幽々子さまの身を挺したおとり作戦のお陰で、なんとか危険地帯からの離脱することができた私たち。
幸い、永琳さんもその使い魔も追ってくる様子もなく、このまま順調に逃げ切れそうだった。
だが油断はできない、藍さんの奇襲を許したさっきの今、降って湧いた二度目の千載一遇を逃がす訳にはいかない。
その教訓を胸に深く刻んで、ルーミアさんを脇に抱えながら走った。
「ねー、よーむちゃん。どこいくのー?」
「とりあえず……屋敷から出ようと考えてます」
「そーなのかー」
限られた閉鎖空間に居るのは望ましくない。
というか、お屋敷でゴタゴタやってお屋敷をぶっ壊されちゃあたまったもんじゃあない。一体誰が掃除すると思ってるんですか!
なので、今は庭から屋敷の正門へと回り込むルートを走っていた。
空を飛べば屋敷を囲う塀や庭の桜など、障害物を無視して屋敷を出ることは可能だろうけど、
そんな見通しも良いルート、通れば一発で行き先がバレてしまう。
なにより、私の場合飛ぶより走った方が速かったし。
屋敷出た後のことは……まあ出た後に考えよう。
とりあえずは屋敷の外に出ることだけに意識を向けて走る、走る。
ルーミアさんも、私の意図をそれなりに把握してくれているのだろう、
脇でおとなしく日よけの頭巾を落とさぬように手で抑えて、ほっぺたをぷるぷる揺らしていた。
……それにしてもルーミアさん、なんだかすごく脇に抱え易いなあ。
すてきだ。ルーミアさんの腰回りは白玉だんごみたいに心地がいい。
一振りで幽霊10匹分の殺傷力を持つ、妖怪が鍛えた魂魄家の長刀楼観剣を包む鞘の気持ちが、よくわかるよ。
「よっし……! ここを抜ければなんとか―――」
しばらく足を進めていると、ようやく見えた、屋敷の入り口。
屋敷の玄関と、正面に真っすぐ伸びる道が続いて、その突き当りには門。
門を開けば、そこには白玉楼名物のなが〜〜い階段が待っている。
私は迷うことなく門へと一直線へ駆け抜けた。
なんとかなる……そう思う私の気持ちを先読みしたかのように、そうは問屋が卸してくれなかった……。
「ギェァァアアァァアアアアアァァッッッ!!!!」
「うわっ!?」
「ひゃー!?」
門を目前にまで迫ったところで、突然、私たちの身の丈の何倍もあろうかという巨大で長大な怪物が、門より"生えてきた"のだから。
みょんミア!10
四、さらば友よ、はるかなるうどんに
「な、なにこれなにこれ!?」
巨大な、まるで大蛇のような奇怪な怪物。それが、私たちの行方を遮っていた。
ヘビのように細長い体を持ち、トカゲのような腕が生え、猛禽類のような強靭な爪と、カタツムリみたいに飛び出した目を持つ、異形の存在。
ルーミアさんは私の脇でおたおたする様子を隠せずにいた。一方ほっぺたはぷるぷるしていない。
一体こいつは何なんだ……!?
その疑問の答えへは……長い躯体を目で辿れば、すぐに導かれた。
なぜなら、この長い体は、門のすぐ前に開かれたスキマから這い出てきていたから。
「これも……紫さまの……!」
「ゆかりんさまの?」
まだ動けぬ紫さまが、私たちが外に逃げ出さないよう先手を打ったのだろう。
先ほど、永琳さんとの妖怪大戦争の際にも、大量の式神たちを召喚していた紫さまだ。その内のひとつと考えれば、十分合点がいく。
一番の式神である藍さんが霊夢さんの結界で封じられている今、藍さん以外の式で対応してきた、ということなのだろうか……?
「くっ……そ……!」
折角ここまで追手もなくこれたのに……。
相手が紫さまというだけで、距離という概念はまるで意味を成さないだなんて……。
思わず悪態をつく。そんな暇はないって分かってるけど、つかずにいられない。
そして、紫さまの差し金と理解した時には、遅かったのだ。
「グぅルルルルゥゥゥ……」
「キシャァァァアアアアアァァァァ……」
「GYAAAAAAAAAAOOOOOOOOOOOO!!!」
背後より、別に生き物の気配、呻き声が……それも大量に、背に浴びせられてきたから。
一匹や二匹なんかじゃなく、様々な種類の気配を、背に感じる……。
…………正直後ろ見たくない。
「よ、よーむちゃん……後ろ、すごいいっぱい来てる……」
「報告ありがとうございました、ちっくしょーっ!!!」
現実から目を背ける私に代わり、脇に抱えられるルーミアさんが、ひょいと後ろを振り返って確認してくださいました。
すごくいっぱいってどのくらい? ねえどのくらいなの?
見たくないけれど……向き合わなければ、対処もままならない。
私は、臆病な自分の心を振り切って……ルーミアさんに遅れて、後ろを確認した。
「オゥ……ジーザス……!」
柄にもなく横文字を使ってしまった。
一言で言って、すごくいっぱい来てた。
あえてそれ以上の細かい数の表現は避けさせてください、挫けそうになります。
もうね、現存する動物から、それらにパーツが加わったもの、まったく見たこともない幻想の種類まで、
幅広い種類をカバーした怪物たちの姿がひしめき合っていました。
さっきまで気配もなかったのに、今見てみたら、式神たちの群れで屋敷の玄関が見えなくなっている。
門側には巨大なヘビっぽい式神が、玄関側には数えるのもいやになるくらい大量の動物の式神たちが。
魂魄さんッ、君の意見を聞こうッ!
つまり、ハサミ撃ちの形になったな……。
泣きたい。
い、いえ、まだ絶望するには早いです……!
前もダメ後ろもダメ、当然左右もダメ。だからといって、退路が完全に断たれた訳じゃあない。
この際見つかるだなんだと言ってられないと、空を見上げた。
「………………はいアウトー」
冥界の空には、謎の怪鳥型式神がギャーギャー鳴き声を上げながら空を旋回しているではありませんか。
完全包囲。その言葉が相応しいと思えるほど、完璧にカバーされている現状に、今度こそ絶望しそうになる。
「ど、どうするの、よーむちゃん……?」
「は、はは……ははは……」
心配そうに尋ねるルーミアさんに、乾いた笑いしか返せない。
こんな完全に囲まれちゃあ、いくら察しの悪いと言われる私と言えど、逃げるって選択は無理だって分かる。
そんな私たちに、式神たちは詰め寄るでもなく、私たちがどう動くか丁寧に待っていてくれているようだった。
素直に投降しろ、とでもいうのだろうか?
ああ、確かに……紫さまたちの目的は私たちを捕まえることだから、素直に捕まるなら害は加えないと考えても良い気がする。
んじゃあ、投降しなかったらどうなるんだろう?
