――― 一方その頃、月では。 ―――






「36番の方、どうぞ」

「あ、はい!」


 席で呼ばれるのを待っていると、受け付けの兎の方が、私の手に持っている番号札と同じ番号を呼ぶ声が耳に届きました。
 私は、事務係兎の待つカウンターへと足を運び……―――あ! もう始まってる!? 

 んっ、んっ……ごほんっ! ハ、初めまして、皆さん! 私は月のウサギ―――玉兎のレイセンと申します!
 玉兎とは、月に住む種族のひとつで、月で生まれた人型の兎のことを指します。
 玉兎の代表的な仕事は餅つき。これは地上の方にもよく知られる行事らしいですね。
 私も、元々は餅つき役を務めていた玉兎のひとりだったんですが……先日、地上へ行ったことをきっかけに、「月の使者」と呼ばれる月の防衛隊に転職。
 今では、防衛隊員の一員として、日々を忙しなく過ごしています。

 防衛隊員としての訓練は大変で、それ以来平穏だった餅つき役としての日常が懐かしくもなります。
 まあ今更過去を懐かしんでも仕方ないんですよね……トホホ……。

 それでも、そんな多忙な日々も悪いことばかりではないです。
 「月の使者」を従えるのは、厳しくも凛々しい妹君の綿月依姫様と、お淑やかでお優しい姉君の綿月豊姫様のご姉妹。
 おふたりは千年も昔から、私が生まれるよりもずーーっと前から、この月の警備を任されている由緒正しい家系の姫君です!
 今の私は、そのリーダーを務める綿月依姫様と綿月豊姫様ご姉妹のペットとして、おふたりのお屋敷にお住まいするとともに、お世話を承っております。

 私のこの「レイセン」という名前も、その時の豊姫様からつけて頂いたもの。
 それまで月の兎に名前なんてなくて、お名前を付けてもらえた私は、なんだか特別な存在になれたんだなあ、って思えて……えへへ。
 おふたりのペットとしてお仕えできて一番嬉しいことは、この素敵なお名前をいただけたことに他なりません……。


「登録書の提示をお願いします」

「はい、これです」


 ……といっても、この「レイセン」というお名前、実は姫様たちの昔のペットから転用らしいのです。
 私と同じように、地上に逃げた玉兎……彼女はそのまま帰ってこなかったようで……。
 そしてその名前を、新しくペットとなった私に下さった、ということらしいです。

 私だけの名前とくべつではないことには、ほんのちょっと……本当にほんのちょっとだけど、寂しいかなって思うところはあるけれど……。
 それでも、私はこの名前が気に入ってます。
 響きも綺麗で美しいですし……なにより姫様たちが名づけてくださった大切なお名前。

 身代わりだなんて思わない、私と姫様たちとの……大切な、絆だから……。


「確かにお預かりしました。席の方に座ってお待ちください」

「はい!」


 あ、そうそう、今日はお役所に来ています。
 月の使者たちの名簿の、登録の整理とかなんとか。
 組織というものは、こんな風に人員を整理・把握するのが重要になるらしくて……。
 まだまだ兵隊兎としての年季の浅い私には馴染の浅い行事で、だからちょっとどきどき、緊張してしまいます……。


「36番の方、どうぞ」


 この少し面倒な事務的な行事では、同期のみんなも「えーめんどくさーい」と口々に漏らしてはいるけれど。
 けれど私は、私の名前が登録されるこの事務的な処理が……
 『レイセン』……この名前が登録される瞬間を見られると思って……すごく、ときめいていたり……
 ふふっ、面倒なだけの作業に、こんなにわくわくしてるなんて、自分でもちょっとおかしい


「はい、こちらが証明証となります。記載ミスがないかチェックをお願いします」

「ありがとうございます!」


 受付をしていた事務の兎から書類を受け取って、元気よくお礼の言葉を返す。

 そして、受け取った書類の文面に目を向ける。
 機械仕掛けの印刷機のインクで印刷された、私のお気に入りの名前が載っているだろう書面。
 レイセンの4文字を拝めることに胸を躍らせながら、目を向け






【登録番号:xxxxxx 氏名:うどん】





 ………………………………………………………………。


「……あれ?」








 

みょんミア10

五、決着の行方は美しき決闘法に








 逃げる逃げる。
 桜の木々の合間を抜けながら、坂となっている道なき道を、ルーミアさんを脇に抱えて一心不乱に駆け上がる。
 あの反則的なまでの脅威から……紫さまから、少しでも距離を取ろうと、足掻く思いで足を動かす。

 無理だ、あんなの相手にしてられない……!
 鈴仙さんを……人ひとりをうどんに変えるとか、そんなトンでもない相手と正面から向き合うなんて……!
 いくら顔見知りで、かつ主人の親友だからって、相手になんかできるわけない!
 だから走った。
 ただただ、紫さまから逃げるように、ひたすらに足を動かしていた。


「よーむちゃん……あたま……あつい……」

「すみませんルーミアさん……今しばらく、ご辛抱を……!」


 私の脇に抱えられながら、ルーミアさんは光にやられた青ざめた顔で、それでも健気に「ん……がんばる……」と答えてくれる。
 さっきまで彼女が日除けに被っていた頭巾は、あの場に落としてしまい、そしてそのまま置いてきた。

 日焼け止めクリームと目薬のお陰で日の下に出てこられるようになったルーミアさん。
 それでもクリームの塗れない頭部は日の光に弱いままで、彼女が日中の屋外に出るにはいまだ日除けの帽子が必須だった。
 それを知って尚、私は落とした帽子を拾い上げることを拒んだ……。
 拾いに行くためには、一度紫さまのお傍に近寄らなくてはならなかったから。

 正直言って、そんなのは無理な話だ。
 あの場で余計な時間を食って、紫さまの術中にはめられては、元も子もない。
 あんなものを見せられた直後で、そんなリスクを冒す勇気なんて……とてもじゃないけど、なかった……!

 だから鍛えた脚力をフルに、紫さまから遠ざかるように必死に走った。
 境界を操り、距離すら無にする紫さまに対し、それがまるで意味の成さないことと分かっていても……!


「―――はっ……はっ……、っ……!」


 さっきから動きっぱなしで、さすがに息が切れそうになる。
 息は苦しいし足はだるくて重いしでちょっともつれそう、喉も渇いて貼りつきそうだ。
 肉体以上に精神的に響いているのが効いているのか……それでも恐怖と使命感で身体に鞭打ち、ひたすら走った。

 向かう先は白玉楼。
 平たく言えば、来た道を戻っていることになる。
 日除けの帽子のないルーミアさんを、日の光から保護するために瞬時に選んだ目的地だった。
 どこにいても同じことなら、少しでも彼女が安らげる場所が良い、そう思って。

 もちろん、どこにいても同じなら、ルーミアさんの闇を纏ったいつもの黒ダルマ状態になって、適当な場所で待ち構える方法だってあった。
 だけど、どこからでもスキマを開くことのできる紫さまだ……万一、闇の中からスキマを開かれたらおしまいだ!
 光を通さない完全なる闇が仇となって、彼女の危機を私が視認できない!
 仮に闇の中でルーミアさんそのものをすり替えられたら、私にはそれを知る術もない。

 紫さまがそこまでするのか? できるのか? それは分からない……。
 だが相手はもはやルール無用の存在だ、用心し過ぎということにはなり得ない!

 私の意を汲んでか、健気に闇を展開しないまま、日の光に耐えるルーミアさんは、少し辛そうだった……。
 辛いのを我慢して日の光を浴びる彼女のためにも、少しでも落ち着ける屋敷の中で待ち構えよう。そう決めた。
 そんなことをすれば、きっと屋敷はめちゃくちゃにされてしまうだろう。でも私が片付ければ済む話だ。
 今も日の光に苦しむ彼女を、その苦しみから解放させてあげられるなら、安いものだ。

 屋敷に向かい足場の悪い土の坂を駆け上がる。
 なるべく日の光を浴びないよう、名物の長い階段は通らず、日光を遮る桜の下の、道なき道を駆け上がる。
 少しでも彼女の負担を減らすために、できることをする。ただそれだけの思いだった。


「……っ! 予想は、していたけど……!」


 ……ここにきて、いやでも気づく。

 先ほど私たちを包囲した式神の大軍……鈴仙さんの助けを得て、辛くも逃げ切れたあの無数の式たちについて、だ……。
 覚悟はしていた。
 玄関前での包囲網と同等かそれ以上の数を投入し。
 紫さまより逃げる私たちを、距離を無視して無差別に現れて。
 物量作戦で、再び完全包囲を狙ってくる。
 ……くらいのことは、覚悟していた。

 していた、のにっ……!


