亞里亞「・・・ふわ」

 手で口元を押さえて、亞里亞ちゃんが眠たそうに息を吐く。

亞里亞「すぴ〜・・・」

 ・・・つーか寝てる。

鈴凛「もうベッドで寝たら」
亞里亞「この映画・・・最後まで見るの〜・・・」

 アタシと、いつものように寝息が聞こえたのにきちんと返事を返す不思議少女は、
 リビングで9時から放映されている洋画を見ていた。
 内容は本格SFグルメホラー・・・って、何だそのジャンルは?

 まぁ、亞里亞ちゃんは食べ物目当てで見てるんだろう。
 どんな話かも気になったからアタシも見てた。

鈴凛「見てから・・・って、9割寝てるんじゃない?」
亞里亞「すぴー・・・」

 予想通りもう寝てた。
 壁の時計を何気なく見ると、10時を少し過ぎたところだった。


    プルルルルル・・・


亞里亞「電話?」

 ふたりで同時に、リビングに置いてあるコードレスの電話を見る。
 受信を知らせる赤いランプが、呼び出し音に合わせて点滅していた。

鈴凛「アタシ出るよ」

 目を覚ましてるのか寝てるのかいつも分からない亞里亞ちゃんは頼りにならないので、アタシが受話器の前に立った。
 コードレスを手に取り、着信ボタンを押す。

鈴凛「はい、もしもし」
声『・・・・・・鈴凛・・・くん?』

 ぽそぽそと呟いた声。
 電話の雑音とテレビの音にかき消されそうな、か細い声。

鈴凛「千影ちゃん?」

 アタシの声に、テレビの怨霊が小さくなる。
 いいから音量を小さくしろ!

亞里亞「すぴ〜・・・」

 ・・・無理か・・・。
 そんな亞里亞ちゃんはどうでもいいとして・・・

千影『・・・・・・ああ』

 さっきよりはっきりした声。
 美坂千影に間違いなかった。

鈴凛「どうしたの?」

 受話器の向こう側から、町の喧騒が聞こえる。
 おそらく、公衆電話からなのだろう。

千影『少し・・・・・・話があるんだ・・・・・・今から出てくるんだ・・・』
鈴凛「誰が?」
千影『君が・・・・・・さ』
鈴凛「拒否権を与えない言い方ね・・・」
千影『拒否してもいい・・・・・・ただし・・・・・・来てもらうことには変わりはないがね』
鈴凛「じゃあ拒否する」
千影『・・・・・・』
鈴凛「なんてね。 別に構わないわよ」
千影『・・・・・・』
鈴凛「何時に、どこに行けばいいの?」
千影『・・・・・・今すぐ、ここで』
鈴凛「どこ?」
千影『ここさ』

 パチンッと、指の鳴る音。
 そして、急に周りが暗くなる。

 コードレスの電話は突然切れ、ツーツーと発信音を鳴らしていた。

鈴凛「・・・・・・」

 揺れる木々のざわめきと、揺らす風の足音。
 歩道に配された街灯が青白く光り、足下をほのかに照らしていた。

 風が強く、そして冷たい。
 目の前には、学校がそびえ立っていた。

 ・・・・・・。

鈴凛「・・・アタシはいつの間に外に?

 ・・・・・・。

鈴凛「・・・あのパチンね」

 考えられることはひとつ。
 テレポートさせられた。
 コードレスは本体から離れ過ぎたため切れてしまったというわけか。

 まぁ、これも到底“考えられること”ではないけど。

 アタシは数々の常識破りを見てきた。
 だから別に驚きはしない。

鈴凛「ほんと何でもアリね・・・」

 夜の学校は、想像していた以上に寂しくて冷たい場所だった。
 コートもなしに居ると今にも凍えてしまいそうだ・・・。

 ・・・ああ、パトラッシュ・・・これがボクの見たかったルーベンスの絵だよ・・・。

千影「・・・・・・しっかりしてくれ・・・・・・鈴凛くん」

 遠くなりそうな意識の中、街灯の下に、千影ちゃんが立っていることを確認した。
 制服姿の千影ちゃんが、アタシの姿を見つめて視線だけを動かす。
 冷たい真夜中の風に揺れる髪を押さえることもなく、無表情でアタシの視線を正面から見据える。

千影「まったく・・・・・・しっかりしてくれ」
鈴凛「何の説明もなしにテレポートさせておいていきなりそれっ」

 来る手間は省けたが、代わりに凍え死ぬ可能性が出てきた。

千影「・・・ちょうど・・・・・・2週間か」
鈴凛「無視して話を進めるな」
千影「・・・・・・色々」
鈴凛「頼むから、アタシの身の安全を保証して」

 千影ちゃんの立っている光の輪に、アタシも足を踏み入れる。

千影「2週間・・・・・・色んなことがあった・・・・・・」
鈴凛「・・・そうね」

 千影ちゃんはこのことについては放っとくつもりらしいので、
 こういう場合は諦めて話を進める方が良いと、今までの経験から判断した。

千影「2週間なんて・・・・・・あっと言う間さ・・・」

 痛みに耐えるような表情で、微動だにせずに・・・。

千影「多分・・・・・・1週間はもっと短いだろうね・・・・・・」

 アタシがこの町に来てから、2週間。
 亞里亞ちゃんと再会して、
 新しい学校に通い始めてから、
 千影ちゃんと初めて顔を合わせてから、
 生き別れの暴走特急なアネキに出会ってから、
 チェキチェキ言ってていつの間にか消えた妙なコスプレイヤーに付きまとわれてから、


