鈴凛は旅に出た














 どんなに悲しい事があったとしても、その少女さえ隣にいれば耐えられると白雪は考えていた。
 しかし、その者がいなくなった悲しみはどうすればいいのだろう?



「ふえ……」

 家に帰って部屋でひとりになるとまた涙が出て来て、白雪はベッドに顔を埋めた。
「うっ……うっ……」
 悲しみが止まらない、ぐしゃぐしゃにシーツを握って泣きじゃくる。
「鈴凛ちゃあん……」
 喪服も脱がずに咽ぶ声の中で、白雪は二度と会うことの出来なくなった少女の名を呼んだ。
 白雪を置いて、鈴凛は二度と帰る事のない旅に出た。

 不幸は唐突に訪れる、突然の交通事故で白雪は大好きな鈴凛を失った。
 日曜日の宵の事、家からメカ弄りの気分転換に散歩に出かけた鈴凛は、見通しの悪いカーブの先の横断歩道で、自動車に撥ねられて固い路面に叩き付けられたと言う。
 通行人によってすぐに救急車が呼ばれたが、もはやどうにもならず、運ばれた先の病院で息を引き取ったと言う。
 何という事か、それは白雪が鈴凛の家に特製のケーキを持って遊びに行った日の出来事で、事故は白雪が帰った少し後だったらしい。

『白雪ちゃん! ケーキありがとう! おいしかったよ!』
『お粗末さまですの。また作ってくるんですの! 今日の鈴凛ちゃんのお話も楽しかったんですの!』
『また来てね! 白雪ちゃん!』

 そんな言葉を交わした帰りの玄関で、笑って見送った鈴凛、それが白雪が見た、生きている最後の鈴凛だった。
 先ほど、葬儀で最後のお別れをして来た棺の中の鈴凛は傷らしい傷も無く、まるで静かに眠っているかの様だった。鈴凛ちゃん、と白雪が呼べば眠たそうに目を擦って起きるのではないか、そんな淡い期待さえさせてしまう綺麗な姿。
 しかし、そっと撫でた鈴凛の頬は冷たく、そこには今まで何度となく抱擁を交わしたあの優しい温もりはもう、無かった。

「鈴凛ちゃん……鈴凛ちゃんっ……」
 部屋でひとり、白雪は泣き続けた。
 白雪を置いて、鈴凛は二度と帰る事のない旅に出た。

「…………」
 ようやく涙も涸れて泣き疲れて、白雪はベッドに体を横たえたまま天井を見上げていた。
 そっと目を拭って黒い袖が目に映り、自分が喪服のままである事を思い出した。着替えようと体を起こす。
 ベッドから立ち上がったところで、机の上にある物が目に入った。
 それはゴーグル、鈴凛がいつも身につけていた物だった。
 最期の時も身につけていたという話で、事故にあったというのにこのゴーグルはどこか破損することも無く、鈴凛の頭にあったと言う。
 大好きな鈴凛が白雪のために置いて行ったような気がして、鈴凛の家の者から、形見として貰って来た。
「鈴凛ちゃん……」
 机からゴーグルを取るとそっと胸に抱いて目を閉じた。
 鈴凛の姿が瞼の裏に鮮やかに甦って来た。

 ラボで楽しそうにメカを弄る鈴凛。
 目を輝かせてメカの話をする鈴凛。
 放って置くとインスタント食品ばかり食べている横着な鈴凛。
 白雪が差し入れすれば顔を蕩けさせる鈴凛。
 白雪が大好きな鈴凛。
 もう、あの鈴凛の顔を見る事は出来ない。

 切なくなって、白雪は目を開いた。
 ゴーグルを机に戻して、今度は写真立てを取った。
「…………」
 そこには数ヶ月前に撮った写真があった。はにかむような顔のメカ鈴凛を挟んで白雪と鈴凛が微笑んで写っている、メカ鈴凛が起動した時の記念として撮影したものだった。
 この写真を撮った後、鈴凛の家のキッチンを借りて、食材にお小遣いを全部叩いて、腕によりをかけて作った「超豪華版」の料理とデザートで、白雪と鈴凛とメカ鈴凛とで「パーティ」を開いたのだっけ。
 かたん、と白雪は写真立てを机に置いた。
 本棚を見る。料理の本の詰まった本棚だ。
 鈴凛に料理を食べてもらい喜んでもらうのが白雪にとってはたまらない楽しみだった。鈴凛がメカでいつも白雪を驚かせてくれた様に、白雪は料理で鈴凛を驚かせる事が出来た。
 次は鈴凛にどんな料理を作ろうか、これらの本を見ながらワクワクと考えたものだった。工夫を凝らして新作料理に取り組むのが楽しかった。そうして作った料理を、鈴凛が頬の落ちそうな顔でパクついてくれた時の喜びといったらもう!
 あの顔はもう見る事が出来ない。
 もう料理を作る意味が見出せなかった。
 ああ、鈴凛の顔はもう見る事が出来ない。

『やっぱり白雪ちゃんのお料理が一番!』
 白雪のお弁当を頬張る鈴凛の嬉しそうな顔。
『白雪ちゃんに見せたいメカがあるんだ♪』
 新作メカをいつも真っ先に見せてくれた鈴凛の悪戯っぽい笑顔。
『白雪ちゃん…… 大好きだよ……
 珍しくもじもじとした様子で言った鈴凛の照れた顔。

