも与えられない。この「戦争」はそういうシステムだ。
 事実、アタシは鞠絵ちゃんたちからそのことを聞くまで、その存在を知りもしなかったのだから。
 つまり、スレイヴァーという情報を知っているだけでも、それは相手に「自分達はスレイヴァーだ」と伝える行為と同等となる。
 アタシの場合は例外だけど、大抵はそういう解釈で通していいだろう。

 だからもし仮に可憐ちゃんがスレイヴァーならば、今この場で「スレイヴァー」と口にしただけでもアウト。
 迂闊に口を滑らせようものなら、可憐ちゃんにアタシたち全員が「敵」という情報を与えてしまうだろう……。


「んー、っと……雛子ちゃんから」


 とりあえず、まずは要求する答えである「誰」について端的に答えた。
 可憐ちゃんは「雛子ちゃんから?」なんて反応を返してくれる。
 じゃあ次はふたり揃ってジュースを噴出した内容についてどう誤魔化すか、なんだけど……。
 どうこじつけようかアタシが言い渋っていると、


「雛子ちゃんからなら、さっき可憐もお電話いただきましたよ」

「え、そうなの?」

「ええ、なんでも……"州零井場すれいばさん"が……なんとかって。一体誰の事なんでしょうか?」

「―――ッ!!?」


 なんと可憐ちゃんの方から、たった今NGワードに指定した言葉を聞かされ、逆にアタシが動揺させられるハメに。
 まるで胸を内側から叩かれたみたいに、心臓がドキリとひとつ跳ねる。
 思わず声が漏れそうになっちゃったけれど、そこはなんとか押し留めた。
 鞠絵ちゃんも、この時は一瞬だけ表情を硬くして……そして気づかれない内に、すぐになんでもないような笑顔に戻していた。

 まさか……架空の人物「州零井場すれいばさん」が可憐ちゃんの中の住所録に入力されていたなんて……。

 いや、そんな間抜けな解釈はこの際どうでもよい。
 動揺してるせいか、心の中で無意味にボケとツッコミの1サイクルを行ってしまった。


「そ、そう……。あはは……ま、まったく子供って、いつも突拍子もないんだから」


 驚きを表に出さないよう、極力意識しながら言葉を返す。
 それでも声が上ずったり表情が引きつったりしそうになって、冷や冷やする心は止まらなかった。


「ですよね」


 内心激しく動揺しまくっているアタシに比べ、可憐ちゃんはいたって普通に言葉を返してくれた。

 可憐ちゃんは……もしかしたら本当にスレイヴァーに選ばれてないだけかもしれない。
 そもそも、スレイヴァー(というか"州零井場すれいばさん")なんて口にすると、怪しまれるなんてことは分かりきってる。
 だから、雛子ちゃんからの電話が来てたって、この場は黙っておくものだろう。
 にも関わらずそう口にしたってことは、そういうことも知らなかったから……。
 アタシには、そのくらい自然な返答に見えたけれど……でも、――


(――それを狙っての……アタシたちを動揺させたり、撹乱させるための心理作戦なのかもしれない……)


 最初から準備していた演技なら、十分自然に振る舞えるだろう。
 「まさかわざわざ危険を犯すなんてことは……」という考え方こそ、戦いにおいては大敵。
 そうやって油断を誘い、安心している後ろからバンッ! ……って。

 本当に知らないから言えたのか、それとも知らないことを演技しているのか……。
 ああ、アタシ、また疑っている……。こういう疑心暗鬼は本当にイヤだな……。
 今日一日中、みんなのことを考えるたびに感じていたイヤな気持ち……。
 アタシは、その気持ちを深く胸に刻むことで、湧き上がる疑問を押さえ込むことにした。


「そういえば、州零井場すれいばさんって……どこかで聞いたことあるような……」

「え? 実在の人物?」


 そんなバカな。












「それじゃあ、おじゃましました」


 一通り話を終えると、可憐ちゃんは適当なトコで話を切り上げて家に帰宅することとなった。
 今は玄関で靴を履き終えた可憐ちゃんと向かい合って、鞠絵ちゃんと一緒にお見送りの最中。
 可憐ちゃんは、今日学校で習ったことの予習や復習、他にもピアノのお稽古の練習もしたいからだそうだ。
 テスト前の一夜漬けタイプのアタシと違い、可憐ちゃんは真面目な子だなぁと感心してしまう。

