「咲耶ちゃん!」


 道路を挟んだ向こう側に居るひとりの女性に向けて、
 可憐は名前を呼びながら大きく手を振りました。

 咲耶ちゃんは、可憐にとってお姉ちゃんに当たる人です。
 かっこよくて、優しくて、綺麗で、なんでも出来て、可憐にとっては理想の人です。

 でも、事情があって今は一緒に暮らしていません。
 どうしておんなじ姉妹なのに一緒に暮らせないんだろうって、寂しく思うことはいっぱいあります。
 でも、その分会うことがとっても楽しみです。

 可憐は咲耶ちゃんのことが大好きです。

 誰よりも、何よりも……


 お姉ちゃんとして以上に……大好きです……。











 

O −酸素−













 ねぇ、咲耶ちゃん。
 咲耶ちゃんは可憐のこと……どう思ってるの……?

 そう思って、可憐は思いっきって咲耶ちゃんに聞いてみました。

 可憐は大好きだよ。
 誰よりも……大好き。


 咲耶ちゃんの答えは…………




 ……嬉しい。


 可憐も、可憐も咲耶ちゃんのこと……

 大好き……。






 初めて触れる咲耶ちゃんのくちびるは、
 とっても柔らかくて、そして、温かかったの……。
























 ごめんなさい咲耶ちゃん、お待たせしちゃって……。

 可憐……ちょっとだけ、お寝坊しちゃったんだ……。

 だって可憐、今日が待ちきれなくて、昨日は全然眠れなかったんだもん。
 今日は待ちに待った咲耶ちゃんとの……デート……なんだから……


 そう……デート。

 だって、可憐たちはもう……恋人同士……なんだから、ね
























 ねえ、咲耶ちゃん……。
 ちょっとだけワガママ、言っても…いい、ですか……?

 あのね……
 咲耶ちゃんの方から……キス、して欲しいの……。

 だめ……かな?


 ………ん…っ……。

 …………。


 ……ありがとう、咲耶ちゃん……


 大好き……
























 咲耶ちゃん?
 あ、やっぱり咲耶ちゃんだ

 さくやちゃ〜ん。

 偶然ですね、こんなところで会えるなんて。


 あれ?
 咲耶ちゃん、この人たちは?

 咲耶ちゃんのお友達……ですか?

 あ、は、はじめまして……可憐です。

 可憐はね、咲耶ちゃんの妹なんです。
 そして……恋人同士でもあるんです……

 ね、咲耶ちゃん……
























 今日も1日が始まります。

 幸せいっぱいの1日が。
 本当に幸せな1日が……。

 だって可憐にはいつも咲耶ちゃんが居るから……。

 可憐、咲耶ちゃんさえいれば、他になにもいりません。
 ……っていうのは、ちょっと言い過ぎかな?

 ううん、そんなことない……。
 可憐にとって咲耶ちゃんは、それくらい掛け替えのない存在だから。


  ――咲耶ちゃんさえいれば、学校も、友達も、パパもママも、なにもかも要りません……。


 さあ、今日も咲耶ちゃんに会いに行こう。
























 咲耶ちゃん……どうしたの?
 最近元気ないよね……?

