鈴凛の鞠絵な一日







 ある晴れた休日の午前中。

 千影はいつものように、家の魔術の実験をしていた。秘密の路地裏にある専門店から買ってきた何種類もの薬草を混ぜて煮込む。――といえば、怪しげな儀式でもしているような印象を受けるのだが、実際にやっていることといえば料理だった。
 千影は真剣な面持ちでコンロにかけてある鍋を眺めている。
 ……傍から見るとえらく滑稽であるが、幸いにも誰も見ていない。

「さてと……。あとは冷ますだけだな……」

 千影はコンロの火を止め、鍋に蓋をした。

「これで、兄くんを……フフ……。今のうちに……次の材料を……用意しておこう」

 言いながら、自分の部屋へと向かう。

 ・

 ・

 ・


「チェキチェキチェキ♪ どんなときもハートを♪ チェキチェキチェキ♪ 追いかけていくから♪ チェキチェキチェキ♪ 油断しないで〜」

 しばらくして、気楽に歌を歌いながら四葉がやってきた。
 ジュースを飲もうと、冷蔵庫のドアを開けようとして――

「か〜くご〜♪ ……?」

 四葉は歌を中断した。香ばしい香りが鼻をくすぐる。
 その香りをたどって視線を動かすと、コンロにかけられた鍋があった。

「なんだか、美味しそうな匂いデス〜」

 そんなことを言いながら、四葉は匂いにつられるようにふらふらと鍋に近づいていった。それが千影の作ったものだとは夢にも思っていない。
 朝食の白雪特性スープの残りだと思っている。
 鍋の蓋を開けて、四葉は中身を見やった。

「?」

 疑問符を浮かべる。
 鍋の中に入っていたのは、幸か不幸か朝食のスープと寸分も違わぬものだった。具もちゃんと入っている。一見すれば、朝食のスープの残りだ。
 もっとも、それは当然である。千影がそう作ったのだから。
 なんにしろ、鍋の中身は、美味しそうな香りとともに湯気を立てている。

「誰か、暖めたんデショウカ?」

 そんなことを独りごちながら、四葉はお玉とお皿を持ってきた。

「まあ、いいデス」

 言いながら、お玉で一度スープをかき混ぜる。味見するように一口、口にして――

「やっぱり薄味デスネ」

 不満そうに呟き、四葉は近くにあった塩を手に取った。
 四葉は朝食の時、スープに少し塩を入れていた。このスープは大好きなのだが、自分にとっては塩味が足りないのである。朝食のスープを真似したこのスープもやはり薄味だった。
 四葉は鍋に向けて、塩のビンを振った。

 ドバ。

「チェキィ!」

 蓋と一緒にビンの中の塩が全て鍋の中に落下する。
 その途端。

 スープが沸騰したかのように泡立ち――

 ボフ。

 気の抜けた音とともに爆発した。

 ・

 ・

 幸運だったのは、その日はみんな用事があって、家を出払っていたことだろう。
 家に残っていたのは、千影に四葉、あと鞠絵と鈴凛。

 ・

 ・
 
「ふあぁぁ」

 あくびをしながら、鈴凛は背伸びをした。
 身体の上に乗った布団を適当に押しのけ、上体を起こす。今日が休日ということもあり、昨日は夜遅くまでメカをいじっていた。そのせいだろう。目の焦点が合わない。

「あれ?」

 しかし、いくら目をこすっても、焦点が合わない。
 それだけではない。
 鈴凛は自分が置かれている状況の不自然さに気づいた。

「ここって……鞠絵ちゃんの部屋だよね?」

 誰へとなく問いかける。
 ぼんやりとした視界に移ったのは、白を基調とした小奇麗な部屋だった。どことなく病室を思わせる清潔な雰囲気。壁ぎわには、ずらりと本の並んだ大きな本棚が置いてあった。
 何度か入ったこともある、鞠絵の部屋である。間違いではない。
 加えて、自分が寝ているのは、鞠絵のベッドだった。