 ああ、鈴凛の顔はもう見る事が出来ない。
 白雪を置いて、鈴凛は二度と帰る事のない旅に出たのだから。
「鈴凛ちゃん……」
 喪服を脱ごうと、ぼうっと胸元に手をかけた。
 気分がいくらかでも落ち着いたら、また鈴凛の家に行ってみようか、鈴凛の「お城」であったあのラボに入ってみれば少しは悲しみがまぎれるだろうか、ラボで鈴凛が残して行った物を見れば少しは心が和らぐだろうか、のろのろとした動作で喪服を脱ぎながら、ボンヤリとそんな事を考えた。
 そう言えば葬儀では見かけなかったがメカ鈴凛はどうしたのだろう、鈴凛の形見がもうひとつあった事を白雪は思い出した。



 鈴凛の家に上がって家の者に挨拶し、それからラボの前まで行くと中から開いた。
 マスターを失ってもメカ鈴凛は動いていた。
 マスターがいなくなった事は辛うじて知らされていたが、ばたばたとしていた家の者はそれどころではなかったのだろうか、メカ鈴凛に指示や情報を与える者もおらずに、メカ鈴凛は鈴凛の家の庭の一角にあるラボでひとりでずっと待機していたようだ。
「白雪様、ようこそおいでくださいました」
 メカ鈴凛に通されてラボに入った。鈴凛がいなくなって初めて入るラボは静かで、広かった。
「鈴凛ちゃん……」
 ラボにやってくれば、またいつものように鈴凛がメカに向かっているのではないかと、そんな気がしたが、人間の気配の消えた空間は、白雪に辛い現実を再確認させるだけであった。
「白雪様、おかけください」
 メカ鈴凛が椅子を勧めた。白雪が遊びに来るといつも鈴凛が勧めてくれた椅子だった。
「ありがとうですの……、メカ鈴凛ちゃん……」
 白雪は腰を下ろした。何度も座った椅子が今日は冷たく、硬かった。
「鈴凛ちゃん……」
 いつもこの椅子に座る時は向かいに鈴凛の顔があった。子供の様に目を輝かせる鈴凛の顔が。
 そう言えば鈴凛との最後の逢瀬では、聞かされるのは何度目かになるメカ鈴凛の自慢話と、製作の苦心談を楽しそうにしていたのだっけ。
 白雪は目を閉じた。

『すごいんですの……。鈴凛ちゃんはすごいんですの!』
『フフン♪ まあね♪ メカ鈴凛を作るのはとにかく大変だったんだ!』
『鈴凛ちゃんは本当にすごいんですの……。メカ鈴凛ちゃん、人間みたいですの。鈴凛ちゃんがもうひとり出て来たみたいですの!』
『あはは、これでスペアが出来たから、万が一私に何かあっても大丈夫! メカ鈴凛が私の代わりに白雪ちゃんを守るから!』
 ああ、そうだ、鈴凛が冗談交じりにそんな事を言った。
『り、鈴凛ちゃん! 縁起でもない事言わないで欲しいんですの!』
 冗談だと流しきれなかった白雪が、泣き虫にも涙を滲ませて。 
『白雪ちゃん! 冗談! ゴメンゴメン!』
 自分の失言に気がついて鈴凛が慌てて白雪を宥めた。
『鈴凛ちゃんがいなくなったら、姫は、姫は……』
 大好きな鈴凛の前で、ぐすりぐすりと鼻まで鳴らしてしまって。
『ゴメン……冗談……、白雪ちゃんを置いていくような事はしないって……』
 鈴凛は白雪をそっと胸の中に抱きしめて、背と髪を撫でた。
『鈴凛ちゃん……』
 白雪はそっと鈴凛の背中に手を這わせる。
『でも……私のために泣いてくれるんだ……嬉しい……』
 そして鈴凛は照れを隠すように、黙って立っていたメカ鈴凛を向いて言った。
『こりゃ、白雪ちゃんを大切にしないとね! メカ鈴凛も白雪ちゃんを守ってあげてよね!』

「鈴凛ちゃん……」
 白雪は目を開いた。
 白雪をやさしく抱いた鈴凛の暖かさが、まだ体に残っているような気がする。
 まさかあの直後に鈴凛が本当にいなくなってしまうとは。鈴凛も自分の数時間後の運命が見えていた訳ではなく、冗談であんな事を言ったのであろうが、残された白雪には忘れられない会話となった。
「知っていれば……絶対に鈴凛ちゃんを離さなかったんですの……」
 鈴凛が交通事故に遭う事を知っていれば、絶対に鈴凛を離す事はしなかった。鈴凛がどこにも行かない様にずっとずっと抱きしめていたのに。
 ああ、鈴凛の顔はもう見る事が出来ない。