 可憐……咲耶ちゃんのためならなんでもしちゃいます!
 だから何でも相談してくださいね。

 だって、可憐……咲耶ちゃんのこと……大好き、なんだから……。

 うん……じゃあ、元気の出るおまじない……。


 可憐はそっと……いつものように、咲耶ちゃんのくちびるに自分のくちびるを重ね合わせました。
























 今日も咲耶ちゃんに会えませんでした。
 ここ最近は会えない日が続きます……。

 それまでずっと、毎日のように会っていたからかな?
 離れてるのがガマンできなくなっちゃったのは……。


 咲耶ちゃんに会えない日は、寂しくて、切なくて、苦しくて……。
 いつも、胸がはちきれそうです。

 そのくらい、咲耶ちゃんは可憐の中を埋め尽くしているんです……。


 なにかは知らないけど、咲耶ちゃんには咲耶ちゃんの事情があるっていうのは分かります……。
 でも、それでも…………会いたい……。



 …………うん……そうだよね。


 黙っているだけじゃダメ。
 待っているだけじゃダメ。

 自分から動かなくちゃ……。
























 もしもし、咲耶ちゃんですか?
 あ、咲耶ちゃん……良かった……。

 可憐、最近咲耶ちゃんと全然会えなかったでしょ?
 だから、お電話しちゃいました。

 ……迷惑でしたか?
 もしそうだったらごめんなさい……。

 でも、可憐はそのくらい咲耶ちゃんの声を聞きたかったんです……。

 だって可憐、ほんとに……ほんとにほんとに……寂し、かったん…だからぁ……。


 ……ぐすっ……くっ……ひっ、く……。


 咲耶ちゃん……。
 咲耶ちゃんに会えない間……可憐、ずっと考えていたんです……。

 咲耶ちゃんにとって……可憐はなんなんですか?

 もう会えなくなったらどうしようって……そう思ったら怖くて、不安で……。
 胸が潰れちゃいそうなくらい、ズキズキ痛んで……。

 咲耶ちゃんは、可憐にとって酸素なんです……。

 あるのが当たり前で……居るのが当たり前で……
 なくなっちゃうと生きていけない……そんな、酸素のような存在です……。



『可憐ちゃん…………』






『あなたは……私にとっても、酸素のような存在だわ……』






 本当!?

 本当に!?

 ……嬉しい……。


 咲耶ちゃん…………大好き……。
























 咲耶ちゃん!

 えへへ……来ちゃった……
 咲耶ちゃん、ビックリした?

 久しぶりだね……咲耶ちゃんのお家に来るの……。
 あれから少しも変わってない……。


 ねぇ、咲耶ちゃん…………可憐……ずっとずっと寂しかったんだよ……。
 今まで会えなかった分、取り戻しちゃうくらい


 いっぱい、いっぱい……愛し合おうね……。



 咲耶ちゃん……




 大好き……。






 ………………………





 ………………





 ………

















「可憐ちゃんっ……! 可憐ちゃんっ……!!」


 さくやちゃん……



 かれん……どうしちゃったの…かな……?


 なんだかあたまがぼーっとしちゃって……

 それで……からだがなんとなくおもくて……


 えっと……やっとさくやちゃんにあえてから…………それから……


 あ……おもいだした……


 ごめんね……いきなりでびっくりしちゃったんだね……。



 あれ?


 さくやちゃん……どこ……?

 どこにいるの……?


「可憐ちゃん……ごめんなさい、ごめんなさいっ……!」


 あ、そこにいたんだ……。

 でも……さくやちゃんのかおはみえないよ……。


 ざんねんだな……

 せっかくひさしぶりにあえたのに…………。


「こんなこと……謝まって許されるわけ……」


 ううん、さくやちゃんはなにもわるくないよ……。

 わるいのはかれん…………


 ちょっと……あせりすぎてたんだね………………


 ごめんね………



 さくやちゃん………………






 だい……す………






 ………………………





 ………………





 ………




































「咲耶ちゃん!」


 道路の向こう側から名前を呼ばれ、
 振り向いてみると、そこにひとりの少女が手を振っている姿があった。


「可憐ちゃん?」


 その少女は、訳あって今は一緒に暮らしていない私の大切な妹。
 その事情は私の知るところではないけれども、一緒に暮らせないことを寂しく思うことはしょっちゅうだった。

 だって、可憐ちゃんはとても可愛い子なんだから。

 こんなに可愛い女の子、そうそういないと思う……っていうのは、ちょっと姉バカかしら?
 それにとても健気で、まるで仔猫のように私になついて、それがどうしようもなく可愛い……。

