私は、ルーミアさんとレティさん、あと本当は連れていきたくないけど文さんを引き連れ、白玉楼への道のりを飛んでいた。
 私が先導する形で、レティさん文さんのおふたりが後ろからついてくる。
 ルーミアさんは闇を濃くまとって私の腕に抱きついて、私は闇から顔だけ出して先導してあげるという、毎度お馴染み黒ダルマ状態となった。
 ちなみに、この体勢になった際、現在後ろにいるおふたりにやれラブラブだやれ取材させろだ冷やかされたのは言うまでもないことで……
 し、仕方ないじゃないですか! ルーミアさん闇をまとって辺りがなにも見えなくなるんですから!
 いくら日焼け止めクリーム塗ってるたって、やっぱり少しでもルーミアさんの体に無理をかけさせたくなかったし……
 ……それに、こっそり聞きたいこともあったから。


「ところでルーミアさん……あの後も、チルノと弾幕勝負してたんですか?」

「ふぇ?」

「ほら、さっきレティさん、昨日ルーミアさんとチルノに会ったって言ってたじゃないですか。
 それって……一緒に居たってことじゃないかな、って……」

「あ……え、と……」


 私の質問に、ルーミアさんは「えっと……えっと……」と同じ言葉をくり返して、返事に困っている様子だった。
 姿が確認できないのでハッキリとしたことは言えないけれど、きっとその表情はオロオロとしたそれを浮かべているんだろう。

 さっきレティさんが言った言葉の中に、何気ないけどすごく引っかかった言葉があった。
 それは……暗にルーミアさんがチルノと一緒に居たということを示していて……そして同時に、ひと月前の騒動が頭を過ぎる……。
 ひと月前のいじめ問題の後、ルーミアさんがあの氷精とどうなったか、私たちは聞いていない。
 それを、氷精が以後ちょっかい出さなくなったからと勝手に決めつけ、私もそれ以上の追及をしなかった。
 が、事実は私の想定していたことと違うみたいで、彼女は宿敵だった氷精と一緒に居た。少なくとも、昨日の時点では。

 まあ、一緒に居ただけなら問題はないと思う。昨日の敵は今日の友とか、屈服させて家来にしたとか……うむ、その展開ならざま見ろチルノ。
 けれど、私の推理ではそうではなく、おそらくルーミアさんはあの後も弾幕ごっこを行っていた。それも複数回に渉って。
 その推理は当然当てずっぽうという訳じゃなく裏付けもあって……それを口に出して直接問い掛ける前に、
 私は横目で後ろのふたりの様子を伺った。
 後ろのおふたりは、変わらぬ表情で私について来ていた。
 片方が「かめらー、ねたちょー」と情けない顔で情けない声をあげていたけど知ったこっちゃねぇ。
 こちらの会話を気にかけている様子もなく、距離もそこそこに離れていて、小声で話せば聞かれることはないだろう。
 私は、裏付けさんご本人に聞かれないことを確認してから、「それに……」と前フリして、ルーミアさんに小声でこう尋ねた。


「……レティさんが起きちゃったのって……ひょっとしてルーミアさんのスペルカードせいじゃないかな、って、思って……」

「ひぅっ!?」


 私が言うと、小さく可愛い悲鳴と共に、私を包んでいた闇が大きくブレた。
 まるで水面に石を投げ入れたように、黒い球体の表面が大きく波打つ。
 同時に、その闇の主がビクッと大きく身を震わせたのが、抱かれた腕から伝わった。






 

みょんミア

二、内幕は様々な思惑の上に







 やっぱり……。
 闇の中、可愛らしい悲鳴と、腕を抱く感触がこわばるのを感じて、私は推理が的中したことを把握した。
 まあ当てたと言って別に嬉しいってこともないけど。

 つまり、冬以外は眠って過ごすレティさんが起きてしまったのは……ルーミアさんのせいなのだ。
 多分、何度もチルノと弾幕勝負をくり返し、そのたびに例のアレ(←私はスペカ名を言いたくない)を使っていたのだろう。
 で、そこがたまたまレティさんが寝床と使っていた場所、もしくはその周辺だとすれば、全ての話が繋がるのだ。


「どうかしたの?」


 ルーミアさんの闇が普通じゃない動きを見せたのを心配したのか、後ろの離れた位置にいるレティさんからそんな風に尋ねてくる。
 ……と、しがみつかれている腕に、かすかにぷるぷると震えているのが伝わってくる。同時に、「ううぅ……」と困ったように怯える声も……。
 あー……別に叱るつもりとかはなかったんだけどなぁ……。
 図星を突かれただろうルーミアさんには、隠していたお皿を割ったことがバレた、みたいな心境に陥らせてしまったかもしれない。

 私は、ひとまず離れた位置にいるレティさんに「いえ、なんでもありません」と返す。
 レティさんは「そう?」なんて軽く返して、それ以上追及してくることはなかった。
 それから、ルーミアさんの不安を取り除いてあげようと、極力柔らかい口調で語りかけてあげる。


「大丈夫です……別に言ったりしませんよ……」

「ほんと……?」


 闇の中、こわばっていた腕を抱く感触が緩むのが伝わってきた。
 それでルーミアさんがほっとしたんだろうということが理解し、私も安心する。
 反面、そのほっとした時の可愛い仕草が拝めなくて残念だなぁとか思ってしまうのだけど、そんな個人的な感情は置いておいて。
 それよりも……


「それよりも……また、チルノのヤツにいじめられてないかの方が心配で……」

「……え?」


 責めるつもりはなくて……ただ心配なだけ。


「その……チルノのヤツが懲りずにまたいじめてるのかなって、思って……。それでルーミアさんがまた……」

「あ! し、心配しないで! 大丈夫っ! 大丈夫だからっ!」


 ルーミアさんは大慌てで私の言葉を遮って、大丈夫とくり返し告げた。
 本当は、人が話してる最中に被せてくるのはあんまりお行儀が良いとは言えないけれど、
 それだけ彼女がいち早く私の心配を打ち消したかったと分かっていたので、その辺の礼儀を問おうとは特に思わなかった。
 そして彼女は、まるでいたずらや悪いことをしたことを白状する子供のように、ゆっくりと告白を始める。


「あの後ね、何回も弾幕ごっこしてたはほんとう……。で、でも、いじめられてたとかそんなんじゃなくて……!
 ちゃんと勝負って形で受けてるから大丈夫! それに……えっと……なんかね、ヘンなの」

「ヘン?」

「うん……」


 ルーミアさんは、闇の中で頷いたことを言葉で私に伝えた後……すぐには次の言葉が続かなかった。
 もう一度「えっと」をくり返して、まだ上手く言葉にまとめきれてないその気持ちを、戸惑いながらも一生懸命まとめていた。


「うんとね……よーむちゃんたちのお陰で勝ててから、チルノちゃんがもっかい勝負だー! って……来るようになったんだけど……。
 別にわたし、それがいやってわけじゃなくて……ふつうに、勝負受けてあげることにして……。
 今はね、わたしもちゃんと撃ち返すようにしてるのっ! だから、別にいじめられてる訳じゃないの……。
 そしたら、よく分かんないんだけど……前よりも楽しいかな、って思っちゃって……」