「白雪様、お茶をお持ちしました」
 呼ばれて顔を上げると、そこには失った大好きな鈴凛と同じ顔があった。





 金曜日であるためか、白雪がやって来たのは夕方だった。
「やっぱり鈴凛ちゃんはこれが似合っているんですの!」
 メカ鈴凛の頭にゴーグルをつけると白雪は満足そうに頷いた。
 ここは鈴凛のラボ、主がいなくなってからはメカ鈴凛の部屋となっていた。
 白雪は暇さえあればこの部屋を訪ねて来る。かつて鈴凛がいた時にいつもそうしていた様に、メカ鈴凛に会いに。奇妙な事にバスケットまで提げるところまでそのままに。
「ごめんなさいですの、姫、鈴凛ちゃんからゴーグルを借りたままうっかりしていたんですの」
 白雪が笑ってバスケットを持ち上げてメカ鈴凛に見せた。
「ムフン 今日も鈴凛ちゃんに特製のお弁当を作って来たんですの
 どういうつもりなのか、メカ鈴凛に会いに来るようになって来てからというもの、白雪はメカ鈴凛を「鈴凛ちゃん」と、まるで鈴凛に向かうかのように呼ぶようになっていた。
「腕によりをかけて沢山作ってきたんですの♪ いっぱい食べて欲しいんですの!」
 バスケットを開いて中から弁当箱をいくつも出して、テーブル代わりの簡素な台に並べて行く。
「白雪様? 私は……」
 もちろんメカ鈴凛は物を食べる事など出来ない。それを指摘しようとすると。
「イヤーン 鈴凛ちゃん、水臭いですの! 冗談が好きですの! 鈴凛ちゃんと姫の仲ですの! いつもみたいに『白雪ちゃん』て呼んで欲しいんですの
 大きな声で遮ると、白雪は弁当箱を開いた。
「鈴凛ちゃん、召し上がれですの
 白雪がにっこりと笑った。
「……いただきます」
 白雪がメカ鈴凛を訪ねるようになって、何度も繰り返された事なので今更どうこう言っても仕方の無い事だとメカ鈴凛は判断して、今までの経験から得られた白雪の喜ぶ行動をとる事にした。
 弁当箱を取り、箸をとって、パクパクと食べる「ふり」だけする。食べるふりをしているだけのなのに、それでも。
「鈴凛ちゃん? お味はいかが?」
 白雪はメカ鈴凛に目を細める。
 メカ鈴凛も、白雪の求めるものは少しずつわかって来たので、こう尋ねられて、こう応えた。
「おいしいです、白雪様」
 その言葉に一瞬白雪の顔が固まった。対応のミスをした。
「おいしい……白雪ちゃん……」
 鈴凛に比べれば抑揚に乏しい声であったが、それでも白雪の顔に花は咲いた。
「鈴凛ちゃんに喜んでもらえて嬉しいんですの! どんどん食べて欲しいんですの!」
 今日は10分ほど、白雪に見守られながら食べるふりを続けた。
「ごちそうさま……今日も美味しかった……」
 鈴凛に比べれば、随分と平坦な声で箸を置いた。弁当箱の蓋を閉じる。
「お粗末様でしたの
 白雪はメカ鈴凛が中身をかき混ぜただけの弁当箱を受け取ってバスケットにしまった。
「姫は鈴凛ちゃんのお料理番ですの! 鈴凛ちゃん、また何か作って来るんですの!」
 まるでおままごとの様な「食事」が、今日も終わった。

 メカ鈴凛は困惑していた。
 マスターの鈴凛と「仲良し」であった白雪の訪問は家の者も喜んでいるようだが、ラボの中での白雪の行動は不可解だ。
 白雪がメカ鈴凛に会いに来るようになっての1週間と数日、白雪が手作りの弁当を持って来てメカ鈴凛が食べるふりをするという「おままごと」がずっと続いていた。いわゆる「おままごと」と違うのは、食べるふりをしているものが玩具などでなく、白雪が手間をかけて作ってきた本物の料理だという事。
 メカ鈴凛に会いに来るようになってから、白雪はなぜかメカ鈴凛を鈴凛扱いにしている。目の前にいるのは鈴凛と思いこむ事で白雪は精神の平衡を保とうとしているのだろうか、とメカ鈴凛は今までに得た知識、情報から推測する。そうだと仮定して、その行動にどんな意味があるのか理解が出来ない。しかし、白雪がそういった方法で自分の心の安定を図ろうというなら、それに付き合うべきなのだろうか?

「白雪様……」
 メカ鈴凛は鈴凛の演技をやめて白雪を呼んだ。このような「おままごと」を続ける事に合理性を見いだせなかった。
「鈴凛ちゃん
 メカ鈴凛の声が聞こえなかったのか、聞き流したのか、白雪は笑顔でメカ鈴凛の顔を覗き込んだ。
「また鈴凛ちゃんのメカを姫に見せて欲しいんですの 今はどんなメカを作っているんですの?」
 また、鈴凛に対するかのような態度で白雪がかわいらしく首を傾げる。次の「おままごと」だ。
「…………」
 白雪の精神の安定という「結果」が得られるなら、その「手段」のあり方は本質的な問題ではなかろう、メカ鈴凛はそう考えて、少なくとも今は鈴凛のふりを可能な限り続ける事に決めた。
 傍の棚から玩具のロボットを下ろした。正面を白雪に向けて台に立たせ、スイッチを入れる。ロボットは目を光らせ、ガーガーと音を撒き散らして両手を振り上げながら歩き始めた。
「イヤーン すごいんですの! さすが鈴凛ちゃんですの!」
 白雪は飛び上がらんばかりにはしゃぎだした。まるで、そのロボットを初めて見たかのように。
 白雪がこれを見るのが初めてのはずはなかった。このロボットはだいぶ前に鈴凛が、拾って来た玩具を冗談半分に改造して白雪に見せた事のあるものだ。もっと言えば、数日前にもメカ鈴凛は同じ物を白雪に見せている。
 それなのに白雪のこの狂喜。どういう事なのだろうか。わからない。
 数日前に白雪に作ったメカを見せて欲しいと言われた時、対応に苦慮したものだ。
 メカ鈴凛は鈴凛ではない、と言うより人間ではない。何か指示を受けるか、自己の保存のための必要が生じた場合に最低限の作業をする位で、目を輝かせて自分から何かメカを構想して作る、などという人間くさい事は到底不可能だった。
 だから、白雪にせがまれた時には本当に戸惑ったものだ。たまたまロボットを指して、動かして見せて欲しいと言われた事から、言われるままに動かしたのだが、あの時の白雪の喜びようは大変なものだった。
 その経験から白雪にメカが見たいと言われれば、この部屋にある、かつて鈴凛が作った簡単なメカを動かして見せる事にしていた。

