―――これは一匹の獣の話……。

    ―――サーカスに捕らえられた、一匹の雌獣。

    ―――その悲しき存在を謳う物語。


    ―――哀れで醜い獣よ。

    ―――罪深き獣よ。

    ―――お前の名前は……












 

Marilyn














「ま〜た小難しそうな入り方をしたものねぇ〜」


 小さな手帳に目をやりながら、鈴凛ちゃんはその内容とは噛み合わない口調で言いました。


「でも、ま、そういうものものしい入り方の方が、小説って感じかもね」

「あ、ありがとうございます……」


 自分の書いた物語に向けた褒め言葉に、ほんの少し赤らめてしまう……。
 それだけのやり取りを終えると、鈴凛ちゃんは再び、わたくしの手帳へと目を移します。
 わたくしも、彼女が読むのを邪魔してしまわないように、静かに待つことにしました……。












    ―――サーカスの一座は今日も公演を続けていた。

    ―――人里はなれた土地でテントを構える彼らは、いつも同じ場所で公演を続ける。

    ―――各々が芸を披露しては、来る客全てを喜ばせていた。

    ―――それこそが彼らにとっての最高の報酬で、今日も一座は公演を続ける。

    ―――そのサーカスには、大切なものがいつもあったから、だから常連客の足が途絶えることはなかった。













 今日は鈴凛ちゃんがお見舞いに来てくださいました。
 わたくしの入院している、遠く離れた療養所まではるばると。
 いつも通りに、学校のことやみんなのこと、お互いの普段の生活やそこで起こったことなど、世間話をして鈴凛ちゃんと楽しんでいました。
 その時、わたくしが手帳に小説を書いている、という話になったのです。

 普段、小説を読んで過ごすわたくしですが、それらの真似事のように手帳に物語を書き綴ったことがありました。
 数多くのお話を眺めているうちに、自分でも物語を綴ってみたいなって思って……それが今鈴凛ちゃんの手にしている小さな手帳。
 小説……というには、少し大きく言い過ぎかしら……?
 だって結局、最後までこともなく、未完成のままの投げ出してしまったものですから。
 小説というより、ただ思いついたままを書き綴ったメモ帳。ネタ帳と言った方が正しいかもしれませんね。

 その話を鈴凛ちゃんにしたところ、とても興味を持たれてしまって……それで……。
 本当は、ちょっと見られたくはなかったんですけど……鈴凛ちゃんは……特別、だから……。

 わたくしは、手帳に書かれた文字たちと真摯に向き合う横顔を、そっと眺めていました。












    ―――そのサーカスの檻の中、一匹の雌獣が居た。

    ―――獣の名前はマリリン。

    ―――ずっと昔から、サーカスの一団に飼われている。

    ―――サーカスのメンバーも、みんな気づいた頃には居たと口を揃えて言う。












「これさ、なんで女の子にしたの?」

「え……?」


 鈴凛ちゃんは手帳からわたくしへと視線を移し、問いを投げ掛けました。
 女の子と言われて、一瞬どの登場人物の事を指すのか分からなかった。
 だって、書いたのは随分と前のことなんですから……。


「あ、この主人公の動物のことね」

「ああ……」


 わたくしが意図を掴みかねていることを見越してか、鈴凛ちゃんは言葉を補足してくれました。
 女の子というから、わたくしはてっきり人間の登場人物で思い浮かべてしまいました。

 だって普通、動物を「女の子」とは呼称しない……。
 ミカエルみたいに、自分や誰かのペットなら、そういう言い方になるかもしれないけれど、
 鈴凛ちゃんはまだ読み始めたばかりで、そこまでの感情移入は出来ないはず。
 子供番組に出てくるような、動物の村の住人にもそういうかもしれないけど、
 わたくしの書いた小説(?)は……確かそういうファンシーな書き方をしているわけではないから、当てはまらないはず。
 きちんと「雌」と書いたはずだから、尚更。
 そんな先入観を持っていたから、わたくしには「獣」に向けた呼称とはすぐに繋がらなかった。