「…………」

 昨日はラボに置いてある簡易ベッドに寝た――はずである。

「ええと……」

 呟きながら、鈴凛は横に手を伸ばした。
 手に触れた眼鏡を掴み、かける。焦点が合った。
 身体を見下ろす。水色の上着に白いスカートという格好。無論、自分のものではない。昨日は作業着のまま寝てしまった。この服は、鞠絵のものである。
 鈴凛はベッドから降りて、壁にかけられた鏡の前に歩いていった。

 鏡に映っているのは、鞠絵……。

「…………」

 鈴凛が首を傾げると、鏡に映った鞠絵も首を傾げる。
 鈴凛が舌を出すと、鏡に映った鞠絵も舌を出す。
 鈴凛がにっこりと笑うと、鏡に映った鞠絵もにっこりと笑う。
 鈴凛が眉根を寄せると、鏡に映った鞠絵も眉根を寄せる。
 鈴凛が頬を引っ張ると、鏡に映った鞠絵も頬を引っ張る。

「認めるしかないわね……」

 こめかみに指を当てて呟くと。
 鈴凛はすっと息を吸い込み、

「あたし、鞠絵ちゃんになっ……!」

 ――ちゃったぁぁぁ!! と絶叫したかったのが。

 息が詰まり、言葉が途切れる。
 鈴凛は咳き込みながら、理解した。自分は鞠絵になっている。自分と違って鞠絵は大声を出すことは、まずない。声帯が大声に耐えられないのだろう。

「じゃあ、鞠絵ちゃんはどうなっているの?」

 自問してから。
 自答する。

「多分、あたしになってる……!」

 思わず駆け出そうとして。
 鈴凛は何とか自制した。
 この身体は鞠絵なのだ。いくら療養所を退院したといっても、鞠絵の病気は完治したわけではないのである。自宅療養中の身体に無理をさせるわけにはいかない。
 深呼吸をしてから、鈴凛は早足で歩き出した。

 部屋を出て、廊下を歩き、階段を降りて、再び廊下を歩く。
 地下室にある自分専用のラボのドア。

 トントン。

「もしも〜し……」

 …………

 返事はない。
 鈴凛はドアを開けて、ラボに入った。慣れた金属と油の匂いが鼻を撫でる。しかし、鞠絵の身体になっているせいだろう。慣れた機械の匂いも妙に新鮮に感じた。
 床に散らばった工具や機械の部品を避けながら、簡易ベッドの元に歩いていくと。
 案の定、自分が眠っている。

「もしもし……鞠絵ちゃん」

 色々な意味で違和感を覚えながら、鈴凛は自分のものである身体を揺すった。

「ふぁ〜」

 目を開けて、眠そうに目をこする。

「…………えと、鞠絵ちゃん?」
「はい……。ああ、眠っちゃったみたいですね」

 予想通り、自分の身体には鞠絵が入っていた。
 鞠絵は寝ぼけ眼で鈴凛――鞠絵の身体を見やると、

「…………? わたくし……まだ、眠ってるみたいですね」

 そう呟き、布団をかけなおす。
 鈴凛は鞠絵の身体――自分の身体――を揺すりながら、再び声をかけた。

「鞠絵ちゃん、起きて。現実だから……なんだかよく分からないけど、あたしと鞠絵ちゃん、心と身体が入れ替わっちゃってるから」
「……はい?」

 鞠絵がゆっくりと目を開ける。
 自分の身体と鈴凛の身体を何度も見比べてから、緊張感なく呟く。

「あら……本当ですね」

 瞬間。

 ――我は放つ光の白刃!

 ドォーン!