 彼女は私にとって、何よりもかけがえのない、大切の妹だ……。
























「ねぇ、咲耶ちゃん……」


 ある日、公園で彼女とのんびりと過ごしていた日のこと。
 可憐ちゃんは、少しおどおどしながら私に質問を投げかけてきた。


「咲耶ちゃんは可憐のこと……どう思ってるの……?」
「え?」


 彼女のことをどう思っているか……私の答えは決まっているようなものだった。
 それでも一応改めて考え直してみたけど、やっぱり答えは変らない。


「可憐は大好きだよ……。誰よりも……大好き」


 私が質問に答える前に、付け足すような感じでそう口にする。
 そんな正面きって好きと言われると、かなり恥ずかしかった……。


「ねぇ、咲耶ちゃん。咲耶ちゃんは……? 咲耶ちゃんは、どう思ってるの……?」


 でも、私のそのほんの少し照れくさい心境とは裏腹に、可憐ちゃんの表情は真剣で、
 それでいて不安そうな顔を向けて、じっと私の答えを待っていた。


 ……彼女は不安なんだ。
 今まで離れていた姉に嫌われることが。


「そんなの決まってるじゃない。もちろん、私も大好きよ」


 ウィンクと一緒に、私の中の正直な答えを彼女に送った。

 嫌いになるはずなんてない。
 私だってずっと、兄弟が欲しいって思っていた。

 一緒に暮らせないとはいえ、ついこの間までお互いの存在すら知らなかったとはいえ、
 可憐ちゃんは私にとって大切な妹……。
 しかもこんなにも私になついてくれて、可愛くて健気で、素直で優しい子……嫌いになれるはずなんてない。


「嬉しい……」


 可憐ちゃんは、不安でいっぱいだったその顔を柔らかい笑顔に変えながら、
 心の底から安心したような声でそう呟く。


「可憐も……可憐も咲耶ちゃんのこと……」


 そして……―――


「大好き……」






 ……ッ!?




「えへへ……
「……え?」


 ……何?

 今、一体何をされたの……?


 彼女の顔が目の前に迫って来たと思った瞬間、やわらかな感触が私に……。
 その感触が今も残る場所を、そっと指で触れてみると……そこに存在していたのは、私の…………唇……。


 ……嘘。

 まさか…………キス……?



 私……妹とキスを……
























「ごめんなさい咲耶ちゃん、お待たせしちゃって……」


 待ち合わせの場所でひとり待ちぼうけていた私の元に、
 そんな謝罪の言葉を申し訳なさそうに口にしながら駆け足で寄って来る可憐ちゃん。

 今日は、ふたりで買い物や遊びに行こうということで、彼女と待ち合わせをしていた。
 だけど私は、これから楽しもうなんて気持ちは湧いてこずに、重い気持ちを背負ったままでいた。


「可憐……ちょっとだけ、お寝坊しちゃったんだ……」

 私は彼女に……妹に……キスされた……。
 それも、唇に……。

 挨拶だとか冗談だとか、そういう意味でのキスなんかじゃない。
 可憐ちゃんは、そんな軽い気持ちで唇にキスするような子じゃない……。

 なら、彼女は間違いなく、私のことを"そういう目"で見ている。


「だって可憐、今日が待ちきれなくて、昨日は全然眠れなかったんだもん」


 だったら、私はどうすればいい?

 彼女の気持ちを知ってしまった。
 禁じられた、彼女の気持ちを……。

 私は、彼女と禁じられた関係を貫くの?
 それとも、彼女の姉として、彼女の気持ちを裏切ってでも間違いを正してあげるべきなの?