「くっそぉっ……!」


 息を切らしながら悪態をつく。
 私の予想を遥かに上回る量の、それこそ無限の式神たちが、私たちの行方を遮るように取り囲み、包囲してきたから……。
 ……では、ない!!


「ただの―――!」


 むしろ逆!!

 あれだけ大量にひしめき合っていた式神たちが……一匹残らず消えている……!

 あの大軍が、肩透かしのように……ひとつも、影すら見かけない!


「ただの……時間稼ぎだったって、ことですか……!? あれがっ!! あの大軍がッッ!!!」


 憎らしく吐き捨てた。
 そう、あの大量の式神たちの真の意図は、私たちを追いつめるためじゃあなかった……。
 城ひとつ攻め落とせるだろう戦力を持ちながら、紫さまの本命は、自身の傷が癒えるまでの―――ただの時間稼ぎ……!
 あれだけの戦力をもって、ただの時間稼ぎに使い捨てるなんて、大盤振る舞いにも程がある……!
 だけど……真に恐るべきは、それが妥当な判断だということ……!


 さっき、100の式神よりも藍さんひとりの方が勝算を失う……そう思った。
 けれども今迫ってきているのは、その藍さんを使役する紫さま……!!
 式の主である以上、使い手には従えるだけの力を要されるもの。
 紫さまも、普段はあんな変質者だけれども……あの藍さんよりも強く、賢い……!
 もしかしたら、藍さんをもってしても、圧倒的に敵わぬ存在なのかもしれない……!!!

 そうなのだ、あの大軍の式神で囲うよりも! 藍さんを仕向けるよりも! 今、それ以上に最強の戦力をぶつけに来ている!
 これ以上の不要な浪費を抑えてなんて、効率的で無駄のない妥当な立ち回り。
 ああもう! 本気で勝ちにくる上では間違いなさ過ぎて、いやになる!

 勝算なんてもう……どこにも、ない……。












 ―――……いや。


 ……勝つ方法は、実は、なくはない……。


 ある条件を満たせるなら、いっそ藍さんを相手にするよりも勝算を得られる突破口がある。
 だけど……果たして、それを満たせるのか……?
 仮に満たしたとして、その上で勝つことだって、10か100にひとつくらいの、とても望みの薄いもの……。
 絶望的な状況には変わりなく、悪い想像ばかりがひたすらぐるぐる、頭を巡って……


「あーっ! もうっ! あれこれ考えたって現状が変わるわけじゃない!」


 悪い想像を頭の中から全部吹き飛ばすよう、首を振って考えを切りかえる。
 後ろ向きな考えでルーミアさんを救うことができるか? そんな上手い話はどこにだってない!
 現状が変わらないのはもうどうしようもない、ならもう、今は今の最善を尽くすだけ!
 まずはルーミアさんを日の光から保護してあげることをなんとかしよう!
 後のことは後で考える!
 それでいい!
 それしかない!!


 そんなこんな考えてるうちにようやっと、白玉楼を取り囲む塀が眼前に現れる。
 それは坂を上りきったというまぎれもない証。
 突き当たり塀にそのまま沿うように直角に曲がれば、あとは塀を伝って門まで行って、
 門を抜ければ今度は正面に玄関が見えるから、真っ直ぐ走って屋敷に飛び込むだけだ。

 桜の木陰の下から出てしまわないよう、日除けの恩恵を保ったまま、門へと向ってもうひと踏ん張り。
 そして駆け抜ける目線の先にはやがて門が見えてきて……! よし、あと少し!


「あ、ごめんくださーい」

「あら、いらっしゃい美鈴さん、こんにちわ―――って美鈴さんんんんんんんんんんん!?!?!??!」


 どんがらがっしゃん、こけた。
 門まで到達したら、予期せぬ来客が門前で佇んでいた。
 しかもほがらかに挨拶を交わしてきたもんだからつい挨拶を返してしまったけれど。
 この緊急時に更なるイレギュラー勃発、不意をつかれ、勢いそのままにバランスを崩したものだから、派手な体勢でついこけた。
 しかしルーミアさんはしっかり守った。体ごと庇って守りましたよ。よーむちゃんまたも全身打撲! 痛い!


「よ、妖夢さん!? だ、大丈夫です……!?」

「ええ、まあ、はい……なんとか……」


 でんぐり返った姿勢のまま、めくれたスカートからおぱんつを御開帳させながら美鈴さんに答える。
 はしたないので早く隠したいところだけども、庇ったルーミアさんの体が覆いかぶさっていて、思うように隠せなかった。
 ああもう今日はさっきから転倒してばっかり。いい加減体中が痛いです……。
 全身打撲と擦り傷多数、医者に診てもらいたい。

 ……その医者が今回の問題の発端だったぁぁぁぁぁ……。


「ってぇぇ! なぁぁんで美鈴さんがこちらにいらしてるんですかぁぁっっ!!?」

「いやー、私、やっとお休み頂けたんですよ〜。そんな訳で、ちょっと遊びに来ちゃいました!
 ほら、この間幽々子さんにご迷惑かけちゃったお詫びも兼ねて……じゃじゃんっ! お土産も持ってきたんですよ!
 山の麓の隠れた名店、いのしし茶屋のいのしし饅頭!!」

「お気持ちはありがたいですしよくいらしましたねだしわぁそのお菓子幽々子さまファンなんですよありがとうございましたなんですけど、
 なんでよりによってこのタイミングでぇぇぇぇぇぇっっっ!!?!」


 起き上がるなり興奮してまくし立てる私に「え? なにかあったんです?」とぽかーんと惚けた顔で聞いてくるばかりの美鈴さん。
 まあご存じないからしょうがないんですけど……ええありまくりましたよ。現在進行形でありまくってます。
 現状戦時中真っただ中。さっきなんか形容しがたい魑魅魍魎の群れがこの白玉楼を占拠してたんですよ。今はいないけど。


「うーん……それって、さっきまで蔓延っていた魑魅魍魎どもとなにか関係があるんですかね……?
 まあ階段登ってる途中何匹か退治しちゃったけど」


 おぉぅ……美鈴さんも出会っててしかもちゃっかり倒してんだ……。
 結構なお手前でございます。さすが門番、信頼と安定の腕っぷし。


「…………そんなことより妖夢さん……」


 と、服の土埃を払い落しながらの私に、美鈴さんは真剣な顔を向けて来る。
 事の重大さに気づいてくれたのか……それとも、更に事態を悪化するようななんらかの凶報を告げられるのか……!
 恐る恐る、普段の穏やかそうな表情から一転した、真剣な面持ちの美鈴さんに耳を傾ける。


「私の名前! "みすず"じゃなくて"メイリン"だって言いましたよねっ!? 間違えないでくださいっ! ぷんぷんっ!」


 怒られてしまった。

 そうでした、初めて会った時からずっと「みすずさん」と頭の中で復唱してたから、ついそっちで呼んでしまうのに慣れてしまった。
 ちなみにここまでの台詞とモノローグでは、私は「美鈴」を全部「みすず」と読んでいます。慣れって怖いね! ごめんなさい。
 そんな私を、みす……じゃなかった、美鈴メイリンさんは真剣な顔のまま「めっ!」って感じに私を叱っている。
 ぷんぷんっ!って擬声語オノマトペまで出している。
 なんか厳しくも優しい一番上のお姉ちゃんみたいで、むしろ和む。


「まあ今はそんなことどうでもいいんです」

「ヨクナイヨー!?」


 いやまあ確かに重要な気持ちは分かるんですが、今ホントそれどころじゃないんで……。
 ほんと己の存在を賭けた一大事が起こっていてですね……うっかりすると己の存在が食品へと変わってしまうという、ね……。


