「雛子ちゃん……今は学校、ですよね……」


 敵陣を前に、鞠絵は呟いた。
 そして思った。
 考えなしに来てしまったけれど………………………本当に考えてなかった……。


「…………」


 声も出さずに苦く笑った。
 親友のことにばかり気を取られ、冷静な判断力を失ってしまったなと反省する。
 普通に考えれば分かりそうなものなのに、到着するまでまったく思い出せなかった。
 戦う覚悟まで決めていたのに……勝手に肩透かしをくらったような心境に陥る鞠絵。
 どうしようか思い悩んで、どうにもできず、かれこれ20分は家の前でウロウロしていた。
 そろそろなにかしらの行動を起こさないと、これじゃあただの怪しい人になってしまう。
 普段、思慮深いねやおしとやかだと褒められることはあるけれど、こんなんじゃ褒めてくれた人に申し訳が立たない。
 その人たちの立場も考え、改めて、冷静に思慮深い自分に戻ってみた。

 雛子ちゃんが居ないなら居ないで、ミカエルを家に置いていっているかもしれない。
 他の人間がこの戦いのことを知りえない以上、学校にまで連れて行く訳にはいかないから。
 それなら、好都合。
 雛子ちゃんのお母さんに、飼い主として迎えに来たといえば解決するかもしれない。
 自分が学校に行っていないのは、別におかしなことじゃないんだから。

 ただ・……雛子ちゃんの側には、あの春歌ちゃんがいる……。
 能力を所持しているのが雛子ライダーである以上、この家にいると考えてここまでやってきたけれど、
 雛子ちゃん側に春歌ちゃんが居るのなら、一筋縄ではいかないだろう。
 頭の切れる春歌ちゃんのこと、なにかしら助言を与えて対策を取っているはず。
 雛子ちゃんの家族にばれないように、能力で服従させて、押し入れや物置に、じっと隠れているよう命令したのかもしれない……。


「……っ」


 そう考えて、少し……ほんの少しだけ、苛立ちを感じた。
 大切な親友がそんな目に遭わされていると思えば、そう感じるのは当たり前のことだろう。
 しかし鞠絵は……そう考えた自分を恥じた。
 姉妹に恨みを抱くなんて……。
 それが単なる推測とはいえ、自分はなんて器の小さい人間なのだろう、と。
 まるで、汚い物でも扱うかのように、自分を蔑んだ……。
 みんな良い子たちなんだから、そんな酷いことする訳ない。信じなくちゃ……。
 頭に過ぎった暗い考えを振り払って、鞠絵は再び思考を開始した。

 なにも雛子ちゃんの家にかくまっているとは限らない。
 春歌ちゃんの家に連れ帰っている可能性も否定できないし、
 能力を持たないとはいえ、一応仲間の亞里亞ちゃんの家に預けているかもしれない。
 ……そうよ、亞里亞ちゃんの家なら広いし、お世話をしてくれる人だって居る。
 能力「騎馬の服従」が、どの程度の効果範囲、持続時間なのかは分からないけれど、それが一番の可能性だと感じた。

 今迂闊に雛子ちゃんの家を訪ね、雛子ちゃんが留守だった場合、
 それを春歌ちゃんに知られてでもしてしまったら、それこそ、どんな手段に出るのか分からない……。
 ならここは慎重に……偵察程度でも、亞里亞ちゃんの家へ……。

 思考を終え、新たに目的を定めた鞠絵は、ひとまず雛子の家を後にし、そこへ向かうことにした。
 が、その足は、目的の場所へ向けることは出来なかった……。


「見つけた……」

「……え?」


 突然の声。
 聞き覚えのある誰かの声。
 振り返ると……今ここに居るはずのない姉妹の姿が、そこに在った。

 なぜこの子が……?
 今、学校にいるはずのこの子が……。

 状況をすぐには飲み込めなかったけれど、なにかの偶然でたまたま遭遇したかもしれない。
 疑問はあるけれど、可能性はなくはない。だったら可能な限りこの場を上手く取り繕わなわなくちゃ……。
 鞠絵は、自分がスレイヴァーであることを、隠し通そうと頭を動かし始める。
 でも、すぐにその必要がないことを理解した。


「鞠絵ちゃん……覚悟してください!」

「っ!?」


 決意を秘めたその瞳に鞠絵の姿を写し、少女は両の手に刃を握った。







 

Sister's Alive
〜妹たちの戦争〜

12月19日 水曜日

第18話 All are foolish








「はぁっ………、はぁっ………、はぁっ………」

 走った。
 大切な何かを守りたい、その一心で走った。
 もう手遅れかもしれない、間に合う可能性だってわずかかもしれない。そんな不安も押し退けて、ただただ走った。
 一昨日から、今朝から、そして今も、ずっと走りっぱなし。
 インドア派なアタシとしては、かなりご勘弁願いたい肉体労働の連続。
 ただ、昼食におなかに入れたのがメロンパン1個+エビ1個だったという偶然には助けられた。
 お陰で食後のこの激しい運動もそんなに苦しくはないんだから。
 走りながら、携帯電話でメールを送り続ける。