「鈴凛ちゃん、今日は姫は学校で体育の授業があったんですの……」
 白雪が今日、あった事を話し出す。メカを見せてもらった後は鈴凛ちゃんとお喋りをするという「おままごと」の時間だった。
 しかし、お喋りとは言っても白雪がほとんど一方的に話してメカ鈴凛が時々相槌を打つだけだ。メカ鈴凛に白雪と出来るような人間の様な話題はない。前に、天気の話をした白雪に、丁寧に「低気圧と降雨の関係」について話してしまって白雪を固まらせてからというもの、メカ鈴凛の方からは喋らず、大して意味を持たない単語で白雪の話に相槌を打つだけにしていた。
 それでも白雪には、鈴凛と同じ顔、声の者と話をしているという事だけでも満足なのか、笑って、飽きもせずに今日一日の事を喋り続ける。
 ずっと、ずっと。

 どれ位の時間が過ぎたのだろう。
 メカ鈴凛の中の時計も、部屋の時計も、時刻は少女が帰るべき遅さを告げていた。もう今日の「おままごと」は打ち切ろう。
「白雪様……もうお帰りの時間です……」
 メカ鈴凛に戻ったその言葉に、途端に白雪の顔はくしゃくしゃになった。
「まだ大丈夫ですの! 明日は土曜日ですの! 姫は遅くても平気ですの!」
 今までの笑顔はどこに行ったのか、白雪は涙を流して真っ赤になって喚き出す。
「もっと……鈴凛ちゃんとお話しして行くんですの! 姫は……鈴凛ちゃんと一緒にいるんですのぉ……」
 白雪はなおもメカ鈴凛を鈴凛扱いにして抱きつき、うっうっと泣き声をあげた。
「白雪様……」
 メカ鈴凛にはどうして良いのかわからなかった。ただ、そっと白雪の体を抱きしめる。前に鈴凛が泣いている白雪を抱きしめた事があって、それを真似たのだ。そして、メカ鈴凛の記憶の中から過去の情報を検索して、マスターであった少女がそうしていた様にそっと髪と背を優しく撫でてみる。

「鈴凛ちゃん……」
 涙に濡れた白雪の頬が緩んだ。





「……ちゃん」

 誰かが白雪の体を揺する。

「白雪ちゃん……白雪ちゃん……」

 誰かの呼ぶ声で白雪は目を覚ました。

「う……ん……」
 朝が来たらしい、まぶしい光が差し込んでいた。白雪は目を擦りながらゆっくりと開いた。誰かが白雪の顔を覗き込んでいる。

「あ……」
 白雪は目をパッチリと開いて、ベッドの中で自分を呼んだらしい人物の顔を見て、それきり言葉が出て来なかった。

「あ……」
 涙が出て来た、白雪の目の前には見たくて見たくて仕方がなかった笑顔があった。

「白雪ちゃん、おはよ! 可愛い寝顔だったよ
 メカ鈴凛のものではありえない、悪戯っぽい笑顔の鈴凛が白雪の顔の前にあった。
「お泊りでって事で……遅くまでラボでお喋りしていたら白雪ちゃん、寝ちゃったからさ、私のベッドに運んだの」
「鈴凛ちゃん! 生きていたんですの!?」
 白雪はばっと跳ね起きる。
「白雪ちゃん!?」
 鈴凛の方が驚いてびくっと後ろに体を引いた。
「鈴凛ちゃん! 生きていたんですのっ!」
 ああ、鈴凛が目の前にいる、会いたかった鈴凛、大好きな鈴凛。
 白雪の視界が涙で歪む。体をぶるぶると震わせて毛布をぎゅっと握る。
「な、なに、『生きていた』って……?」
 突然に跳ね起き、訳のわからない事を言い出した白雪に戸惑っているらしく、鈴凛が目を白黒させている。
「だ、だって……鈴凛ちゃんは交通事故にあって……」
「交通事故? 私が?」
 言葉が出て来ず口をもどかしくパクパクさせている白雪に、鈴凛はやっと納得がいったというようにふっと笑う。
「白雪ちゃん……、何か悪い夢でも見たの?」
 鈴凛がそっと白雪の手を取って脚に触らせる。
「ほら、ちゃんと脚があるよ? 私は生きているよ?」
 小さな子供に言い聞かせるように穏やかな声で、赤ん坊を抱くかのように白雪の頭を胸に抱いた。
 抱かれた白雪の耳に、トクントクン、と鈴凛の心臓の鼓動が聞こえる。
「鈴凛ちゃん……」
 母親に抱かれた赤子はこんな気分なのだろうか? 鈴凛に包まれて、白雪はほうっと息をついた。柔らかい光で溢れる鈴凛の部屋が天国のようだ。
「良かったんですの……全部夢だったんですの……」
 何ともひどい夢を見ていたものだ、鈴凛が自動車に弾かれて白雪の前から消えてしまうなんて。大好きな鈴凛がいなくなってしまうなんて、そんな残酷な事があるはずがない。
「ひっどーい! 私が死んじゃうなんてひどい夢見ないでよ! 白雪ちゃん!」
 鈴凛がぷうっと頬を膨らませて、怒るふりをして見せた。
「イヤーン! ごめんなさいですの! 鈴凛ちゃん!」
 涙を拭うと白雪もふざけて自分の頭を庇うふりをして見せる。
 ああ、良かった。あれは全部夢だったのだ。そう、全部夢。
 今までと変わらない鈴凛との素敵な日々がこれからも続くのだ。ずっと、ずっと、いつまでも。
 そう思うとそれだけで幸せだった。ああ、平凡な日常とはなんて素晴らしいのだろう?
「ムフン 鈴凛ちゃん! キッチンを借りるんですの! ベッドに運んでくれたお礼ですの! 姫が腕によりをかけて朝ごはんを作るんですの!」
 白雪は鈴凛の胸の中から飛び出ると、腕まくりをしてベッドから降りた。
「ホント!? 白雪ちゃんありがとう!」
 鈴凛が飛び上がらんばかりに喜ぶ。白雪はキッチンに向かおうと部屋のドアに手をかけようとして、ひとつ気がつき、振り返って何気なく鈴凛に尋ねた。
「姫を鈴凛ちゃんのベッドにって……鈴凛ちゃんは……どこに寝ていたんですの?」
「私?」
 鈴凛が自分を指した。いつもの朗らかな笑顔で。
「私はね……」
 鈴凛が足元を見た。唇の端からすうっと赤い筋が下に伸びる。
 ぞくり、白雪は震える。
「ここに寝ていたの……」
 鈴凛の視線の先、鈴凛の足元を見ると、そこにあったのは。