 それをわざわざ「女の子」と可愛らしく呼ぶ鈴凛ちゃんが、なんだか少しおかしくて……。
 うふふ…… くすりと笑いをこぼしてしまいました。


「普通さ、恐怖感や威圧感を出すなら、獣はオスにするんじゃない?
 一般的にも、男の方が"力強いぞー"とか"怖いぞー"ってさ、威圧する印象があるし。
 そういう入り方してるのに、わざわざ女の子に当てはめてる。そこがね、ちょっと意外かなー、って思ってね」


 もっとも、女の方が「見えない面で」恐ろしいんだけど……鈴凛ちゃんは笑いながら付け足しました。
 確かに、鈴凛ちゃんの言い分には理にかなっています。……まあ、見えない面の話は置いておいて……。
 それでもそうしなかったということは、そこには作者なりの意図があったから。


「それはですね……ええっと……―――」


 彼女の質問に答えようとするけれど、そこまで言ってわたくしは言葉に詰まってしまいます。
 答えるべきなのか、答えないべきなのか……。
 わたくしが返答に困っているのを察してか、質問した彼女の方から「ゴメン、ストップ!!」という声が掛かりました。


「考えてみたら、これがなにかの伏線の場合だってあるのよね……。だったら先に聞いちゃダメじゃんアタシ!」


 自分の額を軽くはたくような仕草をして、テヘヘと誤魔化すように笑いを浮かべます。
 鈴凛ちゃんは「全部読んでから質問するね」と、再びメモ帳に目を移しました。












    ―――サーカスを見に、子供たちがやってきた。

    ―――マリリンは子供たちの人気者だ。

    ―――マリリンはとても芸達者。演技だってお手の物。

    ―――マリリンはとても賢い。だから子供たちも彼女に騙されてしまう

    ―――けれど、決して人を傷つけるようなことはしない。そう学んでいた。

    ―――だから子供たちの人気者だ。












 鈴凛ちゃんは、わたくしにとって、大切な人です……。

 明るくて、面白くて、気さくな方で。
 そして得意のメカ関係でいつもみんなを楽しませてくれます。
 それは、みんなとは離れ、療養所でひとり寂しく過ごすわたくしも、たちまち笑顔にしてくれます……。
 だから彼女はわたくしの掛け替えのない人です……。

 この人とずっと一緒に居たいって思う想いは、きっと、恋人に求めるそれと同じなのかもしれない……。
 ううん……同じだって、違ってたって、正直どっちでも良かった。
 今はまだはっきりさせてないけど……鈴凛ちゃんは、そんなわたくしの気持ちを知った上で、受け止めてくれている。
 それだけで、わたくしは良かった。












    ―――子供たちは、マリリンの相手をして、とても満足そうに帰って行った。

    ―――檻の中からそれを眺めて、マリリンはなにを思ったか……?

    ―――それは誰にも分からない。

    ―――マリリンさえも分からない。






    ―――マリリンには昔、別の名前があったという。

    ―――それがどうしてマリリンになったのか……?

    ―――彼女しか知らない。












「へー、上手い演出ね」


 鈴凛ちゃんが感心そうな表情を浮かべます。
 一体どうしたのかしら……?
 わたくしが疑問に思っていると、問い掛ける前に、鈴凛ちゃんはその回答を口にしてくれました。


「さっきから場面が切り替わる演出。ヘタな余韻……っていうのかしら? そういうのを残さないでバッサリ切り替えちゃうところ。
 凝ってるな〜、思ってさ。さっすが、小説を数読んであるだけあるわね!」

「あ……。えっと……それは……」


 鈴凛ちゃんは力いっぱい褒めてくれました。
 褒めてくれましたけれど……それは、鈴凛ちゃんが考えたような技術なんかではないです……。
 その小説……とも言えないような文章は、最後まで書く気もなかったから……概要を書き綴っただけ。
 要するに、重要な部分や盛り上がる部分だけを綴っているだけなので、そこに至るまでの「繋ぎ」を、省いているだけなんです……。
 だから内容に脈絡もなく、話が進んじゃってるだけで……。


