かっこよくって優しくて、スポーツも万能で、たくましくって、

 そして、姫の夢を叶えてくれた、

 あなたは素敵な素敵な、姫の自慢の……旦那様、ですの












 姫は走っていました。
 おめかししたエプロンドレスと、お気に入りのリボンを風に揺らして、一生懸命待ち合わせの場所に走ってましたの。
 運動はあまり得意じゃないけれど、待ち合わせた時間に遅れそうだから、そんなことは言ってられませんの。
 腕にぶら下げたバスケットを、大きく揺らさないように気をつかいながら、
 それでもできる限り早くたどり着けだなんて、ちょっと厳しいノルマ。
 でもそれも、そのバスケットの中身を作るのに夢中になって、
 うっかり時間を忘れちゃってた自分のせいですのから、誰にも文句は言えませんの。
 ああ、それにしてもなんてドジ。
 離れて暮らしている姉妹のあの娘じゃあるまいし……なーんて考えている内に待ち合わせた公園に到着!
 待ち合わせ場所、公園に立っている時計に向けてダッシュ、ダッシュ、ダッーシュっ!

 そうして視界に捉えた、時計の柱に退屈そうに背中をもたれかかせる人影。
 見覚えのあるオレンジ色のジャンパーに、ちょっとだぶだぶっとしたジーンズをはきこなすその姿は、
 そう、紛れもなく姫と待ち合わせているあの人の姿。


「衛ちゃんごめんなさいですのー」


 その人の名前を呼んで、まずはなにをおいても謝罪の言葉。
 その声に、姫に気がついた待ち合わせ相手は、姫に向けて大きく手を振ってくれましたの。
 その手の真上にある時計の針は……約束の時間をほんのちょこっと過ぎていました……。
 突きつけられた遅刻の事実に、更に湧き上がる罪の意識に背中押しされるみたくラストスパート。
 お気に入りのリボンを風に揺らしながら、それでもバスケットは揺らさないように、走り慣れていない足で一生懸命駆け寄りましたの。


「ごごごごめんなさいごめんなさいごめんなさーいっ!
 姫、お料理のことになっちゃうと夢中になっちゃって……! それで、それで……!!」

「ううん。ボクも今来たとこだから、全然大丈夫だよ」


 息を切らせそうになりながら、到着するなりぺこぺこ何度も頭を下げる姫。
 そんな姫の遅刻を、衛ちゃんは何ひとつイヤな顔も見せずに、それどころか笑顔で迎え入れてくれましたの。


「それにさ、それで白雪ちゃんのお料理が美味しくなるなら、あと5時間は待てるよ」


 冗談混じりに言葉を付け加えて、その場を和ましちゃってくれたものだから、姫も自分の遅刻も忘れて思わずくすりと笑っちゃった。


「もうっ、衛ちゃんったら。それじゃあ遊ぶ時間がなくなっちゃいますの

「え? だって丁度晩ごはんの時間帯だし、それだと白雪ちゃんのごちそう食べ放題じゃない?」


 …………冗談、ですのよね?


「でもでも、遅刻しちゃった分の埋め合わせはこれでバッチリ! なんせ今日のお弁当は、姫会心の出来ですの〜♥♥

「ほんと!? うっわ〜、今から楽しみだな〜」


 お弁当の入ったバスケットを衛ちゃんの目の前に掲げて、自慢するような口ぶりで見せびらかす。
 うふふっ、衛ちゃんったら、そんな姫のお弁当を見るなり子供みたいにはしゃいじゃいましたの。
 普段はあんなにたくましいのに、可愛いですの♥♥

 それは、まるでデートのような待ち合わせ風景。
 ううん、今日は衛ちゃんとの……正真正銘ラブラブデート

 だって衛ちゃんは、姫の大切な、大切な……旦那様、だから……。











 

White snow wedding after
〜 wake up from dream 〜













 今日は衛の運動がてら、ふたりで公園にピクニックに来ましたの。
 ここはかなり広い公園で、陸上のトラックやサッカーのグラウンド、他にも色々なスポーツができる施設の整った運動公園なんですの。
 前にもここで衛ちゃんから、スケボーやお友達さんとのサッカーをするところなんか見せてもらったりと……
 スポーツ大好きな衛ちゃんにとって、ここは本当に天国みたいなところですの。
 今日はかけっこのタイムを計りたいからって、ストップウォッチ持参でやってきました。


「ん〜〜っ、今日はホント良い天気だねっ」

「ですの


 運動場までの道のりを、ふたりでのんびりお散歩気分でお喋り。
 運動だけじゃなくて、こうやってゆっくり時間を過ごすのも楽しみのひとつ。
 暦の上ではまだまだ冬だけど、ぽかぽかの陽射しはそれを忘れさせてくれるくらいあったかくって、気持ちが良いですの。


「そういえばさ、もうそろそろ、白雪ちゃんの誕生日だね」


 前の話が一区切りついたところで衛ちゃんがそう切り出す。
 もうすぐ2月に入ろうかという今日からあと2週間もしないうちに、姫のお誕生日はやってきますの。
 うふふっ、衛ちゃんったらきちんと姫の誕生日、覚えていてくれたんですのねっ
 姫、それだけでもとっても嬉しいんですの……ムフンっ♥♥


「今年はプレゼント、どうしよっか?」

「別に姫は、プレゼントなんて……」


 尋ねてくる衛ちゃんに、遠慮するようにお返事を返す。
 おかしのレシピの本や、古くなってきた泡立て機の買い替え、あとこの間お店で見かけた可愛いお洋服や靴。
 欲しいものがないって言ったら確かにウソになりますの。
 けど、みんなに気を使わせてしまうくらいなら、姫はプレゼントなんていらない、って思ってますのから。


「だ、ダメだよ! だってボク、普段から白雪ちゃんのお世話になっているし……今日だって、お弁当作ってきてくれたんだから!」


 でも、それはそれで気を使わせてしまうという形になってしまうようですの……。
 姫は、衛ちゃんが覚えていてくれたこと、そしてその祝ってくれるって気持ちだけで胸がいっぱいになのに。難しいですの……。
 だから姫、衛ちゃんの気持ちを受け取ろうって思っていますの、けど……


「んー、でも、何か良いプレゼントの案が出てこないっていうか……」


 肝心のプレゼントはまだ決っていないようで……もうっ、だから別に構わないって言ったんですのにぃ〜!


「どうもさ、去年のプレゼントに比べると……ねぇ?」


 あはは、なんて照れ笑いを向けながら、ほんのり染まった頬を軽くかく衛ちゃん。
 そうして頬を染めたまま、改まったように感慨深く口にしましたの。


「去年は……すっごいコト、やっちゃったからね……」

「はいですの……


 照れる衛ちゃんの一言に、姫も赤くなって頷きますの。
 去年の姫のお誕生日……それは、女の子が誰でも持つ夢が叶った最高の日……。
 始まりは、丁度去年の今頃に見た、ただの何気ない夢から。

 その夢の中で、姫は綺麗な花嫁さんに……女の子が誰でも夢見る姿なっていて、素敵なおムコさんが迎えに来てくれましたの。
 そのおムコさんは……なんと衛ちゃん。
 その時は衛ちゃんのコト、そんな風に見ていたつもりはなかったんですの。
 ただ身近にいる、理想に近いおムコさん像だったからっていう理由で、夢に登場しちゃっただけ。
 姫も目が覚めた時は、衛ちゃんがおムコさんなんておかしいなって、くすくす笑っていたくらいですもの。
 それでも夢の中じゃ疑問にならなかったですの、だって夢ってそういうものですのから。

 そんな夢の話を、ちょっとした話のタネとして、面白半分に衛ちゃん本人に話して聞かせたんですの。
 でも、それが夢の始まり……。
 今みたいに姫のお誕生日プレゼントに頭を悩ませていた衛ちゃんは、なんとなんと! その夢を実現させようって言っちゃったの!
 その衛ちゃんのアイディアがきっかけで、姫、姉妹みんなの協力もあって、お誕生日に夢の結婚式あげちゃいました……
 し・か・も、そのおムコさんも、夢の通り衛ちゃんが……そう、衛ちゃんは姫の夢を、本当に現実に変えちゃいましたの。

 その結婚式も、最初は姫に花嫁さん気分を味わわせるためのごっこ遊びでしたの。
 衛ちゃんのおムコさんだって、ただ形を整えるだけに配役したってだけで、姫だってごっこ遊びの結婚式を楽しんでいただけ。
 最初は……そう、最初は……。
 けど、式が進んで、夢が叶えられて……幸せな気持ちが、溢れてきて……。
 その「嬉しい」をくれたのは、紛れもなく衛ちゃんで……。
 そんな幸せに浸っている内に……だんだん、その気になってきちゃって……。
 だんだん……姫のハート、衛ちゃんに魅かれていって……。
 衛ちゃんが、もともと素敵だったこともあって……うふふっ 姫、そのまま衛ちゃんのお嫁さんになっちゃいました