 ――棺。



「いやあぁぁぁぁぁっ!」



 白雪はばっと跳ね起きた。
「あ、あ……」
 冷たい汗と締め付けられるような胸の苦しさ。息が荒い、呼吸を整えながら白雪は声にならない声をあげて、周りを見回した。
 そこはさっき「目を覚ました」のと同じ鈴凛の部屋、やはりベッドに寝かされていた。先ほどと違うのは目に見えるものの現実感、鈴凛の机、クローゼット、消えた室内灯、カーテンの閉じた窓……、先ほど見たフワフワとした抽象化された鈴凛の部屋とは違う。
 白雪は夢から覚めた事を知った。
「白雪様、お目覚めですか?」
 少し離れた椅子にかけている者から声がかかった。一瞬、鈴凛かと思うが、その口調と今ひとつ感情に欠ける声はメカ鈴凛のものであった。
「白雪様、現在の時刻は午前4時56分です。白雪様がラボの中で眠ってしまわれましたので、勝手ながらマスターの使っていた部屋に運ばせていただきました」
 白雪がここにいる事情を淡々とメカ鈴凛が説明する。どうやらメカ鈴凛の胸の中で泣き疲れてそのまま眠ってしまったらしい。
「昨夜午後9時14分、白雪様の御家庭から白雪様の所在について電話でお尋ねがありましたので、私の方からこちらに外泊される事をお伝えしておきました。次に……」
 メカ鈴凛の事務的な話を聞き流しながら、白雪は俯いた。
「もう……鈴凛ちゃんは……いないんですの……」

 白雪は持って来たときと重さの変わらないバスケットを持って鈴凛の家を出た。
「鈴凛ちゃん……鈴凛ちゃあん……」
 早朝で人通りが無いのが幸いだった。ぐすり、ぐすり、と泣きながら歩く。
 白雪とて、メカ鈴凛相手に続ける「おままごと」の馬鹿馬鹿しさはわかっていた。しかし、鈴凛と同じ顔と声の者に向き合っている間は、ほんの少しだけ、気分がまぎれたのも事実だったのだ。
 だが、そんな事をして僅かばかりの安らぎを得たところで何になろう? 結局、メカ鈴凛はメカ鈴凛でしかないのだ。
 もう、鈴凛はいない。あのメカ弄りに目を輝かせていた鈴凛が白雪の目の前に現れる事はありえないのだ。
「鈴凛ちゃん……鈴凛ちゃん……」
 擦れる様な声で、白雪はとぼとぼと歩いていった。
 街がゆっくりと目覚め始めた。



 白雪は家に帰って弁当を片付けるとシャワーを浴びた。服を着替えるとボスンとベッドに体を沈ませる。
「鈴凛ちゃん……」
 眠ればまた夢の中で鈴凛に会えるかと思い、すぐに頭を振って打ち消した。今朝の様な悪夢はもう沢山だ。
 ベッドに寝たまま白雪は机の上に視線を移した。そこには白雪と鈴凛とメカ鈴凛が写ったあの写真。
 体を起こしてベッドから降り、写真立てを取った。
 写真の鈴凛、そして自分の笑顔を見ていると、また目頭が熱くなって来た。

 それから白雪は街へ出た。別に何か目的があっての事でなく、ただ何となくふらふらと漂う。
 どこをどの様にどの位の時間をかけて歩いたか、白雪には大した意味を持たない事は意識せず、ただただ街を彷徨い歩く。
 ふと、目の前を白雪と同じ位の年恰好の少女二人組が、楽しそうにお喋りをして通り過ぎるのを見て、白雪は我に返った。
 今日は土曜日、鈴凛がいればふたりで街をあんな風に楽しそうに歩いてデートをしていたかも知れない。小さな胸がきゅっと痛んだ。
「鈴凛ちゃん……」
 もう、隣で輝かんばかりの笑みで歩いてくれる鈴凛はいない。頭の片隅で浮んだメカ鈴凛と歩くというアイデアを、白雪はすぐに自分でかき消した。
「鈴凛ちゃんは……もういないんですの……」
 白雪は下を向いて、またとぼとぼと歩き出した。