 爆音が聞こえてきた。


 ・

 ・


 半壊したキッチン。
 ほんのり焦げた四葉が倒れている。
 その傍らに立った千影が、駆けつけた鈴凛と鞠絵を見て、納得したように頷いている。

「なるほど……。薬がおかしな働きをして……偶然にも、眠っていた二人の精神を、入れ替えてしまったようだね……。実に興味深いよ、フフ……」
「それより……」
「四葉ちゃん、生きていますか?」

 尋ねると、四葉はふらふらと立ち上がった。
 けほ、と灰色の咳を吐き出してから。

「あぅぅ。生きてるデス……」
「まあ、直撃させていないから……当たり前だろう。もし……私の魔術が直撃すれば……きみは今頃、消し炭になっているよ……」

 千影が冷静に怖いことを告げる。

「ところで、四葉くん」
「……何デス?」
「薬の原材料費を……弁償してほしいのだが……」
「……あのスープ、そもそも何だったんデスカ?」

 四葉が尋ねると、千影はふぅと一息ついて、

「……兄くんに飲ませようと思っていた……新型の惚れ薬だよ……。無味無臭で……なおかつ惚れる相手を選べるという優れものだ……。前回のような失敗はしない……」
「アネキ、懲りてないんだ……」

 鈴凛は呟いた。

「私は諦めが悪いのだよ……。さて、四葉くん……薬を作り上げる手間と時間は、どうしようもないが……。薬の原材料費は、弁償してもらおう……」
「……いくらデスカ?」

 四葉が尋ねると、千影は無言で右手を開いた。
 それを見て、四葉が恐々と訊く。

「……Five hundred yen ?」
「…………」
「…………Five thousand yen ?」
「…………」
「………………Fifty thousand yen ?」

 千影が頷いた。五万円。

「無理デス! 四葉、そんなお金持ってマセ――」
「黄昏よりも昏きもの血の流れより紅きもの時の流れに埋もれし偉大な汝の名において我ここに闇に誓わん我等が前に立ち塞がりしすべての愚かなるものに我と汝が力もて等しく滅びを与えん……
「Nooooo! sorry! sorry! so sorry!! 払いマス! だから許してクダサイー!」

 泣きながら懇願する四葉に、千影は呪文の詠唱をやめた。恐ろしく強大な魔術だったのだろう。発動していないというのに、千影の周りには凄まじい空気が渦巻いていた。

「Good-by my digital camera . And good-by my mannys in a piggy bank」

 さようなら、私のデジタルカメラ。そして、さようなら、貯金箱のお金。
 両手の指を組んで、天に祈っている四葉に背を向け、千影は鈴凛と鞠絵に向き直った。

「さて……鞠絵くん、鈴凛くん……。話を戻そうか……」
「正直、忘れられてるかと思ったわ」
「それで、どうすれば元に戻るんですか?」

 鞠絵の問いに、千影は僅かに眉を寄せる。

「……同じことをすれば元に戻ると思うが……原材料費だけで、五万円以上もかかる……。私はそんな大金、持っていない……」
「あたしも持ってないわよ」
「わたくしも同じくです」
「だから、別の方法を探すよ……。単純に精神を入れ替えるだけだ。それほど難しいことではない……。できれば、兄くんが帰ってくる前に事を済ませたい……」
「何で?」

 鈴凛が何の気なしに訊き返すと、

「……私がまた変なトラブルを起こしたとなると……さしもの温厚な兄くんも、黙ってはいないだろう……。恥の上塗りはしたくないからね……」

 言いながら、悔しそうに口元を引き締め、恥ずかしそうに頬を赤くした。
 何かは知らないが、千影は兄に弱みを握られている。

「それに、兄くんに登場されては困る……」
「何で?」
「…………。とりあえず、私はキッチンを直してから、君たちを元に戻す方法を考える……。君たちは……この珍しい体験を満喫してほしい……。まあ、兄くんと一緒に暮らしていれば、身体が入れ替わるくらい……どうということもないだろうけどね」