「ルーミアさん……」

「えへへ…… よーむちゃんのお陰で勝てたからかな?」


 闇に覆われててその表情を見ることができなくとも、彼女がはにかんだ微笑みを浮かべていることだけは十分理解できた。
 思うと、この数十センチも離れていない距離にあるそれを見れないことが、とても残念に感じる。


「だったら……なんで黙ってたんですか?」


 私は、責めるようなニュアンスを出してしまわないよう細心の注意を払って、ルーミアさんに極力やんわりと返した。
 一方的にいじめられていた訳ではない。しっかりと勝負として受け、成り立っているのなら、なんの問題もないのだ。
 なのに……ルーミアさんは黙ってしまった。
 しばらく返事が返って来なくて……その内、静かに「ごめんね」。そう謝る声が耳に届く。


「だって……わたし、負けちゃったから……」


 それは、とても申し訳なさそうに紡がれて。


「……折角よーむちゃんやゆゆちゃんががんばってくれたのに……わたし……結局、負けちゃって……」

「そう、でしたか……」

「8回やって……3回も」

「そう……8回やって3回も……」


 …………へ?


「……あのー、ルーミアさん。それって……ひょっとしたら8回やって、5回は勝ってるんじゃないでしょうか?」


 8−3=5。
 寺子屋の子供にだってわかるような簡単な引き算。
 ……それって裏を返せば8回中5回は負けてないってことで。ひょっとしたら……


「ん……。5回は勝てたよ」

「ほらやっぱりっ!!」


 引き分けなしの純然たる勝ち越し。
 んじゃあルーミアさん勝ってるじゃん! 誇らしいことじゃん! しかも貯金2個までつけて!
 え? ちょっとまってルーミアさん、なんでそれで落ち込んでるの?


「けどわたし、負けちゃったよ……」

「いやいやいや、十分すごいですよ!? 十分成果出してくれちゃってるじゃないですか!?」


 一方的にいじめられてた時からみれば、それは十分過ぎるほどの成果で、成長。
 言ってしまえば、負けて普通って状態からここまで成長してくれたのだから、私たちが頑張った甲斐もものすごく報われているというもの。


「けどっ! みんながわたしのためにがんばってくれたのに……! それでもわたし、負けちゃったから……」


 なのに、本人はそれを良しと思ってはいない。
 白星よりも少ない黒星ばかりを気に掛けて、その喜ぶべき事柄を悲しみとしてひとりで抱え込んでしまった。
 一体どうして……?
 少しだけ頭を捻ってみて、ふと気づく。

 ああ、そうか……。
 彼女には、まだ幼さが抜けてない、純粋で無垢なところがある。
 だからきっと彼女は、私たちの苦労に報いるためには1回でも負けちゃダメ。そう思いこんでいたんだろう。
 頑張ってもらった恩に報いるため、勝ち続けなくちゃいけない。
 だからでも1度でも負けてしまったら、私たちを悲しませてしまうと……そう思って……そして、負けてしまったのだ。

 子供っぽい短絡的な……それでも純粋なルーミアさんらしい発想。
 だったら、初めに手を引っ張った私が最後まで責任を持って、引っ張ってあげなくちゃ……。


「別に、完璧にこだわることなんてありませんよ……」


 見えない闇の中、勘を頼りに、空いている右手を彼女の頭に伸ばした。


「ふがふが……よーむひゃ…、おふぁなにゆび、いれにゃいで……」


 鼻の穴に引っ掛かった。
 やり直し。


「別に、完璧にこだわることなんてありませんよ……」


 見えない闇の中、勘を頼りに、空いている右手を彼女の頭に伸ばした。
 ぽすんと手のひらに彼女の頭が収まる感触がする。
 私は、さらさらとした彼女の髪に沿って、そっと頭を撫でてあげた。


「よーむちゃん……?」


 褒められる立場にないと思い込んでいる彼女は、優しく撫でられて、不思議そうに私の名前を呼んだ。
 見えない彼女に顔を向けて、私は言葉を続ける。


「勝ち続ける必要なんて……完璧じゃなくったって良いんです。
 ルーミアさんは、ただでさえ苦手に立ち向かった、そんな素晴らしいことを成し遂げてくれた。
 私たちにはそれで十分に報いて貰ってます……。その上で勝ち越しなんて、最初に比べたらすごい成長です」

「そうなの……?」

「そりゃあ、全てに勝ってくれた方が良いのは本当ですけど……けれど全てに勝とうなんて思わなくて良いんです。
 勝つことにばかりに目が行けば、本当に大切なことを見失うこともあります……。
 私が……私たちがあなたに求めたのは、立ち向かえる勇気を持つことです。
 だからちゃんと成長してくれたあなたを、私は誇りに思います……。剣を教えている身としても、私個人としても。
 幽々子さまだって、きっと……いいえ、絶っ対、褒めてくれますよっ!」

「ほ、ほんと!?」

「ええ。……むしろ私も幽々子さまも、折角5回も勝てたことを教えてくれなかったことに、ちょっとだけ拗ねちゃいますよ?」


 最後の言葉は、ほんの少しだけ困らせてやろうと付け加えてみた。
 言葉通りに少し拗ねた表情と口調で言って、ちょっぴり意地悪して。
 それに対し、うぅ……。と、小さく呻く声が返ってくる。
 本当に素直で、思惑通りの反応が返ってきて……あまりにその通りに反応だったので、ほんの少し申し訳なくも感じてしまう。


「だ、だったらね……! あのねっ……!」


 と、落ち込んだ声色は突然嬉しそうに弾むそれに変わった。
 同時に、腕を包んでいた感触が半分だけ解けて、なにやらもぞもぞ動いているのが伝わった。
 少しして、今まで彼女を包んでいた、中を見ることも叶わないほど濃かった闇が、中心の彼女を確認できるまでに薄まった。


「えへへー 実は昨日も、勝っちゃったの〜


 薄まった闇の中、やっと拝めた満面の笑みを私に向けて、数枚のカードを私に見せびらかすように突き出している。
 なるほど、さっきのもぞもぞは、片方の手を自由にしてこれをポケットから取り出すためにか。


「これね! チルノちゃんのスペルカードなんだよ! わたし、またゲットしちゃった!」

「本当ですか?!」


 なんと、勝ち越しだけでも十分すごいことなのに、彼女はカードゲットまで果たしていたなんて!
 確かに、カードには氷や雪のマークが描かれている。
 それは、氷を扱う氷精・チルノのスペルカードであることに間違いないだろう。

 スペルカードルールにおいて、カードをゲットするためには単純に勝負に勝つだけではダメ。
 相手の得意技を完璧に打ち破って、それで初めて得られるもの。
 だからカードを手に入れるということは、それだけ相手より上の実力を示したという証明でもある。
 つまり、これが私たちと彼女の本当の「成果」なのだ。

 ルーミアさんも、自分が5回も勝てたことや、カードまでゲットできたことをずっと自慢したかったらしい。
 これはもうパターンが分かっちゃったからいっぱい取れちゃうよ。
 これは難しかったけど、それでも取れたんだよ。
 これは最初は失敗しちゃったけど、5回目には成功したんだよ。
 そんな風にすごく嬉しそうに、楽しそうにカード一枚一枚について語ってくれた。