「うう……」

「ルーミアちゃん……?」


 と、不意に足元の方から聞こえてくる唸り声が。
 私も美鈴さんも、声のする方……私の脇でぺたんと座り込んでいるルーミアさんの方へ目を向けた。


「一体どうしたんです? ルーミアちゃんも、ちょっと苦しそう……」


 その様子を見て、美鈴さんも今が一時大事だと察してくれたよう。
 名前の件は置いて、ひとまずは現状を把握する方に意識を切り替えてくれた。

 時間も余裕もないことだし、私はなるべく簡易に状況を伝えられるよう、美鈴さんに説明を始めようとして……
 ……う、うーん……私、こういうのまとめるの苦手なんだよなあ……。
 しかも今色んなことあってただでさえ頭の中こんがらがってるし……。
 とりあえず、できる限り簡潔にまとめるよう努めて、話を始めてみる。


「ええっと……ちょっと、ヘンな人に追われていまして……」

「変質者さんですか? いやな世の中になりましたね……」


 間違ってはいない。


「それで今は逃げている途中なのですが、途中ルーミアさんの日除けの帽子も落としてしまって……。
 今は屋敷の中へ避難しようと急いでいたところなのです。ルーミアさんも日陰に保護してあげたくて……」

「なるほど、屋内に避難の途中でしたか……。かなり切迫してるみたいですね……」

「ええ……。ですから、その……初めてのご来訪にとても申し訳なく思いますが……美鈴さんはお帰りいただけますか?
 巻き込んではご迷惑をかけてしまいますから……」


 来てもらっておきながら、すぐに帰れと追い返すだなんて、失礼極まりないことだと思った。
 だけど今は緊急事態も極まった規格外の事態。
 多少私の心証が悪くなろうとも、美鈴さんもこの惨劇の巻き添えにするわけにはいかないから。


「いえ! 友達が困っているのを見過ごせるほど私も薄情にはなれません!
 私も妖夢さんやルーミアちゃんのお力にならせてください!
 その変質者さん、私が返り討ちにしちゃいます! こんな時のための日々の鍛練ですよ! えっへんっ!」


 私の気持ちなど気づきもせず、グッと脇を締めて気合いを入れたガッツポーズをとってみせる美鈴さん。
 自信満々に胸を張って、ご自慢の胸を揺らして応えるのだった。


「お気持ちはありがたいのですが……」


 当然、巻き込みたくなんてなかった。
 普通の変質者相手なら、そりゃ美鈴さんの拳法はとても頼りになる。先日、直に手合せをして、彼女の頼もしさは身に染みて理解しているから……。
 だけど相手は規格外。
 しかも余裕がないのも相まって、私の語彙力じゃあその異常性と凶悪さと反則具合を伝え切れるとも思えない。
 あんな、うどんとか……ねぇ……?

 でも同時に、本当に心優しい方だなと思った。
 私たちのために……友達のために、こんなに親身になれる美鈴さんが……。


「……わかりました。だったらまずは屋敷の中まで一緒に来て下さい。
 でも、本当に危なくなったら、その時は逃げてください……。私も、これ以上誰かを巻き込みたくはないので」


 結局、問答している時間もないと思い、ひとまず頷くことにする。
 紫さまが現れ、その想像を遥かに超えた状況を目の当たりにしてくれれば、きっと私の言わんとすることも分かってくれる。
 退避してもらうのは状況を理解してもらってからでいい。そう考え、今は共に行動することを私は受け入れた。
 焦る頭じゃあこんな発想くらいしか出せなかったから……。

 「はい!」と元気よく応えてくれる美鈴さんは、その先に待ち受ける絶望も知らぬままとっても明るく微笑んでいる。
 まるで頼りにしていない私自身の胸に、罪悪感の様な自己嫌悪の棘を突き刺してくれた……。


「じゃあ、行きましょう」

「ええ。……って妖夢さん? なんでルーミアちゃんわざわざ脇に担いだの?」

「え? いやなんとなく。抱え心地良くて」

「あとちょっとだけなら一緒に歩いても良いような……」

「わたしは一向に構わんッだよ!」

「あ、そうなのね……。あとルーミアちゃんは無理しないでね、今弱ってるんだから」


 初めての来訪を、こんなにも後ろめたい気持ちで迎えてしまったことを、とても残念に思いながら……
 ただせめて、五体満足に……人の形を保ったまま帰れることをだけを、私は祈るばかりだった。






 そうして、門番との門前での問答を終え、私たちは共に門をくぐり抜けて、屋敷まであと少しの道を3人並んで共に歩く。
 美鈴さんはせめてもの日除けにと、自分の被っていた中華帽をルーミアさんの頭に被せてくれた。
 あとちょっとの距離とはいえ、ほんの少しでも楽にさせてあげられたことはとてもありがたいことだった。さすが、気をつかう能力に長けている。

 そんなに長くない、玄関と門を繋ぐ道。
 歩きながら、不意に長くない感傷に浸った。


 ―――また、ここに戻ってきたな……。


 式神たちとの激戦の名残で荒れ果てた土地。まだ真新しい争いの爪痕。
 めちゃくちゃに薙ぎ倒された木々に、式の慣れの果てである紙吹雪もまだ大分残っている。

 ほんの少し前の出来事なのに、ひどく懐かしさを感じるのは……あの時、一緒に戦ってくれた仲間が―――鈴仙さんがここにいないからなんだろうか……?

 ふと、奥に見える、屋敷の玄関を見据えた。
 戸は……閉まっていた。
 今はうどんとなってしまった彼女が言った通りだった……。


「……鈴仙、さん」


 ルーミアさんを担いでいない方の、右の手を、ぎゅっと強く握りしめる……。
 せめて美鈴さんだけは無事に……鈴仙さんの時みたいな、見捨てるようなことだけはしたくないと―――


「うわっ!?」


 突然バランスを崩して、感傷でどこか遠くに向いていた意識が急に現実へ引き戻された。

 玄関前は、さっき包囲網を突破する攻防戦で、ものすごく荒れ果てている。
 きっとその時の衝撃でできた溝かなにかに足を取られたのだろう。
 私の小さな悲鳴に、美鈴さんも大丈夫ですかと心配して声を掛けてくれた。
 別にこんなこと大したことないと返事を返してから、軽い気持ちで溝に目を向ける。

 本当に、迂闊なくらい軽い気持ちで―――






「ゆっかりーん!」






 ―――っっっ!!!!??!!


「しまッッ……!!!!!」


 目を向けて、ようやっと気づく。
 それは、溝なんかじゃあない。
 それは小さなスキマ。
 地面を、空間そのものから引き裂いた小さなスキマに、私は右足を取られていて……覗く紫さまのお顔を踏みつけていた!
 反射的に、スキマに差し込んでしまった右足を引き抜こうと、左足に力を込め―――



    ガォン!!



「うわあぁぁあああぁぁぁああッッッ!!!?」


 が、間に合わず……。

 スキマから右足を引き抜くまではできた。
 しかしスキマは、貼りついた地面より独立して浮かび上がり、獣のあぎとがごとく、引き抜いた右足を追って噛みついてきた!
 不覚にも、私は右足首を丸ごとスキマに食われてしまう……!


「あああ、足が! あああ―――!」

「妖夢さん!?」


 バランスを崩してしりもちをつく。
 はずみで、抱えていたルーミアさんを落としてしまい。
 きゃうっ、というかわいい悲鳴をあげて、ぽよんと地面を弾んで転がって行った。


「妖夢さん、大丈夫で……―――っ!? こ、これは……!?」


 突然の私たちの悲鳴に、少し前を歩いていた美鈴さんが慌てて駆け寄る。
 屈み込んで私の足の様子を診てくださった美鈴さんの、その表情が凍りついた……。
 私も、空間に食われてしまった自身の足を、自らの目で確認せねばと……恐る恐る目を向けた……。

 視線の先には……、…………ああ……なんて、こと……。
 なんてことだ、右足が……

 右足が……、

 右足の………………靴が……



 ハイヒールに変わっているーーーー!?    ガビビーン!!