 そう告げて、千影は壊したキッチンの修復を始めた。呪文とともに、原型も留めぬまでに破壊された壁が床が、ほこほこと再生されていく。手馴れたものだ。

「それでは、行きましょうか。鈴凛ちゃん」
「へ。どこへ?」

 鈴凛は間の抜けた声を出した。
 鞠絵は自分が着ている作業服を示すと、

「鈴凛ちゃんの部屋ですよ。いつまでも、この格好でいるわけにもいきませんからね」
「そうだね。あはは」

 ごまかすように苦笑いを浮かべて、鈴凛は頷いた。


 ・

 ・


 鈴凛の部屋にて。
 鈴凛はクローゼットから、深緑色のワンピースを取り出した。

「はい。これでいいでしょ?」

 それを鞠絵に渡そうとするが、鞠絵は受け取ろうとしない。

「ええ。でも……」

 困ったようにもごもごと口を動かしながら、自分の身体を見下ろしている。見下ろしているのは、身体ではない。作業服である。着ている作業服を右手で引っ張って、

「この服、どうやって脱ぐんです?」
「あ。ごめん」

 この作業服は、プロが使う特殊な作業服である――着るのにはちょっとしたコツがいるのだ。逆に、脱ぐのにもコツがいる。何も知らない鞠絵がこの服を脱ぐのは難しいだろう。
 鈴凛は作業服の首元の止め具を外して、前のボタンを全て外した。

「はいOK。これで脱げるでしょ?」
「ありがとうございます」

 笑顔を向けられ、鈴凛は視線を泳がせた。なぜか、恥ずかしい。

「じゃ、あたしは外で待ってるから。脱いだ服はその辺に置いといてね」

 そう言って、隣にいた四葉の肩を掴む。
 四葉はもそもそと作業服を脱ぐ鞠絵にデジカメを向けたまま、カシャカシャとシャッターを押していた。シャッターを切りながら、ぽろぽろと涙をこぼしている。

「何やってるの、四葉ちゃん?」
「My digital camera Mr.Watson the Second とお別れの激写デス〜」
「で、鞠絵ちゃんの――というかあたしの着替えに興味あるの?」
「Yes I am! せっかくだから兄チャマにも見せてあげ……ッ! チェキィ! 痛い! 痛い! 痛いデス! 冗談デス! だから、離してクダサイ、鈴凛ちゃん!」

 鈴凛は四葉の肩を持つ手に思い切り力を込めていた。
 鞠絵は、我が家の兄妹の中で、咲耶に続く怪力を持つ。その力は春歌を上回り、兄と同等。話によると、療養所にいた頃から、体力をつけるために続けてきた筋肉トレーニングのおかげらしい。跳んだり走ったりはできないが、万力のように力だけは強いのだ。
 四葉を引っ張りながら、鈴凛は部屋を出て行く。

「今日は、鞠絵ちゃんと鈴凛ちゃんを徹底的にチェキしマス……!」

 肩をさすりながら、四葉が声を上げる。
 それからしばして。

「お待たせしました」

 部屋のドアを開けて、着替えの終わった鞠絵が出てくる。

「…………」

 いつもと同じ格好の自分。だというのに、心が鞠絵というだけでまるで別人である。その新鮮さに、鈴凛は思わず見とれてしまった。
 鞠絵が口を開く。

「鈴凛ちゃんって――」
「あたしって……?」
「結構、スタイルいいんですね
「なっ!」

 鈴凛は声を詰まらせた。顔が赤くなってくるのが、自分でも分かる。あたふたと両手を動かしながら、何か言い返そうするが、頭が混乱して何も言葉が出てこない。
 鞠絵はくすくすと笑いながら、

「さあ、次はわたくしの部屋に行きましょう」 


 ・

 ・


「健康日記……デスか?」

 鞠絵が机の引き出しから取り出した分厚いノートに書かれた文字を、四葉が読み上げた。

「そうですよ」

 微笑みながら、鞠絵はノートを開く。

「!」

 その中身に、鈴凛は驚愕した。
 ノートには、その日の体調や起床後就寝前のの体温、朝昼夕で食べたもの、そのカロリーや栄養素、一日の出来事が表やグラフつきで事細かに書かれている。

「これが、鞠絵ちゃんの健康の秘密……?」

 鈴凛は戦いたように独りごちた。
 鞠絵は療養所を退院して、兄妹一緒に暮らし始めてから約一年――一度も体調を崩したことがない。その秘密がここにあった。厳密な健康管理の成果。
 なぜか誇るように鞠絵が言ってくる。