 だから衛ちゃんは旦那様……。
 姫の、素敵な素敵な旦那様……

 去年の誕生日は、同時に、姫と旦那様との結婚記念日でもあるんですの
 今でも、鮮明に思い起こせる幸せの記憶……。

 真っ白なチャペルの中に鳴り響くウェディングベル。

 聞こえてくるみんなの祝福の声。

 その中で純白のドレスを着て、素敵な花嫁さんになった姫。

 隣には、負けずに素敵でかっこいく決まった、おムコさんの衛ちゃん。

 互いの左薬指に契約の証としてはめられるリング。

 そしてクライマックス、愛を誓うふたりの誓いのキ……―――



 きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ♥♥
 ひ、姫ったらっ、姫ったらぁっ♥♥♥♥ な〜んてコト思い出してるんですの〜〜〜っ♥♥♥♥♥
 もう……もう……恥ずかしくって、衛ちゃんの顔、まともに見れないですの〜〜〜〜♥♥♥♥


     ちらっ


「ん? なに、白雪ちゃん?」


 きゃ〜〜〜〜っ♥♥ いっや〜〜〜ん♥♥♥♥
 見ちゃった 見ちゃったっ 目が合っちゃいましたの♥♥♥
 恥ずかしいですの〜〜〜♥♥ ムフン♥♥♥


「いや、ほんとどうしたの? 白雪ちゃん……」


 姫、去年のプレゼントの思い出だけでこんなに胸がいっぱい
 誕生日が来るたびに、こんな素敵な思い出に浸れるなんて……それこそが一番のプレゼントかも、ですの♥♥


「うふふっ 何でもありませんのよ。だ・ん・な・さ・ま

「うぇえっ!?」


 衛ちゃんったら、姫の「旦那様」って発言に驚いて、ヘンテコな声をあげちゃいましたの。
 でもでも、衛ちゃんは姫にとって正真正銘の旦那様……。
 だからこうやって旦那様と過ごせる時間が、なによりもプレゼント……。
 そう思えるだけで、嬉しさが溢れそうになって、言葉だけじゃこの嬉しさを表しきれないから、
 だから、その溢れる気持ちにまかせるまま、衛ちゃんの腕を取って抱きついちゃいましたの


「わわっ……!? し、白雪ちゃんっ……?!」


 突然のことに驚きを隠せない衛ちゃんは、ほんのり赤かった顔を更にまっかっかに。
 でも衛ちゃんは、照れながらも姫の抱きつきに抵抗する様子はなくて、姫たちはしばらくそのままの体勢で公園内を歩きましたの。

 幸せ……ですの♥♥






 と、そんな幸せも、長くは続かなかったですの……。






「うるせぇ! いいから出てけよ!」

「そうだそうだ! 今日からここは、俺たちのものなんだ!!」

「きゃあっ!?」


 突然、辺りに大きく響いた怒鳴り声に驚いた姫は、折角の夢見心地から現実に引き戻されちゃいましたの。
 もうっ! 誰なんですの!? 姫が幸せに浸っているのを邪魔しちゃう悪い子ちゃんは!?


「あれは……?」


 声のした方向には、運動場に向かう途中にある遊具場が。
 ここは子供たちに人気のスポットで、前に通りがかった時にも子供がいっぱい遊んでましたの。
 でも今日は様子が違っていて……大勢の子供の代わりに、大きな体つきの男の子が丸太小屋を模した遊具の前に陣取っていました。
 その後ろにひょろんとした細い身なりの細い男の子がついて、なにやらふたりで主張してますの……。


「今日からここは俺たちの基地だ!」

「そうだそうだ!」


 まあ! イケナイ悪い子ちゃんたちですの!
 姫の幸せ気分を台無しにしただけじゃなくて、そんなワガママ言うだなんて!
 あれじゃあ体はおっきくてもの中身はまるで子供ですの! みんなの迷惑ですのっ!

 で、でもでも……あのいじめっ子さん……とっても強そう……。
 中身は子供さんでも、見た感じから姫たちよりもほんのちょっとだけ学年が上の印象も受けますの。
 姫なんか運動オンチさんで、とても敵いそうもないですの……。
 このままじゃ、折角の楽しくなるはずのデートも台無しになるだけですし……
 悪い子ちゃんをこのまま放っておくのは気が引けますのけど、ここは触らぬ神に祟りなし。
 迷惑をかけられる前に、早くこの場を離れるに越したことはないですの。
 どうにもできない無力さを、誰に言うでもなく心の中で謝って、衛ちゃんに早く別のところへ行くよう持ち掛けましたの。


「衛ちゃん……早くここから―――……ってあれ?」


 と思ってさっきまで衛ちゃんのいた方に視線を戻してみると……あれあれ? 衛ちゃんは忽然と姿を消しちゃってましたの。
 抱き締めていた腕は、悪い子ちゃんの大声に思わず緩めちゃって気づかなかったけど、その隙に一体どこへ?


「えーっと……?」

「やめるんだ!」


 衛ちゃんに行方に首を傾げた直後、その衛ちゃん本人のお声が。
 ……さっきのいじめっ子さんたちの居る遊具の方角から。


「ここはみんなの公園だよっ! みんなの場所なんだから仲良く使わなきゃダメじゃないか!!」


 って衛ちゃんったら、いつの間にかいじめっ子さんたちの所へ行っちゃってますのーっ!?


「なんだお前?」

「ボクは衛だよっ!」


 いえ、衛ちゃん、そういう意味じゃないですの……。

 でも、さすがは衛ちゃん。
 曲がったことが許せない真っすぐさと、あふれる正義感を胸に、いじめっ子さんたちの前に立ち向かっちゃうなんて。
 そんなこと、なかなかできることじゃないのに、体だけじゃなくて心もたくましくて……さっすが素敵な姫の旦那様

 いえいえ、そんな男気に感激している場合じゃないですの……。 
 だって相手は………………相手は……きっと上の学年の人で、体だって大きくて……
 それから……それから……と、とにかく、スポーツ万能な衛ちゃんでも、あの人たちの相手はさすがに危険なんですの!
 そう思ったら居ても立ってもいられなくなって、姫も慌てて衛ちゃんの近くに駆け寄りましたの。


「ま、衛ちゃん……」

「なんだお前?」

「ひぇっ……!」


 心配して衛ちゃんの近くに寄ったのは良いですのけど、でも姫が来たところで何の解決にもならなかったんですの。
 それどころか姫、怖くてなにもできなくて……
 衛ちゃんを壁にして、陰に隠れるようにいじめっ子さんたちを眺めるしかできなかったんですの。
 かえって邪魔になるだけ……それでも近くに居たいって気持ちは……ワガママですの?


「で、どうするんだ? 俺とやるのか?」


 そう言って、拳をぽきぽき鳴らすいじめっ子さん。
 姫、いじめっ子さんの威圧感にすくみ上がっちゃって……
 衛ちゃんの後ろでジャンパーの袖を、すがるようにぎゅって握っているしかできなかったんですの……。
 怯える姫に、衛ちゃんは「大丈夫だから」と静かに囁いてから、改めていじめっ子さんに向かい合うと、


「良いよ、勝負しよう」

「……っ!? ま、衛ちゃん……!?」


 挑発するいじめっ子さんの誘いに乗る衛ちゃんに、姫の不安な気持ちは更にあおられちゃいましたの。
 だって姫、衛ちゃんのこと、強くてたくましいって知ってるけど……でも暴力は、嫌いだから……。
 イヤですの……そんな衛ちゃん、見たくない……。


「でも勝負って言っても、ボク、暴力とかはちょっと、ね……。でもさ、勝負って言ったら……やっぱりスポーツだよ!」

「「「は?」」」


 と、不安で胸を締め付けられていると、衛ちゃんがなんともマイペースな提案を。
 あまりに突拍子もなかったものだから、いじめっ子さんも子分さんも、
 あろうことか姫まで声を合わせて、気の抜けた声を出しちゃいましたの。


「だから……そうだなぁ、かけっこで勝負! 丁度ここにはトラックもあるからね!」


 でも、そんな姫たちにお構いなしに、衛ちゃんはマイペース街道まっしぐら。
 あまりにも場違いというか、話とかけ離れた提案というか、お陰でその場に居た衛ちゃん以外の3人揃ってぽかーん。
 姫が呆気に取られて目をぱちくりさせていると、


「かけっこか……ふんっ! この俺に足で勝負ってか? よーし、いいぜ! 望むところだ!」


 な、なんと! いじめっ子さんはその挑戦を受けて立っちゃいましたの! えー!?