「へぇ……すごいじゃないですか。さすがです!」

「えへー そーなのー

「私も驚いたわ」

「きゃー!?」


 と、そこにレティさんが割り込んで来て、負い目のあるルーミアさんは盛大に驚き、抱いていた私の腕を離して思いっきり距離を取るのだった。


「あ、驚かせてごめんなさい。突然闇を薄めて楽しそうに話し始めてたものだから、なんの話してるのかなって、つい」


 一体どの辺から聞いていたのだろうか。
 ルーミアさんは、自分がレティさんを起しちゃったことがバレてないかと、薄めた闇の中でおどおどオロオロしていた。
 まあ、肝心の部分を聞かれないことは私の方で確認しているから大丈夫なんだけど、当事者というのはかくも不安が拭えないものだし……。

 一方、ルーミアさんの過剰反応に対し、レティさんは対称的におっとりと答えていた。
 その姿を見る限りでも、やっぱりバレてないのだろうと推測できる。
 まあ……この方ならもしバレても、こんな感じでアッサリ許しちゃいそう。
 まだ出会って少ししか経ってないけどそんな気がする。おかあさんっぽいし。

 私は、一旦離れたルーミアさんに近づいて、小声で「大丈夫ですよ」と安心させてあげてから、レティさんの方に向き合った。


「ルーミアちゃんが、チルノちゃんに一方的に手を出されてたのは知ってたの。
 いつもなら、いやがってるんだからやめなさいって、叱ってたんだけどね……。
 けど、昨日見てみたら、ふたりは対等に勝負してて、私もちょっと驚いちゃった」

「へぇ。それは私も見たかったですね」


 ルーミアさんは、本当に強くなってくれたみたい。
 初めに比べたら、凄い成長だ。私も、もう聞いているだけじゃ満足できなくなってきて、その勇姿を、一度は見てみたいと思い始めてきた。


「よーむちゃんのお陰だよ……」


 その時、ルーミアさんは一度は離れた私の腕に再び抱きついて、寄り添ってくる。
 そして、ほんの少し、上気した頬と、甘えた声で……


「あ、あのね……。チルノちゃんにまた勝ったんだから……。わ、わたし……えと……。
 …………また、ごほうび……ほしいな……なんて」

「ごほ――ッッ?!?!?!」


 ルーミアさんの言葉に、驚き言葉が詰まって、意識がぶっ飛びそうになった。

 ご褒美って言ったら……多分ひと月前の"ご褒美"のことを指していて……それってつまりは……
 すぐになんのことか察してしまい、私の頭の中身は地獄極楽メルトダウン! ふ、不意打ちにも程がありますってっ?!
 この流れで出てくるとは完全に予想外。顔が究極的に紅くなって、沸騰して今にも溶けてしまいそうだった。

 ルーミアさんは、期待を秘めたように赤い顔ではにかんで……私の顔を見上げてきて。
 私は……もうしないって決めたのに……こんな風に求められて……困るしか、できなくて……。


「ふふっ、本当に仲が良いことで」


 レティさんは、動揺する私と顔を赤らめるルーミアさんを交互に見比べては、柔らかく微笑んでいた。
 ルーミアさんが具体的にはなにを求めているかは知らないはずなのに、私たちを恋人同士と勘違いしているからだろう。
 どういう類いのものかは想像がついてるらしく、穏やかに「あらあら」「うふふ」と笑いをこぼす。


「ご褒美ですか〜。まさか、この写真のようなことでもしてるんですかねぇ〜。どうなんですか、妖夢さ〜ん?」


 そんで後ろでひとり取り残されていたマスゴミ天狗も、ここにきて会話に参戦。最速の翼をこんなところで使うなよ。
 そして新聞の例の3ページ目くらいを開いて私に見せつけては、そんな事をニヤニヤ聞いてくる。
 ちくしょう、ジャストミートで大正解だから否定できねぇよ。


「あ! み、見えてきました! あれが白玉楼ですみょん!!」

「"みょん"!?」

「って、あら? もう着いたのね」


 おっとり攻めとウザいマスゴミ攻めと、無意識天然攻めの三者三様のプレッシャーに圧殺されそうになったその時、
 丁度良く白玉楼が目に見えるほど大きく迫っていたので、私は話を逸らそうと、全員の意識を屋敷の方に向けた。
 台詞は噛んだけどきにしないみょんっ!


「誤魔化しましたね……」


 ええ誤魔化しましたとも。誤魔化してなにが悪い。
 しっかりツッコミ入れる文さんに対し、レティさんは私の心情を知ってか知らずか、ありがとうとお礼を言って、意識を白玉楼の方に向ける。
 そして、広く佇む幽明楼閣を空より一望した。


「へぇ……大きいわね。これ程の名家を背負う明主・西行寺幽々子……一体いかほどのものなのかしら。ふふっ、楽しみだわ」


 意味ありげに、期待とも取れる言い回しでそんな呟きを口にする冬の妖怪。
 いつもなら、その意図を気にかけるところだけど、私はご褒美の話を逸らせたことに安心できて、なんかもうどうでもよかったみょん。


「では行きましょうか」


 私は、全員にそう呼びかけて、屋敷へと先導する。今度は噛まなかったから良かった。

 4人揃って屋敷の玄関へと降り立つと……そこには、先程からずっと待っていたのだろう、幽々子さまのお姿があった。
 白玉楼の主は、我々4人が正門の前に降り立つのを確認すると……


「お写真ごめんなさい! ひれ伏してでも謝るから、ごはん抜かないで妖夢さま!」


 土下座で出迎えて下さるという素晴らしいカリスマを見せてくださった。


















「お初にお目に掛かります、冥界の姫」

「いえいえ、こちらこそ。そんなお気づかいなく、どうぞ気を楽にしてくださいませ」


 白玉楼の客間にて向かい合い、それぞれ挨拶を交わす幽々子さまとレティさん。
 私とルーミアさんは同じ部屋の壁際に正座し、一緒にその会談に立ち会い、その様子を眺めていた。
 まあ、紹介した手前、仲介役として必要ならば言葉を添える程度は行うためだ。

 レティさんは、立場の違いを理解してか、礼儀正しく深く頭を下げていた。
 対して、幽々子さまはとてもリラックスしたご様子で友好的に話しかけている。
 いつもなら初対面の相手はある程度の威厳は保ったまま向き合う幽々子さまだけれども、
 今回はルーミアさんが連れて来てくれたお客様というのがあるのだろう。
 もしかしたら、おふたりの見た目の年端が同い年ぐらいというのも、その理由のひとつかもしれない。なんとなく思った。