「あ……」
 当てもなく彷徨っている様で、無意識の内に足を向けてしまっていたらしい。気がついたらまた鈴凛の家の前まで来ていた。
「白雪様」
 どうして白雪が来たのがわかったのか――恐らく鈴凛がカメラか何か仕掛けておいたのだろう――玄関の前まで来ると、メカ鈴凛が庭のラボから顔を見せた。
「どうぞこちらへ、白雪様。おあがりください」
 また遊びに来たと思ったのか、メカ鈴凛はラボへと白雪を招く。
「メカ鈴凛ちゃん……ごめんなさいですの……何でもないですの……」
 また不毛な「おままごと」をする気にもなれなかった。白雪は力なく笑って手を振ると、鈴凛の家の前からだっと走り去った。

「ああ……」
 白雪は見通しの悪い急カーブの先にある横断歩道まで来た。鈴凛が事故に遭った場所だ。事故の直後に一回だけ来た。
 白雪は電信柱の下に供えられたしなびた花束にしゃがみこんだ。
「鈴凛ちゃん……姫は……どうやって生きて行けばいいんですの?」
 しばらくそのままでいるが、問いに答えが返ってくるはずもなかった。
 ほうとため息をついて白雪は立ち上がり、また歩き出した。



 それからまたどこをどう歩いたのか。

 ガゴオオオン……。

 突然の上方からの轟音。
 通りすがりの者たちの怒号と悲鳴で周囲は満たされた。
 周りの者が空を見上げながらあちこちへと走って散って行く。

 この大騒ぎに、流石に白雪の意識も身の回りへと引き戻された。
 立ち止まると白雪はどこかの歩道の上にいた。
「…………?」
 白雪も轟音の聞こえて来た方向を見上げると、そこには人気のない建設中のビル。
 そして、まるでどこか遠くの世界で起きているかの様に信じられない光景。
 どこかから外れたらしい鉄骨が、他の鉄骨に当って弾んで、今まさに落ちようとするところ。
 こちらへと。
 ああ、あれを受けてはひとたまりも無い。
 白雪は笑った。
「簡単な事ですの……」
 そうだ、鈴凛がいなくては生きて行けないのだったら、生きて行かなければいい。簡単な事ではないか。なぜ今まで気がつかなかったのだろう?
 鉄骨が落ちてくる。
 逃げろ、走れ、という周りの声は白雪の耳にこそ届け、もう、心にまでは届かなかった。
「鈴凛ちゃん……、今、行くんですの……」
 あの鉄骨に潰されれば鈴凛のところに行ける。そう思うと幸せな気分だった。
 おかしなもので、今の白雪には、唸りを上げて迫って来る鉄骨の恐ろしい姿が、腕を広げて降りて来る天使の様だった。
 ああ、あの天使に抱かれて白雪は天に昇るのだ。鈴凛のところへ行くのだ。鈴凛はどんな顔で出迎えてくれるのだろうか?

「鈴凛ちゃん……」
 白雪はうっとりと目を閉じた。



 ゴウン……。



 凶悪な音を立てて鉄骨が地面に激突した。



「え……?」

 白雪は自分が生きていることに驚いて目をパチパチさせた。
 それはあっという間の事、横からの衝撃を受けたかと思うと、白雪は何者かに歩道の上に押し倒されていた。
 もちろん、鉄骨に潰される事などなく。
「白雪様……ご無事でしたか?」
 ここ最近で随分と聞き慣れた声だった。白雪を抱いた形のまま、メカ鈴凛が上体を少し起こした。
「立てますか? 白雪様?」
 メカ鈴凛は膝をつくと、白雪を地面に直接叩きつけないよう背と頭にまわしていたらしい腕を、そっと抜いて肩に回し、白雪の体も起こす。
「立てますか? 白雪様?」
 先に立ち上がったメカ鈴凛はペタンと座り込んでいる白雪にそっと手を伸ばした。
「緊急の事で乱暴な行動になりましたが、どうかお許しください」
「メカ鈴凛ちゃん……」
 何が何だが頭の中で整理がつかぬ内に手を握られて、白雪も立ち上がった。
「歩けますか? 白雪様?」
 白雪に見せ付けるように、メカ鈴凛が周囲を見回す動作をした。
「人が集まって来ます。まずは場所を移りましょう」
 その通りだった、鉄骨を避けてあちこちに散った者たちが、鉄骨と、そして白雪とメカ鈴凛を恐々と見つめて、ゆっくりと集まってくる。
「は、はいですの……」
 メカ鈴凛に手を引かれて白雪は歩き出した。
 歩きながら振り返ると、白雪の背丈より大きな鉄骨が、歩道のアスファルトを砕いて横たわっていた。

「メカ鈴凛ちゃんが助けてくれたんですの?」
 傍の小さな公園のベンチでふたり並んで座った。わかりきった事を白雪が尋ねると、メカ鈴凛は頷いて糞真面目に言った。
「はい、建設中のビルから落下する鉄骨を確認いたしまして、その予想される落下地点に白雪様がお出ででした。私の知覚した状況から白雪様の生命に危険が迫っていると判断し、緊急事態という事で手荒な手段となりましたが、白雪様へと走りお体を抱えて横に飛ばせていただきました」
 すらすらと澱みのない言葉だった。
「どうして、姫を助けたんですの?」
 もう少しで鈴凛のところに行けたのに、余計な事を、という含みを持たせて言うが、メカ鈴凛の方はそこまで読み取れず、別の解釈をしたらしい。
「マスターの意思によるものです」
 短い言葉に鈴凛の事が出て、白雪はメカ鈴凛の顔をじっと見る。
「マスターから、もし何らかの事情で白雪様のお傍にいられない状態が発生した場合、代わりに私が白雪様をお守りするように、との指示を受けました」
「あ、ああ……」
 白雪はもう一度、最後の逢瀬での鈴凛との会話を思い出した。