「ふふ。驚きましたか?」
「うん……」
「驚いたデス……」

 カシャ。

 四葉がデジカメでノートを撮る。

 鞠絵は机の引き出しから取り出した鉛筆で、ノートに一文を書き込んだ。

「四月十日の午前中、鈴凛ちゃんと身体が入れ替わる
「って、なに! なに? この『』は――?」

 鈴凛はノートを指差し、鞠絵に目を向けた。慌てて、声を上げる。
 しかし、鞠絵はつかみどころのない微笑みを浮かべていた。壁にかけられた四角い時計を見やってから、のんびりと呟く。

「そろそろお昼ですね。ご飯にしましょう。今日はわたくしが作ります」
「って、無視! 無視? 鞠絵ちゃん!」

 鈴凛の声を聞き流して、鞠絵は部屋を出て行った。

「チェキメモNo.48 鞠絵ちゃんと鈴凛ちゃんはラブ――」
「メモるな!」

 言って、鈴凛は四葉をはたき倒す。鞠絵の身体にもだいぶ慣れてきたらしい。上手く喉を使えば、そこそこ大きな声も出せるようになってきた。


 ・

 ・

 てきぱきと料理をする鞠絵の姿――自分の身体の背中を見ながら、鈴凛はなんとなくむず痒いものを感じていた。鈴凛も、白雪の手伝いでキッチンに立つことは多いが、鞠絵のようにてきぱきと料理をすることはできない。

「てきぱきと料理をする鈴凛ちゃん、チェキ」
「……ひとが物思いにふけってるのに、何暢気なこと言ってるのよ、このチェキっ娘」

 鈴凛は四葉の方に右手を伸ばす。
 が、ひょいと四葉が後退した。誇らしげに腰に手を当てて、言ってくる。

「鞠絵ちゃんの腕力でも、捕まらなければ安全デス〜」
「この……」

 鈴凛が立ち上がると、千影が呟いた。読んでいた魔術書から目を離し、

「鈴凛くん……。鞠絵くんの身体で無理をするつもりかい……?」
「くっ」

 悔しさに拳を握り締める。
 四葉は勝ち誇った表情で、

「四葉の勝ちデス! チェキ〜」
「…………Fifty thousand yen」

 ズーン。

「…………」

 四葉が沈んだ。
 逆転勝利の味をかみ締めていると、鞠絵が料理を運んでくる。

「鞠絵特性のチャーハンですよ。コレ、一度作ってみたかったんです。鈴凛ちゃんには感謝していますよ」

 レタスの入ったチャーハンだった。時々、白雪が作っているのを見たことがあるが、鞠絵が作るのは初めてである。鞠絵の身体では、最後まで作る持久力がないのだろう。
 チャーハンとスープを並べ終えると、鞠絵は鈴凛の隣に座った。

「ところで、鈴凛ちゃん」
「何?」
「ゆっくり食べてくださいね。いつも、鈴凛ちゃんは食べるのが速いですから」

 鈴凛は疑問の眼差しを鞠絵に向けた。確かに、自分は食べるのが速い。別に急いでいるわけではないが、大体一番最初に食べ終わる。
 鞠絵はにっこりと言ってきた。

「口に入れたら、最低でも二十回は噛んでください」
「に、二十回……?」

 いつもは、二、三回しか噛まずに飲み込んでいるのだが。
 鞠絵は笑顔で言ってくる。

「噛んでください」
「え、でも……」
「噛んでください」
「はい……」

 よく分からない威圧感に、鈴凛は頷くしかなった。


 ・

 ・

 昼食がようやく終わり、鈴凛は大きく息を吐いた。
 それほどの量を食べたのではないのに、結構な満腹感を覚えている。それが、鞠絵の身体だからなのか、ゆっくり食べたからなのかは、分からなかった。まあ、両方だろう。

「鈴凛ちゃん、薬ですよ」
「あ。そうだったね」

 苦笑しながら鈴凛は頭をかいた。
 鞠絵はいつも食後に薬を飲んでいる。今日は、鞠絵の身体である自分が薬を飲まなければならない。薬というものはあまり好きではないのだが、文句は言っていられないだろう。

「はい」

 鞠絵が水の入ったコップと、梱包された薬を渡してきた。
 錠剤がふたつと、白い顆粒。

(どうやって飲むんだろ?)