 我々が到着するなり、土下座して一使用人風情に謝るという醜態を晒した白玉楼の主ちゃんだったけど。
 更にその後の展開は神懸かっていて、お気に入りのルーミアさんの突然の来訪に気づいた幽々子おねえちゃんさまは、
 飛びつくように抱きしめてはすりすりして、日焼け止めクリームで着物がべたべたしたことに気づいて地面に投げつけてしまい、
 土下座をなさるという天丼(お笑い業界用語)を行ってくださった後、ルーミアさんに謝罪の言葉を投げ掛けながら手を貸したところで、
 更に2名の客人の存在に気づき、今の醜態をさらしたことを驚いて、またルーミアさんを投げ飛ばしてしまい、また土下座。
 ルーミアさんへの土下座カウントを一気に2回増やすという、それはそれは溢れんばかりのカリスマを客人に晒してくださった。

 笑いの神が降り立ち(というか厄神様にでも取り憑かれてるんじゃないかな……)、地獄の底の底に届くほど落ちた冥界明主の威厳だったが、
 慌てて取り繕った対応だというのに、その応対たるや優美にかつ威厳溢れるお姿へと盛り返してしまうほど天衣無縫だった辺り、
 幽々子さまの取り繕いスキルはもはや神の領域にまで達していると思った。
 余談だけど、幽明楼閣の女主人の世にも珍しいひとりコントを写真もメモもとれずにいた文さんは、とても悔しそうにしていた。

 レティさんのことは、その際私とルーミアさんの方ですぐに幽々子さまへとご紹介させて頂いた。
 その時に、「お母さんじゃないです!」と怒られていたルーミアさんを眺めて、私と幽々子さまは共々可愛いと思って和んだ。


「さて……レティさま、とおっしゃいましたね? なんでもうちの使用人が無礼を働いてしまったということで……お身体の方は?」

「ご心配ありがとうございます。ですが大丈夫です。それよりも今は、あなたと話をする方が私にとっては重要ですから……」


 本当は……レティさんには、負傷した体を休めてから会談に臨んで欲しいと思った。
 幽々子さまも、恐らくそちらの方が好ましかったのだろう。……だってもうお昼ごはんの時間だし。
 けれども、レティさん本人が一刻も早く話をすることを望んだため、幽々子さまとの会談はすぐに行われることとなった。
 まあ、今永琳さんを呼んで来て貰っているし、話し合いが終わる頃には、レティさんに相応の治療を行うことができるだろう。


「分かりました……そこまでおっしゃるなら、伺いましょう」

「かーめーらー、かーえーしーてー」

「はい、まずは……」

「ネーターちょー、かーえーしーてー」

「…………」

「…………」


 ちなみに……私たちの向かいの壁際に文さんがひとり喚いている。
 正直、この人の存在は邪魔以外の何物でもないんだけど……
 目の届かないところに置いておく方が遥かに危険だったので同席させた次第である。


「しゃーしーんー撮ーらーせーてー。メーモー取ーらーせーてー」


 文さんは、今も玄関でのテンションを維持したまま反対側の壁で喚き続けている。
 まあ、文さん自身、既に手を打たれているため、変な気は起こさないだろうけど……ああもう、うるさいな。


「妖夢……せめてメモ帳だけでも返してあげなさい……。うるさくて敵わないわ……」


 レティさんと向き合っていた幽々子さまも、そのやかましさに堪えきれなくなり、さすがに頭を抱え始める。


「幽々子さま? しかし……」

「あまりにも我慢できなくなって本気出されでもしたら、それこそ大変なのよ……。だってあなた……本気出したら、相当強いでしょ?」


 幽々子さまは、文さんへと視線を移し、尋ねた。
 文さんは曖昧に「いえいえ、滅相もございませんよ」などと落語家のように頭を軽く叩いて誤魔化すのみ。
 ……けれど、天狗という種は、肉体的にも妖術の力も、幻想郷ではどんな妖怪にも引けを取らないほど強い力を持つ種族。
 ただその力を見せびらかすことはなく、私自身、この人の底をまだ見たことがない。
 見たことのある者さえ、この幻想郷でも限られているだろう……。
 先程の追っかけっこが良い例だ。
 私は、現在体中が悲鳴を上げてるほどに肉体を酷使して、私の人生最高速度を出したというのに、
 文さんはそれに匹敵する速度をあっさりと出しておきながら、全然ケロリとしている。
 それほど天狗という種は強靭で、かつ狡猾な種なのだ……。


「大丈夫。カメラだけでも十分人質になるから。それに……その天狗さんには私も用があるからね」

「はぁ……」


 徹底的にムチを与えるよりも、わずかにアメを与える方が得策と幽々子さまはお考えなのだろう。
 それに幽々子さまもなにやらこのマスゴミにご用があるとか……。
 まあ幽々子さまの考えることは分からないのはいつも通りなんだけど、それでも幽々子さま直々ご指示である。
 納得の行かずとも従うのが私の役目と、向かい側に居る文さんへ近づき、近くを舞うものに注意しながらメモ帳だけを彼女に手渡した。


「おおー、ネタ帳〜、会いたかったよ、我が息子マイサン〜!」


 受け取ったネタ帳を、まるで息子と再会した母親のように頬ずりして、文さんは再会を堪能していた。
 これだけ見ると、感動の再会良かったねと思ってしまいそうなほど、素敵な笑顔だけど、
 その実、その息子は悪い知識ばっかり増やされた不良さんなので、冷静に考えると素直に喜べない。


「カメラの方は、私との話が終わった後に返してあげますので、それで宜しくて?」

「えぇえぇ、こちらとしても冥界の明主との直接対話なんて願ってもないこと。至れり尽くせりですよ」


 幽々子さまは、歓喜に浸る文さんにそうおっしゃると、文さんはふたつ返事で頷いてみせた。
 まったく……調子の良いことで。
 今回の一番の最優秀傍迷惑賞受賞者が至れり尽くせりだなんて、
 今回の最大の被害者のひとりである私には、普通にしゃくに感じるのも無理のないことと理解して欲しい。

 ……と、ここまで調子の良さそうだった文さんだったが……ばつの悪そうにもうひとつだけ、幽々子さまに追加の注文をなさった。


「……まあ、あとは、私の周りを舞っているこの蝶をなんとかして頂ければ……もっとありがたいのですけど……」


 文さんの周囲約1m以内には、幽々子さまの霊力で作られた大量の、それでいて美しい蝶が、ふわふわと舞っている。
 20か、30か……そのくらいの量に囲まれていた。
 文さんがひとり距離を取っている理由はこれである。


「あら、綺麗で良いかなと思いまして。風情でしょ?」

「いやしかし……これって……もし触れでもしたら……」

「大丈夫よ。触ったら問答無用死ぬだけだから 例え幻想郷最強クラスでも、ね
 無理矢理逃げようとしてうっかり触らない限りは大丈夫ですわ


 こわばった笑顔のままの文さんに、幽々子さまは何食わぬ穏やかな顔のまま、まるで楽しむように語った。
 これにはさすがの文さんも、「ひぇ〜」なんて情けない悲鳴をこぼすしかなかった。
 ハッキリ言って息子2号カメラを人質にするより確実で暴力的なムチである。

 私も半分だけ生きてる身なので、うっかり触れてしまったら半分どうなるか分かったものじゃあない。
 ただ、この死蝶は全て幽々子さまの意思で操っておられるので、今メモ帳を返す時は私を避けるように一斉に動いてくれていた。
 そして、私がメモ帳を手渡してルーミアさんの隣にまた戻ると、
 蝶たちは文さんが逃げ出す隙間も与えないよう再び取り囲んで、文さんの体を再び死の牢獄へと閉じ込めるのだった。