「ふふっ。靴……と一言で言っても、ブーツにパンプス、スニーカー、長靴、そしてハイヒール……。
 その同一の単語にカテゴライズされる物はさまざまね……。
 その境界、ちょ〜〜っと操作して変えさせてもらったわ、ハイヒールに!」


 恐怖と拍子抜けと追いつかない状況把握で、かき乱れる感情を処理しきれず、ただただ慌てふためく私。
 その耳に、微笑む声が響く。
 空間の咢スキマより響く微笑みの音色は、怖いくらい優しく柔らかで、不気味だった……。

 咢は、私の右足を飲み込んだあともそのまま中空に存在し続けていた。
 ある程度の距離を取ったところで、頭ひとつ分ほどの唇をうっすら開いて、嗤っている。

 その唇がまるで耳元まで裂けるように広がると、口内より白く美しい御身足を吐き出して。
 そのまま順次人の形をしたそれを出しきると、役目を終えたかのように、その唇を噤んだ。
 一方、吐き出されたそれは、ふわり優雅な振る舞いで地に降り立ち、社交場の様に礼儀正しいお辞儀をひとつ。


「ま、許可を得ない無理矢理のコスプレは趣味ではないのだけれどね。まずは足を奪う意味で、履き変えさせて貰ったわ」


 大妖怪の顕現を前に、元からなかった余裕を更に無くし、苦々しくも睨みつけるしかできなかった。

 そして……今一度、自分の右足に目を向けた。
 さっきまで履いていたごく普通の黒い靴は、まるで姿を変えてしまっていた。
 丸かったフォルムはつま先から全体的にシャープな印象に変わり、
 地面をべたーっと踏みしめる広い踵も、高くて細い、スマートだけど安定感を損なった別の形状へと生まれ変わっている。
 更には履いていた靴下は脱がされて、靴の下にそっと添えられていた。靴下だけに。って駄洒落かっ!?


「あら、今『駄洒落かっ!?』って思ったでしょっ!? 違うわよ!
 脱がせたいと思ったら同音異句の境界を操るのが一番手っ取り早かったからそうしただけよ!」

「あーそうですか」


 私の視線と表情からその心情を推理でもしたのだろうか、ご丁寧なご高説ありがとうございました、ありがたくないけど。


「ふーむ、やっぱり昨日のバニーちゃんの格好でこれを履いて欲しかったわね……。屋内撮影だったから仕方なかったけど。
 うん、やはりハイヒールも含めてバニーガールという一つの芸術なのよ、うん」


 私の恨めしい態度の一切を受け流して、自身の持つ謎のこだわりを評論家かなにかのようにしみじみ独り言っていた。
 っていうか同じ「靴」と呼ばれるという理由で、まったく別の形に変えてしまうとか、境界を操る力便利過ぎだろうて。


「あら、これでも慈悲深いのよ? スキマで捕らえたものしか変えていないと制約つけてるだけね」


 これでも手加減とか、紫さまマジ反則キャラ。
 いやまあ、足首をごと食いちぎられるよりは断然マシだけどさ……。


「今はスキマで足だけしか捕えられなかったのだもの。制約の上で妖夢を幼夢に変身えようと思ったら、全身を捕えてないとバランスが悪いからね


 「ようむをようむに」という音声の上では何を言わんとしてるか分からないけれど、
 なんか怖いこと言ってるのは、背筋に走る寒気が全力で警告して教えてくれた……!

 あとさっきから表情の変化だけで私の気持ち読み取り過ぎ。私全然しゃべってないのにことごとく答えられるよ!


「あ、あなたは……?」

「あら? いつの間にか追加メンバーさん?」


 一方、動揺と状況把握に一生懸命で、動けず蚊帳の外だった美鈴さんだけれども、そこでようやっと絞り出すように声を掛ける。
 と言っても、その内容の伴わない声を掛けるのが精一杯だったらしく、後の言葉は続けられなかったよう。
 それで紫さまも美鈴さんの存在にようやっと気づいたらしく、


「どうもこんには、赤髪の素敵な麗しのレディ。
 ここで出会えた運命を祝して乾杯したい気持ちは山々なのですけれど、私たち今ちょっとお取込み中ですの。
 後日、この埋め合わせに、星々を映し出す美しい湖の夜景を眺めながらの素敵なお食事にお誘いいたしますわ。
 ですので、今日のところはお引き取り頂けるかしら?」


 などと、いつものていでナンパで切り返す紫さまであった……。
 この軽口、威厳もへったくれもない。
 鈴仙さんも理解不能な亜空の脳内に困惑していたしなあ。
 それに対し美鈴さんは……


「あ、えと……湖は職業柄毎日のように見てますので、できれば別の場所が良いかなあ……なんて……」

「あら残念」


 こんな無茶振りにも真面目に返事を返す美鈴さんはいい人だなあ……人がいいなあ……。

 などと、おふたりがやり取りしている隙に、私は私でハイヒールになってしまった靴を脱ごうと試みてみた。
 バランスが悪く、走るのに邪魔でしかない靴なら、いっそ脱いで裸足になればと考えたけれど……これはなかなか……問屋が卸してくれなさそう……。
 ちょっと触っただけで、一向に脱げる気配がないことを理解してしまう。

 右の靴は、姿を変えられてしまった際、まるで私の今の足のサイズに合わせるために生まれ変わっていて、そのフィット感はほぼ完全密着。
 ぴったり過ぎて脱げないくらいだった。
 にもかかわらず窮屈感は一切ないという代物。
 脱ぐことができないのに履き心地は最高だった。

 これはもう、斬らないとだめそう……。


「さて、妖夢」


 ……と思った瞬間タイムアップ……紫さまの注目が私に戻ってしまった。

 残念ながら、足を傷つけないように靴だけ綺麗に薄皮をなぞるように斬るなんて芸当、
 他人に向けてならいけるかもしれないけど、自分の足に向けるなんてとんでもなく姿勢の悪い状態で、上手くできる自信はあんまり無い!
 そりゃ時間を掛けて慎重になぞればできなくもないだろうけど、紫さまの意識がこちらに向いている以上、妨害に入るのは必至。
 少なくともこの場を切り抜けなきゃ脱がすことも叶わないだろう……。

 仕方がないので、苦々しく「なんですか?」と、声のトーンを下げ、ムクれる感じで応えるのだった。


「足を止めさせてもらったところで……ちょっと提案があるのだけど、聞いて貰え―――」

「……よーむちゃんを……いじめないでっっ!!」


 その時だった……!

 私に意識が向いたその隙を狙うかのように、一つの人影が、紫さまを背後より強襲した。

 小さな少女の形をした体躯の人影は、一部分だけが人型のそれとは異形。
 右腕だけが指先まで異質に強靭に発達しており、そこより生える爪さえも、猛禽類のそれと違わぬ太く鋭かった。
 そう―――ルーミアさんだ。

 さっき私が倒れたはずみで転がっていったはずのルーミアさん。
 いつの間にか紫さまの背後に回り込んで、獣がごとき鋭い眼光を光らせながら、その剛腕を振りかぶっている。
 頭には生命線ともいえる帽子は被っていなかった……かなりのスピードで回り込んだのだろう、きっと移動の勢いで落ちてしまったのだ。

 肉食獣系女子としての野生の勘なのか、本能的になのか、紫さまの死角と隙をこれ以上ないほど的確に狙い澄ます。
 先ほど式神を屠るためのそうしたように、肉体にく構造つくり変質かえ右腕うでを、白いブラウスの袖を内側から引き裂かんほどに隆起させて。
 太陽の光も厭わず、己が身も顧みない決死の一撃を、紫さまの後頭部目掛け繰り出すっ……!