「あ、あはは……。なるほど……」


 それを告げると、鈴凛ちゃんは困ったような気まずそうな表情を浮かべてしまいました。
 縮こまった態度が、「ごめんなさい」とわたくしに語りかけています。
 そして、居た堪れないのか再び手帳に目を向けました。
 あ、謝るのはむしろ勘違いさせてしまった、わたくしの方です……。
 勘違いさせてしまって、ごめんなさい……鈴凛ちゃん……。












    ―――マリリンになる前のマリリンは、檻の中でいつも孤独だった。

    ―――何日も放ったらかしにされることなんて当たり前だった。

    ―――獣は、当たり前のように飢えていった。






    ―――飢えを満たすために狩に出ることなど、閉じ込められている身ではできない。

    ―――檻の中で、腹を満たすしかなかった。

    ―――けれどそれは難しいことじゃない、待てばいいだけ。

    ―――待てば、飼い主が餌を持ってやって来てくれるのだから。






    ―――その日、獣の腹を満たしに、獣の飼い主はやって来た。

    ―――やって来ては獣に餌を与え、腹を満たしていく。

    ―――そうして飼い主は帰っていく。






    ―――飼い主が来ない間にも腹は空いていく。

    ―――どんどん、どんどん飢えていく。

    ―――生きている以上、それは当たり前のこと。

    ―――だから腹を満たさなくちゃ。






    ―――だから……






    ―――閉じ込められた獣にはそれができないんだってっ……!!












「……これは、」

「はい……?」

「うん、これは技術よね! そうよね! 間違いない!!」


 鈴凛ちゃんは、何かを確認するように頷いては、自分を納得させるように言葉を反復させ始めました。
 きっと、またわたくしの書き方について褒めようと思ってるのでしょうけれど、
 さっき思いっきり勘違いで墓穴を掘ってしまった手前、同じ轍は踏まないよう細心の注意を払ってるのだと思います。
 その確認作業が口から漏れていました。
 しばらくして、小さく「よしっ……!」だなんて意気込んだ後、それを合図にしてわたくしに向き直りました。


「ここさ! 良いよね!!」

「はい、どこでしょうか……? くすくす……」


 鈴凛ちゃんったら……うふふっ その感情豊かな仕草もまた、彼女のくれる「楽しい」や「面白い」の一部。
 真剣な鈴凛ちゃんとは対照的に、わたくしは……ふふっ 顔を綻ばせてしまいました。


「ちょっとぉっ!? なに笑ってるのよー!?」

「くすくす……ごめんなさい。ふふっ……ちょっと……くすくす……」


 鈴凛ちゃんは小さく「もー」なんてムクれてしまいました。
 ごめんなさい……うふふっ……ふふっ……
 込み上げてくる笑いは、しばらく止まりそうもなかったのですが……このままでは話が進みません。
 わたくしは、少しだけ残念にも感じながら、込み上げる笑いに耐えて、鈴凛ちゃんに言葉に耳を傾けました。


「この部分……この"それができないんだって"って部分。
 今まで無機質に状況を説明していたのに、ここだけ感情的になってるじゃない!
 ここが……えーっと、なんて言えば良いのか……あ、ギャップよ、ギャップ!
 要するに上手く引き立てられてて凄く上手い! これはさすが! うん、さすが! ……だよね?」


 一度失敗しているだけに、最後の方で小さな確認するような声が聞こえてきました。
 わたくしも、彼女のために期待する答えを返してあげ……たかったのですが……。


「えっと……」


 わたくしはその期待に応えられないまま、言いよどんでしまいました。
 鈴凛ちゃんは、またもやってしまったかと、中途半端な表情のまま表情を凍らせて居ます……。


「あ、いえ……間違ってるとかそんなのじゃなくて……多分、鈴凛ちゃんの考えた通り……だと、思います……」

「思います?」

「はい……。ただ、これを書いたの……随分前のことですから……」

「……要するに、はっきりと覚えていないのね?」

「……ごめんなさい」


 折角の挽回するチャンスだと思ったのに、それは期限切れだったので、起死回生のコメントも無効に……。
 さっきみたいにヘマした訳じゃないけれど、トータルで見れば2戦1敗1引き分け。いまだ負け越しのまま。
 現状打破を狙ってた鈴凛ちゃんには、現状維持という結果はとても悔しそうで、「ぐむむ……」なんて呻ってしまいました。