「さて、話が逸れて申し訳ありませんでした、レティ・ホワイトロックさま」


 文さんの喉元に刃を突きつけたまま、幽々子さまはいたって平然と、世間話でもするように、レティさんに向き直った。
 レティさんは、幽々子さまのお言葉に見た目相応に大人の礼儀正しさで応える。


「いえ、お気づかいなく。本来なら私のような小物妖怪、お目通りすることさえ叶わない身……。
 それがこうして話をする機会を設けてくださったのですから、それだけでも大変ありがたいものです」

「もうっ、そんなに堅くならなくてもいいですって。どうか楽になさってください」


 先ほど自分が言った通り楽にして頂けなかったことがちょっとだけ不満だったのか、幽々子さまはほんの少し拗ねた表情を浮かべた。
 それでもレティさんは立場を弁えてか、お気づかいありがとうございますと返すだけで、丁寧な口調も態度も崩さずに話を続ける。
 さすがに幽々子さまもそれ以上は粘ろうとはぜず、ようやっと話の本題を話し始めるのだった。


「して、あなたの用件と申しますのは……?」

「そうですね……まずは、こちらをご覧になって頂けますか?」


 そう言って、レティさんは新聞紙を一部取り出した。
 ……その様子を見て、私の顔がピクリとわずかに歪む。
 あれって……さっき見せてもらった、レティさんが持参した文々。新聞だよなぁ……。
 しかも、わざわざページをめくっていて……多分、私のことが書かれた記事のページだ。


「これは……うちの庭師の事が書かれた記事ですね」

「ええ」


 ……ああ、やっぱり。


「私も、先程知ったばかりなのであまり詳しくは存じないのですが……。妖夢ごめん、おねがいだからごはん抜かないで!」


 いえ、謝るのはあとで良いです。とりあえず今はカリスマ維持したままレティさんとのお話に集中してください。
 私があとでお布団の中で枕を濡らしていればこの場は済む話ですから。


「記事の方、少し読み進めて頂けますか? 西行寺の姫様」


 と、そこで、幽々子さまはレティさんに声を掛けられ、
 私への罪悪感に意識が向いていた幽々子さまは、不意を突かれたように「え?」と声をこぼす。


「丸で囲ってある部分です」

「あ、ほんとだわ。赤丸で囲ってる。えーっと、なになに……『なお、情報提供者である博麗神社の巫女R・Hさんによれば……―――』」


 幽々子さまはレティさんに促されるまま私のヘンタイさんいらっしゃいな記事を読み進めた。
 ……なんかイニシャルで情報提供者誤魔化してるけど、
 博麗神社の巫女さんなんてあの脇しかいないんだから、全然情報提供者の保護されてねぇよこの新聞。


「『このような女同士で愛し合うという異変の裏に、彼女の主人である西行寺幽々子(亡霊)が黒幕として暗躍している。という説を聞かされた。』」


 ……愛し合うとまで書かれてしまっていたのか……。
 それでか、それでレティさん私のことルーミアさんの「恋人」だなんて言ってきたのか……ううう……。
 まだ恋人じゃないんだから、その辺は修正して貰わなきゃなぁ……。


「『巫女の提供した異変について、より明確な事実を追求して―――』……あ、丸ここで切れてるわね。えっと、これが……?」

「"黒幕"……」


 ぼそり、レティさんが呟く。
 小さかったはずなのに、距離の離れている私の耳にまで、強く、深く、その言葉が突き刺さった。
 まるでその単語自体に魔力のこめられ言霊でもあるかのように。
 そして、今まで穏やかだったレティさんの口調が突然、冬の妖怪らしからぬ熱のこもった、激しく、強い口調に変わる……!


「その記事によるならば、彼女たちが女同士でありながら愛し合うまでに至ったには、あなたが裏で糸を引いていたと!
 あなたが彼女たちの人生を狂わせた黒幕であると!! そう示唆されております!!」


 ……まあ、満更嘘じゃないなぁ。
 人生狂わされた……ってほど今の関係に不満抱いちゃいないけど、幽々子さまのせいでボーダー・オブ・ライクが跳ね上げられたの事実だし。


「結論から申し上げます……。西行寺幽々子! 私は、あなたに私との黒幕対決を申し込みたいのです!!」

「「「は?」」」

「くー……」


 面と向かって話をしていた幽々子さま、黙ってその様子を見ていた私、メモをとることに夢中になっていた文さん。
 3人が一斉に、同じ声色を揃えて口にしていた。
 あ、ルーミアさんは最初からよく分かってないみたいで、いつの間にか私に寄りかかって眠ってしまっていた。
 仲介役としては失格だけど、ルーミアさんは可愛いからマスコットとしては十分役に立っていたので全然大丈夫なのです。
 ちなみに、寄りかかるルーミアさんの顔が恥ずかしくて見れなかったり、
 ごはんの夢を見てる寝言が聞こえて可愛いなーとかほんわかしてたり、伝わる体温に結構興奮してたりなんてのは内緒だ!
 そんな個人的心情はさておいて、レティさんの熱弁は続く。


「私は日々、理想の黒幕となるべく己を磨いてきました……!
 そんな折、偶然拾った新聞に書かれていた、あなたの黒幕としての偉業を目の当たりにし、私の身は震えました。
 ふたりの少女の人生の狂わす程の暗躍……黒幕としての実力を知り、素直に憧れと感動の念を覚えました……。
 そして同時に……超えたい! 私の中の黒幕ソウルが叫びをあげるのです!」

「……………………」


 ……どうしよう。
 この人、すごくヘンな人だった。


「ですから、同じ黒幕の頂点を目指すべく日々を過ごしたした者として! クロマク・オブ・クロマク!
 ザ・ラグジュアリー・ブラックカーテンの称号を手にするために……! 西行寺幽々子、あなたに勝負を挑みたいのですッ!!」


 真顔でなに言ってんだこの人……?
 そんな称号初めて聞いたし、幽々子さまがそんなの目指してる訳ないし。
 そんな話に乗っかるなんて、よっぽど酔狂な人くらいしか……


「おもしろそうね……」


 うちのご主人様よっぽど酔狂だったっけーっ!?