『すごいんですの……。鈴凛ちゃんはすごいんですの!』
『フフン♪ まあね♪ メカ鈴凛を作るのはとにかく大変だったんだ!』
『鈴凛ちゃんは本当にすごいんですの……。メカ鈴凛ちゃん、人間みたいですの。鈴凛ちゃんがもうひとり出て来たみたいですの!』
『あはは、これでスペアが出来たから、万が一私に何かあっても大丈夫! メカ鈴凛が私の代わりに白雪ちゃんを守るから!』
 ああ、そうだ、鈴凛が冗談交じりにそんな事を言った。
『り、鈴凛ちゃん! 縁起でもない事言わないで欲しいんですの!』
 冗談だと流しきれなかった白雪が、泣き虫にも涙を滲ませて。 
『白雪ちゃん! 冗談! ゴメンゴメン!』
 自分の失言に気がついて鈴凛が慌てて白雪を宥めた。
『鈴凛ちゃんがいなくなったら、姫は、姫は……』
 大好きな鈴凛の前で、ぐすりぐすりと鼻まで鳴らしてしまって。
『ゴメン……冗談……、白雪ちゃんを置いていくような事はしないって……』
 鈴凛は白雪をそっと胸の中に抱きしめて、背と髪を撫でた。
『鈴凛ちゃん……』
 白雪はそっと鈴凛の背中に手を這わせる。
『でも……私のために泣いてくれるんだ……嬉しい……』
 そして鈴凛は照れを隠すように、黙って立っていたメカ鈴凛を向いて言った。
『こりゃ、白雪ちゃんを大切にしないとね! メカ鈴凛も白雪ちゃんを守ってあげてよね!』

「鈴凛ちゃん……」
 そんなに時間は経っていないはずなのに、随分と昔の事のようだった。
「そして、マスターは最後に白雪様と会われた日……」
 メカ鈴凛の言葉に、白雪の肩が震える。最後に会った日と言えば鈴凛最期の日。
「白雪様をお送りしてから、このように言われました」
 そこで珍しくメカ鈴凛は言葉を切った。白雪はメカ鈴凛の顔をじっと見る。
「もし、マスターが白雪様のお傍にいられない事態が発生した場合は、私が白雪様のお相手をし、お力になるように、と」
 まさか鈴凛だって数時間後の自分の運命をわかっていた訳ではなく、せいぜい長期間どこかに出かける留守に白雪の遊び相手を頼む位のつもりで言ったのだろう。それでも白雪の目に涙が滲んで来た。
「先ほど、白雪様が私の許へ訪れ、今回はおあがりにならずにすぐにお帰りになられたので、白雪様に何か異常事態が発生していると判断し、白雪様を捜索しながらご自宅に向かう途中で、白雪様を発見いたしました」
 白雪は涙で曇る目で、メカ鈴凛の顔を見つめる。顔立ちこそ、声こそ同じでもメカ鈴凛はやはり鈴凛ではない。しかし、鈴凛の白雪への「愛」が、メカ鈴凛の中で生きていた事を知った。
「鈴凛ちゃん……」
 白雪は声をあげて泣き出した。
「白雪様? やはりどこか傷を負われましたのでしょうか?」
 泣いている白雪を、傷の痛みによるものと単純に判断したらしいメカ鈴凛が、ベンチから立って白雪の手を取った。
「すぐに病院にお連れします、今日は土曜日ですがこの近くに……」
「違うんですの……違うんですの……」
 白雪は泣きながら首を振る。
「鈴凛ちゃんが……見えたんですの……」
「私の顔はマスターをもとに製作されたものですので……」
 人間とメカのかみ合わないやり取り。
「さあ、白雪様、病院へ」
 勘違いしたままのメカ鈴凛が白雪の体を抱き寄せる。
「け、怪我をしたわけじゃないんですの!」
 白雪はメカ鈴凛の腕を押さえて、そして、見た。
「メカ鈴凛ちゃん! メカ鈴凛ちゃんこそ怪我をしているんですの!」
 白雪を助けた時にすりむいたのか、服の右腕の肘の部分が破けて肌が露出し、なんと「皮膚」までが破け、機械の中身が見えていた。
「ご心配には及びません。表面部分の損傷に過ぎません」
 そんなメカ鈴凛の言葉も耳に入らず。
「メカ鈴凛ちゃんこそ早くお医者にかかるんですの!」
 メカ鈴凛を医者に連れて行っても仕方がないという事をすっかり忘れて、ベンチから立ち上がった白雪はメカ鈴凛の腕をぐいぐいと引っ張る。
「すぐに病院に連れて行くんですの! 今日は土曜日でも、この近くに……」
「白雪様! 落ち着いてください!」