「へへんっ! お前ケンちゃんがクラスで一番速いって知らないなー」


 と、子分さんの方が優越感に浸りながらそんなことを付け加えましたの。
 なるほどですの。受けて立った理由はそこから来ているってことですのね。
 っていうか、今日初めて会った相手の特技なんて分かるわけないですの。そっちこそ姫がお料理得意って分かるんですの?


「オッケー! じゃあ、かけっこ勝負で決りだね!」

「おうっ!」


 そ・れ・に……そっちこそ、衛ちゃんが誰よりも速いってコト、知らないんですのよ。
























「衛ちゃ〜〜〜ん。頑張って、ですの〜〜〜!」

「うん!」


 トラックのスタートラインでスタンバイする衛ちゃんといじめっ子さん。
 姫は衛ちゃんから預かったジャンパーを腕にかけて、一生懸命声援をかけましたの。

 運動場のトラックに着くなり、衛ちゃんは「走るのに邪魔になるし、それにどうせ走って体があったかくなるから」なんて、
 着ていたジャンパーを姫に預けて、すぐさまスタートラインに向かっていきましたの。
 さっすが衛ちゃん、気合十分で頼もしいんですの……ムフン♥♥
 だから姫も、それに追いつくくらい応援の声をかけ続けましたの。

 そして心の中で、頑張ってね、あ・な・た……
 ……なんて、きゃー♥♥ 姫ったらなんてダ・イ・タ・ンっ ですの〜♥♥ ムフンっ♥♥


「へへんっ! あんなケンちゃんに勝てるわけないだろ!」

「むかっ……!」


 ちなみに姫の隣にはにっくきいじめっ子さんの子分さんが……。
 もうっ、また姫がいい気持ちに浸っている時に邪魔してくるなんて、ホント悪い子ちゃんですの!!


「そっちこそ、衛ちゃんの速さを思い知りますの。そして反省すると良いんですのっ」

「へーへー、そうでございますか」


 む〜、いちいち癇に障りますの〜。
 衛ちゃん、こんな悪い子ちゃんたちにはさっさと衛ちゃんの実力を見せ付けてやるんですの!


「負けたらおとなしく帰るんだぞ!」

「そっちこそ、みんなと仲良くするんだよ!」


 トラックのスタートラインでそう言い合う衛ちゃんといじめっ子さんのふたり。
 そしていよいよふたりの決戦の時迫る、ですの……。


「よーい……」


 いじめっ子さんの子分さんが、手を挙げてスタートの合図を開始。
 するとふたりはクラウチングスタートの姿勢で位置に着きましたの。

 衛ちゃんの勝利を祈りながら手に汗握る姫……。
 勝利を確信している反面、不安はかき消せずにいましたの。
 何十秒にも、何十分にも感じてしまいそうな、開始までの長い長い数秒……。

 でも衛ちゃんは、その間ずうっと……とっても輝いた目をしていました……。

 もしかしたら……衛ちゃんにとって、いじめっ子さんたちを懲らしめようとか、見返してやろうとか、そんなことどうでも良くて、
 ただ純粋に、大好きなスポーツでの勝負を、楽しみたいだけなのかもしれませんの……。
 だって……スタートライン向かう時に覗けた衛ちゃんのお顔は、
 とっても凛々しく見えて、同時に、なんだか楽しそうに笑っていましたもの……。


「まもるちゃーーーんっ! がんばってーーーっ、ですのーーーっっ!!」


 だから姫も、その気持ちに追いつくくらい応援の声をかけ続けました。
 今までで1番大きく、衛ちゃんの心にまで届くように……。

 そして―――


「ドンっ!」




 ・

 ・

 ・

 ・

 ・












「ぜぇ……ぜぇ……」

「はぁ……はぁ……」


 ゴールラインで、持てる力を出し尽くしたことを象徴するように息を切らす、衛ちゃんといじめっ子さん。
 姫から見たら信じられないくらいとっても速いペースで、トラック1周を回り切ったふたり。
 勝負はまさに一進一退、いじめっ子さんも衛ちゃんに負けじと速くて、さすが衛ちゃんの挑戦を受けるだけのことはありましたの。
 抜いては抜かれ、抜かれては抜き返すという熱い展開がくり広げられ、どちらも譲らないまま、ふたりはゴール。
 そのタイミングは……ほとんど同時。


「ど、どっちが?」


 勝敗は……引き分け……?
 う、ううん、衛ちゃんの勝ちですの!


「へ、へんっ! ケンちゃんの勝ちだね!」

「ええっ!?」


 姫が衛ちゃんの勝ちを信じてる横で、隣に居た子分さんの口から姫の思惑とは反対の言葉が。


「ち、違いますのっ! 衛ちゃんですの! 衛ちゃんの勝ちですのーっ!」


 これには姫、必死に慌てて、ちょっぴりムキに反論しましたの!
 だってだって、これは絶対間違いなく衛ちゃんの勝ちで……だから間違った判定を下されるのは納得いかないんですのーっ!


「そもそも、衛ちゃんはカーブを曲がる時、そっちよりも外側を走りましたの!
 距離からしたら衛ちゃんの方が走ってますの!! ほとんど同時にゴールしてるなら……」

「いいや、インを取るのだって戦略さ! だから勝負はこっちの勝ち!」

「そ、そうだとしても、衛ちゃんの方がちょっぴり早くゴールに着きましたのーっ!」

「違ーうっ! こっちの方が早かったっ!!」


 と、ステージの外で、お互い譲らずの水掛け論が勃発。
 超スローカメラで判定なんて便利なことできない状況だから、こうなってしまうのはある意味必然だったかも、ですの……。


「分っかんねぇヤツだなぁ! この"ですのますの女"っ!!」

「ですっ!? な、なぁーんて失礼な子分さんなんですの!!」

「こ、子分〜〜〜っ!? こンのぉ! そんな目で俺のこと……」


 というか、熱が入っちゃって、どんどん別方向に論点が向いて行っちゃってましたの……。


「もういいよ」

「もういい」


 と、水を掛け合う姫たちに制止の声が。
 それはゴールで息を切らせたふたりの口から、寸分違わずに揃えて発音されたものでしたの。


「衛ちゃん?」

「ケンちゃん?」


 その制止の声に、今度はこっちが声を揃えて疑問の声を返しましたの。
 目を向けてみると、さっきまで熱い激戦をくり広げたふたりは……なにやら嬉しそうに顔を見合わせてましたの。


「へへっ……お前、女のクセになかなかやるな……」

「そっちこそ……」


 そこで姫が目の当たりにした光景は、さっきまで敵対していたふたりが、
 へとへとになりながらもお互いを認め合うような発言を向け合うというもの。
 しかもしかも、それは言葉だけじゃなくて、グッと握った拳同士を互いに突き合わせるジェスチャーまで!
 こっ、これは……! よくマンガとか青春ドラマとかで見かける、「勝負の後には友情」のパターンですの!?
 勝ち負けなんて、その熱い勝負の後ではもう無意味。そんな熱いベタな展開が今、目の前でくり広げられてますのっ!


「「…………」」


 そのあまりの急展開に、ついついぽかーんと言葉を失っちゃう姫と子分さん。


「素敵……ですの……」


 でも、マンガみたいに恥ずかしい展開ですのけど、いざ実際目の当たりにすると……それはそれでかっこよくって素敵な絵。
 ふたりはこんなに爽やかにお互いを認め合っていますのに……姫ったら、勝ち負けばかりにこだわって、恥ずかしいですの……。
 一時は面をくらってしまった姫も、あまりにも爽やかなふたりの姿に心洗われて、感化されちゃいましたの。


「へへっ……カッコいいぜ、ふたりとも……」


 そして、子分さんまでもが、その友情パワーに感化。
 ああ素晴らしき青春の日々、ですの……。


 それは、なんとも予想外に始まって、そして予想外に感動的で素敵な終わり方を迎えた出来事。






 なのに……
 なのに……姫の心には……なんだか、もやもやしたなにかが渦巻いていましたの……。
 良いこと尽くめのはずなのに……この気持ちは……一体なんで……?
