 いつもなら、もうちょっとお喋りしたいって残念がるところだけど、今の状況では逆にありがたかった。
 可憐ちゃんには悪いけど…ね……。
 ちなみにあの後、雛子ちゃんの事は特に話を深めたわけでもなく、そのままサラッと話題のひとつとして流れていってくれた。
 お陰で、下手なボロを出す心配もなく、安心して"普通"のお喋りを続けることができた。


「鞠絵ちゃん。こっちにいるうちにまた遊びに来ますね」

「はい、楽しみに待ってます」


 お別れの前にと、ふたりは親密そうに言葉を交わしていた。
 どうやら咲耶ちゃんのコトでふたりはより親密になっていたようだ。


「その時は、千影ちゃんにもっと咲耶ちゃんの良さを分かってもらいましょう!」

「はい!」

「………………」


 そんな、鞠絵ちゃんと可憐ちゃんのヘンな同盟が生まれた瞬間を、ただ黙って立ち会っていた。
 まあ、なんにしろ和気藹々としているのは良いことだ。
 今日は一日中でみんなを……姉妹きょうだいを疑い続けていたから、それをより実感している……。
 また来てくれるのは大歓迎……だけど、来るのなら今度はスレイヴァー云々が終わった後にでもご招待したいものね。
 そして、可憐ちゃんと"戦いの中"で再会しないことを、ガラにもなくひっそりとカミサマに祈るのだった……。


「じゃあ可憐、そろそろ帰りますね」

「うん」

「あ、そうだ。鈴凛ちゃん、折角ですから明日、良かったら一緒に学校行きませんか?」

「ん? うん、別に構わないけど……」


 唐突な提案。だけどアタシに断わる理由は特にない。
 学校は違えど方向はほとんど同じ。
 通学路は途中から同じ道を通ってて、普段から鉢合わせた時とかは昨日みたく一緒に歩いてるんだから。
 なにより、アタシはスレイヴァーじゃないから、もし可憐ちゃんがそうでも特に危険なこともないだろう。

 丁度アタシの通学路と可憐ちゃんの通学路が重なるところにあるY字路、そこを待ち合わせの場所に指定して、明日の約束を取り付けた。


「じゃあ、また明日ね」

「はい。明日は学校までの間、いっぱい咲耶ちゃんについて語っちゃいますから


 ………………。

 ……あ、アタシまでしっかりと更正対象に入っておられるっ!?


「あ、じゃあ今夜はわたくしがたっぷり語っておきますね……

「鞠絵ちゃんまでッ?!」


 前方と側面の2方向から、「咲耶お姉ちゃんファンクラブ」の穏やかさに隠された野望笑みが、アタシに狙いを定めていた。

 誰かアタシを助けて洗脳されちゃうっ……!?












「……で、どうするんだい?」


 玄関で可憐ちゃんを見送って居間に戻ってくるなり、不気味に不機嫌な顔がアタシたちを出迎えてくれた。


「どうする、って……」

「…………さっきの電話のことさ…」


 言うまでもなく、そのことだろう。
 今日は帰ってきたら現状の把握とか、今後の立ち回り方とか、他にも色々と語ろうとは思っていたけれど、
 でも今は、降って湧いてきた雛子ちゃんの情報が―――


「…まさか…………亞里亞くんが女王様だったとは………」

「そっちでなくて」

「まあ………彼女の分かりきった未来予想図はこの際どうでもいい…………」

「っていうか、既に決定事項のように言わない」


 そういえばそんなことを言っていたような気はするけど、それは本当にどうでもよい。
 ……まあ、確かに亞里亞ちゃんは将来そうなりそうな予兆はするけど……。
 このままばか姉に付き合ってると話が進まないからと、いっそまた処刑人ミカエルに指示を送ってやろうかと思ったけれど、
 その前に、雛子ちゃんの言葉を直接聞いていなかった鞠絵ちゃんが、確認するように訪ねた。


「雛子ちゃんが……スレイヴァー……なんですか……?」

「…ああ…………自ら"騎兵ライダー"と名乗った………」


 鞠絵ちゃんの問に答えてから、ぽつり呟くように自分の推理を付け足した。


「……これは……………罠かも知れないな………」


 クラスがバレるということは、それだけでも不利なこと。
 そのクラスに対する対策だって練れるし、スレイヴァーに与えられる特殊な能力の予想だってしやすくなる。
 なら逆に、わざとウソの情報を掴ませれば、それは相手を不利な状況に陥れられるということだ。
 だから千影ちゃんがそう推理するのも頷ける。