「だ〜〜めよ、ルーミアちゃん。人の話を遮るのはエレガンスさに欠けるわ」


 そんな……これ以上ないほどの一撃を……紫さまは背後を振り向くことさえせず、首だけ横にふいっと動かすだけで、容易く空振らせてしまう……。
 かわされたことに少なからす焦燥感を抱くルーミアさん……だがそれだけに留まらない。

 辺りにはパチンと、手と手を打ち合せた軽快な音が弾けた。


「ふぁっ!!?」


 空を切ったルーミアさんの右腕の行く先には、待ち構えていたかのように紫さまの左手が差し出されており、
 その渾身の一撃を、見もせずに容易く捕えてしまった!
 しかも器用に、お互いの指と指が絡み合うような形でがっしりと、硬く。


「うっふふ〜 ルーミアちゃんと恋人繋ぎ〜」


 あそこの変質者なんか変なこと言ってる。
 ルーミアさんに好意を寄せる私へのただのあてつけかもしれないけど、まあしっかり嫉妬はしています。斬りたい、この笑顔。


「なな、なんでなんで!? なんでわかっちゃったの!?!?」

「ふふっ、だめよだめだめ。ルーミアちゃんもまだまだ幼いわね〜」


 動揺さえ、恐怖さえ与えることも叶わず、ただただおどけて戯言を口にする大妖怪を前に、慌てふためくルーミアさん。
 ……当然だ。一瞬の判断、最大の死角から、最短の行動からの、最高の形での奇襲。
 彼女なりの精一杯を詰め込んだ一撃を……だというのに、目を向けることさえせずに容易く破られてしまったのだから。


「いーい? 背後の死角を取るのも、お話しに意識が向いている隙を狙うのも、どっちも間違ってはいないわ。
 だけど回り込む時に音を立て過ぎよ。それと折角の奇襲なのに、攻撃と一緒に喋っちゃったらばれちゃうじゃない?
 仮に音を完全に消したとしても、気配を隠すどころか殺意ビンッビンに剥き出しちゃってたからね、目で見なくても肌で感じちゃった
 ま、大好きなよーむちゃんのぴんちに落ち着いてなんていられなかった、ってことで、萌え萌えポイントは高いからい・い・け・ど


 解説する紫さまの口調は、得意気になるでもなく、まるで母親が我が子に優しく説くような明るさで接していた。
 意図してかせずにか、私たちの必死さを嘲笑うかのように……。
 ただ肝心のルーミアさんは、捕まった右手を一生懸命引き抜こうと、紫さまの肩と顔に足を乗っけて「んーっ! ぬーっ!」って踏ん張っていた。
 紫ママの優しい育児スマイルは、足蹴にされてそりゃもう不っ細工に歪んでいた。


「それに……外見の畏怖で恐怖を増大させるのは妖怪としても正しい形かもしれないけど、
 上級の妖怪ともなれば可愛くて可憐な外見を維持したまま筋肉にくの質だけを変化させて、
 その力を発揮できるようにならなくちゃ……こんな風に、ね

「―――ッッ!!?」


 優しい、柔らかな口調のまま、八雲紫はその手に力を込め。
 ……瞬間、ルーミアさんの顔が、歪んだ。


「っ……い、痛っ……! 痛い痛いいたいっ!!」

「ま、そういうまだまだ未熟なルーミアちゃんも可愛いけ・ど・ね


 それは、不可思議な光景。
 筋骨隆々とした豪腕が、紫さまのか弱い細腕を相手に力負けしていた。
 細腕は微動だにしないってのに、太く発達した腕の方がぷるぷる情けなく震えていて。
 穏やかな微笑みとは裏腹に、その細腕の握力で肉と骨が軋る音がここまで聞こえてきそう。


「いたい! 痛いイタいっ!! はなしてっ! はなっ……痛いイタい痛いよぉっ!!!」

「だーめっ。人のお話を遮ったおしおき……よっ!」

「ふわぁっ!?」


 更には、そのまま細腕の手首を返すだけのとても簡単な動作のみで、ルーミアさんを体ごと持ち上げてしまった。
 まるで曲芸のよう。
 結果、ルーミアさんは逆立ちするような姿勢で持ち上げられてしまい、スカートの下に秘めやかに隠されていたまっしろぱんつが御開帳されてしまう。

 あの異形の剛腕が、こうも容易く弄ばれていた。
 一見すれば、か弱い少女が異形のあやかしを圧倒する、そんな異質な光景。
 こんなのも、紫さまの規格外の一部分でしかないのに……それでもその内在する異様性をまざまざと見せつけて―――


「ふぇ……い、たい……。いたい、よぉ……」






 そ  ん  な  こ  と  は  ど  う  で  も  い  い  ! ! ! ! !






「ルーミアさんを…………離せっっっ……!」


 痛がる彼女を、一向に解放する気もない八雲紫に、湧き上がる黒い感情に抑えが利かない!
 仕置き、報復、折檻……ああ、ご自分の頭をすっ飛ばされそうになったんだ、痛めつけるだけの道理はあるだろうさ。だからなんだ!!!


 ただ私が! 彼女を泣かせる八雲紫アレを!!! 許せないッッ!!!!!



「よ、妖夢さ……? う……す、すごい殺気……!?」

「ちょっとちょっと妖夢、落ち着きなさいな。私は話がある、って言ってるでしょ」

「黙れッッッ……!!!!!」


 うろたえる美鈴さんに、変わらず軽い口調の紫さま。
 その軽口がなにか戯言を抜かしているが聞く気もない。

 崩れた体勢は一転、片ひざを立て腰を浮かしたいわゆる居合腰の姿勢、背中の楼観剣は鞘ごと腰に持ってきた。
 このまま左足のみで大地を蹴り、己が身を弾丸に変えると共に抜刀して、その汚らわしい左腕―――斬り落とす!!

 体ごと弾丸に変える程の勢い、ブレーキの際右足がこれでは使いものにならないが、知ったこっちゃない!
 止まる時のことなど考えない、彼女を助けられるなら他はどうでもいい!!

 大地をしかと踏みしめた左足にバネを溜める。
 込めた力を解放するまでの一瞬が、永遠にも思えるほどの集中力。
 極限まで研ぎ澄ませた神経は、世界の色を灰色に反転させる。
 世界に色が戻る瞬間……合わせて、大地を爆ぜるほどに踏み抜いて、跳ぶ―――


「妖夢さんだめぇぇッッ!!」


 ―――その勢いを、身を挺して押し留めたのは、美鈴さんだった……。
 体ごと私を抑え込んで、必死にその跳躍を止めてくれた。
 私自身、跳ぶことを止めたのが間に合ったから、美鈴さんに大きな負担を掛けずに済んだのは、幸いだったのかもしれない……。


「落ち着け、と言ってるのよ……」


 同時に響くは、紫さまの、先ほどまでの軽い口調とは打って変わった冷たい言葉。
 ……と共に、ジャラリ……鈍く響く、こすれるような金属音……。
 私の目の前に、体の前面すべてを覆い尽くすように突き付けられた無数の刃たちの奏でる音……。

 刀、槍、西洋の長剣、異国の曲刀、三つ又の矛や矢、死神が扱うような大鎌、忍びが用いるような鉤爪……
 古今東西あらゆる種類の武具たちが、その最も攻撃的な面を、まるで剣山の様に突き立てて、身動きすることすら封じてくる。
 紫さまは、式神ばかりでなくこんなものまでスキマに収納していただなんて……。

 無数の刃は、私が一歩でも前に出ようものなら、私の体と……そして間に割り込んだ美鈴さんの体を貫くように、
 まるで計算されたかのようにその寸前で止められている。
 いくつかの先端は肌に触れ、わずかに皮膚を押し込んで、皮を突き破る寸前でギリギリ留まっていた。
 唯一、踏み込みのはずみで刃の切っ先が眉間の皮を突き破ってしまい、一筋の赤が小鼻を伝って流れていく。

 怒りに沸騰していた頭も、圧倒的威圧感の前に一気に血の気が引く。
 私を止めるために割り込んだ美鈴さんもその洗礼に巻き込まれ、衣服をわずかに切り裂かれて……自責の念が、更に私の頭を冷やしていく……。
 もし踏み込みを止めるのを一瞬でも遅れれば……もし美鈴さんが止めに入らなければ……考えると、ぞっとする。


「まったく、らぶらぶなのは見ていてたいへんごちそうさまだけれど、私は話があると言っているの。
 少しは落ち着きなさいなっ! 玉のお肌は紫蘇の香り、マジカルしそりんはとってもご機嫌ナナメだわっ」