どうされちゃうの、こんな獣の群れに。
これ捕獲っていうか、明らかに狩り殺しに来てますよね、この数は?
素直に捕まえるより、無残に食い散らかされそうなイメージしか浮かばないよ?
それってどうなの? 目的に適ってるの? ねえ?
……正直、もう観念するしかないと思っていた。
逃げる選択肢を諦めて、抱えていたルーミアさんを、ちょこんと地面に置いた。
私も……逃げるの、もう疲れちゃったしな……。
さっきからずっと走りっぱなしだったし……―――
「ルーミアさん、すみません……すこし、しゃがんでいていただけますか?」
「……? こーぉー?」
―――ああ……ほんっと…………いいウォーミングアップだったよ……。
断迷剣「迷津慈航斬」
妖力を楼観剣に大量に注ぎ込み、作り出した巨大な刀身にて、門より生える大蛇の巨躯を輪切りにしたのち縦に一閃。
普段は縦に一閃するだけのところを、特別大サービスで斬り刻んであげる。
刀に込めた妖力が発散され、楼観剣が元のサイズに戻ると共に、奇怪な断末魔が白玉楼の玄関前に響き渡る。
そしてバラバラに刻まれた大蛇の肉塊は紙へ―――護符から作り出したタイプだったのだろう、
本来の姿に戻り、紙吹雪となって散っていった。
「いいでしょう! いいですよ! そんなに……そんなに人のこと追い詰めるってんなら……ここで相手になってやりますよ!
斬られたいヤツかかってこいやぁぁーーーッッ!!!」
キレた。
なんかもう、怒りがトサカに来て、逃げ回るのがバカらしくなってきた。
キレたことで吹っ切れた。
ので、外への退路を確保したしたというのに、その逆の、屋敷の方へ向けて駆け跳んだ。
よーするに今の私の気持ちは、
「お前ら全員皆殺しじゃああああああ!!!!!」
だった。
私が抵抗を見せたことに反応して、今まで傍観していた式たちの目に殺気のような気配が宿る。
だが遅過ぎる。
私が叫びとも嘆きともつかない声を上げた時にはもう、式神の群れまで一気に詰め寄っていて……これはクマの姿をした式神か。
強靭そうな肉体だな、と感想を持つと同時に袈裟斬りで両断した。
クマの断末魔を聞く前に、振り下ろした刀をそのまま隣の犬の姿をした式神に向け横薙ぎ。
"はんばあがー"とかいう異国の食べ物みたいに真ん中から真っ二つにして、
さらに隣に居た馬……あ、鹿かな? の形をした式神の前足を2本ともついでに切り捨てた。
横薙ぎの勢いを殺さず、そのまま後ろ向きに反転。
ルーミアさんはまだしゃがみガードの姿勢のまま背を向けている。
だけど門の側から襲い来る式も居ないようで、ルーミアさんの安全を確認した。
そして、回転の勢いそのままに旋回しながら空高く跳躍。
上空を取り囲む鳥の式神たちの高さまで到達すると、鷹とトンビと……ああもういちいち種類分けするのも面倒だから「鳥」でまとめていいや。
を、体の捻りで3羽くらい一気に横一文字に斬り裂いた。
ヤツらの目に殺気が宿ったのは、ちょうどこの辺りである。だから遅い、って言ったんですよ。
鳥共の甲高い臨終の声を右から左へと聞き流し、更に2羽をサクサク刻みながら下方を確認。
上に飛んだ私に気づいた式もいれば、まだ地を眺めている式もいる。反応はそれぞれ違っていた。
それよりふと目に入った玄関の方が重大。誰ですか、玄関の戸開けっ放しにしたのっ!
開けっ放しだとゴミとか埃とか入るでしょう、誰が掃除すると思ってるんですか!
気配を察知してか上を向いた式を次の獲物として目をつけて、重力に身を委ねる。
へえ、次はいのししの姿をした式ですか。運が良いですねあなた、ゆえあっていのししは斬り慣れてるんです……よッ!
ポカンと開けたままの口に、落下の勢いそのままに刃を差し入れる。
そう、そのまま飲み込んで、私の楼観剣。
一刺しでいのししを仕留める。
すぐに、足場としていたいのししの体が消えた。
どうやら刀を抜くより先に、いのししが紙と戻ったらしい。ああ、中から掻っ捌いて取り出そう考えてたけど、手間が省けました。
さあお次は隣の、えっとこの動物は……ああ姿なんてどうでもいいか、もう斬っちゃったもん。
息もつかずに斬る、斬る、ただただ斬る!
斬るたびに式どもから断末魔が奏でられ。
刀が式をなぞるたび紙が辺りに舞い散る。
藍さんのような、妖獣と契約するタイプの式神じゃなくて助かる。
血を拭うより、掃除が楽だ。
「……っ……。……はぁ……」
さらに追加で何匹か斬ったところで、ようやっと一呼吸ついた。
さすがにノンストップで動き詰めてるせいか、疲労が溜まってきた。足が少し重い、かもしれない……。
このまま連続で休みなく動くなら、あと二百由旬を3往復しかできないだろうな。
「わぁー……! かぁっっっこいーーーーーーー!!!」
ルーミアさんが褒めてくれた。元気百倍、みょんぱんまん!
その魔法の言葉は、溜まった疲労なんてどっかに飛ばしてしまって、応援してくれる彼女につい良いところひとつでも見せたくなって……
よぉし、ここで一気にカッコつけちゃうぞ! ……なんて、粋がっちゃった私は、敵陣の渦中で一度刀を納刀した。
武器を納めた隙を狙わんと、迫りくる気配、殺気が肌に刺さり……
それら全てを放置したまま、群れの中央から、ルーミアさんのところまで真っすぐ見据えた。
襲い来る魔手が、刀を納めた私に伸ばされる。
だから遅い、って言ってるじゃないですか。
「剣伎、桜花閃々ッッ……!」
鞘に収まる楼観剣と、もう一刀の白楼剣に手を添えて―――彼女の元まで、一気に駆け抜ける。
容易く、敵陣を脱出して、再びルーミアさんの前に再び戻ってくる。ルーミアさんただいまです。
その場でチンッ……と軽い音を鳴らし、二刀を鞘に納めて、
「ギャァァァあああああああァァぁぁぁアあああッッッ!?」
「ぐぇぇぎゃああああえぇぇぇえあぁぁぁあああああッッッッ!?」
「GYYYYYYYAAAAAAAAAAAAAAA!?!?!?!?」
同時に、背後で数多の醜く潰れた断末魔が響き渡った。
すれ違いざまに切り刻んだ式神の群衆は、言葉にならない遺言を喚き終えると、全員が紙と戻り、私の背で舞う紙吹雪となった。
剣伎「桜花閃々」……庭の剪定を一気に行うべく身についた斬り方。一対多での戦いでは重宝している。
提示する余裕がなかったスペルカードを、せめてもの弔いに後付けで提示して……そっと紙吹雪の中に投げ入れた。
これはスペルカード戦ではないので、本来カード宣言は不要。さっき慈航斬使った時も、口で宣言しただけだし。
ならなんでそうしたかと言えば……
「…………決まった」
そっちの方がカッコいいと思ったから。
うん、これは決まった。決まりましたよね。ルーミアさんの目の前でカッコよく決まりましたよね。
我ながら、自惚れが過ぎると自覚していても、頬の緩みが止められなかった。
今すっごくカッコよく決まっただろう私の姿を、ルーミアさんは喜んでくれただろうか?