「今日は待ちに待った咲耶ちゃんとの……デート……なんだから……


 彼女のことは大好きだけど……でも私たちは姉妹で……それ以前に同じ女同士なんだ……。
 だからそんな気持ち、許されるわけ……ない……。


「……咲耶ちゃん、聞いていますか?」
「え? ……あ、ごめんなさい……。ちょっと考え事してて……」


 …………だったら、私のとるべき行動は決まっている……。


「可憐ちゃん、聞いて……。……私たちは……――」
「……? なんですか?」


 今から私が言おうとしていることは、間違いなく彼女を失望させる。

 これからの"デート"のことで頭がいっぱいで、
 何を言われるかなんてまったく予想もしていない彼女は、きょとんとした様子で首を傾げながら私の言葉を待っていた。

 彼女を絶望の底に突き落とす言葉を……。


「…………」


 キスしたあと、可憐ちゃんは、今まで見たことのないくらい眩しい笑顔を見せてくれた。
 あの笑顔を裏切るなんて……私には出来ない……。


「咲耶ちゃん?」


 私は……――



「……いえ、なんでもないわ……」



 この関係を維持することを選んだ……。



「そうですか……? じゃあ、いきましょうか」
「……ええ」



 彼女のことは嫌いなんかじゃない。
 いいえ、私には可憐ちゃんのこと嫌いになんてなれない。

 だって、ずっと欲しかったものがすぐそこにあるんだから……。



 例え、大切なファーストキスを奪われたとしても……。
























 もう一度、また彼女と唇を重ねあわせた……。

 今度は私から。
 彼女にお願いされたのもあるけれど、紛れもなく自分の意思で彼女にキスをした。

 でも、不思議と本来感じるべき嫌悪感はない。

 ああ、そうよ……そうなんだわ……。
 私も、可憐ちゃんのことが好きなのね……。

 そう……きっとそうなんだ……


  ――イヤじゃないんだから……そう思うことにしよう……。


 彼女を失うくらいなら、私は禁忌を犯そう。
 ひとつ破るも、ふたつ破るも大差なんてないから。


 ほら、唇だって、こんなに簡単に重ね合わせれるんだから……。
























「あ、やっぱり咲耶ちゃんだ


 それはある日の学校帰りのことだった。
 私がクラスメートと一緒に帰り道を歩いていると、唐突に弾むように私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。


「さくやちゃ〜ん」


 声のする方向へ目を向けると、大きく手を振りながら私の元へ駆け寄ってくる可憐ちゃんの姿が。


「偶然ですね、こんなところで会えるなんて」
「ええ、本当ね」
「あれ? 咲耶ちゃん、この人たちは?」
「ん? ああ、私のクラスメートよ」
「咲耶ちゃんのお友達……ですか? あ、は、はじめまして……可憐です……」


 私の友人ということで緊張しているのか、どきまぎしながら自己紹介を始める可憐ちゃん。

 そんな可憐ちゃんのおぼつかない姿を見守りながら、
 自分にはこんな可愛い妹が居るんだって、誇らしげにも感じていた、

 その刹那だった……



「そして……恋人同士でもあるんです……
「……え?」


 ……一瞬、言葉の意味を理解できなかった。

 そして理解した瞬間、私の体は、氷の世界に身を置いたような凍てつく恐怖に襲われた……。


「ね、咲耶ちゃん……
「じょ、冗談よ! ほら、いつも甘えん坊だって話してるじゃない!
 だからいつもこんな風に私にくっついてくるのよ!!」


 必死で彼女の言葉を誤魔化した、焦る頭で一生懸命言い訳を考えた。

 私たちの関係は誰にも知られるわけにはいけない。
 姉と妹の、禁じられた恋なんて……。

 なのに……


「え? 何を言ってるんですか、咲耶ちゃん?」
「それはこっちの……―――……ぅむっ……!?」


 私は無理矢理口を塞がれそれ以上何も言うことが出来なかった。



 可憐ちゃんとのキス。

 いつも通りのキス。


 ただひとつ違うことは……



 私の友達が見ているということ。






 ……壊されていく……。


 ……私が……壊されていく……。
























 今日も1日が過ぎていく……。

 何事もない1日が始まる。
 本当に何にもない1日が……。
 もう何日外に出ていないだろう……?

 今日も、ただ家に閉じこもっている日々が始まる。
 退屈で辛いけど、学校に行くよりは辛くは無い……。


 学校では酷いものだった。
 あの日から、私は周りから白い目で見られるようになった。
 妹と……いえ、例えそうでなくても、同性とキスをするような人間なんだ、と。

 それは嘘ではない。
 事実だから……否定できない。
 気がつけば、学校での私の居場所はなくなっていた。

 今まで友達だと思っていたみんなも、段々と私から離れていった。
 それどころか、隠れて私に理不尽な仕打ちまで掛けてくる人まで……。

 机に変態やら異常者やら……とにかく私を批難するような言葉を彫り刻まれていたり、
 靴の中に画鋲を入れられたり、ゴミの中に捨てられていたり、
 私が目を放した隙に私の荷物をズタズタにされたり、とにかく典型的なイジメを受けるようになった。

 友達だった人たちも、そんな私を見て見ぬフリをして、誰も私を助けようとはしない。

 私は……完全に孤立していた……。


 同性愛について理解のある人がいるというのは聞いたことがある。
 ただ、私の友達や周りの人間がそうではなかっただけなんだろう。

 私達の関係を批難するような人間はごく一部かもしれないし、それが当然の反応なのかもしれない。
 もしくは、"姉妹"という「二重の禁忌」は、とても許容できる範囲ではなかったのかもしれない。