「あのいじめっ子さんたち、案外良い人たちだったんですの」

「そうだね。分かってくれたみたいだし」


 元・いじめっ子さんたちと分かれて、姫たちは再びふたりきりのゆったりした時間に戻ってきましたの。
 あの後、いじめっ子さんたちとは和解して、遊具のひとり占めもしないって約束もしてくれました。
 それで……少しは見直したから「元」をつけてあげますの。
 まあそんな余談は置いておいて。


「衛ちゃんはすごいですの! あんなに強そうな人を相手に怯みもしないで、それどころか立ち向かって行っちゃうなんて!」

「え? そ、そんなことはないよっ……!」


 姫の賛辞に、照れながら首と手をぶんぶん横に振る衛ちゃん。
 でも姫は、そんな衛ちゃんの両手を握って、


「ううん、そんなことありますの!
 あんな強そうな人と対等に渡り合えただけじゃなくて、そんなライバルさんたちとあっという間に仲良くできちゃうですもの!」


 それだけじゃないですの。
 今にも取っ組み合いになっちゃいそうなギスギスした雰囲気を、
 あっという間に「スポーツ」という正当な勝負に持ち込んじゃいましたんですもの。
 結果、誰も痛い思いをしないで事態を解決に導いちゃった、それってとってもすごいコトだと思うんですの!
 ……マイペースなだけかもしれないですのけど。
 それからそれから、さっきまで視線で火花を散らせ合っていた相手を認め、そしてなかよしさんにまでなっちゃったんですもの。
 それをすごいって言わないで、一体なにをすごいって言えばいいですの?


「衛ちゃんは、やっぱりすごいんですの……」


 衛ちゃんの、そういう敵を作らないところ……ううん、敵なんて存在しないってものの考え方。
 そういう純粋さっていうんですのかしら?
 とにかくそれは紛れもなく、スポーツ以外の衛ちゃんの魅力のひとつですの。
 うっとりするように、衛ちゃんの魅力に浸る姫。
 そんな姫に、衛ちゃんはそんなことないって謙虚に主張し続けましたの。


「それに、すごいって言うなら白雪ちゃんの方がすごいよ。だって、あんなにおいしいお料理をいっぱい作れちゃうんだから!」

「ええっ!?」


 衛ちゃんったら、話を上手く摩り替えて、姫との立場を逆転させちゃいましたの。
 あっという間に、衛ちゃんが褒めて姫がそんなことないって言う立場に。
 もうっ……衛ちゃんったら、お口まで上手いんですの……


「そ、それこそ大したことない、ですの……」

「あんなにおいしいんだから、もっと胸を張ってもいいと思うよ! ほら、あのふたりもおいしいって褒めてたじゃない! ね!」

「……でも、折角衛ちゃんのために作ったお弁当だったですのに……」


 と、ここで褒め合いの空気から一転、姫はぶすーっと頬を膨らませて、不満そうな気持ちをアピール。
 だって、今日、折角衛ちゃんのために作った弁当は、
 勝負の後の友情を得た元・いじめっ子さんたちと一緒に食べることになっちゃったんですもの……。


「え……。あ……あー。あは、あはは……」


 そんな不機嫌な姫を見て、衛ちゃんはばつが悪そうに苦笑い。


「だけどさ、量もいっぱいあったし、みんな食べるには丁度良かったんじゃないかな?」

「衛ちゃんはいつもいっぱい食べてくれるから、多めに作ってんですの……。
 衛ちゃん、いつもあのくらいは軽く食べちゃいますのから……」

「……まあ、確かに食べられたけど。でもさ、あのふたりもおいしいって褒めてたじゃない!」


 こんな美味しいもの生まれて初めて食べた。母ちゃんのよりも数千倍はウマイ。ですのますの女もなかなかやるな。
 元・いじめっ子さんふたりはそう言って褒めてくれてましたの。っていうかですのますの女言うな、ですのっ!!


「褒めてもらえたコトは素直に嬉しいんですのけど、せーっかく衛ちゃん用に作ったのにぃ〜」


 あのふたりに対して恨み辛みは抱いていないものの、悔しそうな態度でごちましたの。
 マンガみたいな展開の続きとするならば、この心情、ハンカチを噛み締めてキーキー言ってるのが合ってるかもしれませんの。


「良いじゃない。みんなで仲良くできるんなら」

「そうでもないんですの! だって……お料理は心ですのから……」

「え?」

「お料理は心 だから姫、いつもお料理する時は、食べてもらう人のことを想って作るんですの


 首を傾げる衛ちゃん。
 そんな衛ちゃんに、教えるような素振りでにっこりと向き合いましたの。


「姫は、さっきのお弁当に、いっぱいの衛ちゃんへの想いを込めて作ったんですの……。
 衛ちゃんが好きなものは入れてあげたいな。衛ちゃんが飽きないようにメニューを決めたいな。
 衛ちゃんが気に入る匂いや盛り付けはどうかな? 衛ちゃんが好き嫌いして、不足しちゃいそうな栄養はなにかな?
 他にもいっぱい、いっぱい……」


 まるで先生にでもなった気分で、得意な顔してご教授。
 だってそれは姫の自慢。
 だから、さっきまでのヒステリーな態度はどこかに忘れて、生き生きと衛ちゃんに語りましたの。


「そうやって、食べてもらう人のことを想って作るのが、お料理なんですの。だから……」


 みんなで食べることはみんなのことを想って作りますのけど、今日のお弁当は衛ちゃんのために作ったもの。
 衛ちゃんに向けた想いだから、だから衛ちゃんに食べて欲しかったんですのに……。


「そっか……だからおいしいんだね」

「え?」


 突然、納得したような声を静かに口ずさむ衛ちゃん。
 どうしたのかなって思って衛ちゃんの方を見てみると……衛ちゃんは、なぜだか柔らかい表情を浮かべていましたの。
 そして、姫の顔をジッと見つめて……


「ボクが食べているのは、白雪ちゃんの心だったんだ」


 なんて……い、イヤーンっ は、恥ずかしい台詞、言われちゃったんですの〜〜〜〜♥♥♥


「そ、そんな……そんなことは……イヤーン♥♥♥


 も、もうっ、衛ちゃんったら!
 どうしてそんなこっぱずかしいコト、真顔でサラッと言えちゃうんですの?
 聞いてる姫の方が恥ずかしくって、恥ずかしさのあまり、ほっぺに手を当てて腰をクネクネさせちゃいましたの♥♥


「ありがとう、いつも心をくれて」


 いっやぁ〜〜〜ん♥♥
 そんな恥ずかしい言葉を、なんの恥ずかしげもなく真っすぐぶつけられちゃって、
 姫、とっても嬉しくて、とっても恥ずかしくて、恥ずかし過ぎて、
 その恥ずかしさの分だけ更に腰をクネクネフリフリ、クネクネフリフリ……なんて、姫の悪いクセが出てきちゃったものだから、


「……って、わわわっですのっ……!」

「あっ! 白雪ちゃん」


 こけそうになりましたの……。

 あーん、姫ったら衛ちゃんの恥ずかしい言葉にばっかり目が行っていて、
 丁度歩いている足元が段になってることに気がつかなかったんですの〜。
 それで、ほっぺに手を当てたまま、自分の世界に入り込んでクネクネふらふらしていたら……こけっ、ってなっちゃって……。
 春歌ちゃんばりの妄想に花穂ちゃんばりのドジっ娘ぶりですの〜。イヤーン。


「きゃあっ?!」


 そして、堪えきれずにとうとうバランスを保てなくなった姫。
 悲鳴を上げて、傾きそうになる世界に身を委ねるしかありませんでしたの。
 もうダメですの……って思った時、その傾きは止まって、姫の体は、まるで引力が働いたみたいに衛ちゃんの方へ。


「きゃっ……!?」


 2度目の悲鳴。
 姫の体は衛ちゃんの体に衝突して、その弾みで……って、衝突?


「……っっ!? まっ、まままっ、衛ちゃんっ!??!」


 顔を上げると、衛ちゃんの顔が、今まで見たこともないくらい近くに……。
 しょ、衝突なんかじゃなくて、姫、衛ちゃんに……抱きしめられ、ちゃっ…たの……?


「ご、ごめん……」


 う、ううんっ! こ、これは不可抗力なんですのっ……!
 衛ちゃんは、倒れそうになった姫の手を掴んで、倒れないように引き寄せてくれて、それで……拍子に……。
 べべっ、別にヘンな下心なんか一切ないんですのっ!
 ないけど……ないはずなんですけど……衛ちゃんに抱きしめられて……とっても恥ずかしい……。
 でも、嬉しい……。

 お互い、間近にある顔に……なんだか気まずくなって、恥ずかしくなって……早く離れればいいのに、なんだか動けなくて……。
 密着した体から、どっくん、どっくん、お互いの心臓の音が響いて、
 姫のドキドキ、衛ちゃんに聞かれてるんじゃないのかなって思ったら、ますますお顔が熱くなって……。
 それでも、噛み締めるように、衛ちゃん鼓動を、感じて……。
 特に手で……


「……手で?」


 なんだか、特に鮮明にドキドキが伝わってくるようで、まるでそこが発信源みたいなくらい。
 確かに、衛ちゃんと姫の体に挟まれて、手のひらで直接衛ちゃんを触ってる体勢になってますのけど、
 いくら人間の手に神経が集中しているからって、ここだけこんなにはっきりと聞こえるのはちょっとヘンですの……。
 というか……なんだかここだけ妙に柔らかいような……。


「ふぁっ……!? く、くすぐったいよぉ……」


 調べるように手をわしゃわしゃ動かすと、衛ちゃんはそれに反応して、恥らうようなヘンテコな声を。
 まるで発信源のようで、ここだけ妙に柔らかくて、そして衛ちゃんの今の反応……。
 気になって確認してみると……姫の手は衛ちゃんの……お胸、に……


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!?!??!?!」


 ひひひ姫はっ……姫はぁっ……い、い、イヤーンッ!?