 冷たい声色は、またも軽い口調へと戻る……。
 軽口に感じていた憤りは、今は畏怖を取り除かれた安堵感へと変わっていた。
 ……というか、さっきの紫蘇の匂いの話もしっかり聞いてたんですねこの人……。


「少しだけ耳を傾けてもらえないかしら? 大丈夫よ、変なことを考えなければ、害は加えないから」


 逆らうことなど、できはしなかった。
 完全に手詰まりの状況。

 無言のまま、刀に沿えていた手を離す私を見て、紫さまは同意と汲み取ったのだろう。
 スキマから突き出していた無数の武器を再びスキマに収納、そしてスキマそのものも閉じた。

 美鈴さんも同様に私の体に回した腕を解いて、ひとまずは安心したようにぺたんとしりもちをつく。
 服は、私を止めるためにところどころ細かく破いてしまったけど、血が滲んでいる様子はなく、傷がないことに安心をする。

 ルーミアさんは……もう痛がっていないようで、今は紫さまもお仕置きを止めているようだった。
 それが紫さまのお言葉の裏付けでもあるのだろう。
 ……こんな状況だけれども、それだけも、ほんの少しの安堵を得ることができた……。


「さて……妖夢。それで提案な」

「ふにゃ〜……」

「のだけれど………………ルーミアちゃんちょっと邪魔……」

「だってぇ〜……」


 痛くなくなったら力が抜けたのか、曲芸のように片腕倒立していたルーミアさんの小さな体が、紫さまの頭の上に被さってきてた。
 ルーミアさんの、筋骨隆々とした右腕はいつも通りのかわいい姿にしぼんでいて、
 その結果、逆立ちの姿勢を維持できなくなった(というか維持するのめんどくさくなってやめた?)ルーミアさんは、
 たれルーミアさんとなって紫さまの上に被ってきたようである。

 またも緊迫した空気が、またも台無しになってしまった……さすがルーミアさんマイペース。


「んっ……ごほんっ! さて妖夢、それで提案なのだけれど」


 あ、そのまま続けるんだ。紫さまもマイペースだなあ。


「散々あなたを追い掛け回した手前でなんだけれど……
 実は私もね、さっきの霊夢の霊力ラヴ・パワーでやられた愛傷キズがまだ治りきってなくてね……これ以上の荒事は避けたいのよね」


 おもむろに提案を話し始める紫さまのお言葉は、いきなりきもちわるいルビ振りが見えた気がしたけど、まあそれは霊夢さんのことなので別に良いや。


「それにこのままじゃあなた、ルーミアちゃんを取り返すためになりふり構わず斬りかかってくるでしょ?」

「まあ……ええ……」

「そ・こ・で…… この件の決着は、幻想郷での清く美しい決着法、スペルカード戦にてつけようじゃない?」


 思わず目を見開いて、言葉を失った。
 だって、紫さまからの意外過ぎる提案は、耳を疑うものだった。
 まさか紫さまの方からスペルカードルールを提案してくるだなんて……!?
 だが……真に驚かされるのは、ここからだった。


「しかもカードは1枚、私のスペルカードを乗り切ったらそちらの勝ちの、文句なしの一発勝負と行こうじゃないの。
 ついでに多対1の変則マッチで臨んでもらって構わないわ。そこの赤髪美人のお客人も参加して良いし……あ、ルーミアちゃんもちゃんとそっちに返すから。
 勝った時の報酬は後付けで可よ。あ、これは今日の件から手を引くことと別枠で考えてもらって構わないわ。 
 もちろん、3人それぞれ個別に叶えてあげる。もっとも、負けた時には、3人共に私の報酬を叶えて貰うけどね。
 どう? あなたも……その方法が望ましいんでしょう?」


 それは、信じられない提案であった。

 一体、どういう意図があるというのか……?
 紫さまは、これ以上ないというほどの破格の条件をこちらに提供して、自ら不利になる勝負を提案してきたのだった。
 更には……あまりにもさり気なく、あっさりと口にしたので、聞き逃しかねなかったが……
 折角捕えることに成功したルーミアさんまで解放するとまで……!?

 そうだ、言ってしまえば紫さまは、私かルーミアさんのどちらかの確保という目的を既に果たしたというのに……それをみすみす手放すと言っている!?


「なに……言って、るんですか……?」

「なにって、言葉通りよ」


 あっけらかんと答える紫さま。
 まるで戸棚におやつがあるわよと伝えるくらい軽く、あっさりと、日常にある些末なことのように。

 望ましいことには変わりなかった……だけど、ここまで完全にこっちに有利な条件を突きつけられては、いっそ疑うなという方が無理だというもの……。


「随分と、破格過ぎる条件じゃないですか……。
 しかも、わざわざ捕まえたルーミアさんまで解放するですって?
 いくらなんでも……それとも、罠ですか?」

「そんなことないわよ〜。お・お・ま・じ・め
 まあ、マイスイートめがねバニーちゃんに無断で勝手に話を進めちゃうのは悪い気もするけどね」

「…………………………」


 そう、罠であるはずがない。
 罠を張る必要がないのだ。
 罠とは、自らの利を得るために相手を謀るもの。
 ルーミアさんの確保という、この件における最大の利益を捨ててまで仕込むのは、理に適わなさすぎる。

 理解できない。
 頭がおかしくなりそう。
 勝ちが確定したのに、わざわざ負けの芽を植えつけるという、理屈に沿わない行動。
 やっぱり罠なの?
 わけがわからない。
 まあマイスイートめがねバニーちゃんっていうのは永琳さんのことだろうあってのは分かるんだけど。


「じゃ、こうしましょう。しいて言えば、私はあなた方の"同意"が欲しい。
 女の子同士で妊娠する薬が完成したと言えど、結局は妊娠できるようになっただけ。"子作り"自体は行って貰わないといけないの。
 そして私は、他に強要されて行為に及ぶような無理矢理なシチュは好みではない……。
 だからその同意を得るために、報酬という形であなたたちに要求したい。そのために、スペルカード戦を提案した。
 どう? これなら納得のいく理由になるかしら?」

「……まあ、ええ……」


 確かに、その動機ならば、辻褄は合う……。
 後付けの様な言い回しだったのが、私の疑いをいまだ晴らしはしなかったけれど……なにより優先して「同意」を求める紫さまらしい動機だ。
 昨日、4953文字168行に渉って熱烈に語っていただけに、そこに掛ける情熱は並々ならぬものらしいし。


「女の子同士で妊娠? 子作り? 妖夢さんとルーミアちゃんが???  女の子同士なのに??? ええっと……?????」


 一方なにも事情を知らない美鈴さんが一生懸命頭をひねっていた。
 ろくに説明する時間もないので、亜光速で話に置いていかれている美鈴さんにはとても申し訳ない気持ちになる。
 ってか美鈴さんの前でそういう話しないで欲しかったな! また私たちのことばれちゃうじゃないですか!
 いや、ばれるっていうか、まだ私たち……そういう関係じゃ……ないん、だけど……。


「わかりました……。受けましょう、その罠」


 提案に、私は頷いた。罠でも、他に選択肢はなかったから。
 敗北したも同然の私たちに、わざわざ最後にして最高のチャンスをくださるというのだ。
 断る理由はない……むしろ、断ってわざわざルーミアさんが捕まった現状から再開するなんてばかなマネをする理由の方がない。

 それになにより……この「スペルカード戦」こそが、藍さんを相手にするよりも勝算を得られる、紫さまの突破口に他ならなかったから……!