「ちょっ……?! 幽々子さま!! ご自分が一体なにをおっしゃられてるのか分かってるのですか!?」


 幽々子さまがまたヘンなこと考えてるんだろうなー、といういやーな予感に黙っていられず、私は立ち上がり訴えた。
 慌てて立ち上がったせいで、支えを失くしたルーミアさんが床に倒れて「きゃうっ!?」なんてぷりちーな悲鳴を上げていた。
 ごめんなさい。


「あややや! これは面白そうな展開になりましたね!!」


 そして、この手の話題が大好物なカラスが、ゴミ袋漁るようにキラキラしたマスゴミ目を浮かべている。
 ああもうっ! この手の話題が大好物なんですからこの鴉は!!
 このマスゴミに現在進行形で痛い目に遭ってる最中の私としては、
 幽々子さまに同じ目に遭わせる訳にも行かないので考え直すよう進言させて頂くのだった。


「大丈夫よ、妖夢。静まりなさい。あなたがうろたえることなどなにもないわ」


 それを、幽々子さまは凛々しきお言葉にて切り返す。
 それはそれは、とても威厳に満ち満ちた態度のまま……。


「私もよく分かってないから!」


 親指を立てて、舌をペロリと出して、片目をつぶって、なんかとんでもないことをおっしゃる主を前に、私はズッコケるしかないのだった。


「まあよく分かんないけど、良いでしょう。その勝負、受けてあげようではないですか」

「えええぇぇぇーーーっっっ!?」

「ありがとうございます、西行寺の姫!」


 なし崩しによく分からない勝負を受け入れた幽々子さまに、当然私は驚きを抑えきれない訳で……。
 ああもう、この方についていくと本当に振り回されるなぁ、とつくづく思い知る。

 一方レティさんは、先程の興奮した態度を鎮め、また改めて、先程までの礼儀正しい姿で感謝の気持ちを表していた。
 それでも内心は興奮が抑えきれないのだろう。頬は少し上気し、口元はとても嬉しそうに緩んでいた。


「冬の妖怪VS亡霊の姫……これは面白そうな話になってきましたね〜。是非是非、私に独占取材させてください!!」


 そして、おいしいネタを前にしたらゴミ袋だろうと食いつかずに居られない都会の害鳥さまは、
 死の蝶に囲まれているという絶対絶命な状態だというのに、生き生きとその話題に食いつくのだった。
 ああもう、いやだこの鴉天狗、早くなんとかしないと。


「……っと、レティ・ホワイトロックさま。お話を詳しく伺う前に、少しだけ、あちらの鴉天狗さまとお話しても宜しいかしら?」

「……? ええ構いません。勝負を受けてくださると直接伺えたのですから、いくらでも待てますわ」

「ありがとうございます」


 すると、なにをお考えになったのか、幽々子さまはレティさんに断わってから、文さんに向き合うのだった。
 不思議そうに見守る私。隣には、突然起こされて寝ぼけ眼で状況の把握できずにキョロキョロしてるルーミアさん。
 そして……幽明楼閣の明主は、驚くべき一言を言い放つのだった。


「さて、鴉天狗さま。その独占取材の話ですが……宜しいでしょう、勝負の一部始終の取材権、全てあなたに差し上げますわ」

「なッ!?」

「なんと!!」


 驚きを隠せない。
 その一言は、鬼の拳ように重く、深刻な衝撃を、私の中に打ちつけ、一瞬意識が飛びそうになるほどの眩暈を覚える。
 しかし、私は気をしっかり持ち直し、今一度幽々子さまへと進言する。


「ゆっ、幽々子さまッ!? ご自分がなにをおっしゃらているのか、分かっておられるのですかっ!?」


 さっきと同じ言葉、だけれどもその実、危機感は先程の比ではない。
 寝ぼけ眼のルーミアさんが、怒鳴るように言い放つ私を心配そうな眼差しで眺めている。
 見苦しく取り乱す姿なぞ、彼女には見せたくもなかったが……けれども、今そんなこと気になどして居られない。
 それほどに、事態は重い。
 この鴉天狗に独占で取材でもさせでもしたら、あることないこと書かれて、私みたいにプライバシーをズタボロにされるに決まっている!
 いくら私よりも何枚も上手の幽々子さまのご判断とはいえ、この選択肢だけは危険極まりない。
 見積りが甘過ぎると、こんな私でも口出ししたくなるほどの悪手。
 差し出がましいこととは理解していようとも、ここだけは出しゃばらずに居られなかった。


「ダメです、幽々子さ……!」

「なにをおっしゃってるのですか? これは下働きのあなたではなく、あなたのご主人自らの発言!
 それをたかだか一使用人が覆そうだなんて、おこがましいにも程があるんじゃないですか!?」

「ぐっ……し、しかしっ……!」


 けれど、相手も一筋縄では行かない。
 折角手に入れた好機、逃してなるものかと、鴉天狗は手八丁口八丁で私の発言を潰しに掛かる。
 しかも向こうに優位がある分、性質が悪い。
 このままでは幽々子さまの身の危険が……。
 西行寺に仇なす全ての厄災から御守りいたすのが私の使命だというのに……。


「ただしっ!」


 その時、大きくパチンと叩く音が、部屋中に響き渡った。
 幽々子さまが愛用の扇子で手のひらを叩いた音、それにより、注目を自身に集めた、
 共に発せられた凛と通った声が、私たちの鍔迫り合いのような空気を断ち切った。
 そして、たおやかな面持ちのまま、幽々子さまは言う。


「それほどのおいしい条件……ただでは差し上げられません。いくつか条件を飲んで頂きますわ」

「条件? ふむ……良いでしょう、伺いましょう」


 優位を手に入れたからと、少し偉そうな態度で、上から物を伺うような文さん。
 先程と違い、ふたつ返事で首を縦には振りはせず、この圧倒的優位な状況においても、内容を確認してからその是非を考える腹らしい。
 浮かれる心の割に中身は冷静、狡猾なまま。
 さすがは鴉天狗といったところか……それともそれは、射命丸文という手練れの妖怪だから、なのか……。


「いくつか細かいのはあるけれど……そうね、一番あなたが飲むべき項を挙げさせて貰うわ」

「ええ、なんでしょう」

「妖夢とルーミアちゃんの記事に続きを書くと仰いましたね?
 そちらの取材の方……私が受けますので、私の言ったように掲載していただけるかしら? もちろん、原稿の監修もさせて頂きます」

「……え?」


 幽々子さまの突きつけた条件に……思わず、私の口から短く声がこぼれる。
 一瞬、幽々子さまがなにをおっしゃったのか、すぐには理解できなかった。


「……私に嘘の情報を流せと?」

「あら? 嘘なんか言わないわ。ただ、真実が歪むような言い回しや、重要なポイントが抜けるだけの話……。
 あなたもさんざやって来たことでしょう?」

「……言ってくれますね、亡霊の姫……」


 頭が整理しきれない間も、おふたりの話は続いていた。
 幽々子さまの発言に、嬉々としていた文さんの表情にわずかな陰りが見える。
 その内心は……きっと表に出ているほど穏やかではない、乱気流のように乱れに乱れた激情が渦巻いていたのかもしれない。
 その心を……きっと、幽々子さまは分かっていて……あえて、素知らぬ顔のまま、続きを紡いだ。


「そして今後一切、その件に対する取材、及び調査、掲載を、私の許可失くして行うことを禁じさせて頂きますわ。簡単なことでしょ?」

「そこまで要求しますか……」


 ここに来て、場の空気は既に、ひどく張り詰めたものへと変わっていた。
 私は……そしてルーミアさんも、レティさんも、その場に自分が立ち会っているということを忘れてしまうほど、切迫していて。
 気配を希薄にし、背景と同化なければならないと、まるでなにかに訴えられているかのように、押し黙るしかなくなっていた……。