「……とは言いますけれど」

「相手は雛子ちゃんですし……」


 思わず丁寧語になってしまってややこしくなってしまったが、最初がアタシで後のが鞠絵ちゃんの台詞だ。

 雛子ちゃんはアタシたちの中で一番子供で、頭も体もまだまだ未発達。
 そりゃ、たまに大人もビックリなものの見方もしてくるけど、それも"子供だからこそ"の知識や経験に縛られない発想であって、
 したがって知識や経験のない行動であり、知識や経験の裏を突く「情報操作」や「心理作戦」とは反対の位置にある。
 そもそもライダーって、分かったからってなにに気をつければ良いのよ?


「………………」


 アタシたちの意見に、千影ちゃんは反論することもなくただ黙りこくってしまった。
 昨日からの調子でばかな発言も、真面目な意見もなく、いつも苦そうな顔を更に苦そうに歪めていた。
 要するに他の意見が出てこないので、千影ちゃん自身どう反応すれば良いか分からないということなんだろうな……。


「千影ちゃんは、雛子ちゃんがそこまで頭が回ってると思う?」

「思わん」


 ありゃりゃ。

 あっさり自分の意見を覆して、アタシたちの意見に賛同してしまう千影嬢。
 というか、そのくらい雛子ちゃんには戦略や策略を練るというイメージがない。
 大体、可憐ちゃんにまで言いふらしてるってコトは、他にも言いふらしてる可能性だってある……。
 そりゃあ、まだ相手が誰かもつかめていない現状で、あえてかき混ぜるというのは効果的かもしれない。
 でも全員に「私は敵ですよ」なんて言いふらし、四面楚歌にでもなってしまえば自分に得はない。
 確かに膠着状態からは脱せるかもしれないけど、それでは目的と手段があべこべになっている。


「ただ面白いから、凄いからって、自慢したかっただけじゃないかな……?」


 相手は子供。とことん疑って疑って疑うのも戦略として大切かもしれない。
 けれど自分の推測にぐるぐる振り回されて、それで勝手に自分を追い詰めて、精神的に参ってりゃ世話ないって話よ。


「「「有りうる……」」」


 結局、3人声を揃え、満場一致で「考えなしの子供の安易な行動」という結論に至った。


「…しかし………どちらにしろ…雛子くんがスレイヴァーということには…………間違いないだろう……?」

「それは……」


 スレイヴァーのことを"知って"いた。それこそがなによりの証拠。
 何より今回該当するクラスまで明確に提示したのだから、クラスは別としても、それは間違いではないはず。


「だったら…………どうするんだい……?」


 千影ちゃんは、さっきと同じ問い掛けを、再度アタシたちにぶつけてきた。


「どうするって……―――」












「こうなっちゃうんだ……」


 そして、話し合いの結果……というほど話してはいないのだけれど、アタシたちは雛子ちゃんの家の前にやってきました。

 今はまだ戦うつもりはなく、雛子ちゃんと話し合いだけのつもりで。
 情報を手に入れるだけでも重要とか、得られる情報は早い方が良いなど、千影ちゃんは言った。
 雛子ちゃんはこの戦いの意味を良く分かってないみたいだから、できるなら戦いから降りるように説得してみたいと、鞠絵ちゃんは言った。
 そして、アタシたちの説得を受け入れないとしても、これ以上言いふらすのは危険だと警告くらいは必要だろう、って。
 そう考えてくれているのは、きっとふたりの優しさなんだろう……。例え戦いには負けるつもりはなくても。

 話し合うだけなら電話でも良かったんだけど、直接話し合った方が何かと良いだろうとふたりは言った。
 電話で話すだけでは伝わらないことも多いし、全員が言葉を交えるにしては向かない。

 なにより電話代がかかる。
 なんせ鞠絵ちゃんも千影ちゃんも携帯電話を持っていない。
 鞠絵ちゃんは療養所に入院中の身、千影ちゃんは俗世離れしていて……というか単純に機械を毛嫌いしてるか苦手なだけだと思う。
 なので、現状ではどうあがいてもアタシの電話代が差し引かれるのだ。
 ……せ、生活費のためよ! 3人分の生活費が必要なんだから! 咲耶ちゃんに取られちゃったんだからっ!!