 スペルカード戦とは、御存じの通り、お互いの得意技・弾幕を魅せ合うことで決着をつけるという、幻想郷ならではの決闘法である。
 その真意は、人間や妖怪など先天的な意味でも実力差のある両者が、対等に戦うために設けられたルール。
 ゆえの公平さであり、現状圧倒的に実力差の開き過ぎている私と紫さまとの間でも、互いに対等の勝負が行えるのだ。
 もしルールなしの死闘勝負をしようものなら……紫さまは先ほどの武器のスキマを私の体内で開けばいい。
 それだけで私は、内側から無数の刃に貫かれ、完全に死ぬ。
 殺すのがだめだというなら、ならあの式神たちで拘束すればいい。

 正々堂々ルールの設けられた試合と、ルール無用で紫さまを相手にするのと、どちらが勝算があるかなんて、考えるまでもなく明白だ。

 これが「命令」が下された藍さんならば、いくら私が提案しようとも、受けることはありえない。
 任務に忠実である藍さんが、万にひとつもあるかどうかの私たちの勝算を、対等にまで引き上げるスペルカード戦に乗る訳がない。
 こんな……確実に勝てた状態から、わざわざ相手にチャンスを与えるようなマネなんか、特に……。絶対に……。

 逆に、幻想郷の神聖な決闘法、スペルカード戦を崇拝しておられる紫さまなら、チャンスは十分だった。
 例え実力そのものは藍さんのそれを遥かに上回ったとしても、対等な試合スペルカードルールを受けてくれるだろうという救いの芽があったから。
 ……それが、まさか向こうから提示くださるだなんて……。夢のような幸運とも言えた。

 ……それでも、勝算だけで言えば……勝ちの目はまだ薄い……。
 対等とはいえ、紫さまには"スペルカード戦の上での強さ"も十分に備わっている……。
 知的に美しく、そして綿密に、それでいて境界を曖昧にする不可思議さを併せ持ち形成される弾幕の数々。
 今までの紫さまとのスペルカード戦の戦歴を振り返れば、勝てたのは10に1つと言ったところだろうか……しかも加減してもらって。
 更に今回は勝利の報酬が報酬なだけに……この一発勝負も、いつもよりも気合いを入れて、スペルカードの難易度を上げてくる事が予想される……。
 いつも以上の難易度で、攻略できる可能性は更に一割……。合わせて、100回に1回の勝利でもいいところかもしれない……。

 ほら……万にひとつかどうかの勝ち目より、100倍以上も勝ちの目がある。


「んもうっ、罠だなんて、疑り深いわねえ。
 罠なんかじゃなく、ただ一方的にあなた方が得するサービスのつもりなんだけなぁ〜」

「言っててください。……どの道、この足じゃあもう逃げきれませんしね……」


 自慢の脚力は、右足のハイヒールにて殺されたも同然……。長距離を跳んだり走ったりはきっと多分無理。
 けれど反面、短い距離を跳躍する分には、無事な左足をつかえば十分なんとかなりそう。
 スペルカード戦くらいなら、そのくらいの動きでも十分対応できる。


「けど、勝負を受けるのは私ひとりだけで十分です。ルーミアさんも美鈴さんも、ふたりはこの勝負から外してください!」

「妖夢さん……!?」


 今度は私から提案をした。
 それに驚き表情を浮かべたのは紫さまではなく、近くにいた美鈴さんの方だった。


「特に美鈴さんは、この件には無関係です。彼女はたまたま運悪いタイミングで遊びに来てしまっただけなんですから……」


 恐らく話にほとんどはついていけていなかったであろう美鈴さんでも、既に理解してくれていると思う。
 私たちが相手にするのは、反則的なまでに力を備えた大妖怪であるということを。

 だから私は、美鈴さんだけでも、無事なまま帰して貰おうと懇願した……。
 本当に無関係なんだから……。
 もう私は、誰も、巻き込みたくはない。
 今はもう、食用となってしまった仲間を想い……握りしめた右拳が、小さく震える。


「妖夢さん……あなたは……あなたって人は……!」

「いいんです……これは私たちの問題だから……」

「……また"みすず"って言った……!」

「ごめんなさい」


 本題とは別のところでマジ泣きされてしまった。
 え、ほんとごめんなさい。


「そう? ま、私はどっちでも構わないけど。それに、当事者のこの子とも、ちゃんと相談して決めなさいな」


 紫さまはそう言うと、頭の上に乗っていたたれルーミアさんを左手首のスナップを利かせて私の方に放り投げた。

 
 かわいい悲鳴をこぼしながら放物線を描いて落ちてくるルーミアさんに慌てる私と美鈴さんだったが、
 その小さな体は……そのまま私の胸に飛び込んできて、難なくキャッチに成功する。
 さすが紫さま、絶妙のコントロールであった。


「えへへ……ありがと……」


 私の胸に帰ってきたルーミアさん……。
 安堵したのか、小さく、かわいく、お礼と共に私へ微笑みかけてくれた。
 日光が辛いのか、ほんの少しだけ弱々しく……。


「あ、そうか……ルーミアさん、帽子。さっき落としてしまったんですよね。その辺に落ちてるでしょうし、私拾って……」

「それには及ばないわ」


 紫さまが指を鳴らすと、途端に辺りが暗くなった。
 まるで夜にでもなったかのように―――いや、"まるで"ではなく、"事実そうなっていた"。

 空を見上げると、そこには不思議な光景が目に飛び込んでくる。
 この白玉楼の、玄関前の空だけが夜に変わっていた。言葉通り「玄関前の空"だけ"」が。
 不思議なことに、玄関前から外れた敷地の上空は、昼間の輝きをそのまま照らし続けている。
 相変わらずの反則技……空の「昼と夜の境界」を操って、昼と夜を同時に存在させたのだ。


「な、なにこれなにこれ!? たすかるけどなにこれ!!?」

「大丈夫です、紫さまの術式のひとつですよ」

「そーなのかー?」


 初めて見るルーミアさんは大層驚いていたけれど、私は前に見せて頂いたことがあるので、今更驚いたりはしない。
 慌てるルーミアさんを安心させるため、そのことを説明してさしあげると、ルーミアさんは感心したように納得していた。
 原因不明の怪奇現象も、原因さえ分かれば日の光を回避できる恩恵に他ならない。
 ルーミアさんは、ほっとしたように安堵を見せた。


「ルーミアさんも、美鈴さんと共に休んでいてください」

「え……!?」


 ルーミアさんのやわらかさと温もりに名残惜しさを感じつつも、彼女を地面に降ろしながら告げた。
 しりもちをついたまま座り込んでいた美鈴さんの頭に、ルーミアさんごとスカートをすっぽり被せてしまった。おぅ……To LOVEる発生。


「いくら日の光がなくなったって言っても、消耗した体力が回復したわけじゃないでしょう?」

「で、でもっ!」


 よっこいしょ、と反対側にルーミアさんを置き直しながら、今のTo LOVEるはなかったことにしつつ、言った。

 ルーミアさんにも、できればこの決闘には参加して欲しくない。
 日の光に困らなくなったとはいえ、大分弱り切っている。
 これ以上の無理はさせたくなかった。


「よーむちゃんの方がつかれてるじゃない!」


 ……走りまくって乱れた息で言っても、説得力なんてなかったな。

 そうなんだ、こんなの私のワガママ。
 ……ただ私が、もう誰も巻き込みたくなかっただけなんだ。

 だから……―――


「ぎゅーーっ」


 すると、突然ルーミアさんの方から、私を再び抱きしめてきたのだった。


「る、ルーミアさん?」

「充電完了……

「え?」

「よーむちゃんに元気わけてもらったから、もう大丈夫だよ……


 そして、そんなことを、無邪気な笑顔で言ってのける。

 いや、そういういちゃいちゃなやり取りがあるのはなんとなく知ってるけど、それをまさかここで使われるなんて思いもしなくて。
 ルーミアさんがこの手のネタを熟知しているとは思えないから、きっと幽々子さまに吹きこまれたのだろうけど……。

 だけど現実問題、気持ちは盛り上がるけど実際の体力が回復するわけじゃなくて……
 ……まあ、うん、今のでよーむちゃん、紫さまとの勝負に勝てる気がしてきたくらい気持ち盛り上がってきたけどさ……。

 野暮なこととは知りつつも、現実問題体力は回復しないですよ、なんて言ってしまおうかとも思った。
 けどすぐに分かった。
 その目が言っていた、私がどんな言葉を取り繕っても、「やだ!」って、私の言葉を跳ね除けてしまおうと構えていることに。
 彼女の方こそ、理屈じゃなかったんだ。