そんな淡い期待を抱きながら、目の前にいるはずのルーミアさんの方をちらりと覗いてみる。
ルーミアさんは、動きの止めている私に向かって右腕を振りかぶってい、て……?
「へ?」
刀を納めた直後の、一瞬の硬直。
その隙を見せた私に向けて、ルーミアさんは腕を振り上げた腕を思いっきり叩きつけようと、勢い良く振り下ろして、
「えーい!!」
……ええええええ!?
「キシャァアアぁぁあああああああ?!!?!」
そして、私の目の前の地面より、巨大ミミズのようなもの飛び出してきて、振り下ろしたルーミアさんの右の拳が、ぐしゃりと頭を叩き潰した。
「え? あ、あれ?」
「ご、ごめんね! ……えっと……下! 下から来てたから!」
どうやら……ルーミアさんは私を助けてくれた、みたい……?
私を驚かせたことを気にしてか、慌てて今の事態について事後報告してくれている。
なんだ……そういうことか……。良かった……。
びっくりして、体を仰け反らせていたけど。
危うく尻もちをつくところだった。
つまりさっきまでカッコよく決まってたよーむちゃんの威厳はどこかに飛んでってたけど。
……ううう、まだまだ修行が足りない。
「ごめんね……」
私が驚きのあまりなんのリアクションも返せずにいたからか、
ルーミアさんは両手を口の前で合わせるようにして、もう一度、申し訳なさそうに頭を下げていた。
ルーミアさんには悪いけれど……そんな、しょんぼりしている様子が、ちょっとかわいいって、思ってしまった。
なんだか妙に発達した右手の筋肉以外は。
「…………………………」
ついでに……爪はまるで猛禽類のそれのように鋭く強靭に変化してる。
袖の下で右腕の筋肉が不自然に隆起してるように見えるし……。
その腕は……と聞こうとした気持ちを、まるで決して襖を開いてはいけない開かずの部屋ごとく、本能的に触れるのを避けることにした。
そういえばルーミアさん、かわいいけどこう見えて妖怪だったんだよなあ。
そんな初めから分かっていたつもりのことを、肉体構造や筋肉組織を変質させるところでふと実感する……。
「あ、いえ……緊急事態だったから仕方ないですよ、ありがとうございます」
「……んっ。……………………えへー♥」
あんまり動かないでいると、ルーミアさんを不安で押しつぶしてしまうので、いい加減に彼女の言葉に応えてあげることにした。
いくらかわいいとはいえ、彼女を不安なまま放置しておきたいほど、私は嗜虐趣味の持ち主じゃないし。
むしろ、ありがとうの意味を込めて、頭をぽんぽんなでてあげた。隆起した右腕は見なかったことにした。
顔の前で指を合わせたまま、ほんの少し赤くなって嬉しそうにはにかむルーミアさん。
まあいつも通りの左手とたくましく強靭に変化した右手が重なって、左右の比較がとても言いようもない気持ちにさせられたけど。
これがギャップ萌えというものだろうか?
今度幽々子さまにも見せてみよう、喜んでくれるだろうか。くれないだろうなあ、きっと、多分、絶対。
「だけどよく分かりましたね。下から来るなんて」
「んっとね、におい! このへんな生き物ね、全部ゆかりんさまのにおいがするから!」
ああ、と納得。
そういえば今朝披露してくれた特技のひとつ。ルーミアさんにはそれがあったっけ。
なるほど、それで、地中から迫る紫さまの式を見分けた訳か。
「しそのにおいに似てるの! 今日の朝ごはんにも出てきた、あの葉っぱの!」
「あ、そうなんですか……」
「わたししそはきらい!」
「それは紫さまには内緒にしておきましょう」
などと、再び合流できた喜びから、そんな他愛ない言葉を交わしていたけど……
そろそろ夢のようにささやかな平和な時間には別れを告げ、改めて現実に目を向けるべきだろうと、視線を再び式神の軍勢に向けた。
「さって……これだけ退治すれば、数も減って、追手の数も少なくて済むでしょう」
別に、ただの八つ当たりで無意味に斬り込みに行った訳ではない。
ちゃんと私なりに考えがあってのこと。
逃げるにしても、追手の数を減らしておく方が有利だと判断しての行為なのだ。
だから八つ当たりなんかじゃないんですよ。7割くらいしか八つ当たり目的じゃないみょん。
「えと……減って、るの?」
すると、ルーミアさんが聞きにくそうに私に言う。
ちなみに、ルーミアさんの右腕はいつの間にかしぼんで、元の可愛らしいバランスのとれた体型に戻っていた。よかった。
「そりゃあ、減って…………―――」
―――……………………いない?
「え? あれ……」
改めて数えてみる。といっても厳密にカウントする訳じゃなく、ざっと見まわす程度でだけど……
……それでも20や30は……いや、もっといる?
目の前には、とても減ったとは思えない数が、ひしめいていて……
いや……この数はおかしい。
だって、減ってないどころか……むしろ増えているかのよう……?
「そんなはずは―――……っ!」
そこでようやく気づいた。
式神の群れの、その更に奥に……いくつかのスキマが開いている。
そして……それを通り抜けて、式たちがゆっくりと歩み出てきていることを……。
「しまっ……た……」
「どうしたの……?」
「そうか、いくらでも増やせるんだ……」
ここで数を減らせば、追ってくる式神たちも少なくて済む。
後のことを考え、少しでも数を減らそうと考えた私の一手は……まだ読みが甘かった。
相手は境界を操れる紫さま。
そう、スキマを使えばいくらでも数は増やせる。
いくらでも、ここに転送できる。
例えば、物置のように式神たちを収納している物置用のスキマがあったとして、それとここを繋げてしまえば、
私たちはただ倉庫から出てくる在庫を、一個一個順番に処分していたに過ぎないことになる。
それこそ何千、何万に及んだっておかしくない数の式神の、たかが数十というごく少数を。
くっ……見誤った。
考えればすぐに分かりそうなものなのに、頭に血が上っていたせいか、すっかり見誤った……!
いいや……! 逆に考えるんだ。今こそが引き際だと!