「そんなの、独占の権利を捨ててでも、私が黙って取材すれば済むだけの話……。
 この交渉は、用意する対価が釣り合っていないと言わざるをえませんねぇ」


 文さんは、もっともらしいことを言って、交渉を決裂という形で打ち切ろうとした。
 だが……最速の鴉天狗が、数手遅い。
 幽々子さまは既に全ての手を打っていたのだ。


「あら、断るの……? なら……あなたの周りを幽雅に舞う蝶たちが、ちょっとした気まぐれであなたと戯れたくなっちゃうかも……。
 それでうっかりあなたの命を枯らしちゃうかも……」

「……ッ!?」


 閉じた扇子で、彼女の周りを舞う蝶たちを指し示しながら、幽々子さまは穏やかに言う。
 文さんの周りを舞っていた蝶たちが、文さんとの距離をわずかに詰め寄った。
 これには文さんも押し黙り、唾をのんだ。

 これは、もう取材権を掛けた交渉ではない。
 いつの間にか、文さんの命そのものを対価に求めた……文字通り、命がけの交渉へと姿を変えていた。
 喉元に突きつけられた刃の切っ先が、己が命の鼓動を危ぶむ存在として、着実に文さんに食い込んでいく。


「天狗は結束の強い種族……というのはご存じで?」

「ええ、存じてます。あなたを屠れば、他の天狗が黙ってはいない……。この白玉楼とて全面戦争でも起きちゃうかしらね?」


 多くの「死」という、絶対的な暴力を振り翳しても、何ら平然と……穏やかな笑顔のままの幽々子さま。
 それも当然のこと、死の姫にとっては文字通り、「死」は常日頃より身に付きまとうものなのだ。
 ゆえに、それは幽々子さまには普通のことで……その異なる「普通」こそが、言いようもない恐怖となっていた。

 その冷徹なる穏やかさが、次の瞬間には全て吹き飛ぶ。
 幽々子さまの穏やかなままだった表情が、真摯な顔つきに変わり、言い切った。


「たかがそれだけのことよ。大切な妹ふたりの名誉を守るのに比べれば、桜の花びら1枚にも事足らないくらい瑣末なことでしょう?」

「幽々子、さま……?!」


 私のために……そこまで……。
 幽々子さまの真摯な面持ちは、すぐにいつもの穏やかな顔つきに戻った。
 けれど、その一瞬で、その真摯な面影で、全て理解できた……。


「あなたは、天狗を舐めているのですか……?」

「舐めてなんかいないわ。天狗の力と結束力、そして歴史があれば、既に死のない私をどうこうする方法もあるでしょうし……」

「そこまで分かっていながら……!」

「そこまで分かっていても、よ」


 奢っている訳でも、侮っている訳ではない。覚悟なのだ。
 文さんは、幽々子さまの強い意志を思い知って……それ以上なにも言えなくなってしまう。


「さぁて……天狗らの力、この死の姫を相手にして、果たして何人死なずに済むのかしらね……」

「あー! 参りました! 参りましたよ!」


 それまでだった。
 文さんは、自分に許された空間の中で両手を広げ、首を横に振るジェスチャーをし、観念したようにあっけらかんと口にした。


「良いでしょう、その条件飲みます! 私のための敵討ちなんかされたって、私が死んじゃあ私に得はないってもんですっ!
 それに、あなたを敵に回せば、恐らくあのすきま妖怪だって黙ってはいない……敵にするにはリターンが少な過ぎます!!」

「ふふっ、納得して頂けたようで、なによりですわ」


 文さんがとうとう折れ、首を縦に振る。
 それが合図のように、張り詰めた場の空気がようやっと弾けた。
 一番大きく反応したのはルーミアさん。まるで今まで息を止めていたみたいに、「ぷはーっ!」と大きく息をしていた。
 続く形で、私とレティさんの緊張も解けて……文さんの周りを囲っていた蝶もそれに同調するよう、一斉にどこかに飛んで消えたのだった。


「そもそも同性愛程度の話題、これまでも何度も記事にしましたし、今更珍しいことじゃないです。
 大体、そんな理由で戦争始めたりしたら、なんて名前で後世に名前が残るやら」

「百合隠蔽戦争?」


 それはいやだな。


「それよかあなたと冬の妖怪との対決の方がネタとして面白いってもんです」

「ご理解頂けたようで。ありがとうございますわ、天狗さま」


 幽々子さまは丁寧に返すが、完全に力で脅して屈服させた交渉。
 屈服させられた文さんは、もはや悔しさよりも呆れを表情として浮かべるしかなかったみたいで。
 「よく言いますよ」なんて小さく憎まれ口をこぼしていたけど、幽々子さまはその言葉を聞き逃したかのように、特に反応を示さなかった。
 多分、幽々子さまの耳にも届いたのだろうけど、その上であえてスルーしてる。そういうお人だ、幽々子さまって。


「幽々子さま……。ありがとう……ございます……。私の、ために……!」


 ふたりの交渉を、黙って見ていた私だったが……ここにきて、やっと言葉を口にすることができた。
 感動と、申し訳なさと、嬉しさと……もういろんな感情が混ざってぐしゃぐしゃになって、込み上げて来て止まらない。
 だってこの取り引きは私のことを……私とルーミさんのことを守るために行われたものだから……。
 じゃあそのために……その取引の材料に使うために、幽々子さまはなにが行われるか分からないレティさんとの勝負を受けたと……?


「なに言ってるの。勝負を受けたのは単純に面白そうだからよ。……まあ、今回のことは写真を回収し損ねた私の責任だしね……。
 ちょうど良いから埋め合わせしただけ。あなたは気にしなくていいわ」


 片目を瞑って、柔らかくはぐらかす幽々子さま。
 やっぱり、幽々子さまの真意は私なんかには読み切れないけれど……それでも、


「だから、今夜はごはん抜かないでね

「……奮発して、ご馳走にしますよ!」


 それでも、この方の考えにはいつも頭が上がらないと、私は今日もまた実感させられるのだった。


「まあ……そういうことで、勝手に独占取材なんて了解しちゃったけれど……構わないかしら、レティさま?」

「ええ、大いに結構です。むしろ、私の黒幕としての武勇伝を語る、その足掛かりとさせていただきますから」

「ご理解、ありがとうございます」


 文さんとの交渉を終え、幽々子さまは再びレティさんと向き合った。
 レティさんの強気な返事に、幽々子さまは特に不快に思うでもなく、頼もしいと笑いを浮かべておられていた。
 幽々子さまにとっては、この勝負は単純に楽しもうというだけで、勝ち負けなんかはどうでも良いんだろう。


「さて……勝負と言っても、一体なにをするつもりでしょうか?」


 本題が再開され、幽々子さまが早速そこをレティさんに問い掛けた。
 それは私も気になるところだった。
 黒幕勝負とは言ってたけれども……一体なにをどうやるつもりなのだろう?
 勝負という以上、勝ち負けを白黒ハッキリつける必要がある訳で……けれどもその方法が見えてこない。


「……簡単な話です。私もあなたと同じように、ふたりの女性を恋に落とします!」


 えー。


「なるほど」

「なるほどなの!? それなるほどなの?!」


 なんかよく分からないけど、幽々子さまはいたく納得したご様子で頷いておられた。
 いやいや、恋に落としたところで、それでどうやって勝敗つける気?
 大体私まだ落ち切ってないですよ! まだ恋だって認められてないんだから! 憶病だから!