 でも、そんなのこの際どうでもいい……。

 もう、私に居場所がなくなったことに変わりは無いんだから……。
























「咲耶ちゃん……どうしたの?」


 その日も学校へ行かなくなった私を心配して、可憐ちゃんが私を励ましに来てくれた。
 特になにかするでもなく、ただずっと、側に居てくれるだけだったけど。


「可憐ちゃん……」
「最近元気ないよね……?」


 学校に行かなくなって、もう日にちの感覚が薄れてきていた。
 ここ最近、なんだか毎日彼女に会っているような気がする。

 毎日……それでもいいかもしれない。
 彼女は今の私にとって、家族以外の唯一の支えだから……。


「可憐……咲耶ちゃんのためならなんでもしちゃいます! だから何でも相談してくださいね」


 でも、私を苦しめたのは、紛れもなく彼女のせいだった……


「だって、可憐……咲耶ちゃんのこと……大好き、なんだから……」


 あの時……あの時のキスさえなければ……


「可憐ちゃん……、あのね……私……―――」
「はい?」



    ―――私が苦しんでいるのはあなたのせいよ!



「あのね……可憐ちゃん……」



      ―――姉妹で恋人だなんて普通じゃないのよ!



「わ、私……」



        ―――もう、私に近寄らないでっ!!


「咲耶ちゃん?」
「…………」



 ……言えるわけない……。



「…………なんでもないわ……」
「……そうですか?」


 あなたのせいで私がこんな目に遭っているなんて……。

 彼女を失うなんて……。




 彼女は私の全てを壊したかもしれない。
 それでも彼女を憎めない、嫌いになれない。

 例えその原因が彼女であったとしても、孤独になってしまった私の、唯一の支えなんだ……。

 ……それに、私も彼女を愛しているんだから……。


  ――だから愛し続けなくちゃ……。


「うん……じゃあ、元気の出るおまじない」


 今日も彼女と唇を重ねあう。
 全てと引き換えに得た、"妹"という恋人と……。

























「咲耶ちゃんのママ」



 ―――可憐……


「毎日来るのは当然です。だって可憐たちは愛し合っているんですから!」



 ――あなたは……何をしてるの?


「学校なんて行っている場合じゃないです! だって、愛する咲耶ちゃんが困っているんですよ!」


 ――"何"を……"誰"に言っているの?



「だから可憐が支えてあげなくちゃ……」


 ――あの時と同じだ……


「大好きな咲耶ちゃんを……恋人の咲耶ちゃんを……」



 ――私が、外の世界を失ったあの時と……



「嘘じゃありません……もう何度もキスだって交わしてるんですから……」



 ――もう、彼女が何を言っているか分からなかった。



「こんな…風に……」
























 とうとう、親にまで私達の関係が知られてしまった。
 可憐ちゃんが教えたんだ。

 それを知った両親の顔には、絶望と、軽蔑と、批難の意思が、色濃く浮き出ていた。


  同性と、姉妹と、お前はそういう関係だったのか


 両親の、声なきの言葉が、私にそう訴えかけてきていた。

 また私は失う。
 両親すら失う。
 外の世界を失ったように……。

 そしてこのまま何もかも……。


 大切な妹に壊されていく……。



 私は……






「……可憐ちゃんに……無理矢理……」






 臆病な……弱い人間だ……。
























 その日から、私と可憐ちゃんは一切の関わりを断つことになった。

 両親は可憐ちゃんの親に話をつけ、二度と私に関われないようにさせたらしい。
 自宅の電話の番号も、私の携帯電話の番号も別のものに変更して、彼女からの一切の連絡をできないようにもした。
 そして近いうちに私たち家族は遠い街に引っ越し、私は新しい学校に転校して通うことになるという話になった。

 私は両親に全てを話した。
 私たちがどういう関係だったか、どうして学校に行けなくなったか、今まで隠していたことを全て話した。
 可憐ちゃんに"無理矢理"そういう関係になって欲しいと迫られたと、"歪曲して"説明した。