幸い、スキマから体を出している最中の式神は、全身が出てくるのには少しだけ時間がかかるみたいだった。
きっと、スキマを繋げている紫さまのお身体が万全でないことが関係しているのかもしれない。
なら、私が数を減らしたことも、まだ無駄じゃあない。門の閂を抜く余裕くらいは稼げた。
今現在、臨戦態勢を取れる式たちの数が減っているということを考えれば、今逃げることに有効に働いてくれている。
「ルーミアさん! 今の内です、門から外へ逃げますっ!」
「う、うん!」
私たちは同時に、門へと向けて走り出す。
そんなに距離がある訳じゃないし、閂を外す必要もあるから、ルーミアさんは抱えずに一緒に走る形で。
ルーミアさんを引き離さないように意識して、それでもなるべく速く辿りつくように走った。
「あ! よーむちゃん! ケモノくさいのがいる! 前! 門! 門!」
「あ、はい!」
ルーミアさんは、その鼻で再び敵を察知したのか、そう私に伝えてくれた。
私が無双している間、あの大蛇の抜けた穴を補いに回り込んできた式神が居たのだろう。
こちらも時間が惜しい。門へと駆ける勢いそのままに、すれ違いざまに斬り伏せる。
そのつもりで、楼観剣に手を添えた。
……が、
「…………あれ?」
しかし、門の前には、なにもいなかった。
ただ閂で閉じられた二枚の分厚い戸だけが目に映り込む。
ルーミアさんの折角の警告を、少し疑ってしまう……。
けれど、ルーミアさんが嘘をつくとは思えないし……聞き間違いかな?
……聞き間違い、といえば……。
今のルーミアさんの言ったことは、ちょっとおかしかった。
紫蘇 のにおいではなく、ケモノくさい……って、言ってたような……?
「も〜! ケモノくさいとか言わないでくださいってば〜!」
「!?」
見据える門の前には誰もいなく、だというのに、突然声だけが聞こえてきた。
ハキハキとハッキリ通っていながら、遠慮がちな声。
聞き覚えのあるこれは……鈴仙さんの……―――
「しまっ……!」
ここにきて、つい先ほど、羽交い絞めを極められた記憶が蘇った。
波長を操り、存在を認識させずに動くことのできる鈴仙さんの能力。
私がそれを思い出すのとほぼ同時に、鈴仙さんの姿が門の前に突然現れた。もう不要だと、能力を解除したのだろう。
姿を現した鈴仙さんはなにも言わず、指の形を、銃を模すように静かに構えた。
その形に構えた指先から、銃弾の形の弾を放つのが彼女の弾幕。
そして……銃口 が向けられているのは………………私……?
「よーむちゃん―――!!」
ルーミアさんが叫ぶ声が聞こえる。
あまりにも突然のことで、なんの対応もできない。
そのまま鈴仙さんは……撃った。
「クェァァァアアアアアアアアアッッ!!!??」
放たれた弾は私から逸れ、そして後ろから聞こえる甲高い断末魔。
式神の、今際の声。
「―――うしろ! ……から、来てた、よ。……今おうどんさんがかたづけちゃったけど……」
ルーミアさんの、言い掛けていた言葉の続きが、遅れて紡がれる。
やっと反応した体が後ろを振り向くと、後ろから迫っていた式神が、本来の紙の姿に戻っていた。
紙に戻る前に一瞬見えた姿は鳥の……いや、燕の式神だった。
鳥の中でもとびぬけて高い飛行能力を有するそれは、距離が離れていたからと油断した私たちに、高速で距離を詰めたのだろう。
そんな私たちの背後に迫っていた危機を、鈴仙さんは伝えるより先に撃ち抜いて……助けて、くれた?
それだけじゃない、鈴仙さんは更に立て続けに指から弾幕を発射させる。
弾は、私たちに襲い来る式神たちを次々撃ち抜いていくではないか。
やがて、私たちの駆け抜ける足は、鈴仙さんの真横を通過し、そして門まで到達した。
そのすれ違いざまで、鈴仙さんは訴えるように言った。
「話は後で! とりあえず私は味方だから! 信じてっ!」
「信じますっ!!」
「へ?」
きょとんとされた。
「どうかしましたか?」
時間も惜しいので、閂を外しながら鈴仙さんに聞き返した。
鈴仙さんは、私の返答になんだか困ったかのように顔を向けて、挙動不審にまごまごしてしまった。
別に困るような返事を返した覚えはないんだけど……。
ちなみに、まごまごしながらも、しっかり牽制の弾を放ってる辺り、元軍人さすがだなあと感心してた。
「い、いやー……私の立場的に師匠サイドの者だから……てっきり疑われるかなと思って……」
「まあ疑いましたけど、今助けてくれてるじゃないですか。十分ですよ、それで。
あ、ルーミアさん、閂のそっち側持ってください」
「うん!」
「いやいや、もしかしたらそれが演技って可能性もあるじゃないですか……。
味方だって信じ込ませるために……師匠ならそのくらいやれって指示してきますよ……?」
「演技なんですか?」
「え? いや、演技じゃないです、けど……」
あまりにも私が即答したからか、自らそんなネタばらし的なことまで口走ってしまう。
いやまあ、私は鈴仙さんが味方だって信じてるけど。
「……妖夢さんって、甘いって言うか、青いってよく言われません?」
「う……」
……なんで知ってるんだろう?
幽々子さまが喋ったのかな……?
私が言葉に詰まっていると、それでもう答えになってしまったらしく、鈴仙さんに「あははっ、やっぱり」なんて笑われてしまった。
こんな状況にもかかわらず、とてもほがらかに。
ばかにする訳でもなく、まるで世間話でも語らうかのような、穏やかな風に……。
「はー、おっかし……」
「そ、そんなに笑うことないじゃないですか……」
「あ、気にしないでください。だって、」
ガコンッと音を鳴らして、閂は外れた。
そして、門が音を立てて開かれる。
「……だからこそ妖夢さんなんですからっ!」
言葉の語尾を強めるとともに、彼女は持ち前の赤い眼を光らせて。
同時に全方位に銃弾の弾幕をばら撒いて、迫りくる式たちへ向けて一斉に弾幕を掃射した。
「こっちです……。この先に……」
小声でふたり誘導しながら、桜の木々の生い茂る道なき道を3人で走る。
急きながら、それでも慎重に。
この先をもう少し進めば開けた空間があることを、長年白玉楼に住んできた私は知っていた。
「待って……」
目的の場所まであと少しといったところで、鈴仙さんが腕を伸ばし、続く私たちがこれ以上進むのを差し止めた。
合図とともに足を止めた私と、急に止まれなくてふぎゅ、と私の背中に激突するルーミアさん。
一同その場で足を止めると、鈴仙さんは集中するように、木々で隠れたその先を見据えた。
いや、目で見るのではなく、別の感覚を研ぎ澄ましている……。
そして、鈴仙さんは静かに銃の形に指を構えると……指先から4発ほど、一発一発は別の場所に向け、素早く撃ち込む。
程なくして、言葉にならない潰れた断末魔が、木々の先からいくつか重なって響いてきた。
「おっけーです」
銃を模っていた手で丸を作り、問題のない旨を伝えて、鈴仙さんが先行して先に進む。
私は転んでしまったルーミアさんに手を差し伸べてから、鈴仙さんに続いた。
目指していた場所に出ると……式神の元となる紙が数枚、丁度さっきの鈴仙さんの弾と同じ4枚かな?