「けれど……褒めてくれたことは素直に嬉しかったですから……。ありがとうございます……」


 わたくしは、付け足すようにそれだけ返すと、鈴凛ちゃんは安心したようにニコッと笑って見せました。
 付け足した言葉だけど、これが一番伝えたかった言葉……。
 わたくしも、それが伝えられて、とても安心しました
 鈴凛ちゃんは、再び視線を手帳に戻します。そして綻んだその顔は、打って変わった真剣なものに変わるのでした……。
 記憶が正しければ、物語りもそろそろ佳境だから……。












    ―――檻の中、獣は餌を待った。

    ―――飼い主が来てくれるのを待っていた。

    ―――いつまでも、いつまでも、ただただ待った。

    ―――けれど、飼い主はやって来ない。

    ―――なかなかやって来ない。






    ―――飼い主は、檻の獣以外の動物たちにも、同じように餌を配っていた。

    ―――だから獣にばかり構うわけにもいかない。

    ―――当然だ。

    ―――だから、獣にできることは、ただただ待つことだけだった。






    ―――久しぶりに飼い主がやってきてくれた。

    ―――そして、いつも通り餌をくれた。

    ―――獣の腹は……膨れはしたが、満たされはしなかった。

    ―――待っていた間、ひたすらに飢えた腹には、到底足りないものだった。

    ―――それでも飼い主は帰っていった……。

    ―――ああ、これだけの餌で、次を待たなきゃいけないのか……。






    ―――ある日、飢えた獣は、とうとうその空いた腹を存分に満たすことができた。

    ―――その日もやって来た、飼い主だった人を、

    ―――












「"―――喰ったから。"……か……」


 ずっと黙って読みふけっていた鈴凛ちゃんが、その一文だけを声に出して、言葉にした。
 ほんの少しだけ、動悸が激しくなる。
 鈴凛ちゃんがどのシーンを読んでいるのか、理解したから……。












    ―――その日から、獣は飢えることがなくなった。

    ―――腹の中がいつまでも満たされているようになった。





    ―――その日から、獣は「マリリン」となった。

    ―――自らそう呼ぶようになった。













「自分からそう呼んでるって……それじゃあサーカスの人たちはどうやって名前知ったのよ?」

「……そこからどう繋げるか……自分でもまだ思いついてないんです……」


 一通り山場を通り越したのか、的確なダメ出しをくれる鈴凛ちゃん。
 他にも、どうして飼い主は数日置きにしか来ないのかとか、なんでマリリンは処分されないまま人気者になれたのとか、
 そういう細かい指摘をしてくださいました。
 けれど前述した通り、この話は未完成の物語だから、そういう粗はあって当たり前……。
 注意されても仕方がない、というところがあったから、わたくしもさほどショックはありません。


「ダメじゃないの〜。しっかり考えなきゃあさ〜」

「もう……だから書き掛けって言ったじゃないですか……。いじわる……」


 けれど、穏やかに答える口調とは裏腹に、わたくしの心臓が、血液を送り出す速度が速くなっている。
 なんで?
 体中が、小刻みな震を刻み始めまでする。
 どうして?