 もちろん、危険だということもふたりにきちんと言った。
 今後についてのこととか、なし崩しに始まった共同戦線についてのこととか、千影ちゃんのケガについてだとか。
 もっと先に話し合うべきことがあるんじゃないかって。意見程度に軽くだったけど。
 それに、雛子ちゃんと話し合うためには、同時に鞠絵ちゃんたちがスレイヴァーという情報も与えなければならない。
 最低限スレイヴァーのことを"知って"いなければ、話し合うことだってできないんだから。

 しかし、そう提案したアタシにふたりは……



    虎穴に入らずんば虎児を得ず!!



 なんて、ふたりして気合たっぷりに声を揃えて言われちゃ、アタシにはもう何も言うことできなかった。またひん剥かれるのヤダし。
 そもそも、アタシにはもともとこの戦いに参加する権利すら与えられていないんだから、当事者以外が何を言ったところで無意味ってことよ。

 ま、そこは、なにも分かっていない雛子ちゃんの身を案じてくれたふたりの優しさ、という解釈に収め、
 とりあえず3人揃ってここまで足を運ぶことにしたのである。
 でも、上手く言い包めて能力を見せてもらおうとか、そんなことをこっそり口にしてた千影ちゃんはつくづくちゃっかりしてると思う。

 ……優しさだよね? ね?


 そして現在時刻は5時前。
 時間的にも夕ごはんにはまだ早い時間帯。
 戦うつもりはないし、ちょこっと言葉を交えるだけのつもりなので、時間的には大丈夫だろう。


「…………」


 しかし……昨日の今日で、アタシは朝から一日中ず〜〜〜〜っとスレイヴァーだなんだと振り回されて……。
 戦いとは関係なかった立場のはずなのにと思うと、


「はぁ……」


 と大きくため息が漏れた。
 そんなアタシを、千影ちゃんは励ますように、ぽんと肩に手を置く。


「…どちらにしろ………避けられないことだったんだ……」

「アタシとしては千影ちゃんが3日前に余計なことをしなければ十分避けられたと思うのですが?」

「…………別にいいだろう……? なんでも望みの叶う権利だぞ…………」

「だからアタシはその権利すら与えられてないの」

「やーいやーい敗北者ー」


 別に欲しいとは思わなかったけど、こういう風に言われるとムカつくな。
 つーかアタシ負けてないし。選考落ちだけど負けてないし。


「ああ、安らぎが欲しい……」

「…なら……黙って家で留守番していれば良かっただろう…………? …彼女と一緒に………」

「わうっ」


 と、アタシたちについてきたぼけ犬を指差しながら、仕方ないなという感じに気だるそうに一息ついた。
 ミカエルもアタシたちと一緒に雛子ちゃん宅へ連れてきた。
 鞠絵ちゃんの意向で、ひとりでお留守番させるよりは夕方のお散歩ついでにって。


「いや……なんとなく心配だったから……」

「…そうはいうが……能力ちからを持たない人間が割って来られたところで……………ぶっちゃけ役立たず

「ぶっちゃけすぎ」


 しかしそれを言われちゃアタシだってぐうの音も出ないというか……。


「だから………役立たずは役立たず同士…………仲良く留守番していれば良かっただろう……?」

「…………」


 ミカエルと同じ扱いか……。
 実際そうだけど、なんかヤダな……。


「まあまあ。戦いにはならないようにしますから……」


 鞠絵ちゃんが仲裁に入って、アタシたちの不毛な言い合いを止めに入ってくれた。
 まあ、これから敵と対峙するって言うのに、身内で争っていても仕方がない。


「…………」


 ……「敵」、か…。

 別に、嫌っているわけでも、憎んでるわけでもないのに……
 雛子ちゃんを―――まだ幼いあの子を……「敵」だなんて定める自分に、とてもイヤな気持ちを感じた……。


「ふふっ きっと夕食時でおなかが空いているからですね」

「はい?」

「帰ったらわたくしが腕によりをかけてお料理しますね


 突然、これから起こることをまるで分かってないと言わんばかりに、鞠絵ちゃんはそんなのん気なことを提案し始めた。
 いきなりの話題の変わりようについて行けず、呆気に取られるアタシ。
 そんなアタシに、鞠絵ちゃんはにっこりと笑いかけてくると、


「だから鈴凛ちゃんも、そんな不安そうな顔しないでください」

「…………、……あ」


 雛子ちゃんを「敵」だなんて考えて、そのもやもやが顔に出ていたのだろうか。
 鞠絵ちゃんはそれを「不安」と思って……だから、アタシを……リラックスさせるために……?