 その心中の呟きを聞いていたかのように、鞠絵が言ってくる。

「この薬は、一度舌の上に薬を乗せてから、水と一緒に飲み込むんですよ。むせないように気をつけてくださいね。あと、苦くはありませんから」
「うん……」

 頷きながら、鈴凛は薬の袋を切った。
 言われた通りに、薬を舌の上に乗せる。それから、水と一緒に一気に飲み込んだ。
 思ったよりも簡単だったことに拍子抜けしながら、鈴凛はふぅ、と息をつく。
 が。

「はい、次はこれです」

 トン。

 と目の前に置かれた小さなコップを見やり、鈴凛は固まった。
 コップの中に入っているのは、謎の液体。

「…………」

 見たままを言うならば、青汁。だが、これは青汁ではないだろう。この謎の液体からは、甘さと苦さが混ざったような異臭が漂ってきている。

「なに、これ?」
「姉上様特性の健康ドリンクです。わたくし、食事の後はいつもこれを飲んでるんですよ」
「…………味は?」
「見たままです。コツは息を止めて、一気に飲み込むことですね」
「あたし……飲むの?」

 コップを指差し、無感情に尋ねる。

「わたくしの身体に入っているのが鈴凛ちゃんですから、飲むのは鈴凛ちゃんですよ。頑張ってくださいね」
「ええと――」

 助けを求めるように見やると。
 鞠絵は鈴凛に背を向けて、食器を片付けている。四葉も、千影もいない。

「…………」

 鈴凛は目の前に置かれた謎液体を見つめた。

「鞠絵ちゃんって、あたしが思ってるより大変なんだね……」

 泣きたい心地で、コップを掴んだ。恐怖に手が震えている。

 そして――

「ええい、ままよ!」


 ・

 ・

「元に戻す方法が分かったよ……」

 鈴凛が謎液体を飲み込んでからしばらくして、千影が言ってきた。

「ホント?」
「本当ですか?」
「嘘を言ってどうするんだい……? 調べてみたら……思いの外、簡単だったよ……。多少手間のかかる点はあるけどね……」

 言いながら、千影は持っていた大きな布をリビングに広げた。二メートル四方で、中には複雑な図形をいくつも組み合わせた、魔法陣が描かれている。
 好奇心から四葉が、デジカメのシャッターを切っていた。

「で、どうすれば、いいの?」
「まずは……魔法陣の中心に二人向かい合って立つ……」

 言われた通りに、鈴凛と鞠絵は魔法陣の中央に向かい合って立った。

「こうして見ると、わたくしって結構小さいんですね」

 鈴凛を――自分の身体を見つめながら、鞠絵が呟く。鞠絵と鈴凛の身長差は四センチ。小さいようだが、向かい合ってみるとその差はかなり大きく見える。
 
「そうね。あたしって、結構大きいね」

 思わず微笑みながら、鈴凛は言い返した。いつもは、鞠絵を見下ろしているというのに、今は鞠絵を見上げている。

「静かにしていてくれないか……」

 そう告げると、千影は魔術書片手に呪文を唱え始めた。どこのものとも分からぬ、言葉。その意味は分からない。呪文に応じるように、魔法陣が白く光輝き始める。空気が帯電して、ぱちぱちと小さな音を立てる。
 そうして一分ほどだろうか。
 千影が呪文の詠唱をやめた。魔法陣はまだ白く輝いている。

「では、お互いに口付けをしてくれ……」

 …………

 沈黙はきっかり十秒。

「へ?」

 鈴凛は目を点にして、千影を見やった。

「アネキ。今、何て言ったの?」
「お互いに口付けをしてくれ……。いわゆるキスだ。接吻とも言うね……」

 平然と言い払う千影。

「ちょちょちょ、ちょっと待って! キスなんて、聞いてないよ!」
「……言ってないからね……」
「あたしたち姉妹だよ! それに、女の子同士だし、一応血は繋がっているし! それがキス……なんて――」