 そして、鞠絵ちゃんと出会ってから・・・。


鈴凛「で、話って何?」
千影「・・・・・・」
鈴凛「鞠絵ちゃんのこと?」
千影「・・・・・・妹のこと」
鈴凛「・・・・・・」
千影「私の・・・・・・たったひとりの・・・・・・妹のことさ」
鈴凛「・・・続けて」

 妹。

 今まで、かたくなに妹の存在を拒絶し続けていた千影ちゃんの口から出た言葉。
 その言葉の重さ。
 そして、意味。

千影「私は・・・・・・君に聞いたはずだろう・・・・・・彼女のことを・・・・・・好きかと」
鈴凛「ええ」
千影「異性として・・・・・・か?」
鈴凛「ええ」
千影「・・・・・・そうか」

 最初に千影ちゃんがこの質問を投げかけた時と同じように・・・。
 そしてそれ以上に、深い悲しみの表情で俯く。

千影「彼女は・・・・・・生まれつき体が弱いんだ」
鈴凛「それは知ってる。 だから、ずっと学校に来れなかったんでしょ?」
千影「彼女は・・・・・・楽しみにしてたんだ・・・・・・。
   私と一緒に・・・・・・私と同じ学校に通い・・・・・・そして、一緒にお弁当を食べる・・・・・・」

 カエルの丸焼きじゃないの?

千影「そんな、些細なことを・・・・・・彼女は、ずっと渇望していたんだ」
鈴凛「・・・・・・」
千影「あと1週間で・・・・・・新作のゲームソフトの発売日」
鈴凛「だからどうした
千影「来月まで・・・・・・生きていられないだろう言われた彼女の・・・・・・楽しみにしていたゲームソフトの発売日」

 さっきまでと同じ口調だった。
 感情の起伏を抑えて、淡々と言葉を紡ぐ。

鈴凛「・・・・・・」

 だから・・・千影ちゃんの言葉の意味が分からなかった。

鈴凛「・・・どういうこと」
千影「言葉通りさ・・・・・・」

 アタシの言葉を待っていたかのように、呟く。

千影「彼女は・・・・・・医者に今年の2月まで生きられないだろう・・・・・・そう言われた」

 鞠絵ちゃんの明るい表情、
 元気な仕草、
 無茶苦茶なボケ、
 そして、雪のように白い肌・・・。

千影「それでも・・・・・・最近は・・・・・・体調も少しだけ持ちなおしていたんだ。
   だから・・・・・・新作のゲームはプレイできるかもしれない・・・・・・」
鈴凛「・・・・・・」
千影「でも・・・・・・それだけさ。 何も変わらない・・・・・・。 彼女が・・・・・・もうすぐ現世での生を終えるということは」
鈴凛「・・・そのことを、鞠絵ちゃんは?」
千影「知っている」

 ・・・・・・。

鈴凛「・・・いつから知ってたの・・・鞠絵ちゃんは」
千影「もう・・・・・・ずっと前・・・・・・去年のクリスマスの日に・・・・・・私が教えたんだ・・・・・・」

 アタシが初めて鞠絵ちゃんに出会った、ずっとずっと前から・・・

鈴凛「どうして、そんな話アタシにするの・・・?」
千影「彼女が・・・・・・君のことが好きだからさ・・・・・・」
鈴凛「どうして、鞠絵ちゃんに本当のことを教えたの?」
千影「彼女が・・・・・・聞いてきたからさ」
鈴凛「どうして、鞠絵ちゃんのこと拒絶したの?」
千影「・・・・・・・・・・・・私は・・・」

 いつもクールな千影ちゃんの姿は、そこにはなかった。
 不意に、抑えていた感情が流れ出る・・・。

千影「私は、私は彼女のことを見ないようにしてたんだ・・・。
   何度転生しても・・・何度巡り会っても・・・いつも早くに命の灯火が消えてしまう。
   今度こそは・・・今度こそは・・・そう希望を持っていても・・・神はまた彼女から“これから”を奪い去る・・・」

 アタシの服を掴んだ両手が震えてるのが分かった。

千影「分かっていたから・・・・・・いつも身を引き裂かれるより辛い苦痛を味わうから・・・。
   だから・・・彼女のことを避けて・・・今度は巡り会えなかったことにすれば・・・。
   今までと同じ、辛い目に遭うのなら・・・
   いっそ彼女に巡り会えなかったことにすれば、あの苦痛を味あわなくて済むはずだから・・・」

 千影ちゃんの嗚咽の声が、夜の校舎に響いていた。
 彼女らしくない、流れる涙を抑えることもなく、ただじっと泣き崩れる。

千影「・・・鈴凛くん」

 妹の前では、決して見せることのなかったであろう姉の涙。

千影「彼女は・・・何のために現世に生まれてきたんだ・・・」

 夜風にさらされながら、アタシはその場を動くことができなかった。


 ・・・凍えて。


更新履歴
H15・11/19:完成


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