「わわわわっっ!?!? ご、ごめんなさいですのっ!!」


 慌てて姫、衛ちゃんを突き放すように離れましたの!
 だって、だって……ぐぐぐ偶然とはいえ、姫、衛ちゃんに……衛ちゃんに〜〜〜!


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ! 姫は、姫は〜〜〜っ!?」

「い、いや、気にしないで。無理に白雪ちゃんを引き寄せたボクが悪いんだから……。あ、あはは……」


 突然のハプニングに、頭の中はミルクみたいに真っ白に。
 もうまともに頭が働かなくなっちゃって、同じ言葉を何度もくり返して頭を下げるしかできませんでしたの。
 イヤーンっ! 姫ったら、本っっっ当になんてことしてるんですの〜〜〜!?
 しかもしかも、確認のためって衛ちゃんの胸に当たっている手、わしゃわしゃ動かしちゃいましたの〜〜〜!?
 姫はどこのえっちなオジサマなんですの〜〜〜!??! 
 柔らかくてほんの少しだけふくらんでいた衛ちゃんのお胸をもにもにと……


「……え?」


 衛ちゃんの胸は、柔らかくて……ほんの少しだけ…………ふくらんで、て……え?


「……え? え? ……あ、あれ?」


 何かがおかしかった。
 自分が思っていたのとは違う何かに、ついさっき、訳も分からず湧き上がったもやもやがもう一度……。
 今度は、姫の心を埋めつくくらい、湧き上がって……



 ―――瞬間、動悸が、明らかに違うものへと、スイッチした。



「どうしたの、白雪ちゃん?」

「なんで……?」

「白雪ちゃん?」

「なんで……?」


 不意に、今の出来事がなかったのかのように、真顔で問いかけはじめる姫。
 これまでの幸せ気分が、全て消し飛んだ。
 胸に湧いたもやもやが、胸いっぱいに膨れ上がる。
 押し潰されてしまいそう。
 だから聞かずにはいられない。


「なんで……?」

「……? なにが……?」


 突然の態度の変化。
 抽象的な質問。
 当然、衛ちゃんには何のことだか分からない。
 不思議そうな顔をして、ただただ姫の様子を伺うしかできない。
 そして姫はもう一度、今度はなにに対してか分かるように、聞いた……。


「なんで……なんで衛ちゃん……お胸、あるんですの……?」


 おかしな質問。
 答えなんて分かっているのに。
 こんな質問、そもそもしなくたって分かりきってる。

 だって衛ちゃんは……―――


「し、失礼だなぁ! みんなからちっちゃいとかまな板とか言われてるけど、これでも最近は発育してきてるんだよ!」


 衛ちゃんは、からかわれたのかと思って、顔を真っ赤にしてムキになって言い返す。
 そうですの、衛ちゃんはいつも、お胸のこと……からかわれてて……え? え?
 なにか、おかしいですの……。
 衛ちゃん、なにか……おかし……


「まあ、別に大きくなんなくたっていいけど……からかわれるのイヤだし……」


 違う……。
 おかしいのは……姫の方?

 でもなにが?

 どこが?

 なんで?

 胸がもやもやで、今にもはちきれそう。


「……? 白雪ちゃん……?」


 姫の様子がおかしいことに、さすがに衛ちゃんも心配そうに態度を改める。
 姫の言葉が、冗談から来たものじゃないと分かると、真剣な顔を姫に向けてきましたの……。


「なん、で……?」


 もう一度、問い返す。そしてもう一度、また一度、「なんで?」「なんで?」と繰り返す。
 まるで壊れたテープみたいに、何度も、何度も。


「なんで……? なんでっ……?!」

「なんで、って……」


 なんで、こんなに、答えを聞くのが怖いんですの……?


「だってボクは……これでも女の子だし……」












 どくんと、






 心臓が、






 ひとつはねた。












「い、や……」




 ―――ユメハショセンユメ……。




「いや……いやぁ……」




 ―――ダカラ、オヒメサマハ、イツカゲンジツニカエラナクテハナラナイ……。




「いやぁっ!!」




 ―――コウフクナユメノセカイカラ、ゲンジツニ……。










 気がつけば、姫は衛ちゃんから遠ざかるように走り出していましたの……。




























「はぁっ………、はぁっ………、はぁっ……、っ…………はぁっ……」


 走った。
 運動が得意じゃないから、すぐに体力が底をつきそうになるけど、それでも走った。
 なにかから逃げるように走った。
 なにから?
 ユメをオカすナニかから?
 ソレはナニ?
 ナニにオビえてイるの?



『だって―――』



 頭の中、あの人の声でリピートされる、ほんの少し前の記憶。
 数分にも満たないほど、秒単位前のキオク。

 聞きたくない! 聞きたくないっ! キキたくないッ!!!

 なんで? なんで? 何でこんなにキキタクナイの!?



『だってボクは―――』



 それは、魔法が解ける呪文の言葉。
 幸福な夢の魔法を解いてしまう言葉。
 だから、―――


「聞きたくないっ!! 聞きたくないですのっ!!」


 本当は、気づいていた……。
 最初から分かっていたっ……。



『だってボクは―――』



 分からないはずないのにっ……なのにっ!












『―――女の子だし』












「……あ」


 こぼれた短い声と共に、ガラスが割れるように、世界がぱりんと割れて……
 その瞬間、魔法は解けた……。






「はぁ………、はぁ………、はぁ………、」


 必死に動かしていた足を止めて、呼吸を整えようと努める。
 そして……


「そう、でしたの……」


 ひとり呟いて。
 納得したように……呟いて。
 目じりが、熱くなった。


「衛ちゃんは……」


 衛ちゃんは……旦那様なんかじゃない。
 旦那様なんか、なれやしない……。


「女の子……なんだから……」


 口にしたら、余計に思い知ってしまった。
 彼女が"彼女"であることに……。



 1年前の誕生日。
 それは、本当に夢のはじまりの日……。
 現実とは違う、理想だけの世界の……。
 本当はすぐに覚めるはずの夢物語に、もう少し、もう少し……そう思って、今の今まで居座り続けて。
 いつの間にか、抜け出せないほどのめり込んで……自分の中で、"彼女"を"男性"に仕立て上げていた……。
 そうしないと、ユメが成立しないから……。
 一時だけの幸せに、すがって……すがって、現実を歪めて……歪めて………………逃げてた……。


「……っく……うっく、姫……姫は……ひっ、く……、」


 目覚めるきっかけは、小さなものだった。
 いじめっ子さんが、衛ちゃんのことを「女の子」として見ていたこと。
 あの時湧き上がったもやもやは、歪めた現実から、真実を引き出されるのが怖くなったから。
 そして、続けて起きた事故……衛ちゃんに抱き締められた拍子に目の当たりにした、"彼女"の証明……。
 そこまでの真実を突きつけられて尚、それでも未練がましく足掻いた。
 足掻いて……結局、他の誰でもない、衛ちゃん本人から告げられた……。


 衛ちゃんは女の子。


 女の子、なんですの……。


 さっきだって、本当はいじめっ子さんたちの学年が上なことより、男の子と女の子の力の差を心配していた。
 だけど、そんな心配よりも、夢の世界を守ることを優先して、わざと目を背けた……。
 そうやって、いつも夢の世界が綻びそうになると、理想という飾りを更に縫い付けた。
 出来上がったのは、厚く、不自然に積み重ねられたアップリケに覆いつくされたいびつな世界。

 認めたくないって思えば思うほど……考えれば考えるほど……
 姫は衛ちゃんが、決して「旦那様」ではないって、分かっていきましたの……。

 ああ……姫は、とうとう夢から覚めてしまいましたの……。


「白雪ちゃん……」


 そして、大好きだった"彼女"の声が耳に届く。
 ハッとして振り返ると、そこには"彼女"の姿が……。

 さすがは衛ちゃん……。
 ついさっき、いじめっ子さんとのかけっこ勝負を済ませたばかりだっていうのに、
 そんな疲れ、感じさせもしないままあっという間に追いついちゃいましたの……。
 運動がそんなに得意じゃない姫とは大違い。