 混乱しているせいで、呂律が回らない。
 それでも、鈴凛は声を出した。

「できるわけ……ないじゃない……って」

 そこまで言ってから、鞠絵を見やり、

「ああ、もう! 鞠絵ちゃんも、何か言ってよ!」
「別に、いいじゃないですか?」
「へ?」

 その瞬間。

 鈴凛の口が塞がれた。

 視界がかすみ、身体が浮かび上がるような感覚。
 その感覚はすぐに消える。

 そして。

 目の前に、鞠絵の顔があった。

 ただし、唇と唇とを触れ合わせたまま。

 その柔らかい感触に――

 鈴凛は弾かれるように、鞠絵から離れた。

「#☆+〇£%И¢*!?」

 ぱくぱくと口を動かす。だが、何も言葉が出てこない。何が何だか分からなくなっていた。顔が紅潮してくる。思考回路が停止し、何も考えられない。
 頭から湯気が立ち上っている。

「鈴凛ちゃんと、鞠絵ちゃんのKISS――チェキデス」

 四葉の台詞がトドメとなった。

「! うわーん!」

 鈴凛は泣きながら、その場を走り去る。


 ・

 ・


 鞠絵は自分の唇をそっと撫でた。

「ふふ……鈴凛ちゃんったら――」

 こっそりと微笑む。

「可愛い


 おわり。 










 


あとがき

 百合という言葉を知ったのはいつ頃だろうか?
 覚えてはいない。
 しかし、実際にこうして自分が百合作品を書くとは思わなかった。今後書くかは分からない。

 初めて書いたので、あちこちにあらが見られるし、どこか不自然な点もあると思います。
 それでも、読んで何か感想を抱いてくれるなら、僕は嬉しいです。
 本当は、図書館に本を返すために二人で外に出かけ、小森さんに出会うという展開も考えたのですが、時間の都合でカットになりました。
 あと、この作品は僕は自分のホームページに連載している非百合SSの延長です。
 そのため、名前はでませんが「渡くん」という兄が存在します。
 千影が兄を誘惑するために惚れ薬を作っていたりするのが、その証拠です。
 もし、よかったら僕のホームページに来て、普通のSSを読んでください。
 この百合使用の作品とは少し雰囲気が違いますが。
 最後に、微妙に不憫な四葉に同情を…


なりゅーの感想

シガタさんからの初投稿SSのまりりんでした!
こういう百合から始まらないまりりん百合って一度は見てみたかったので、物凄くありがたい一品でした!!
こういう「抵抗」を感じている百合の方が好きなので尚更。

鞠絵の体で大声が出せないとか、四葉のところどころの英語とか、細かいところで上手く描けてい印象を受けましたね。
入れ替わったっていうのに緊張感のないふたりの様子は、なんだかほのぼのして良いです(笑
しかし……「鈴凛入り鞠絵」と「鞠絵入り鈴凛」は……想像が難しいです(苦笑

鈴凛の知らない鞠絵の苦労を垣間見たり、鞠絵のちょっとしたおちゃめが見れたりと、
だんだんとお互いが近づいていくのが分かるところなんか、まりりん好きとしてはかなり満足できる内容でした。
そして、ノーマル感覚のままで女の子同士キスしちゃった鈴凛…………良いッッ!!!!!!!(興奮しすぎ
いや、ところどころ良くできた作品でしたが、もう最後のキスに全部持ってかれちゃいましたよ(爆
うふふふふ……、残るんですかね? このキスの設定残るんですかね?(妖しい

メインのふたり以外にも、地味に四葉との漫才や四葉の受難(自業自得?)っぷりも良い味出してます。
千影もどこかで聞いたことのあるような呪文を唱えているし(笑
"似非百合"と仰ってますが、ヘンに恋愛で括るよりもずっと百合らしい百合だったかと思いました!

シガタさん、素敵なまりりんSS、本当にどうもありがとうございました!!
ちなみにシガタさんのホームページはこちらです。


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