「実は、看護婦さんとかに手伝ってもらってこっそり練習していますから……お料理、ちょっとだけ自信はあるんです」


 鞠絵ちゃんも、これから起きることの意味を十分分かっていた。
 分かってたから……だからそう口にしたんだ。
 その……アタシの心に掛かる重圧を、少しでも軽くしてくれるために……。


「……うん、期待させてもらう」

「はい、任せてください♥♥


 だから、アタシはそんな鞠絵ちゃんの優しさに甘えさせてもらうことにした。
 鞠絵ちゃんが作ってくれた……ほんのわずかの、穏やかな空気に。
 もしかしたら、しばらくは遠ざかってしまうかもしれない……そんな穏やかなひと時を……。


「なんせ朝が朝だからね」

「フッ…………褒め言葉として受け取―――」

「―――らないでお願いだから」

「あ、でも、カエルの丸焼きくらいなら……」

「だからダメだよ鞠絵ちゃんっ!?」

「フフ………そう言うと思ってね……今朝の分のカエルの丸焼きには…手をつけずに取って置いてあるんだよ…………」

「そう言うと思わないでっ!!」


 嵐の前の静けさ……というよりかは穏やかさという方が正しいんだろう。
 3人で、そんないつもみたいな、軽いノリで会話を交わして……。

 そして、鞠絵ちゃんはおもむろに、雛子ちゃん家の門を抜ける。


「でも、戦いになったら……離れていてくださいね……」

「え?」


 守ってる余裕なんて、ないかもしれないから。

 そう口にした鞠絵ちゃんの言葉は、今までの穏やかな口調なんかじゃなかった。
 とても重く、圧し掛かるような、感情をこめない言葉。
 言いながら、玄関の前まで足を進める鞠絵ちゃんの表情を……確認することはできなかった。

 玄関ドアの前に立った鞠絵ちゃんは、雛子ちゃんの家のチャイムへとゆっくり指を伸ばし始めた。

 自分のことじゃないのに……とても、動悸が、激しい……。
 アタシ自身が戦うわけじゃないのに……不安が、ざわめきが、止まらない……。


 その瞬間……とうとう願いの権利を賭けた戦争の……姉妹同士の戦いの狼煙が、今まさに上がろうとしていた……。












「…………雛子ちゃん、留守でした」


 あがりませんでした。


「公園に遊びに行っちゃったって……」


 あんなに盛り上がってたのに、なんて肩透かしな展開だろうか……。


「あんなに盛り上がってたというのに…………なんて肩透かしな展開だろうか……」

「千影ちゃん、アタシ今それダイレクトに思った」


 雛子ちゃんママが言うには、なんでも雛子ちゃんは山神公園へ遊びに行ってしまったらしい。
 多分、一通り電話で自慢し終えて満足するなり、晩御飯までの時間を潰すためにでも遊びに行ったんだろう。
 あの子は結構アクティブな子だから、ちょっとの間でもじっとなんかしていられないからって出て行っちゃったんだろう。


「どうする〜?」


 1回限界まで気を張りつめて、そのままガクッて気が抜けてちゃったアタシは、
 反動ですっごくゆるゆるになっちゃったもんだから、そんな引き締まらない言いぶりで問いかけてしまう。
 千影ちゃんは額に手を当てながら、またも気だるそうに一息つく。
 今の状況にかアタシの態度にか、やれやれと今にも口にしそうな感じに。


「ここまで来たんだから…………行ってみるしかないだろう……? ……このまま出戻りというのも……情けない……………」

「ですね。公園ならミカエルだって喜んでくれます」

「…いや……目的そっちじゃないから…………」


 珍しく千影ちゃんからのツッコミが入った。


「…………、こりゃ、雨が降るわねぇ……」


 雲ひとつない夕暮れの空を見上げながら、ひとりそうごちた。












 で、アタシたちはさっそく山神公園まで足を運ぶことにした。
 ゆるゆるになった心は、到着までの間にできる範囲で再び引き伸ばしておこう。
 場所は変わってしまったが、結局のところ当初の予定とはさほど代わり映えはない。
 雛子ちゃんの家から山神公園まではそんなに距離はなく、歩いて数分も掛からない内に公園の敷地が目に入ってきた。