 かっこよくって……優しくて……たくましくて……スポーツ万能で……衛ちゃんは、そんな素敵な…………女の子。


「どうしたの、白雪ちゃん……?」

「ありがとう、衛ちゃん」

「え……?」


 答えにならない返事。
 ありがとう。
 当然衛ちゃんは、何のことなのか話が掴めず、不思議そうに首を傾げるしかない。


「白雪……ちゃ……」

「衛ちゃんは……旦那様なんかじゃなくて……男の子なんかじゃなくて…………女の子、なんですの……」


 衛ちゃんの言葉を遮るように、懺悔のような独白で、ただ衛ちゃんに語り出す。


「でも姫……やっと、夢から覚めたんですの」


 魔法が解けるのは一瞬で、そのきっかけも方法も、とても些細。
 「女の子」って言葉を唱えるだけ……ほら、全てが元通り。
 だからもう……この世界には居られない。
 現実を知ってしまったから。


「大好きな……大好きだった、姫の旦那様……」


 夢は終わり、魔法は解けましたの。
 でもまだ終わってない。
 衛ちゃんを解放してあげなくちゃ。
 だから、あとはきちんと後片付け。


「ありがとう……1年間、ずっと、夢をくれて……」


 さよならなんて悲しいから。
 だからせめて笑顔で……
 涙を零しながら、笑顔を向けて、


「離婚、ですの……」






 一年前、衛ちゃんがはめてくれた指輪。

 それが今、姫の薬指から外れて……

 幸せな夢は、終わりを告げました……。
























 夜……。
 暗い暗い真っ暗な部屋の中、電気も点けずにお気に入りのクッションを抱いているだけの姫……。
 ただぼーっと、晴れない思考を巡らすだけ。
 今日、ママとパパはお外でお泊りだから、今家には姫だけ。
 姫はお料理ができるからって、安心して家のコトを任せていっちゃいましたの。
 確かに、お料理は大丈夫ですのけど……心の方はダメだったみたい……。


「でも今は、誰も居なくて……むしろ良かったですの……」


 少なくとも今は、ひとりになりたいから……。

 朝まではあんなに楽しい気持ちで溢れていたのに……今ではその欠片も残されてないですの。
 今日は楽しいデートになるんだって、今日も思い出の1ページになるんだって、信じて疑わなかった。
 だから今朝、ママたちを笑顔で見送れた。幸せに浸れるって、思い込んでいたから。
 けれど……


「本当に……夢だったんですのね」


 楽しかった思い出は、所詮取り繕ったツクリモノ。
 夢は、現実に戻ってしまえば消えてしまうもの。
 1年間……長い長い夢の時間でしたの……。


「ふふっ……姫ったら、ねぼすけさん……」


 力なく自嘲して、そして、取り繕ったカラ笑いもすぐに剥がれて、また落ち込んで……罪の意識に押し潰されそうになる。


「そんなつもり、なかったのに……」


 縛るつもりなんてなかった。
 理想を押し付けるつもりなんてなかった。
 ただ夢に浸りたかっただけで……結果、今日まで衛ちゃんを巻き込んでしまった。


「ふぇ……」


 涙声が、感情が漏れそうになる。
 それでも、一度あふれ出したら止まらなくなってしまいそうで、だから耐えようと思った。
 なにか気を紛らわさなきゃ、すぐにでも涙があふれてしまう。
 気の紛れるものがないか部屋を見回して、ふと、部屋に飾っていた写真立てに目が向きましたの……。

 ふたりが結ばれた瞬間の……魔法が始まった瞬間の、幸せの写真。
 写真の中で、ほんのちょっぴり照れた表情のタキシード姿の衛ちゃんと、
 その衛ちゃんの腕にしがみつくように寄り添って、幸せそう微笑む花嫁姿の姫。
 暗い中、本当は見えていなくて、記憶で取り繕ってるかもしれないその写真。
 それでも姫の目にはその絵が鮮明に浮かび上がって見えて、幸せだった頃を思い出して、
 その幸せが大きければ大きいほど……辛い。

 姫の中に溢れていた幸せの全てが、丸ごとなくなった喪失感。
 それが、こんなにも辛いことだなんて……。
 昨日までの自分なら、あの写真を見るたび、隣には旦那様が居ると思えた。
 何かのきっかけで目に入ると、その度に嬉しい気持ちで満たされるようになっていた。
 けれど、夢のフィルターが外れた今は……そこに映るのは、姫と同じ女の子の姿……。
 思い出に写る貴女の姿は……今はみんな女の子……。

 ふと、左手を顔の前に持ってきて、薬指に残る指輪の跡に目を向ける。
 ずっとはめていたから、そこだけ肌の色が変わっている。
 指輪はそんな重さはないはずなのに、まるで体の一部を失くしてしまったように、軽かった……。


「これももう……いらないですの……」


 写真立てまで歩み寄って、手にとった。
 お姫様になっていたつもりの姫。
 での本当の姿は……もうひとりのお姫様を、男の子に変えちゃった悪い悪い魔法使いだったの。
 指輪同様、これももう、いつまでも寄りかかっちゃいけないもの……。
 衛ちゃんを解放させてあげなくちゃいけないから、だから……


「…………」


 でも、捨てられない……。
 いっそ、破り捨てるつもりで写真を抜き出したのに、ただじっと写真見つめてるだけ。
 写真の中、とっても幸せそうに笑う姫。
 誰よりも、なによりも、幸せだった。
 それだけは、本当に本当の気持ち。

 できない……思い出を、捨てたくない……。
 壊したくない……。
 幸せだったから……。


「思い出……だけなら……」


 衛ちゃんとの……旦那様との思い出だけなら……持っていてもいいよね?
 もう現実の衛ちゃんを縛らないから、だから、思い出の中では、姫の中だけなら……持っていても良いよね?
 姫は、なんて弱い子なんだろうって、心の中でもう1回自嘲したけど、
 それでも、捨てきれない思い出を―――姫と衛ちゃんとが結ばれた、女の子の最高の瞬間を、
 ぎゅっと胸に抱いて、涙が一筋流れ落ちた。


「ふぇ……、っく…………うっ…、…うぅっ……」


 気を紛らわすために、写真を手にしたはずなのに、皮肉にもそれがきっかけで、涙が溢れそうになって……。
 抑え……切れなくて……。


「うっ、ひっく……ぐすっ…、…ふぇっ……」


 今日は、ママたちは外でお泊り。
 家にはひとりだけ、だから……迷惑、かからないよね……? だったら……


「うぇっ……、ふぇええっ……、うぇぇぇぇええええん……」


 だったら今だけ、泣いても……良いよね?
























「さーて、今日も1日元気に過ごしますのー」


 朝になって、目を覚ました姫。
 昨夜までとは豹変した明るい口調で、朝一番の一言を発しましたの。


「1日の元気は朝にあり! 朝食が1日の元気の素なのと同じ原理ですの。……って、それとこれとは違うのかな?」


 確かに昨夜は、一晩中泣いてしまいましたけど……でも逆にすっきり爽快! 元気もりもり!
 きっと一生分泣いちゃったから、もう涙なんて残ってないの!!
 だから、暗い気持ちは昨日に置いて、今日から新しい気持ちで明るく元気に過ごすんですの。
 それに、そんなまっくらくらいくらいな気持ち、例え残っていても、爽やか朝日をめいっぱい浴びれば、元気ハツラツ! ですの


「…………」


 元気よく窓を開けて……まだ日の光も差し込まない外を眺めて言葉に詰まる。
 いっつもお弁当を作るのが日課で、普通の子たちより早起きするのが習慣になっていたから、
 冬のこの時期、この時間は、まだまだ外は暗かったんですの……。


「で、でもでもっ! 明るさはともかく耳を澄ませば、ほらっ!」


 外からはちゅんちゅんって、小鳥の鳴き声の爽やかなBGMが。
 朝の魅力はひとつだけじゃない。足りない分は他が補ってくれますの。


「そう。衛ちゃんとのコトも……ですの」


 旦那様じゃなくなっても衛ちゃんは衛ちゃん。
 それはいつでも、どんな時でも変わらないこと。
 旦那様じゃなくても、姫は衛ちゃんと仲良くやって行きますの。

 もっとも、あんな別れかたしちゃったから、衛ちゃんだって不安に思ってるはずですの。
 でも姫と衛ちゃんはいつもの関係に戻っただけ。
 指輪はそのためのケジメ。
 だ・か・ら、今日もいつも通りに、衛ちゃんにお弁当を作ってあげて、
 それで「いつも通り」ってこと証明すれば、万事解決しますの


「そーんな訳で今朝は、今までの夢のお礼に、とびっきり美味しいお弁当をどどーんっと大きく作っちゃいますの!」


 昨日の埋め合わせも考えて、衛ちゃんの大好物の鶏の唐揚げをちょっと多めに作ってあげましょ
 それに衛ちゃん、お野菜あんまり食べないから、お野菜もカラフルに盛り付けて……好き嫌いは良くないですの、ムフン!
 お着替えしながら、頭の中では既にお弁当のおかず盛り付けをシミュレート。
 うふふっ、今ママは居ないから、冷蔵庫の高価な食材をこそっと頂戴しちゃっいますの