 私の話を両親はすんなりと信じ込んだ。
 両親から聞いた話によると、彼女の行為は既に"行き過ぎたもの"になっていたらしい。
 過度の憧れによる勘違いや、今まで会えなかったことからの反動やら、両親たちは口々にそう推測を立てていた。

 でも、やっぱりそんなことはどうでも良かった。
 私に分かってることはただひとつ、私と彼女は完全に関わりを失ったということだけだから。

 もう彼女には会えない……。

 でも、代わりに私は普通に戻れるんだ……。

 元の生活に……。



 …………。



 ……"普通"って……なんなの?


 同性と愛し合うことはそんなに愚かなことなの?
 異性と愛し合うことはそんなに偉いことなの?

 それとも血が繋がっているから愚かなの?
 妹と愛し合うことがそんなにいけない事なの?

 妹に好きと言って、キスして、デートして、
 そして恋人だと言い切ることは、そんなに愚かなことなの?



  ……ワカラナイ……。


 ――そもそも…………私は、本当に彼女を愛していたの?
























    プルルルル……



 家の電話が鳴り響いた。

 今、この家には誰もいない。
 うちは共働き、平日の昼には、いつも私だけが残されていた。

 違う……いつもは彼女が居たんだ。

 大切な妹が。
 私の恋人が。

 可憐ちゃんが……。
 可憐ちゃんと会えなくなってから何日が経っただろう?



    プルルルル……プルルルル……



 いつまでも鳴り続ける電子音。
 その音があまりにもうるさくて、一旦彼女のことを考えるのを止めた。



    プルルルル……プルルルル……



 この番号を知る人間も、まだ限られている。
 両親か、もしくはすぐに教える必要のある重要な相手か、どちらにしろ彼女以外の何者かだろう。
 だから、何の疑問も持たず私は電話に出た。






『もしもし、咲耶ちゃんですか?』






 ……そして、その声を耳にした瞬間、私の心臓は、なにかに握り潰されたかのように、どくんと大きく鼓動を脈打った……



「……なん……で……?」


 恐怖と歓喜が入り混じり、声が引きつった。

 恐怖は、全てを奪われた記憶と、来るはずのない電話に対して。
 歓喜は、それでも尚会いたいと思っていた心が生み出した。


『あ、咲耶ちゃん……良かった……』
「かれ……ん?」


 電話の向こう側から、私が愛していた少女の声が聞こえてくる。
 例え機械を通していたとしても、この声だけは聞き違えるはずない。


『可憐、最近咲耶ちゃんと全然会えなかったでしょ? だから……』


 まるでいつもの日常会話のような口調で話し始める可憐ちゃん。

 そんな平凡なやりとりも、今では有り得ないはずの非凡な出来事のはずだった。
 なんで彼女がこの番号を知っているんだろう?
 だって、彼女と話せないようにするために、わざわざ家の番号まで変えたはずなのに……。

 まさか自分で調べたの?
 でも、そんな簡単に分かるものでもないはずなのに……

 頭の中がぐしゃぐしゃになって、思考がうまく働かない。
 でも、彼女を声を聞けたことが、何よりも嬉しく思っている自分が居る……。
 そんなに日は経っていないはずなのに、凄く懐かしい……。


