雛子の百合が難しいのは……

 

 

妹考察にて、なりゅーがどういう相性で書き易いか書き難いかを独断と偏見で勝手に属性付けし、
その相性の法則性をなんとなくで表した『独断と偏見による大まかなシス百合属性的相性考察』というものがあります。
その内容を簡単にまとめると以下のような感じですね。

 


       元気印

      /   \
     /      \

 女性 ―― いかにも女の子

     \      /
      \   /

     男の子っぽい
女性
他3つともと相性が良い

いかにも女の子

他3つともと相性が良い

元気印

「女性」、「いかにも女の子」と相性が良い

男の子っぽい

 「女性」、「いかにも女の子」と相性が良い
  女性咲耶千影春歌(半)
  いかにも女の子可憐花穂(半)、鞠絵白雪春歌(半)、亞里亞
  元気印花穂(半)、(半)、雛子四葉
  男の子っぽい(半)、鈴凛

 

これを元に単純に考えてみますと、雛子は可憐花穂咲耶鞠絵白雪千影春歌亞里亞
この8名と組み合わせ易いはず……なのですが、この中で実際にできそうなのは千影亞里亞の2名のみ
「絶対」ではないですけれど、それでも難易度が異常に高く感じます(苦笑


考えてみた結果、ここでまた別の「幼さ(年齢)」という要素が絡んでるみたいなのです。
この「幼さ」という要素がなかなか厄介なもので、まず第一に「本人が恋愛と意識しない」というものが出てしまいます。
そうですね……分かりやすく言えば「好き」と「愛してる」をごっちゃにしているって感じ。
つまるところ「好きなものは好き」って考え方です。

仮に雛子側が"おませさん"で本気だったとしても、相手は雛子の幼さから「それは憧れで恋じゃないのよ」とか諭したり、
「恋に恋してる」とか思って本気で取り合ってくれないと思います。
まして相手は「妹」、「同じ女の子」で「肉親」で、しかもまだ恋愛の"れ"の字も知らなさそうな「おこちゃま」なわけですから、
一般的に考える場合それが「本気の恋」とは相手も受け取れないかと思います。

というか、相手だって幼い妹相手だと恋というよりは「可愛い妹」としてがせいぜいかと。
まだ魅力も能力も、恋愛には到底達しないでしょうし、もし止まらなかったらそれはギャグじゃない限り犯罪になってしまいます(苦笑


つまるところ、雛子自身の恋愛思考不足と、幼さ故に相手が本気で取り合わない(取り合えない)ことによる、
「両方向からの恋愛的要素の通行止め」こそが、雛子の百合における最大の壁かと思われます。

よく「愛に年の差は関係ない」いうけど、法律に年の差は関係あるようで、「愛する」まで"達せない"ことが原因ですね(苦笑
まあ、その解消に、単純に「雛子を高校生にしちゃう」って裏技もありますけどね(「中学生」、「大学生」でも可
その場合、代わりに成長に伴って雛子の特徴を付加させたり減らしたりして、
きちんと書きこなせるかの難易度が上がるという問題ははらみますが……(苦笑



しかし、幼いにも幼いなりにちゃんとした恋物語はあるのです。
「あれはまだ恋じゃなかったな……」とか「まだ子供だったけど、あれは本気の恋だった」とか、
その点はどっちでも良いけど、そういうのとかだったら大丈夫です。

まあ、年齢的に片方分かっちゃっているせいで、先程も言ったように「子供相手に本気になれない」ということになる訳ですが……
しかし、年齢的問題ならばもちろん大抵の場合雛子同様低年齢と扱われている亞里亞は除かれる訳です!
自分も子供だから、同じ目線でふれあうから、目線が違い過ぎてとても相手になれない(ちゅーか「法律の壁」がある)という問題は皆無!
そしてそれこそが亞里亞が雛子と組み合わせ易い最大の所以かと!!


周りからは戯れとられるかもしれないくらいの年齢です。(イメージ的には)
何かの影響からの戯れかもしれないし、本気の恋かもしれない。まあそれは内容次第ということで。
それでも、ほぼ同年代においては自分も相手も真剣です。(よくいう「擬似恋愛」というヤツも含んで)

というか、雛子、亞里亞の次いで幼い「イメージ」のある妹(俗にいう"十女")が、いまいち決めきれないのも原因のひとつかと。


しかし、雛子と亞里亞は年齢的にさほど差がない(という一般イメージ)のはずなのに、
何故か雛子に比べ亞里亞は百合として扱いやすい印象を受けます。
ちょいと考察を繰り広げてみた結果、これはそれぞれが持つ「キャラクターイメージ」に理由があるものと感じました。

雛子は普段から動くタイプで、好奇心も旺盛です。逆に亞里亞は自分からは動かない保守的なタイプ。
そのためか、亞里亞は普段自分から動かないからこそ、その時の「重大性」が明確に伝わります。
逆に雛子は普段から動いているからこそ、その重大性が埋没してしまう。
同じように動いたとしても、雛子のそれに比べ亞里亞の方が与えるインパクトと重要性が相対的に大きくなります


また、双方のイメージ的にも、雛子は「子供」そのまんまが一番近いかもしれないかと。
しかし、亞里亞は単なる「子供」というよりは「プリンセス」という印象の方が強く受けられるかと思われます。

「子供」は「子供」で侮れなく、実は大人もビックリな知識を備えていたりすることもざらではありません。
そういう意外な聡明さが雛子をうまく引き出す方法になりえてしまうかもしれませんが、
こと恋愛に関しては逆に「伝わらないこと」で"やきもき話"を演出する方がやり易いかと思われます。

しかし、亞里亞は「キャラクターとして備えていない」という印象を持っているのだと思います。
「プリンセス」というよりは「世間知らずなお姫様」の方が具体的かと。持っていてもギャグで使うのが大抵。
そのギャグ自体も、「キャラクターとして備えていない」という前提があるからこそ生きてくるのではないのでしょうか?