 この公園はかなり広いため、公園が見えても入り口のまでまだ少し歩かなきゃならない。
 今のメンバーが衛ちゃんや四葉ちゃんとかだったら、いちいち門まで行くのはめんどくさいと、
 公園を囲っている低い金網を乗り越えていたところだろうけど、今は鞠絵ちゃんがいるためその方法は暗黙の了解で却下した。
 鞠絵ちゃんもスレイヴァーとしてパワーアップしてるんだから、飛び越えるくらいは簡単にできるだろうけど……
 そこはほら、できるできないじゃなくて、乙女のたしなみってヤツで。

 公園の敷居を囲む金網伝いに入り口に向かいながら、何気なく中の様子を覗く。


「…多いな………」


 千影ちゃんがひとりごちた。
 何が多いかと言えば、中にいる人の数のことである。


「まあ、結構人気の公園だからね……」


 金網の向こう側には相変わらず多くの人影が存在している。
 そろそろ夕食時ということもあり、さっき車から公園を覗いた時より人足は遠のいていたけれど、それでも人影は多く見えた。
 昨日の公園とは大違いだ。……っていうか昨日の公園の名前ってほんとなんだっけ?
 えっと、確か……、み………ミ………ミ………うーん、思い出せない……。ま、どうでもいいけど……。


「こんなところでは…………容易に能力ちからは扱えないな……」

「ですね……」


 戦いの参加者2名は冷静に状況を判断していた。

 スレイヴァーの力は強大で、そうでない人間には抵抗することすら叶わず……簡単にすっぽんぽんにされてしまう。
 そんな圧倒的な力を、人が密集しているところで使おうものなら、何の関係もない人たちを巻き込んでしまうのは分かりきったこと。
 だからこの戦いは、スレイヴァー同士が人を巻き込まないように行なわなくてはならない。
 スレイヴァー同士なら力は対等らしいし、なにより万が一のことがあっても"一時的な眠り"につくだけという話だ。
 他人を巻き込んででも勝ちたいとかいう非人道的な人間が参加しているっていうなら話は変わるけど、
 アタシはみんなのことを知っているから、そんな子は居ないことを知っている。

 ふたりが正しい判断を下してくれたことに、アタシは安心を覚えていた。
 例えスレイヴァー同士でも、それがルールでも……姉妹同士で傷つけ合って欲しくなかったから……。


「ぶー、何で言っちゃダメなのさー!」

「なんでも何も……それだと雛子ちゃんの身が危険だからに決まっているでしょう」


 入り口までもうちょっとというところで、金網を越えた向こう側から聞き覚えのある"ふたつ"の声が耳に届いた。


「今の声……」


 声の方向に目を向けると、金網の向こう側にブランコに乗っているひとりの女の子の後ろ姿が。
 縛った髪を左右ふたつに分けた見覚えのある髪型に、同じく見覚えのある黄色い服に身を包んだ小さな背中。
 それが、アタシたちが会いに行こうとしている人物の姿であると、3人全員が気がついた。
 そして……雛子ちゃんと、その脇にもうひとりの姿が……。


「だいじょーぶだよ」

「何故ですか?」

「だってヒナはすれーばーさんになったんだから☆」

「はぁ……」


 雛子ちゃんは、さっき電話越しに聞いたのと同じ、いつもの楽しそうな弾む声でもうひとりに答える。
 もうひとつの人影は、雛子ちゃんの短絡的で考え足らずな言葉に、大きくため息を返していた。


「良いですか。こちらもそうであれば、向こうだって同じように力を持っているということなのですよ。
 力が対等ならば、例え強大な力を持っていたとして…も……―――ッ!?」


 その人は、持ち前の丁寧な物言いと大人びた口調で、雛子ちゃんの軽率な行動をたしなめるように言葉を紡ぐ。
 ブランコに座っていた雛子ちゃんに面と向かい合えるように、場所を移しながら話していると、
 途中アタシたちの存在に気がついて、とても驚いた顔をこっちに向け、言葉を止めてしまった。

 そして、その人物と目が合ったアタシ自身も、つられるように動きを止めて、


「春歌……ちゃん」


 ふと、その場にいた姉の名前が、口からこぼれた……。












更新履歴

H17・5/8:完成・掲載


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