『だって可憐、ほんとに……ほんとにほんとに……寂し、かったん…だからぁ……』


 気がつくと、彼女の声はいつの間にか涙混じりの弱々しい口調に変わっていた……。
 私も……私も会いたかった……寂しかった……。

 不意に、私の頬にも涙が伝っていた……。

 ああ……私はまだ、彼女を愛しているんだ……。


『咲耶ちゃん……。咲耶ちゃんに会えない間……可憐、ずっと考えていたんです……。
 咲耶ちゃんにとって……可憐はなんなんですか?』
「え?」


 それは、離れている間の不安から生まれた、彼女の問いだった。
 あなたが私にとってなんなのか……。


『もう会えなくなったらどうしようって……そう思ったら怖くて、不安で……。
 胸が潰れちゃいそうなくらい、ズキズキ痛んで……』


 会えない間も、私たちの心は同じだった……。
 あんな目に遭ったというのに、それでも会いたいと願った私の心と……。


『咲耶ちゃんは、可憐にとって酸素なんです……』


 そして、彼女の答え。


『あるのが当たり前で……居るのが当たり前で……
 なくなっちゃうと生きていけない……そんな、酸素のような存在です……』
「可憐ちゃん…………」






「あなたは……私にとっても、酸素のような存在だわ……」






 奇しくも、私と彼女は互いを同じもののように感じていた。

 私にとっても、あなたは居るのが当たり前な……そんな存在。
 だけど、多くまとわりついて、私を壊してゆく。

 恐らく、彼女の言葉にはそこまでの意味は含まれていなかっただろう……。



 酸素とは、多すぎれば自らを滅ぼす存在だ……。
 高濃度の酸素の中に入れられたマウスは、3日と生きていられなかったという実験を、なにかで見たことがある。

 彼女はまさにその通りの存在だった。

 多過ぎても、少な過ぎてもいけない……程々だからこそ生きていける。
 でも、例えこの身を壊されても、それ無しでは生きていけない……そんな存在。


 破滅と生存。


 その相反するふたつを、いつも私に与えて続けてきた、哀しい存在……。












「……可憐?」


 気づいた時、彼女の声は途切れ、代わりにツーツーという電子音が響いていた。
 いつの間にか、電話が切れていた。



    ピンポーン



 ほどなくして家のチャイムが鳴った。
 続いてドアの開く音が聞こえた。
 確か鍵が掛かっていたはずなのに……。

 更に続いて誰かが階段を駆け上がる音。
 一直線に私の部屋に向かってくる足音。

 そして、部屋のドアが開いて……






「咲耶ちゃん!」






 私の目の前には、妹の姿が現れた。


「…う…そ……」


 彼女は、何故ここにいるの?

 会えないようにしていたはずじゃないの?



「―――……―――――……



 彼女がなにか言っている。

 でもなにを言っているのか分からない。



「―――――、――――――?」



 なにも理解できない……



「――――――……――――――――――――……」



 怖いから……?

 あんなに会いたがっていたはずなのに……



「―――――――――――――……」




 なにもかもが突然過ぎた。

 思考が、追いつかない……。

 自分の気持ちが分からない……


「…………ッッ!!?」


 そんな私に、彼女はなんの躊躇もなく口付けてきた。
 そしてそれは今までのようなキスじゃなかった。
 まるで呼吸すら考えに入れず、ただひたすら相手を求めるような、そんな欲情的な口付け。


「――……っ……あ、はぁっ……はぁ………はぁ………」


 そんな欲望的で淫猥な口付けから解放されて、
 必死で不足しそうな空気を体に取り入れるようと、肩を大きく上下させてまで呼吸をした。


「ねぇ、咲耶ちゃん…………」
「ひ、ゃっ…ぁッ………!!」


 その瞬間にも、彼女の手は私の体に伸び、そして触れ合おうと貪欲に求めていた。
 ただ触れるだけじゃなく、そのために邪魔な衣服に手を掛け、徐々に徐々に剥ぎ取ろうとさえし始める。


「可憐……ずっとずっと寂しかったんだよ……」



 彼女は、私と"これ以上なく愛し合おう"としていた……。



「い…や……」



       オカサレル……




    どくん……




「今まで会えなかった分、取り戻しちゃうくらい……」



      ―――多過ぎても、少な過ぎてもいけない……




    どくん……




  私が……



「いっぱい、いっぱい……愛し合おうね……」



         ―――程々だからこそ生きていける。




    どくん……




  全てが……



「咲耶ちゃん……」



  ―――私の周りに多くまとわりついて




    どくん……




  カノジョニ……



「大好き……」




     ―――そして私を壊していく。




    どくん……




  ……コワサレテイク……。









    どくん……









「いやぁぁああぁぁああああぁぁぁああぁっっっ!!」












 ………………………





 ………………





 ………


















「可憐ちゃん……っ! 可憐ちゃん……っ!!」
「さくや……ちゃん……」


 どうしてこうなってしまったんだろう……?
 後頭部から大量に赤い液体を流し、虚ろな目で天井を仰ぐ、私の最愛の妹。


「ごめ、ね…………いきな…で……びっ、くり…しちゃ……た………だね……」


 既にその目に光を宿していないのか、彼女の瞳は私を捉えてはいなかった。
 その、自ら作った赤い水溜りに横たわって、定まらない視線のまま、ただただ何も無い空間を仰ぐだけだった。