 それは……―――


「マリリンのモデル、自分なワケ?」


 唐突な、静かな問い……。
 彼女に顔も向けずに……わたくしは無言で頷いた。

 ……ああ、やっぱり。見抜かれてしまった。
 あなたにそれを見抜かれると知っていたから……怖かった……。






 これはわたくしの物語……。
 マリリンは……わたくし。

 そう―――わたくしは、ケモノ。

 愛に飢えたケモノ。
 大切なあなたを食べて、やっと満たされた獣。












 病室という檻に閉じ込められ。
 家族からも切り離され。
 ただひとり、孤独に生きていた。



    ―――檻の中でいつも孤独だった。

    ―――何日も、何十日もほったらかしにされた。

    ―――獣はだんだんと飢えていった。



 寂しくて、悲しくて、切なくて……苦しくて。
 いつからが始まりで、いつからが終わりかも分からない、病室という名の白い牢獄の暮らし。
 定期的に来るお見舞いだけが、わたくしを満たす「温もり」という名の餌。



    ―――だから、獣にできることは、ただただ待つことだけだった。



 彼女の最初の質問に答えよう。
 閉じ込められている立場なら、別にお姫様でも囚人でもなんでも良かった。
 "女の子が獣である理由"は、ただ「食べる」と言う表現を扱うのに都合が良かったから。

 それ以上に「醜い獣」という表現は……ああ、なんて的確にわたくしの歪な心を形容しているのだろうか?


 わたくしに温もりをくれた。
 わたくしを満たしてくれた。
 わたくしに優しくしてくれた。

 彼女は、わたくしにとって求める全てを与えてくれた。


 けれど知っている……それはわたくしに対してだけじゃないことを。
 だってあなたは優しい人だから。
 誰かの笑顔を見るのが誰より好きだから。
 だからわたくしが、"その中の単なるひとり"であることも知っていた。



    ―――だから獣にばかり構うわけにもいかない。



 なのにわたくしは、"単なるひとり"で居ることに耐えられなかった……。
 それでは飢えは満たされなかった。



    ―――待っていた間、ひたすらに飢えた腹には、到底足りないものだった。

    ―――それでも飼い主は帰っていった……。

    ―――ああ、これだけの餌で、次を待たなきゃいけないのか……。



 わたくしは、わたくしを笑わせ続けてくれる誰かが欲しかった。
 だからわたくしは、彼女にとっての特別であるために。
 彼女を自分の特別にするために。



 彼女に無理矢理口づけた……。



 わたくしにとって特別になっていた彼女に、彼女にとってもわたくしが特別な立場だと意識してもらうため。

 二度と消えない証を残したかった。
 それは物理的な意味でも、精神的な意味でも良い。
 例え醜い傷痕だったとしても……残せるならなんだって……。

 ただそれだけの意味でそうした。
 直前にも直後にも、心のどこかでその行為を激しく忌諱する「常識」が蠢めいて、
 身を腹を腸を臓を骨まで節まで肢まで全身に至るまで火傷のような痒みを伴う痛みや悪寒嫌悪辛酸を訴え悲鳴を軋ませたのに。
 それ以上に飢えた心は、全てを黒い闇へと飲み込んで、目の前の餌を散らかした……。

 飢えた腹を満たすエサに、性別なんて贅沢は求めなかった。
 ただそこに在た。
 それが彼女である理由。
 渇いた理由。
 夢もロマンも、なんにもない。

 近くをウロウロ歩き回って、逃げる様子もなく無防備で、容易に捕まえられるところに居て、しかもそれがとても美味しそうに見えた。
 そんな、餌として何よりも相応しいから獲物だったから喰らい付いた。
 喰らい付いて、自分の血肉にしてしまった。
 後悔はない……。
 少し違う……後悔さえできない。
 それほどまでに枯渇し、擦り切れた心。

 だってそれが最後の希望すら摘み取る危険を孕んでいたとか、そんなことまでは考えは回らない程だったんだから……。
 彼女が受け入れてくれたことは、どうしようもないほどの幸運だったと、今更ながらに思う……。
 それとも……どこかで気づいていたのかもしれない。
 "みんな"を笑わせるため、その中のひとりわたくしを受け入れざるを得ない、彼女の弱みに……。



    ―――その日から、獣は「マリリン」となった。



 わたくしは『マリリン』。
 「マリエ」が、「リンリン」の人生を食い殺し、満たされ生きてる罪深き存在……。

 醜い……なんて醜い。
 醜い醜い醜い醜い!
 あああああああああ、わたくしの心はなんて醜いのかしら!!!!


