「わたしも、がんばる……」


 ふと、鈴仙さんが言っていたことを思い出した。

 ルーミアさんは、私のいうことなら何でも素直に聞いてくれてるんだって、そう言っていたことを……。
 その彼女が、今は堅い意志で、私の言葉に逆らおうとしている……。


「一緒にがんばろ……?」


 こうなったらもう、聞いてくれない。
 それはもう、今日一日で散々実感した。
 私ひとりが助かってもだめで、彼女だけが助かるのもだめ……。

 互いに片方だけ助かったとしても、残った方が確実に、相手のために身をなげうってしまう。
 それほどまでに、想い合ってしまったのだから……。


「分かりました……。一緒に、勝ちましょう……」

「うん……!」


 彼女の元気のいい返事を受けて、覚悟を決めた。

 美鈴さんは確かに無関係だけれども、ルーミアさんは違う。私と同じ当事者。
 だったら覚悟を決めよう……彼女と共に戦って……彼女と共に、勝ってやろう。

 そうして、彼女と共に紫さまの元に歩み寄った。
 歩く際、左右で靴が違うからいつもと違う違和感はあったけど、大丈夫。たかがスペルカード1枚分、動く分にはなんとかなる。

 そして……私たちが倒すべき相手と、向かい合った。


「腹は、決まったようねだばだばだばだだばだば……」


 真面目な場面なんだから口から砂糖垂れ流すのはやめて欲しかった。


「はい。覚悟は決まりました」

「GOOD!!」

「スペルカード戦の報酬、私が勝ったら、今日の問題を全て解決させて頂きますからね」


 私は勝負を始める前に、勝った時の私からの報酬をすぐさま提示した。
 事後でもいいと言っていたが、心はもう決まっていたから。本来の形式通り、事前に提示することにした。
 常に余裕綽々、緩くいた紫さまも、それにはいっそ驚きを顔に浮かび上がらせていた。意を突かれた紫さまに、構わず続く言葉をまくし立てる。


「今後無理矢理子作りさせようとするのも、永琳さんの暴走を抑えることも、鈴仙さんを元に戻すのも、他にも全部!
 あ、あと屋敷の掃除もお願いしますよ! 見てください、屋敷の庭こんなにめちゃくちゃにして!」

「うふふ、なぁに? そんなことでいいの? あなたが言わずともやろうとしてたことまで重複してるじゃない」

「私にとってはそれが全てです! それ以外求めるつもりもないです!」


 今はこの事態を片付けることが私にとっての最優先。
 だから言い切った。
 迷いも未練もなかった。
 ただ決意だけが、そこにある。


「んもうっ! じっくり考えてあとから好きに要求して良いって言ってるのに〜 もちろん、私のキ・ス・で・も

「いりませんよ、気持ち悪い。どうせならルーミアさんのキスがいいですよ」

「妖夢さんはなに言ってるんです!?」


 美鈴さんが居たの忘れてつい本音をこぼしてしまった私のあほォーーーーーーーーーーっっ!!


「きゃーーー♥♥♥♥ 百合ップルのおのろけキターーーーーーっ ひゅーひゅー、らっぶらぶ〜


 ああああ、真面目なクライマックスで折角盛り上がってたのに、油断した……。致命的に油断した……。
 決闘前の緊迫した空気が、ぴりぴりしたものからゆるゆるしたものに変わっていくのが分かる。もういっそゆりゆりしたものに変わっている。
 ってか美鈴さんいなくても今の発言はNGじゃない、自分から言っちゃうとか、ばかばか私のばかみょんみょん。
 ごめんなさい、私もう紫さまの口からのお砂糖こととやかく言えない……。


「よーむちゃんわたしとちゅーしたいの!? わたしも! わたしもしたいよっ!」


 そして隣のルーミアさんも目を爛々とさせて食いついてしまった!
 日の光で苦しんでいた名残もどこかに飛んで、すっごいはしゃいでる。
 おやつを前にしたわんこように、目を輝かせている。充電のこうかはばつぐんだ!

 ルーミアさんはしゃがないで、美鈴さんがいるんだから、私たちの関係ばれちゃうから!
 もう新聞で大々的に晒されたされたけどさ!

 あああ、美鈴さんの視線が背中に突き刺さる、まるで「へ、へぇ……ふたりって、そういう関係なんですか……」って感じで見てる! 気がする!
 私の被害妄想かもしれないけど、そんな目で見られてる気がするみょぉぉぉん!
 むしろこの状況に置かれて、そんな風に見られないって思おうとすることが無理じゃない? ねえ、無理だよね?


「え、と……妖夢さんとルーミアちゃんって、そういうことを……?」

「あら? 最近なんて女の子同士でチュッってするくらい、珍しくないわ。キッスは元気のお ・ま・じ・な・いだものね

「ああ、なるほど! ふたりとも仲良しさんですしね。本気のキスとかじゃなく、そういう親愛の意味での口づけでしたか」


 おおおおお! ここでまさかの紫さまからのナイスフォローが入ったーー!!

 美鈴さんが、合点がいったとばかりに手を合わせているのを見て、心の中で思わずガッツポーズ。
 まさかこのへんたいに感謝することになるとは思いもしなかった。だってこのへんたいそもそも問題の発端その2だもの。


「しよっ! 終わったらしよ! 元気の出るおまじないしよっ! わたしあたま熱くてまだくらくらしてるから元気ないよっ!」


 ルーミアさんも、ここぞとばかりに元気いっぱいに元気ないアピールをする。
 どうやらさっき充電完了したエネルギーはもう使い果たしてしまったらしい。

 とはいえ、これは大敗続きの魂魄妖夢VS風評被害戦、初の逆転のK.O.勝ちではなかろうか!?
 たまには良いこともあるもんだ! いやそもそもその前に問題が起こりさえしなければ完全解決だったんだけどさ。


「おまじないともなると、やっぱほっぺとかおでことかですかねー?」

「おくちー!」

「……そ、そう、おくちにおまじないしてるんだ……」


 はい、そしてルーミアさんのフォローブレイカー……。
 ルーミアさんったらほんと素直で良い子。紫さまが珍しく人の役に立てたと思ったらこの有様だよっ!
 あー……また私のヘンタイさん風評が言い訳もできないくらいに広がっていくー……。


「と、ととと、とにかく! やるならとっととやりましょみょんっ!」

「OK、私も早く話を進めたいと思っていたからね」


 これ以上「おまじない」の件について話を進められても、私の立場が一向に危うくなるだけなので、慌てて無理矢理話を引き戻した。
 話が横道に逸れまくって仕方なかったのもある。
 幸いなことに、紫さまもそれに肯定してくれた。
 この人のことだからもっと百合百合幻想ファンタジーに身を投じたいと思っていただけに、ちょっと意外で、それ以上にありがたかった。


「よーむちゃん、終わったらちゅー……」

「そ、その件については後で話しましょう……」


 いまだ緊張感の薄いままのルーミアさんをなだめて、再び紫さまに向き合った。

 ルーミアさんも……すぐに緩めた緊張感を取り戻してくれた。
 なぜなら、目の当たりにする紫さまの御身には、膨大な量の妖力が集まり出していたから……。

 弾幕の準備なのか、大気そのものが震えているかのようなプレッシャー。
 ただそれだけで、今向き合っている相手が、幻想郷屈指の大妖怪であるという威厳を、文字通り肌で感じていた。


「妖夢とルーミアちゃんの栄えある未来を祝して、折角だからちょっと特殊な弾幕を用意させてもらったわ!
 たった今即席で作り上げたスペルカードだから、カードそのものは後で作ってから差し上げるわね……もちろん、勝てたのならねっ!!」


 この人が特別を考えるとろくなことにはならないだろう。
 思いながら、身構える。
 私も、ルーミアさんも……
 収束する強大な妖気を前に、油断ひとつで勝負が決するだろう脅威を理解していた。


「さあ、この即席の弾幕に、美しくも足掻くように踊りなさい!
 止ん事無き姫君を極上に楽しませるかのように! 美しく、面白おかしく、それでいて小意気な舞踏を踏みなさい!!」


 紫さまの瑞々しく麗しい唇から、雌雄を決するただ一枚限りのスペルカードが宣言される!
 それを合図に、最後の戦いは……始まった!



















更新履歴

H24・9/23:完成


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