 『今どこに居るの』

 そんな件名のメールを4通……たった今5通目を送ったところだった。
 実を言うと、その中には慌てて間違えて可憐ちゃんに送ってしまった1回が含まれてたりします。
 お陰さまで「家です」なんてお返事が返って来ました。はい、知ってます。ごめんなさい。
 「なにかあったんですか?」なんて言葉まで返事に添えつけられて、病床かぜの身に心配までかけてしまった。
 ほんまスンマセン、可憐ちゃん。その返信はあとで返すから。
 少なくとも今は……白雪ちゃんの行方で頭がいっぱいで、まともな返事なんてできそうもないから……。


「白雪ちゃん……出てよ、白雪ちゃんっ……?!」


 メールだけじゃ飽き足らなくなって、今度は電話を鳴らしてみる。
 けれど、受話器から聞こえてくるのはプルルという無機質な機械音だけ。


「ああっ……! くそっ!!」


 気持ちばかりが焦る。
 携帯電話なんだから、こんなに送って気づかないなんてこと、そうそうないはず。
 この持ち運び可能な文明の利器を利用できない状況といえば、お風呂とかトイレとか、うっかり忘れてどこかに置いてきたとか、そんな場合くらい。
 それ以外なら意図的に居留守を使われているか……もしそうなら、アタシが白雪ちゃんと話すためには、アタシ自身が直接白雪ちゃんを見つけるしかない……。

 そうこう足を進めている内に、若草学院と白並木学園のへの通学路が一本に繋がる分かれ道に差し掛かった。
 どこに行くにしても校内以外はまずここを通るからと、ここまで何も考えずに走ってきたけれど、
 ここから先は、今みたいにただ闇雲に走るなんてワケには行かない。
 一応、アタシの家と当たりをつけて走ってきたけど、朝、アタシが家を出てからもう4時間以上も経過している。
 そんなに時間が経過しているなら、もう戦いは始まってしまっているかもしれない、終わってしまったかもしれない。
 けれど、ご近所への被害を避けるため人がいないところに移動してたり、
 はたまた逃げて家から離れてしまっている場所にいるなど、様々な状況が考えられる。
 そんなこと言ってたらキリが無いし、しらみつぶしに探せるほどアタシには時間を与えられていない。
 でも焦った気持ちのままで当てもなく走り回ることは最悪。一分一秒でさえ貴重な今、無駄足の代償は大き過ぎる。
 なら、どこ向かえば良いのか?
 冷静に考えろ鈴凛。
 言い聞かせて、走った分の呼吸の乱れと、心を落ち着かせるふたつの意味で、一度深呼吸してから、さっきまでの推理を振り返ってみた。


「あ……」


 手に持った携帯電話を見て、頭の上に電球が付いたように閃く。
 そうよ、自宅ならわざわざアタシが行かなくても、電話を掛ければ済む話じゃない。
 鞠絵ちゃんも千影ちゃんも携帯電話は持ってないけど、我が家には携帯じゃない普通の電話が常備されている。
 自宅に向かうくらいなら、少なくとも先に電話で色々と確認すれば良かったんだ。

 どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのかしら。
 よっぽど焦っていたのか、自分がちょっと情けなくなるわ……。
 でも今、そんなくだらないことで落ち込んでる暇があったら、まずは行動あるのみ。
 早速、電話帳機能に登録されている自宅の電話番号を引っ張り出して、電話を掛けた。


    プルルルルル…………プルルルルル……


 お馴染みの電話のコール音が、またも受話器から鳴り響く。
 既に手遅れかもしれない。そんな不安が湧き上がってくる。
 自分の家が既に戦場と化した後かもしれない。
 最悪……千影ちゃんも含めて、白雪ちゃんに……。


「まだ決まったワケじゃないじゃないっ!」


 白雪ちゃんがスレイヴァーだって、決まった訳じゃない……今は、ただ最悪の事態を想定して動いているだけで……。


「くっそっ……こんなになってまで、なに考えてるのよ、アタシ……」


 アタシ、やっぱり甘いのかしら……。
 ここまで証拠が揃って、ここまで疑っておいて……なのに心のどこか、まだ白雪ちゃんを庇っている。
 信じているなら、なんでわざわざ授業サボってまで探し回ってるのよ。矛盾してるじゃない……。

 またアタシは、自分の望む結果ばかり張り巡らせて、現実から目を背けているだけなの……?
 そうやって目を背けた結果が、まさに今の状況なのに。
 そしてこれからをそうさせないために、本当はしたくもない、白雪ちゃんを疑うなんてマネまでしているのに、結局……。
 鳴り響くコール音の間、ぐるぐると巡る思考は、考えれば考えるほど悪い方向へと転げ落ちていく。
 ひとつ、プルルと鳴る度に、錘をひとつずつ追加されていくよう。


    ―――ガチャ……


 受話器を取る音が聞こえた。
 不安しか巡らない思考を遮ってくれた音。
 間に合った。そんな希望さえ感じて、体に括りつけられた錘も外れ、気持ちが軽くなる。
 ただ受話器を取るだけの雑音が、天使の歌声にすら聞こえた。