    ペチッ



「きゃっ……!?」


 突然、おでこに軽い衝撃が走ります。
 目を見開くと、その位置まで鈴凛ちゃんの手が伸びていました。
 そして、ムッとしたような顔で、わたくしの顔をまじまじと見つめています。

 わたくしが、どう反応していいか計りかねていると……鈴凛ちゃんはおでこから手を離すと、
 そのままペンを取り出し、わたくしの手帳に文章を書き加え始めました。
 そして……わたくしの前に、書き加えた文面を突きつけます。






    ―――食べられてしまった飼い主は、ふしぎな力でマリリンから飛び出し、マリリン前に現れました。


    ―――そして当然、マリリンに掛けられていた魔法が解け、元のキレイなお姫さまの姿に戻りました!!


    ―――ヤッタネ☆





 …………。


「どう? これでハッピーエンドよ」


 ぽかーん。という擬音が一番相応しかったと思います。
 どう……と聞かれても、わたくし自身、思考回路が完全に静止していて……。
 しかも「ヤッタネ☆」って……。


「アタシはね、鞠絵ちゃんの笑ってる顔が好きなの。大好きなの。オーケェ?」

「ひゃぅっ!?」


 鈴凛ちゃんは依然ムッとした表情で、わたくしのおでこを人差し指でツンツン、ツンツン、何度も執拗につつきながら言います。
 わたくしは、突かれるたびに仰け反りそうになりながら、「あぅあぅ」なんて言葉にならない短い悲鳴をもらしてしまいます。
 一通りつつき終わった後、鈴凛ちゃんは思いっきり不機嫌そうな顔を近づけて、言いました。


「そりゃ……最初はみんなを笑わせようっていう、大勢の中のひとりだったわよ。
 そこは認める。けど、鞠絵ちゃんが特別気になってたのはほんと!」


 知っている。

 あなたは、みんなを楽しませるのが大好きだから。
 だから、わたくしをも笑わせようとした。
 人一倍の寂しさを裏に隠す笑顔の仮面さえ見抜いた。

 ひとりだけ偽りの笑顔を浮かべるわたくしを、だからこそ思いっきり笑わせてやろうって思う。
 その障害が大きければ大きいほど、奮い立つような人だから……わたくしはそれを利用した。
 最初は無意識だった……けれどそれは間違いなく、途中から確信になっていた……。
 ほら……こんなにも醜いじゃない?
 醜いのに……なのに……。


「それがさ……―――」


 鈴凛ちゃんは、更に顔を近づけて……そして……唇が、わたくしのそれと、触れ合った。


「―――きゃっ……!?」


 突然の……鈴凛ちゃんからの……キス。
 あまりにも突然だったので、驚いて声を上げてしまった。
 けれど、イヤだった訳じゃない。イヤだなんて思うはずもない……。
 なによりも「温もり」を求めるわたくしが、それをより一層感じ取れる行為なんだから……。


「……こんな関係にまで発展するなんて……思ってもなかったけどね」


 ほんの少しの間触れた唇は、感触も分からないほどで……だけど当たった感触は確かに残っている。
 それは確かにキスをした証……。
 それが、どうしようもなく嬉しくて……同時に、重なり合ったことが分からなかったことが悔しいくらいに名残惜しい……。


「だからアタシは、食べられた後もしっかりちゃっかり幸せなのよ」


 優しく口にしてから、わたくしの体を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめました。

 抱きしめられる腕から伝わる温もり……そして、鈴凛ちゃん自身の心臓の鼓動……。
 鈴凛ちゃんも、ドキドキしているの……?
 そうですよね……わたくしだけ驚かされてばかりじゃ、不公平です……。