中心に銃弾を貫いたような穴を空けて、土の上に散らばっていた。
「こう見えても月のウサギ。私の聴覚、舐めて貰っちゃ困りますって」
鈴仙さんは、フフンと得意気に口にしていた。
銃にそうするようにふーっと指先に息を吹きかけ、カッコよく決めポーズのおまけ付き。
さっき決め損ねた私は、勉強の意味も兼ねて、それを眺めた。
「においもー。近寄ってくるしそくさいのないよー」
同時に、ルーミアさんもくんくん鼻を動かして周りの様子を探ってから言う。
確かに、おふたりの耳と鼻ほど当てにならなくても、この身に向けられる殺気は、感じない。
……ということは……本当あの式の大群から逃れられた……?
「これでようやく一安心……?」
「です、ね……」
「そー……なのかー」
言葉に出して改めて確認し合うと、3人揃って、はぁ〜〜、って大きなため息をこぼした。
助かったんだ。そう実感できたことで、短くも長い間ずっと張り詰めていた緊張から解き放たれる。
まだ全部が終わった訳じゃないけど、それでも束の間の安らぎを得られたことは、とても大きなことだったから。
張りっぱなしだった神経をようやく緩めて、それぞれその場に崩れ落ちた。
私たちがなんとか門から飛び出すと、外には案の定、式神たちが配備されていた。
といっても、玄関前で囲まれた時ほどの数でもなく、待ち伏せというより、逃げ出した時の見張りのとして、念のため配置されていたという感じ。
紫さまは、しっかり私たちが脱出に成功したときのことまで手を回していたらしい。
さすが賢者というか……本当、抜け目のないお方である。
しかし、この時点で、紫さまの計算外のことが起こっていた。
鈴仙さんの介入である。
私たちは鈴仙さんの能力で姿を隠しながら逃走劇を続け、式神たちをやり過ごすことができたのだ。
向かう先は……ルーミアさんの鼻と鈴仙さんの耳、このふたつをレーダーに、式神たちの配備の少ない場所を探り出して、
私の土地鑑をもって、一番安全そうなところ選んで先導した。
その結果、辿り着いたのがここ。
白玉楼名物の長い階段の、その脇に生い茂る桜の木々の中に飛び込んで、そこから少し進んだところにある開けた空間であった。
「ふぇ〜……」
ルーミアさんは、ずっと張っていた気持ちを緩めるように、桜に背中を預けて空気が抜けていた。
気持ちはよく分かる。
さっきから動き詰めだったし、状況を整理する必要もあるから、こうやって落ち着けるタイミングが取れるのは本当にありがたかった。
鈴仙さんも、近くの大きめの石を椅子代わりに腰掛けて休憩中。
私も、近くの木に寄り掛かって、ふーっと気を緩める。
これからのことや今までのことを考えるのは……ひとまず体を休めてからにしたかったから。
「にしても……」
みんなの能力をフルに活用したとはいえ、紫さまの率いる式神軍団から逃れられたというのは、本当に幸運なことだったと感じていた。
……正直、一番の幸運は、藍さんが居なかったということだったかもしれない……。
なんせ……藍さんが相手なら、3対1でまともにやり合おうとも、勝てる気がしない……。
金毛九尾の最強の妖獣である彼女は、私の瞬発力、ルーミアさんの鼻、鈴仙さんの耳、それら全てをたったひとりで兼ね備えているだろう。
逃げたところで、耳と鼻で簡単に見つけ出し、その脚で追い付く。
そして、観念して刃を交えたとしても……その圧倒的な力で、3人まとめて片づけられてしまうのが関の山。
過去、藍さんと何度か手合わせした経験から、そう理解していた。
まあ……藍さんとの手合わせで勝ったことなら……あるといえば、ある……。
けれど、そんなの藍さんの気づかいで花を持たせてもらったに過ぎない。
スペルカード戦という、実力差を埋めた試合形式で行って、ようやっと勝ちの芽を掴んだ。そんなものだ。
それでさえ、手心を加えて貰っていた印象が拭えないんだから……
紫さまの「命令」の下、本気でやり合うことになれば……おそらく、今の私たちに勝ち目ひとつすらない。
もし藍さんが健在ならば、紫さまは間違いなく彼女を仕向けてきた。だって彼女は、紫さまの一番の従者なのだから。
藍さんが動けないからこそ、代わりに何十にも及ぶ式神の包囲網が敷かれたのは、おそらく間違いないだろう。
ここまでに撃退した数十の式神どもよりも、藍さんたったひとりの方が勝算を失う……。
霊夢さんが、藍さんを即席結界に封じてなければ……私たちはあっという間に捕まり、今頃どっちか孕まされていた……。
それだけに霊夢さんの予期せぬ来訪が、予想外の暴走が、あとついでに幽々子さまの尊い犠牲が、どれだけ幸運なものだったか思い知っていた……。
「ぷぇ〜……」
「くすっ……ルーミアちゃん、いくらなんでも緩めすぎですよ」
「えー、だってぇ〜……むぅ……」
「ふふふっ」
普段気持ちを張り詰めるって慣れていないのだろう、ルーミアさんはとことんまで溶けていた。
溶けて、たれていた。たれルーミアさんだ。かわいい。
そんな緩みに緩み切ったルーミアさんを見て、鈴仙さんも思わず笑みがこぼれている。
本当に、優しく笑う方だなあと思った。
「それで、鈴仙さんは……どうして?」
「え?」
微笑む鈴仙さんに、私は少し真剣な顔つきのまま……そっと切り出す。
どうして、というのは当然、私たちに肩入れしてくれたことを指している。
本来ならば永琳さん側の立場の彼女。
言ってしまえば、敵対する位置に居る彼女が、私たちの味方になってくれた。
彼女のこと、信じてはいる。
それでも、ここで意図をハッキリさせておく必要があると思って……。
「間違ってるって、思ったから……」
私の質問の意図は鈴仙さんに伝わってくれたらしい。
特に聞き返す様子もなく、返事を返してくれる。ぽつり、呟くように。
そして……
「師匠は私のこと男にしないとか、そんなこと信じるのはもう間違ってるんだって気づいたんだー……あはははー」
ああ、鈴仙さんも、ついに現実と向き合って、儚い希望を手放す決心をつけたんですね。
ご愁傷様です。そして気づいてくれて良かった! ほんとよかった!