あまり深く考えなさそうな亞里亞自身のキャラクターから、「小細工抜きにダイレクトにしか勝負しない」、
「真剣にならないと行動できない」などということを無意識に繋げて考えてしまうため、
亞里亞の方が雛子より百合として扱い易いという結論に導かれるのではないかと……。


それともうひとつ、私見でおまけ的な要素なのですが、
恐らく雛子に一般的にイメージされる「最年少」という称号(設定如何では変えられるけど)から来る、
イメージ的なものもそれなりに大きな原因かと思われます。

言ってしまえば、亞里亞はその「最年少」を僅か鼻の差でかわしただけですが、
それだけで「一番下ではない」というイメージ的なものが働くことからなのだと思います。

ほんの僅かの紙一重の差ですが、その差は「幼稚園」と「小学生(1年)」、
はたまた「小学生(6年)」と「中学生(1年)」、「3等(銅メダル)」と「4等(メダルなし)」、
ついでに「69点の答案」と「70点の答案」(ぇ)と、そういうものと同じような差なのだと思われます。

随分と分厚い紙一重です(ぇ


こう比べてみますと、雛子と亞里亞は同じ「幼い」というイメージを持ってはいても、
その実、持っているイメージは真逆のものだということに、書いている本人も書き綴って改めて実感しました(笑
もし「亞里亞最年少説」を唱える方がこの文章を読まれたのなら、この点に関してどう思うのか意見を聞いてみたいところです……。



さて、そうなるとここでひとつおかしなことが起きてることになります。
それは、年齢的に近しいと言う理由で「幼い」雛子と組み合わせ易いと書き綴っているはずなのに、
年齢的には逆に高い位置にいるはずの千影とは(個人的に)掛け合わせ易いということです。


と、話を持ち出しておいてなんですがこれは簡単に結論を述べちゃいます。だってそんなに頭悩ませた訳じゃなかったから(爆

その理由としては、ただ唯一にして最大の要因、千影」という「キャラクター」そのものなのではないのでしょうか。
どこまでも、標的愛した相手に一直線な愛を貫ける「千影」というキャラクター。
普通のハッピーエンドだけではなく、失恋による悲恋だろうが、一方的なダークな盲愛だろうが、
それぞれがそれぞれの形で、その相手を全身全霊をかけて愛します。

「愛する」「愛する」なんて頻繁に書く場合、頭をちゃんと切り分けておかないと、頭がついて来れません(苦笑

その愛は、愛のためなら法律どころか自然法則にすら逆らう程
寧ろ障害があるほど燃えるタイプ、神を嘲笑いながら喧嘩を売るような神経してそうです(褒め言葉

立場、種族、性別、全て一切関係なし!
それら全てを無視し、究極的にその「個人」を愛するキャラクターだからこそ、
壁の多いはずの雛子を相手と掛け合わせ易いのではないのでしょうか。


ここで、相手を運命の相手(妥当な線では「前世の兄」、ちょっと捻れば「お告げ」)の場合なら、
その相手、「雛子」という個人に限定されるため、年齢という概念は一切不問となります。
法を破らずとも(破ったら相手が悲しむから)、「少し待てば良いさ」と、ほくそ笑んでいるでしょう(笑

そもそも、千影というキャラクターはやや常識から逸脱していますので(苦笑)、
そのくらいは軽くやってのける……寧ろやってのける方が「千影」というキャラクターが生きるのではないのでしょうか?


それと、これはもしかしたら、「既に作品として創作されているから」というのもあるのかもしれません……。

どんなものであれ、形として存在しているのなら、それを見本や自分の中でのモデルになったのでは、と。
要は「コロンブスの卵」ってことですね。見本やモデルがあれば、「0」から作り出すよりは遥かに楽ですから。
もしくは、「自分ひとりだけでは?」、「誰も賛同しないのでは?」という、
集団から外れることに対する孤独感や不安感がないからかもしれません……。

だからこそなりゅーは世間の本流から外れて自分を貫こうとする人たちを応援しています!!(爆



まあ、ぐだぐだ並べてきましたがここでまとめてみますと、雛子というあまりにも恋愛に難しいキャラクターの相手役を勤められるのは、
「幼い雛子の"好き"に本気になれる」千影と亞里亞だからこそ、雛子の相手を担えるのではないのでしょうか?
と結論付けて、この考察を終えてみます……。


くどいかもしれませんが一応……これはなりゅーの私見であり、絶対的な基準ではありません。(だから書き方が曖昧なんです)
その他の考察同様、「そんなことはない」という意見がありましたら、どうぞご遠慮なく! 寧ろ聞きたいですから!!(笑
あわよくば作品で示してください!!

 


H16・12/11:一言雑記にて掲載
H16・12/12:妹考察用に修正して掲載
H17・5/16:修正


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