「さぁて、下ごしらえ、っと


 着替え終わってから、鼻歌混じりにキッチンへ。
 到着するなり、慣れた手つきで準備を進めますの。
 計量カップやボールなど道具をキッチンに並べて、冷蔵庫から鶏肉とお野菜と、他にもいっぱい材料を出すですの。
 それから調味料も揃えて。
 お野菜を洗ってまな板において。
 包丁を持って。
 それから、それから、


「…………」


 それから……手が、動かなくて……。


「…………っく……」


 声が、小さく漏れて。
 涙が……零れて……。


「…………うっ……う、っく……」


 抑えようと思っても、抑え切れなくて……。


「ひっ…、…ひっく……」


 いつもみたいに、食べてもらう人のことを考えて……。
 いつも……衛ちゃんのこと、考えて……。


「こんな……こんな気持じゃぁ……、」


 想像するのは、素敵な旦那様のあの人で……
 隣に居るのは、旦那様だったあの人で……
 でもそれは、ニセモノの思い出……。

 もう考えちゃダメなのに……想う心は止まらなくて……。
 何よりも辛いのは……夢から覚めた頭に思い浮かぶあの人は……
 今までと同じじゃない、女の子のあの人が、映っていること……。

 姫は……夢を見る前まで姫は……どんな気持ちで衛ちゃんに作っていたの?


「もう……衛ちゃんのために………、お弁当……作れませんのぉ……」


 旦那様になる前の衛ちゃんに、どんな気持ちを込めて?

 女の子の衛ちゃんに、どんな想いを向けて?

 いつも通りって、どんなでしたの?




 分からない……。




「分からない……、…ひっ………分からないっ……! うっ……うぁ……わぁぁあああんっ! うわぁぁあああああんっっ!!」


 指輪と一緒に、何もかも失くしてしまったよう。
 絆も、夢も、想いも、全て。

 ごめんなさい……ごめんなさい、衛ちゃん……。
 そう心で謝りながら泣いた。
 もう枯れたと思っていた涙は、とめどなく溢れて、生まれて今までで1番泣いた。

 だってもう、あなたのためにお料理を作れない……。

 料理は心。食べてもらう人のことを想って作るもの。
 なのに……もうあなたを想うことができなくなってしまったら……姫はどうすれば良いんですの……?

 衛ちゃんは、姫に夢をくれただけ。
 幸せだったバースデー。本当に、幸せだった一年間……。
 だからワルいのは姫。
 夢に甘えた、姫の方なの。
 なのにこんな……こんなことになっちゃうなんて……。

 ねぇ、今年はどんな気持ちで、生まれた日を迎えればいいの……?






    ピンポーン






「ふぇっ……!?」


 突然響いたチャイムの音に驚いて、巡っていた思考が突然中断。中途半端な声が口をついて出ちゃいましたの。
 って、お客様……こんな朝早くに?
 そりゃあ時間が経って少しは日が照って来ましたけど、それにしたってこんな時間にお客様なんて、普通に考えて非常識ですの。

 でも泣いていた姫は、そんなことにも気が回らず、例え回っていても気にも留めないままで、
 赤く腫れぼったい目のコトをお客様に聞かれるのがイヤだなとか、
 大声で泣いていたこと、ご近所さんに聞かれて恥ずかしいなとか、
 あんまり待たせちゃまずいかなとか、そんな取り留めのないコトばかり考えて玄関に向かいましたの。
 玄関に着いて、ドアを開ける前にもう一度腫れぼったい目を心配して、さすって、早く腫れが引くようにってわるあがき。
 もうちょっと稼ぎたい時間と、待たせちゃいけない気心がほんの少しの間均衡して、それからドアに手を掛けた。
 ガチャリと音を立てて開くドア。


「えっと……おはよ、白雪ちゃん」

「っ!!? …まも……ちゃん……?」


 その向こう側に……ついさっき心の中で思い描いたあの人の姿が。
 お弁当を作ってあげようって、そう思っていた当人の……衛ちゃんの姿が……。


「その……ごめんね、こんな朝早く……」


 どうして? どうして今、衛ちゃんがここに……?
 一番会いたくない人が現れるんですの?
 心の準備もできていない今、あなたのことで泣いていた今、こんな気持ちで……会いたくなかった……。


「……っ」


 姫は思わず振り返り、衛ちゃんから逃げるように家の中に走り出しましたの。


「……きゃっ!」

「あ……ごめん、思わず……」


 でも、逃げる姫の手首は掴まれて、その場を離れることは叶いませんでしたの。


「なんで衛ちゃんが謝るんですの……?」

「え?」

「だって……だって悪いのは姫ですのにっ!!」


 自分勝手にワガママ言って、それで勝手に傷ついて、
 衛ちゃんに迷惑掛けて、そのお詫びも、心の準備も、なにも出来ない。
 それどころか……こんなに辛い気持ちを、引き摺って……会いたくなかった。会わせる顔がなかった。
 なにが、辛い気持ちは昨日に置いておく、なんですの?
 今日から新しい気持ちで明るく元気に過ごす、なんですの?
 今、こんなに、この人から逃げたい気持ちでいっぱいなのにっ……!


「なのになんでっ!? どうして来たんですの?!」


 掴まれた右腕は、逃げることも許してくれなくて、だから精一杯抵抗するよう、激情に任せて衛ちゃんに言葉を吐き捨てた。
 もう感情がぐしゃぐしゃだった。
 そのせいで、大粒の涙がまた目から……でも構ってられない。
 そんな姫とは対照的に、衛ちゃんは落ち着いた態度で、その問いに答えてくれましたの。


「昨日のことが気になって……それで、ジョギングついでにここまで来ちゃったんだけど……
 そしたら白雪ちゃんが泣く声が聞こえて……」

「えっ……!?」


 衛ちゃんに、姫の泣き声、聞かれちゃってたんですの……!?

 それもそのはずですの……だって、あんな大声で泣いておいて、今更……。
 そう思ったら、これまでの申し訳ない気持ちに、恥ずかしさまでもが上乗せされて、
 もう居た堪れなくなって……でも、掴まれている手のせいで、逃げることもできなくて。
 残っていることは、言葉と態度で抵抗するくらい。


「離して、離してっ!」

「イヤだ……!」


 でもそれを、衛ちゃんに断わった。
 一言、強く。
 その言葉に驚いた。
 だって、衛ちゃんが、ハッキリとイヤだって……。

 衛ちゃんは優しいから、いつも笑顔で……姫が遅刻した時も、ちょっぴりワガママいって困らせちゃった時も、
 姫が……自分勝手に理想を押し付けていた時も……なんだかんだ言って全部「いいよ」って許してくれた。
 受け入れてくれた。
 ずっと、断わることなんてしなかった……なのに今、ハッキリと、イヤだ、って……。

 今までの衛ちゃんからは信じられないその明確な否定に、驚きが隠せず、思わず動きが止まる。
 そんな、途方に暮れてしまった姫を、衛ちゃんはキリッと見据えて、


「だってこのままじゃ白雪ちゃん! 自分の誕生日に笑えなくなっちゃうじゃないか!!」


 言い返された言葉が、深く、胸の奥底に響いた気がしましたの。

 だって、それはその通りだったから。
 ついさっき、まさにそう思っていたから。
 誕生日のたびにこの思いをくり返すのは罰だって。
 衛ちゃんを歪めて、理想を押し付けて、巻き込んでしまった、そんな酷い姫への罰……。
 もうすぐ訪れる姫の誕生日も、その後の誕生日もずっと……きっと、悲しい気持ちで迎えるんだろうなって。
 1日が早く過ぎ去って欲しいって……ずっと思って過ごしていくんだろうなって……。


「きゃっ!?」


 突然、掴まれた右腕をグイッと引き寄せられると、姫の体を包むように、衛ちゃんに、抱き締められましたの。
 昨日の、はずみで抱き締められた事故とは違って、故意に姫を……ぎゅっと……。


「ボクだって楽しかったよ……。白雪ちゃんの、素敵な旦那様でいられて……」


 それにボクって男の子みたいだし、なんておどけるような口調混じりに、弱々しいカラ笑いを重ねて、付け足す。


「ボクはね……去年の結婚式の時……白雪ちゃんと愛を誓ってもいいかなって……本気で……本気でそう思ったんだよ」


 耳元で、自分の気持ちについて優しく告白してくれる衛ちゃん。
 その顔が、どんな表情をしているか分からない……けれど、
 顔なんて見なくても、衛ちゃん気持ちは、その優しい声だけで伝わってきましたの……。
 だって、この1年間、ずっと、あなただけを見ていたから……。