「だけれども……あなたに、うちの子たちを超えるカップルを取り持てるのかしら?
 言わせてもらうけど、うちの子ふたりのファーストキスは、出会って3週間で済ませ―――ュうガッッ!?

「言うなーッ!!」


 思わずぶん殴ってしまいました。あとで謝っておきました。


「痛いわねー妖夢ぅ〜。一体なにするのよ〜」

「人の恥ずかしいプライバシー大々的に公表しようとしたからでしょッ!!」

「なるほどなるほど……出会って3週間でキスまで済ませた、と……」

「ほらーっ! マスゴミがメモってるーっ!!」

「大丈夫よ、新聞には載せさせないから」

「あー、なら安心……な訳あるかーーーッッ!!」

ギャすドりッッ!?


 思わず蹴り飛ばしてしまいました。あとで謝っておきました。


「そういう問題じゃないでしょっ?! バラさないで下さいって話ですよっ!?
 大体、私たちのファーストキスって幽々子さまのせいじゃないですか!!
 幽々子さまが余計なこと仕出かすから、そこまで急接近しちゃったんじゃないですか!!」


 主の胸倉掴んで、ガクガク揺さぶる超無礼な使用人がそこにいた。
 なにこれ、なにこの展開。
 折角幽々子さまのお心づかいにすっごく感激していたのに、なんかもう感動が全部台無しだYO!
 別の意味で全米が泣くよ! ああもう、悲しくなってきた……。


「ちょっとちょっと妖夢〜、ちゃんと話を聞きなさい。私はね、3週間って言ったのよ?」

「3週間? それが一体なんだって…………あれ?」


 改めて言われて違和感に気づく。
 そうだ、それはちょっとおかしい。
 私のファーストキスは幽々子さまに騙されてしてしまった、新聞にまで掲載されてしまったアレで……。
 だけどそれって、最初の頃、ルーミアさんの怪我が治るまで泊めていた時の話で……出会って2週間にも満たない日に起こった。
 だから、正確には「3週間」ではなく「2週間」なのだ。
 だというのに、幽々子さまは「3週間」とおっしゃった。
 幽々子さまがそんな記憶違いするとは思えない。極上に面白いネタなんだから、絶対厳密に覚えているはず。
 なら、それはわざとそう言った訳で……。じゃあ3週間にあったことって言えば……?


「あ……!」

「気づいたようね」


 思い返し、幽々子さまが言わんとしたことを理解する。

 初めて出会った日から3週間後。
 その日は……私が、ルーミアさんと再会した日で……。
 そして、その日の内に……私はルーミアさんと……月明かりの下で……セカンドキス……。


「そうよ! 私が言ってるのは、ちゃんとあなたの意思で、自身の唇をルーミアちゃんの唇に重ねた方のことを言ってるのよっ!」

「ぅきやゃぁぁぁああああぁぁぁっっっ!!??!」


 ああそうですね。そっちなら、さすがに私は言い訳なんかできません。
 いくら2回目ってことで多少軽く感じるようになってたって、私自ら受け入れましたもの。


「えへー よーむちゃんからしようって言ってくれたあれ、なつかしー♥♥

「なんと、おふたりはそんな急接近を……!」

「さすが……黒幕の姫、西行寺幽々子……!」


 それを聞いた3人はそれぞれ思い思いの感想を……


「って、バラすなっていう話でしょ今はーーーーっ!!!」

はんゴンちョっっ!?!


 思わず脳天から地面に投げ飛ばしてしまいました。これぞ我が奥義・三連殺。あとで謝っておきました。


「分かりました……! 西行寺の姫、あなたがそこまでの黒幕功績ブラック・リザルトを残したというなら、私が選んだふたりにもキスさせましょう!!」


 使用人にメタクソにされてる冥界の明主を前にしながら、レティさんはレティさんで黒幕対決のことで頭がいっぱいらしく、
 構わずなんかよく分からない新出単語を作ってえらく意気込んでいた。


「良いわね!」


 そして、たった今痛めつけられていたばっかりの幽々子さまは、ノリノリでそうお答えになるのである。
 いやもう、「物理攻撃無効」のアビリティを持っているだけあって、今の全然応えてねぇや。


「あわよくば初えっちまで!!」

「なお面白いわ!」


 さすが幽々子さま、自分に害が掛からないとなったらやりたい放題だ!


「こいつぁ良いネタにありつけましたね! 半人半霊の禁断の愛よりも断然面白い!」


 そして、さっきまで命の危機にあった鴉天狗も乗っかって……あー、なんかとんでもない方向に話が進んでいってるなぁ……。
 もう止められない……。私じゃこの人らコントロールできないもん……。策士の力が形をとるわ……弄ぶものの姿を……。


「ははは……文さんの取材もあるし……こりゃ被害者のおふたりは災難だなぁ」


 乾いた笑いをこぼしながら、一体誰かも分からない犠牲者ふたりの身を案じてしまう私だった。
 いくら私たちの名誉を守るためとはいえ、身代りに同じような境遇のふたりを生贄に捧げるってことだし。
 ……ちょっと悪い気がするかもしれない……。


「まあ、問題はそのふたりを誰にするか、なのよね」

「え?」


 と、ここにきてレティさんが思いもよらぬ言葉を呟いてみせる。
 私は驚いて、思わず聞き返した。


「まだ、決まってないのですか?」

「ええ、候補のひとりは決めているんだけど……その相手が、ね」


 ここまで話が膨らんでおいて、肝心の犠牲者が決まっていないとは。
 ……考えてみればそれもそうか。
 たった今決まったような勝負内容、まだなにも決まっていないと考えるのが妥当だろう。


「誰かいないでしょうか? 西行寺の姫様」

「え? 私が決めて宜しいので? あなたに思いっきり不利になる相手を推薦するかもしれませんよ?」

「ふふっ。それこそ望むところです。
 本来愛が芽生えることなど有り得ないふたりであればこそ、私の黒幕としての実力が証明できるというものですから!」


 不敵に、しかし穏やかに微笑むレティさんは、軽くガッツポーズを取りながら揚々と口にした。
 勝負と口にしている割に、その様子はピリピリした緊張感はなく、むしろ友達同士の軽い賭け事のような感覚に似ていると思った。
 なんだか幻想郷らしい、とてものんびりとした風景。
 その中で私は……―――


「あ、あの!」


 ―――……それは、ちょっとした、悪魔のささやきだったのかもしれない。


「あら? なにかしら?」

「どうしたの、妖夢? 突然」


 瞬間的に閃いた"それ"に……私は挙手をし、おふたりの会話に割り込んでいた。
 周りの注目が一身に集まる。
 そして私は……


「あの……僭越ながら、宜しければ、そのもうひとりについて……私の方から、推薦させて頂けないでしょうか?」


 悪魔の囁きに……身を委ねてしまった。

















更新履歴

H21・11/2:完成


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