「それに、女の子同士で無理矢理妊娠させちゃうとか、正直いけないと思ったんですよ。
子供作る、ってことはつまり……ねえ?」
鈴仙さんは顔を赤らめて、その後に続く単語を、直接口にするのを避けた。
私も……意味を理解してるから、ちょっと顔が赤くなって、少し居たたまれない気持ちになる。
ルーミアさんは、私たちがなんで赤くなってるんだろうって、不思議そうな顔で眺めながら溶けていた。
うん、ルーミアさんぴゅあっぴゅあ。ルーミアさんはぴゅあだからそのままのルーミアさんでいてください。
「そんなこと無理矢理やらせようなんて、そんなの許せないじゃないですか!
好き合ってもいない相手となら、尚更。ねえ」
「す、好き合ってますよ!」
「え?」
「なんでもないみょん」
うっかりムキになって言ってしまった。私のあほ。
「あ! 違うんです、ここでの好き合うっていうのは、男の人との恋愛感情、ってことですよ〜!
妖夢さんとルーミアちゃんが仲良しなのは知ってますけど、それとこれとは意味が違いますってば。
いや〜、勘違いさせちゃったみたいで申し訳ありません」
鈴仙さんは、ありがたいことにその身に宿る常識力で、都合良く解釈してくださったらしい。
とてもありがたいです。そのジョウシキ、私にはもう……失ってしまったものだから……。
「ふたりがいくら仲良しでも、女の子同士でそんな……恋なんてする訳ないですもん。あり得ないあり得ない」
デスヨネー。女の子同士で恋とか、あり得ないですよね。私って存在半分近くあり得ないですよねー。
ほんっとごめんなさい、そのあり得ないっていう感情に非常に近しい感情なんです、かもしれないんです。
マジごめんなさい、疑いもしないその紅い瞳になんかマジごめんなさい。
「妖夢さんとルーミアちゃんは……もっとこう、綺麗で、純粋で……本当にお互いのこと思い合っている……。
そうですね……姉妹みたいな関係っていうのかな? そういう清く健全な関係ですよ!」
鈴仙さんの定義によると、私はやっぱりきたなく不健全な可能性が高いらしい。
その無垢な常識という先入観に、じわじわ嬲り殺しにされるこんぱくよーむちゃん。
もうやめて、鈴仙さんが綺麗過ぎるほど私が歪んでいるのが突きつけられるから、やめて!
「そんなふたりなのに……」
ふと、さっきまで笑っていた鈴仙さんの声色が、少し別の色に変わっていた。
「そんなふたりなのに……。周りが勝手にはしゃいで、勝手に在り方を決められるなんて、そんなの絶対おかしいです……。
ふたりは、もっと綺麗な仲のはずなのに……周りが振り回して……無理矢理、キスまでさせられちゃって……。
そんなの、絶対間違ってる……!」
優しかった笑顔は、今は憤りに満ちていた……。
怒りというよりも、悲しみに近い色で。
「だから私、ふたりを助けたいって思ったんです」
「鈴仙さん……」
「私だって、よく振り回されますから、妖夢さんの気持ち分かるんですよ。
それで……師匠になにか言われる前に、ふたりに追い付こうって思って……」
気づいたら体が勝手に動いちゃってました、鈴仙さんは茶目っ気を出した様子でそう付け足した。
その時には、表情はいつもの優しい鈴仙さんに戻っていた。
鈴仙さんの優しさに、心が洗われるよう……。その気持ちだけで、不思議な、嬉しい気持ちに浸れた。
鈴仙さんのいう「綺麗な仲」を裏切ってるだろう自分に罪悪感ものしかかってくるけど。
「まあ、玄関出たら、なんか妖怪大戦争状態で、さっすがにドン引きしましたけど……。
だからその場で波長操って、見つからないよう姿を隠しましたよ」
「そりゃあ玄関開けて2分で戦場だったら、誰だって逃げ出したく……」
そこでハッとして、私はある重大なことに気づく!
もしかして……そう思うと、私は慌てて、この重要事項を確認せんと、食い入るように鈴仙さんに問い詰めた。
「鈴仙さん!? もしかして……玄関から出てきたんですか!? 玄関の戸、開けたの鈴仙さんだったんですか!?」
「はへ?」
鈴仙さんから、すっとぼけた言葉が飛び出した。
え? 重要じゃない?
なに言ってるんです、開けっ放しだとごみ(=今大量に発生してる紙)やら土埃やらで玄関が汚れるんですよ。
掃除するの私なんですよ、すごく重要じゃないですか!
「あ、はい。屋敷の中を通って、玄関から外に……戸は、開けないと外に出られないですから、普通に……」
「開けたの、出入りの時だけですよね? ちゃんと閉めてきましたよね?」
「え……? ……はぁ……まあ。しめてきました、けど……」
「……………………」
「……………………?」
「…………よかったぁ〜〜〜〜……」
「は、はぁ……?」
またひとつ安心事が増えて、ほっと胸をなでおろす。
なるほど、空から玄関を眺めたタイミングは、丁度鈴仙さんが出入りしていたタイミングと重なっていたのか。
そして既に姿も消していた、と……。
戸が開いていたのもその時だけだから、ごみとかは入ってきてないはず。
ああ……鈴仙さんが几帳面の性格で良かった……。
深い安堵に浸る私。
鈴仙さんはなにやら困った様子で、「なにか知らないけど、良かったですね」とおっしゃってくださった。
「ただ……」
……と、鈴仙さんは唐突に、顔つきを真剣なそれに変える。
そして……ハッキリと、告げた。
「ただこれだけは言っておきます……。やっぱり私は、師匠の側の者です。
師匠から命が下れば、従わなくてはならないと自覚してますし、そこに私情は挟めないと考えてます……」
とても苦々しく……本当は従いたくない、そんな気持ちが、如実に伝わってくる。
切なくて、悔しくて、悲しい……それらの気持ちが滲んでいる顔だった……。
「というか、逆らったらなにをされるか分かったもんじゃないんです。絶対なにかにつけて男にされます絶対! ひいいいいい!!!」
「お、おちついてください……」
すごい真剣な表情で途中からすごいびくびく怯えながら語るものだから思わず心配してしまいました。
鈴仙さんは、失礼しましたと乱れた息を整えて、表情を直してから続きを紡ぐ。
「だから……私がおふたりを助けてあげられるのは、師匠の目が届かない場所までです。
師匠が前に現れたその時は……私は、あなたたちの敵になります……」
「それでも、十分です」
今はひとりでも味方が欲しい状況だから。……ということもある。
けれど、それ以上に、彼女がウソをついてはいないということ。
敵に回ることさえ、正直に話してくれた。
その優しさがあるから、信じられると思った。
「私のこと、いつでも容赦なく見捨ててください。私も、ふたりを助けられないから……」
「ありがとうございます……」
お礼の言葉は、自然とこぼれた。
彼女の優しさに胸が熱くなったから。
鈴仙さんは、今お礼を言われるようなこと言いました? なんて笑って答えていた。