「可憐ちゃん……ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」


 あの瞬間、恐怖に駆られた私は、思いっきり可憐ちゃんを突き飛ばしてしまった。
 思いっきり突き飛ばされ、バランスを崩した彼女はそのまま壁に衝突……。
 私が拒絶するなんて考えもしなかったのか、彼女は受け身も取らず、激しく後頭部を叩きつけられた。


「こんなこと……謝まって許されるわけ……」


 私は……愛しているはずの人を、拒絶してしまった。


「さく、や…ちゃん…………」


 違う……愛していたなら拒まなかったはずだ……。

 じゃあ、愛していなかった?


「だい……す……………………」



 そこで、彼女の言葉は途切れた……。



「可憐…ちゃん……?」


 彼女の全てが止まった。
 呼びかけても、揺すっても、もうなんの反応も返ってこない。

 私は、本当の意味で彼女を失ってしまった……。


 私が……この手で……


「う、あ……ああ…あああぁぁあ゛ァああ゛アアああああっっっっ!!!」



 泣いた。
 心の底から泣いた。
 悲鳴のように泣いた。

 声にならない声で。
 喉が枯れるまで。

 愛した人を失ったことに。

 自らの手で失ってしまったことに……。























「可憐……ちゃん……」


 もう動かない彼女の唇に、私はそっと、唇を重ねた……。
 まるで、彼女への手向けのように……。

 やっぱりイヤじゃない。
 それでも、嬉しいわけでもなかった。

 いつも通りだった……ただ彼女が喜ぶからしていただけの、いつも通りキス。
 止まった彼女はもう喜んでくれないから……もう嬉しくもなんともない……。


 ああ……そういうことだったんだ……。

 あなたはまるで私の酸素。
 私の周りに多くまとわりついて、そして私を壊していく……。
 だけど、私もあなた無しでは生きていけない……。

 何よりも掛け替えのない"妹"だったから……。


 その想いは確かに"愛"だった……でも、彼女の愛とは違う愛だった。
 彼女の愛を拒んでも尚、彼女のことを……姉として、可愛い"妹"を愛していた……。

 たった、それだけのくい違いだったんだ……。



「もしもし……警察の方ですか……?」



 それでも、それは"愛"には代わりなかったのだから……



「そこで……少女が"ふたり"、死んでいます……」






 酸素をなくした私は、後どれくらい生きていけるのだろうか……?









あとがき

なにか見たで「酸素が多すぎると体に悪い」という知識を、
単純に「あなたはまるで私の酸素だ」とかいう言葉に当てはめたらできたのがこの作品の概要です。
まあ、思いついてから完成までかなり時間が掛かってしまいましたが(苦笑


ダーク系は特殊の書き方をし易いので、今回は色々と特殊にしてみました(笑
ですが、前半(というにはあまりにも後半との量が違いすぎる)可憐パートを書くことで、
思惑通りの読者の解釈を惑わすフェイクとなったのか、
単なる物語の流れのネタバレとなってしまったのではないかという不安が残るところです。

また、「どくん……」なんて心音挟む演出などをやってみたところも、
果たしてそれが吉と出たか凶と出たか……とりあえず、上手くできてる事を祈ります(苦笑


作中の可憐の"これ以上なく愛し合おう"とする行動ですが、
書いた本人としては可憐というキャラクター的とはちょっと違う気がします、そういう方面疎そうだし。
まあ、物語的にそうした方がいいとは思いましたのであえてそのまま書きましたが、
なんか可憐じゃなくて千影の方が合っていたかもしれませんね(苦笑


ところで、可憐の愛は禁忌を越えての行き過ぎたものでしたが、
姉妹愛の域をでなかったはずの咲耶の愛も、果たして行き過ぎでないと言えるものなのでしょうか?


ちなみに、特に頭を悩ませたのは"これ以上なく愛し合おう"とする部分だったのは余談です(苦笑


更新履歴

H16・11/2:完成・誤字修正


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