「姫はおバカさんですの……」
 椅子に座った白雪はしゅんとなった。
 またやって来た鈴凛のラボだった。
「白雪様、ご心配をおかけしました」
 ラボの隅で腕の「皮膚」を予備の物に張り替えたメカ鈴凛が白雪の前に戻って来た。
「メカ鈴凛ちゃん、大丈夫ですの?」
 メカ鈴凛は腕を捲り上げて右の肘を見せた。元通りだった。
「表面部分の破損のみで、特に内部に損傷はありません。また、私はある程度の損傷は自分で修復出来ますので、ご心配には及びません」
 白雪はとりあえず胸を撫で下ろした。
「それに部品等の交換用のストックもまだ残っておりますので、今回の様なケースでも特に問題はありません」
 メカ鈴凛は白雪の向かいに置いた椅子に座った。
「メカ鈴凛ちゃん……」
 白雪は目の前のメカ鈴凛をまじまじと見つめる。
 見た目こそ同じでも、白雪が大好きだった鈴凛とは別個の存在。やはり鈴凛としてとらえる事は出来ない。
 しかし、鈴凛の白雪への「愛」はこのメカ鈴凛の中に生きている。
 白雪は胸が一杯だった。
 そうだ、白雪がせっかちに追いかけて行ってしまったら、その鈴凛の気持ちが台無しではないか。鈴凛の形見、メカ鈴凛とともに生きるのも良いかも知れない。
「鈴凛ちゃん……鈴凛ちゃんのところに行くのは、少し待って欲しいんですの……」
 白雪は小さく呟いた。
「でも……」
 まだ部品等の予備があるとは言っても、いつかは尽きる日が来るだろう。いや、それを待たずして、メカ鈴凛が自力では修復できないほどの損傷を負ってしまう事だってあるかも知れない。
 もう鈴凛はいないのだ、メカ鈴凛に何かあっても直す者はいない。
「…………」
 白雪はゆっくりとラボを見回した。ここで生き生きと作業をしていた鈴凛のキラキラした瞳を思い出したのだ。
 そしてメカ鈴凛に視線を戻して、もうひとつ思い出した。

 構想段階でも、製作中でも、起動時も、起動後も、楽しそうにメカ鈴凛について語っていた鈴凛の顔。
 あの情熱に満ちた顔。
 白雪が大好きだったあの顔。

「…………!」
 白雪の中で何かが閃いた。

「メカ鈴凛ちゃん! 悪いけど……ゴーグルを返して欲しいんですの!」



 白雪は自分の家に帰ると、本棚から料理の本を全て引き出した。料理が嫌いになった訳ではなかったが、大切な人に奉仕する手段としてはもはや意味がなくなった。
 白雪は財布を開き、貯金箱を割った。今から古本屋に出かけて手持ちのお金を全部叩いて機械に関する入門書を買って来よう。
 白雪は鏡の前に立った。頭に鈴凛の形見のゴーグルをつける。
「鈴凛ちゃん! メカ鈴凛ちゃんは姫が守るんですの!」
 白雪は力強く、言った。
 机の上を見る。そこには鈴凛の部屋とラボから持って来たノート、日記、小さなメモの類までが山と積まれている。これを全て読み込んで、鈴凛の思考と感情を白雪の中に取り込むのだ。
 あのメカの好きな鈴凛は白雪が継ぐのだ。白雪の中で生きるのだ。

 メカ弄りを覚えて白雪はメカ鈴凛を守る。
 鈴凛の白雪への「愛」が詰まったメカ鈴凛を守る事で、あの白雪を愛した鈴凛は、メカ鈴凛の中で生き続けるのだ。
 鈴凛が情熱を注ぎ続けたメカ鈴凛を守る事で、あのメカ弄りに目をキラキラさせていた鈴凛は、白雪の中で生き続けるのだ。

 白雪かメカ鈴凛のどちらかがいなくなるまで。

「鈴凛ちゃん! 見守っていて欲しいんですの!」
 やはり白雪は泣き虫だ、強がって笑顔を作っても鏡の中の目には光る物が浮んでしまう。
 白雪は顔をくしゃくしゃにして言った。



「鈴凛ちゃん……最後にもう一回だけ泣かせて欲しいんですの……」







 

 


あとがき

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
 アニキ、アネキの皆様、鈴凛ファンの皆様、本当にごめんなさい。
 好きな人を失ってしまう、と言うテーマでの創作はシスプリ二次創作でもしばしば見受けられますが、
 私は「白雪×鈴凛」のカップリングで、そんな話を書いてみたらどうなるか、
 残された者が如何に悲しみを乗り越えるかをどう書くか、それに挑戦してみました。
 シスプリ二次創作を書いていて「この話は本当にこのキャラでなければ書けない話なのか」と考える事があるのですが、
 今回の物語は白雪と鈴凛以外では成り立たず、その意味でこういう話を書けた事について個人的には満足しています。
 皆様、最後までお読みくださり、ありがとうございました。


なりゅーの感想

謝ることはないです! 気持ち分かるけど(苦笑)謝ることはないです!
しらりん推奨派の高原さんが、あえて好みのカップリングに、
死別という最大級の「別れ」をテーマに送ったダークSSでした。

個人的に、甘いだけだと人間飽きますから、たまにはこういうビター味があってもいいと思います。
そういう意味を抜いても、素晴らしいビター味、そして爽やかな後味を堪能させていただ ける作品でした!
白雪の夢の描写は、読んでるなりゅーも「ぞくり」と震えましたし、
白雪の逃避は、見ていて痛々しいものがありました……もちろん褒めの意味で。

文中にあった「愛」も、「恋愛」ではなく「友達や家族を思う心(+α=特別な思い入れ)」として、
無理矢理詰め込んだ百合ではない「女の子同士の絆」を感じさせられました!
そういう、行き過ぎない部分は、高原さんの最大の特徴で、見習いたい百合の描き方だと思っています。

悲しくも、前向きな逸品を、どうもありがとうございました!

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