私も、なんだかつられて笑ってしまった。
ああ、彼女が味方で……良かった。
「それにしても……永琳さんはなんで、こんなことを……。
私とルーミアさんの間に……その……子供を、ですね……」
鈴仙さんの問題が解決したところで、話の論点をもうひとつの疑問に移した。
この事態の根本。この惨事を引き起こしたその原因……永琳さんについて。
あの聡明で、いつだって落ち着きがあって、大人びた素敵な人が、
こんなトンでもない大惨事を引き起こすだなんて……今でも信じられなかった。
紫さまの方は、まあいつも通りだし、別に。
確か……四半人四半霊半妖が"はいぶりっと"だとか、研究者として興味深いとか……
あとは、ええっと……ルーミアさんの母親気分だから? 孫の顔が見たい気持ちがなんとか……言ってた気が、するけど……。
だけど、だからってここまで事態が大事になるようなことなのだろうか、どうしても疑問が拭えない。
心のどこかで、ずっと引っ掛かっていた。いくらなんでも、もうちょっと納得がいくような理由が欲しい。
考える余裕もなかったからロクに考えてもなかったけど、
考える余裕ができた今、考えてみても、どうしても納得がいかなかった。
「ひょっとしたら……あれかな……?」
「え」
不意に、鈴仙さんがさも心当たりがあるような口ぶりで、呟く。
「なにか、心当たりがあるのですか?」
「んー……それが正解かどうかって言われたら自信はないですけど……」
「それでも構いません」
藁にもすがる気持ちで、話して欲しいとお願いする。
なにもとっかかりがない状況であれこれ襲われるよりも、幾分か納得してこの事態に向き合った方がスッキリできる。
もしかしたら、その心当たりとやらから、説得する材料だって見出せるかもしれない。
少なくとも、今よりは断然前進するはずだから。
「分かりました。……でもその前に、もう一度式神たちの状況を確認してからにしましょうか。
話に集中してて増援を許したなんてことになったら、目も当てられませんしね……」
「あ、ですね……」
私は、素直に鈴仙さんの提案に従うことにした。
重要な話だと認識している分、話に夢中になってしまいかねない。鈴仙さんのいうことももっともだったし。
言って、鈴仙さんは耳を澄まし始める。
ずっと横で話を聞いてたルーミアさんも、溶けていた体を固形に戻して、立ち上がると、今一度鼻をすんすん動かした。
私も、せめて木の陰から見える範囲を索敵しようと、木の陰から周りを伺うことに……
「……ん?」
と、なに気兼ねなしに触れた桜の木肌に、不意に指先に違和感を覚えた。
本来の木肌の凹凸とは明らかに違う、人為的に彫り込まれたような手触りが、指先を通じて伝わってきたからだ。
「ふぅ……まだ特に怪しい音とかは聞こえてきませんね」
「匂いもだよ。よーむちゃんの匂いと、おうどんさんのケモノくさいにおいしかしないよー」
「ルーミアちゃん、もうちょっとデリカシーってものを学ぼうねー」
「でりかしー? おかし?」
「お菓子じゃないのよ礼儀なのよ」
ルーミアさんと鈴仙さんが、とても和気あいあいと和やかに会話を交わしている。
そんなやり取りも聞き流してしまう程度には……指に感じた違和感に意識を奪われていた。
軽い興味本位で目を向けると………………これは……文字……?
【 このラクガキを見て うしろをふり向いた時 貴女たちは ――― 】
「……………………………………」
文面の最後の部分は、私自身の指がちょうど触れていて、隠れている。
…………………………なーんか。
前に幽々子さまに、おススメだからと強引に読まされた、紫さまから借りた本の中に、これと似たような展開があったような……。
なんとなく、指をどかさないままその文字列を睨み続けた……。
【 このラクガキを見て うしろをふり向いた時 貴女たちは ――― 】
「わたしはお菓子よりお肉の方が好きー」
「そうなのー。でも今全然関係ない話ですねそれ」
「だいじょうぶ! おうどんさんのお肉より、人肉の方が好きだから! 安心してっ!」
「それ安心できるの!? ねえ!?」
【 このラクガキを見て うしろをふり向いた時 貴女たちは ――― 】
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
ルーミアさんと鈴仙さんのやり取りを他所に、脳内で奇妙な効果音が再生される。
みょんなプレッシャーが、気持ち体中を圧迫してくる錯覚に陥る。圧迫祭りである。
こんなの、別になんてことない、はず……。
そう思って……そう言い聞かせて……最後の文字を隠した指を、どかす。
【 このラクガキを見て うしろをふり向いた時 貴女たちは ――― 】
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
【 ――― 生まれ変わる 】
……………………「生まれ変わる」。
意味は分からない……ただ、文末にはそう、刻まれていた。
「あとその呼び方だと食用の方にしか聞こえないからできれば止めてって何回も言ったよねー?」
「うん聞いたー」
「聞いた。ああ、聞いただけなんだ。やめる気ないんだ、ひでえ」
鈴仙さんの耳には反応なし。
ルーミアさんの鼻にもなにもにおってないよう。
敵は、近くには居ない………………、……はず。
「えへー♥」
「褒めてないから!? 褒めてないから!?」
違うと、そんなことはないと、不安を拭うように……私は後ろを振り向い―――
『ゆ〜〜〜かり〜〜〜んふぅぅ〜っか〜ぁぁあああああつ……』
「―――っっっ!!!!!!!!!!!!!!!!」
振り向いた、すぐ後ろの空間を切り裂さき開かれた亜空のスキマの中、おぞましい形相で嗤う八雲紫、その人の姿が目に映りこむ。
しまっ……た……。
スキマから直接空間を繋げられたなら、ルーミアさんの鼻にも鈴仙さんの耳も関係なく、いきなり現れられるじゃないか……!
「ルーミアさんッ!! 鈴仙さんッ! 危ないッッ!」
ガォォォォンッッッ!!!
・
・
・
・
・
「う、うん……」
咄嗟のことだった。
「どうしたの、よーむちゃん……? なんなの、今のはいったい……?」
紫さまの姿を確認して、そのおぞましい形相からくる悪寒に従うよう、必死の力で距離を取った。
私は……持てる瞬発力を全て出しきり、ルーミアさんに体ごと飛びついて……
横っ跳びの勢いそのままに彼女を抱きかかえて、紫さまから一気に距離を取ったのだった。
鈴仙さんを取り残して……。
つまり、見捨てた形になるな……。
いやごめんなさい、ルーミアさんを助けるのに必死でつい見捨ててしまいました。
しかたないじゃない! しかたないじゃない! おふたりの立ち位置離れてたんだもん!