 彼女を今、全身で感じている。
 彼女の優しさを……わたくしの醜い部分、全てさえも包み込んでしまった彼女を……感じている。

 わたくしは今……とても満たされている……。


「それにさ、巡り合わせも、相手選びの条件じゃないの?」


 だから……近くに居たのが、あなたで良かった。


















「あの……でも……」


 一通り鈴凛ちゃんの温もりを堪能した後、距離を取った時、脇に置かれた手帳が目に入った。
 そして鈴凛ちゃんが書き足した内容を思い出す……。
 あれでは、物語の主旨がめちゃくちゃ……。
 しかも、書いたのはボールペンでしたから、消しゴムでは消すことはできません……。

 まあ、元々支離滅裂な文章の羅列だったから、こういう結末をくっつけても問題は……―――


「やっぱり……ダメかも……」


 雰囲気が一貫していないです。
 ごめんなさい鈴凛ちゃん。わたくし、結構小説に目を通してるから、どうしうてもこだわってしまいます……。
 鈴凛ちゃんが好きなこととそれは、やっぱり別問題です。
 手帳を気にするわたくしに、鈴凛ちゃんは「あっははっ」なんて豪快に笑いながら答えました。


「アタシに文才なんか求めないのっ」


 言って、もう一度おでこをツンとつついてきます。
 今度は不機嫌そうな表情じゃなくて、いつも通りの明るい表情で。

 ああ、それでもこれはなんてあなたらしい結末なんだろう。
 世界に枠があるなら、あなたはそれを壊して、未知の領域にまで広げてしまう。
 常識や、世界のルールなんてあっという間に飛び越えて、誰も予想しなかった結果を導き出してしまう。
 サーカスの獣の話が、いつの間にか魔法とお姫様の話に? 暗く重い雰囲気を積み立てた中で「ヤッタネ☆」?
 やることなすこと一見めちゃくちゃ……だけど巡ってくるのはいつも「幸せな結末」だけ……。
 本当に、あなたらしい……。



 彼女はわたくしにとって特別な人で、彼女も特別に想ってくれている……そんな、曖昧なだけど、確かな関係。
 「恋人」だとか、特別な括りにこだわるわけでもない。
 ただ好き。単純にそれだけ……。
 わたくしはただ、鈴凛ちゃんと一緒に居られれば、それだけで十分だから……。

 ……あ、キスは……できないと、ちょっとイヤかも……。
 ううん、かなり、譲れないです……。
 そのために、お互いの関係が「恋人」という括りでなくてはダメだというのなら……「恋人」でも良い。

 そのくらいに、あなたが大好きだから……。












 


あとがき

コングラッチュレーション自分!! という訳でめでたく普通SS100作目を迎えました。(連載とか隠しとかは除いて)
2003年に執筆を始めてから、5年でここまでやってたとは、改めて「継続は力なり」を思い知ります。
正直、なにを100作目に持ってくるか悩みましたが、やっぱり自分の代表的なカップリングで迎えるべきだと思い、
100作を経た今のまりりんのイメージを、そこに当てはめることに致しました。

さて、「現在のまりりんイメージ」ということで仕上げた本作品。
なので、イメージのあまり固まってない初期まりりんとは大分イメージが変ってるかもしれません。
それを見比べて貰うのもまた一興……と思ったけど大分恥ずかしいから控えてもらって構いません(苦笑

で、率直に言って、鞠絵はヤンデレです(ぇ―
というか、他の妹たちと比較して、鞠絵の居る環境下で人間が歪まないのは納得が行かないというかなんというか……。
そんな綺麗なだけの偶像ではない、等身大の鞠絵を、鈴凛が底抜けの包容力で包み込む、そんな関係をイメージしています。

また、「恋人」という括りにこだわってないというのも、なりゅーイメージのポイントのひとつです。
というより、見せびらかすつもりがないから「一緒に居る」という結果に、特別な括りをつける必要がない。という方式なんだと思います。
まあ、鞠絵のキス魔設定は私の趣味ですが(爆

それをこの作品でどこまで表現できたのか……。
100本の経験値を通して伝え切れてなかったら、それはそれで悲しいです(苦笑
とりあえず、100という節目までやり切った自分に、とりあえず「おめでとう」。


更新履歴

H20・2/10:完成


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