「白雪ちゃんがボクを旦那様に見立てていたように、ボクも、白雪ちゃんの旦那様でいるように頑張ってたんだ。
 それで、苦しめちゃったんだね……。ごめん……。」


 また謝罪。
 悪いのは姫なのに、もう一度そう言い返そうと思った。
 けれど、その言葉が口から出る前に、それは衛ちゃんの言葉にかき消される。


「でも、それで苦しむくらいならボクは男の子になっても良いから!」

「衛ちゃん……?」

「白雪ちゃんに相応しい旦那様になるから! 白雪ちゃんが泣くくらいなら、ボクは男の子で良いから!!
 だから、そんなに悲しい思いをしないで! 自分を追い詰めないでっ!
 白雪ちゃんの生まれた日を、悲しい思い出になんかさせないっ……! 絶対っ……!!」


 抱き締めていた姫の肩に手を置いて、姫をほんの少し引き離す。
 姫の顔をその真剣な表情で見据えて一言、また強く……


「キミのことが好きだからっ!!」


 思いの丈を、ただ真っすぐと。






 それは誰よりもかっこよくって

 それは誰よりも優しくて

 それは誰よりもたくましくて

 それは誰よりも素敵で


「あ……」


 それは、いつも夢見ていた、素敵な旦那様の姿と重なって……。


 でもその姿は、昨日までのツクリモノの夢とは違う……。
 一年前までの姿とも違う……。
 そう、この1年間、衛ちゃんが演じていたそれ以上に、今の"彼女"は……姫の理想の"旦那様"でしたの……。


「そう、だったんですのね……」


 ああ、やっと分かった。
 男の子みたいだからじゃない。
 誰でも良かったわけじゃない。






 衛ちゃんだから……






「衛ちゃんが……好きです……」


 旦那様が、衛ちゃんだから……だから幸せだった……。












 夢の魔法は解けて、現実の世界に帰ってきたお姫様……。

 お姫様は現実で、辛い思いも、悲しい思いもしたけれど、

 それでも本当に大好きな人のことを丸ごと受け入れて、

 そして、―――






「そうだ。決った……」

「え?」

「白雪ちゃんの誕生日のプレゼント」






 ―――本当の世界で、本物の幸せを手に入れるんですの……。




 ・

 ・

 ・

 ・

 ・












 真っ白なチャペル。
 今日、その場所で、女の子にとって最高の瞬間を迎える……。
 その準備に取り掛かってくれたのは、祝福してくれる姉妹のみんな。
 ウェディングベルは、結ばれるふたりを祝福しようと、その身が鳴らされるのを今か今かと待っている。
 あとはウェディングドレスと、そしてタキシード纏ったふたりの主役が、誓いの場に現れるのを待つだけ。

 それはまるで去年の再現の様……。


「亞里亞ちゃん、今回もお世話になっちゃいますの

「亞里亞は……白雪ちゃんのショコラケーキが好き……」

「あははー……。……はいですの、喜んで作らせていただきますの……」


 亞里亞ちゃんの、きっと他意のない純粋な意見を、ほのぼのと見守るような苦笑いが混じったような、そんな器用なお返事を返す。
 ああ、今からチャペルをレンタルしてくれた亞里亞ちゃんへのお礼のチョコケーキ、構想練っておかなきゃですの……。


「でもほーんと、ビックリしたわ」

「咲耶ちゃん?」


 姫の着付けを手伝ってくれた素敵なねえさまの咲耶ちゃん。
 姫の衣装を整えながら、今年のプレゼントへコメントを口にしていましたの。


「だっていきなり『ボクたち離婚したから再婚しようと思うんだけど』なんて言われるんだもん……。なんていうか……話飛び過ぎよ」

「あはは……申し訳ないですの……」


 だって、1日足らずで話がまとまったスピード離婚&再婚ですもの。
 みんなに話す時間なんてなかったから、そこはもう謝るしかないんですの。


「なにがあったか知らないけれど、今年もだなんて、結構な贅沢じゃない。さすがに羨ましいわ……」


 そう、今年もお誕生日プレゼントを決めたのは、またも衛ちゃんの提案。
 衛ちゃんは、『一度お別れしちゃったから再婚式だね』って言って、姫との2度目のウェディングを実現させちゃいましたの
 まあ、「再婚」なんて現実的な単語、夢見がちな女の子はあんまり想像したくない言葉ですのね……。


「ううん、そんなの、関係ないですのね……」


 結婚でも再婚でも、好きな人と結ばれることが、女の子の幸せ。
 そして、姫の幸せは……


「白雪ちゃん。衛ちゃんの準備、できましたよ」


 大好きな衛ちゃんと、結ばれること……


「ありがとうですの、可憐ちゃん。それから他のみんなも……去年とおんなじプレゼントせびちゃってごめんなさいですの」


 他のみんなも一生懸命、それでも楽しく準備に取り掛かってくれてましたの。
 相変わらず春歌ちゃんは役立たずで、気合がから回ってましたのけど……。
 だから和風の挙式じゃないんですのよ春歌ちゃん、白無垢準備されても素直にごめんなさいを言うしかないんですの。
 でも鈴凛ちゃんが今年も新作メカを用意しているみたいだから、その時にめいっぱい活躍してもらいますの。


「去年と同じ……っていうか、」


 と、姫の言葉に、複雑な表情で反応する咲耶ちゃん。
 そこで言葉を切って、準備の終わった衛ちゃんの方に目を向けましたの。
 視線に気づいたのか、衛ちゃんは恥ずかしそうに真っ赤になった顔を背けちゃいました。


「全然違うんじゃないの?」


 再び姫の方を向いて、切った言葉の続きを口にする。
 なぜなら、衛ちゃんの姿は、


「や、やっぱりさ……これはボクが着るより……白雪ちゃんが着るべきだよ……」


 ウェディングドレスを纏った……綺麗な花嫁さんの姿、そのものでしたから……。


「ま、去年と同じじゃ芸がないから、これはこれで良いアイディアだと思うけど……」

「同じですの……」

「え……?」


 姫と衛ちゃんが結ばれる。
 それは去年も今年も、変わらない事実。
 だって……


「だって、衛ちゃんは女の子ですの。正真正銘の、ね


 女の子は、ウェディングドレスを着て、そして好きな人隣に立てることが最高の幸せ。
 去年は姫がその幸せをひとり占めしちゃったから、今年は衛ちゃんが是非味わうんですの……。
 だって衛ちゃん、姫の旦那様で居られて嬉かったって言ってくれましたのから、
 それはイコール姫のコトを好きって解釈で良いんですのよね?






 確かに、衛ちゃんは男の子なんかじゃない。

 どんなに旦那様に仕立てても、旦那様に近づけはしても、旦那様そのものにはなれやしない。



「衛ちゃん



 でも、それでも姫……やっぱり衛ちゃんのことが好きだから。

 誰よりも、大好きだから……。



「な、なに……」



 神様、もう一度あなたの前であの人との愛を誓います。



「幸せに……なりましょっ






 男の子とでもなく、女の子とでもなくて……他の誰でもない、大好きな衛ちゃんだから……。












あとがき

生粋のシラユキスト、高原さんの方で白雪BDSSの募集を行なっていましたので、
それに参加する形で、1年前にも送呈させて頂いた「White snow wedding」の続編を描いてみました。
機会があれば「男の子として意識していたはずの衛を、女の子と認識してしまう白雪」という形を、
描きたいようなことを考えてはいましたが、まさか1年越しでその機会が巡って来るとは(笑
作品もそれにリンクさせ、1年後の話として仕立ててみました。

内容は前回の真逆を行き、白雪視点だったり、前作比べてボリュームが違っていたり、シリアスだったりと、
前作からの差異が多く、前のほのぼのとした雰囲気を壊してしまっているかもしれませんが、
なりゅーの思うしらまもの2ステップ目としてはイメージを描けた作品と思います。
しかし、書いていて「キミのことが好きだからっ!!」が出てきたのは、結構自分でも驚いています。
見ている方にはそうでもないかもしれませんけど……。
最初の予定では、恋愛かどうか有耶無耶にする予定だったのに……キャラが勝手に動きましたね。
他にも、書いている間、色々と自分なりの「衛像」を掘り下げられた作品になりました。白雪BDなのに(爆

作中、女の子の誰もが夢見るような書き方をしていますが、それについて「全部が全部そんなんじゃねーよ」とか思った方、
これはあくまで「白雪の思考」という解釈でお願します(笑
こっちも、分かっててあえてそういう風に書いてみましたので(ぇー

しかし……まさかメインで推奨している鞠絵×鈴凛より先に、このふたりでウェディング両パターンの描くとは思いもしなんだ(笑


更新履歴

H18・2/10:完成
H18・2/11:掲載


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