だけどいいよね。いつでも見捨てていいって言ったもんね。仕方ないんだもんね。ごめんなさい。
「ルーミアさん……すみません、実は紫さまが―――あれ……?」
ルーミアさんの事情を説明しながら、さっきまでいた場所へ振り向く。
と……そこに鈴仙さんの姿はなかった。
それは……おかしかった。
仮にも見通しのいいこの場所で、人ひとりの姿が消える、ということは、まずない。
確かに、さっきまで私たちがいた場所にはもうもうと砂埃が舞って、様子がよく見えなくはあるけど……。
それでも、人間大の大きさのものを覆い尽くすほどではない。
だから言葉通り、鈴仙さんの姿だけが消えてしまっていた。
「どうしたの……? ゆかりんさまが……なあに……?」
スキマに飲み込まれてしまったのか、昨日の私たちのようにどこかに飛ばされてしまったのか。
それとも、得意の波長を操る能力で、ひとり姿を隠して様子を伺っているのか?
……あまり言いたくはないけれど……最後のは考えにくいと思っていた。
鈴仙さんは、安全だと確信した状態のままで、背後からのスキマにまったく気づいていなかったのだから……。
ただ……その紫さまのお姿も、どこにもなかった。
「……? よーむちゃん? おひるのおかわり、用意したの……?」
事情を話すために動かしていた口が、思わず止まる。
今の状況の把握を、とても平行して行えるものではなかったから。
黙して、さっきまで自分たちの居た場所を、砂埃が晴れるまで、ただただ凝視した。
目を向ける先では、幽々子さまの頭巾が、ふわりふわりと舞い落ちてきた。
今までルーミアさんが被っていたものだろう。ちらりと見れば、ルーミアさんの頭に、今までつけていた頭巾がなくなっている。
やっぱり、はずみで脱げて、取り残してしまったらしい。
ゆったり宙を舞い降りて……そして砂埃にその姿を隠した。
もうもうもう……
鈴仙さんは、どうなってしまったんだろうか?
相手はあの紫さま。
酔狂な格好にされている可能性だって否めない。
いや、紫さまは無駄にこだわるお方だ……同意を得てからでないと、そういうことはしない……と思う。
なにが起こったのか、まるで予測できないまま。
せめてスキマに飲み込まれただろう彼女の身を案じながら。
やがて砂埃は晴れて……。
ホカ…… ホカ……
「……………………」
違う。
違っていた。
砂埃だと思っていたのは砂埃などではなく………………それは、湯気だった。
そして、そこには、
ホカ…… ホカ…… ホカ……
…………うどんが。
「…………………………は?」
ホカ…… ホカ…… ホカァァァー……
器に盛られた、ほくほくうどん……。
うどんといっても鈴仙さんではない。小麦粉に少量の塩を加え、水でこね、薄く延ばして細く切ったものを茹でた食品の方のうどんである。
ただそれが、ちょこんと地面に配膳されているだけの……ひどく場違いな風景。
「な、なんですか、このうどんは……? ねえ、鈴仙さん、どこ行ったんですか?」
居るべき彼女が居らず、あるはずのない食品が置かれている事実は……私に、ルーミアさんに、言いようもない戦慄を走らせた。
ホカァァ……
ホカァ、ホカァァァ……
「見捨てたのは謝りますから……。早く出て来て……!」
「なんで……? おうどんさんは……? おうどんじゃない、おうどんさん…は……?」
「ねえ、鈴仙さん……? れいせ……」
ホカァァ……
ホカァ、ホカァァァ……
「鈴仙・優曇華院・イナバァーーーーーーーーーッッ!!!」
居なくなった彼女の名を、叫ぶ声だけが木霊する。
めん汁の、ダシの利いた香りが辺りに満たされる。
「鈴仙・優曇華院・イナバは……うどんになった……」
そこに、ひどく厳かで、残酷なる声色が奏でられた。
やがて、目の前に配膳されたうどんの上の空間が切り開かれ……八雲紫が、スキマよりその姿を覗かせる。
「うどんに……なっ、た……?」
コノ方がナニをイっているかワカラナイ……
八雲紫は……理解の追いつかない私へ向け、体をスキマの亜空に潜ませたまま、顔だけ覗いて語り続けた。
「私の能力は、物事のあらゆる境界を操ることができる……。変えてやったのよ……。
あだ名と本名の境界をいじり、同名異種の境界をいじり、肉体と名前の境界をいじり、ほっかほかのうどんに変身 えてあげたのよ!」
なんか結構な手間掛けて境界いじってるーっ!?
「って……じゃあ、まさか……!」
「ええ……この麺類が、彼女よ」
言った、ハッキリと。
あり得ない現実を。
続くはずのない文字列を。
きっぱりと、そうだと断言した……!
「このおうどんが……おうどんさん……なの? じゃ、じゃあ、おうどんさん、どうなっちゃったの……? どうなるの……?」
「ふふっ、安心してルーミアちゃん……別に一生このまま食品として過ごして貰おうって訳じゃあないわ……。
まあ……元に戻して貰う対価として、ちょーっとお着替えに"同意"して貰うことになるかもしれないけどね……」
この人は……本当になんてことを考えるんだ……。
自分のルールさえ守れれば、こだわりさえ果たせれば……それ以外のことは、本当にあらゆる手段を用いることを厭わない……。
「次はあなたたちよ……」
たった……それだけの……。"コスプレの同意を取る"ためだけに……。
鈴仙さんを……ひとりの存在を、うどんに変えるだなんて……。
「コスプレとは、同意を得てから着せるのが……真骨頂……」
そんなばかげた発想を、本当に実行するなんてッ……!
余計に……最悪じゃないかッッッ!!!
「ひとりひとり、動けないようにして……ひとりひとり、順番に交渉して……この八雲紫プロデュースで生まれ変わらせてあげる……!」
どす黒い瘴気のような欲望が、辺りに渦巻く。
顔しか覗かせていないその状態で、言いようもない威圧感が放たれる。
圧倒的な妖力ではなく、その歪みに歪みまくった欲望そのものに、蝕まれそうな感覚。
「うそだ……」
反則過ぎるその能力は、言葉が嘘ではないことを裏付けていること、十分理解しているつもりなのに。
頭がそれを認めたくなくて。
恐怖に、戦慄に震えそうな、体に……鞭を打って。
「鈴仙さんが……うどんになったなどと……」
ルーミアさんの体を、引き寄せて。
震える彼女の恐怖を、体ごと抱きとめて。
再び、両の脚へと力を込めて。
私は、
「ウソをつくなああああああーーーッ!!!」
叫びと共に、思いっきり地面を踏み込んだ!
紫さまと反対方向に!
「え!? 逃げるの!? 待ちなさい、マイスイートバニー!! いえ、ルーミアちゃんズスイートバニーちゃん!!!」
いや無理でしょ! あんなのっ!
_________|\ .
TO BE CONTINUED \
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