『もしもし、わたくし鞠絵 どうかしたの鈴凛くん

「この非常時になにをいっとるのですか千影さん」


 ああ。とっても不快な堕天使を引き当ててしまった。


『何を言ってるの? うふっ わ・た・く・しはぁ……鞠絵よっ


 かなりシリアスに悩んでいるだけに、今のはかなりムカついた。


「あのさ……今千影ちゃんの冗談に付き合っている状況じゃないの……」

『……………、………おかしい……。完璧だ………完璧だったはずなのに…………何故……?』


 受話器の向こう側でなにやらぶつくさ呟く声はすごく悔しそうだった。
 っていうかさ、アタシの呼び方でまんまとミスってますよ。
 アタシを「鈴凛くん」で呼ぶのは、小森さんの「お姉さま」並に、あなたしかいませんから。ばかちかねぇ。
 とりあえず千影ちゃんは自分のモノマネの下手さ加減を自覚することが第一歩だと思います。


「千影ちゃんがそんなあほくさい演技したってことは……鞠絵ちゃんは……やっぱり……?」

『…………』


 千影ちゃんはただ黙るだけ……。
 それが、無言の肯定だということは、すぐに理解した……。
 表情が見えないから、その言葉なき声を、どんな気持ちで発しているのか……アタシには推し量れない……。


『真面目にやったんだが…………あほくさいだなんて……』


 電話じゃなかったらぶん殴っているところだった。


「そこンところには激しく文句が言いたいけれど、それどころじゃないから後にさせて。今はその時間すらもったいないの!」

『おいおい……なにを焦っているんだい………?』

「焦ってるのよっ!!」


 白雪ちゃんへの疑惑、鞠絵ちゃんの単独行動。
 この短時間に発覚したふたつもの一大事を目の当たりにしたアタシにとって、のんびりと聞き返す千影ちゃんの言葉にさえフラストレーションが募る。
 こんな些細なことで、つい苛立ちが爆発してしまった。


「あ……ご、ごめん……」


 なにも知らない千影ちゃんに対して、自分が理不尽なことをしていると思った。
 すごく、自分勝手なヤツだって、ちょっと自分がイヤに感じた……。
 けど、謝罪ならあとでいくらでもする。
 だから今は先に、今話さなくちゃいけないことを話させて……。


「ごめん……でもホント、今は話している暇ないの。あとで話す、話すから……」

『…………。……OK、…分かったよ……』


 アタシの気持ちを察してくれたのか、千影ちゃんは、理不尽に感情をぶつけるアタシを特に不満がることもなく、
 さっきまでとは違う真面目な口調で、納得の返事を返してくれた。


「ありがと……」


 短くお礼を言って、そして、今聞かなくちゃいけない大切なことを確認させてもらう。
 白雪ちゃんと鞠絵ちゃんのことは、どっちも重要なこと。
 千影ちゃんへの説明する時間は惜しんでも、このふたつは両方とも、時間を割いてでも確認する必要がある。
 まずは……鞠絵ちゃんのことを先に聞いてみることにした。


「それで、鞠絵ちゃんは……?」

『…君の思ってる通りさ……。……雛子くんの家に向かった………。そして……私はそれを、あえて見逃した…………』

「そっ、か……」


 驚きはあった。でも、思っていたよりも冷静に、アタシはその事実を受け止めていた。
 鞠絵ちゃんを信じていた反面、きっとそうなるだろうって、どこかで分かっていたのかもしれない。
 ミカエルは、それほど鞠絵ちゃんには大切な存在だということを。


「ったく……あれほどひとりで勝手に動かないでって言ったのに……」


 理解していたつもりで、実際は思っていた以上のものがそこにはあった。
 アタシとの約束よりも、ミカエルの絆を取った。アタシには、その絆の大きさを推し量ることができなかった……。


「それから千影ちゃんも……なんで鞠絵ちゃんにはそんなに優しくするクセに、アタシにはフザケタ態度ばっか取るんだか……」


 余裕のない時間の中で、ついつい愚痴ってしまう。
 よく分からないけど……今アタシ、悔しいのかな……?
 アタシとした約束を破られたことに……。
 そして、アタシに見抜けなかったものを、千影ちゃんにはしっかり見えていたことに、嫉妬しているのかな?

 引き止めもせず、黙って見ていたこの姉に不満がないワケじゃない。
 でもその裏には、鞠絵ちゃんの気持ちを汲んだ優しさがあった……。
 千影ちゃんは、誰よりも人の内面を見透かせる人なんだと思う。
 だって今、アタシが理不尽に怒鳴りつけたことにさえ、なにも聞かずに気持ちを理解して、会話を優先してくれた。
 だから、見逃した千影ちゃんも責めきれない……。


『だって、そうしてくれないと、踏んでくれないだろう?』

「ナニを言ってるんですかおねーさま!?」

『……フ…………冗談だよ』


 …………見透かした上でからかってるとしたら、それはもっっのすごく性質の悪いことなのですが。


「オッケー……ありがと。それで次なんだけど……そっち、何か変わったことがなかった……?」


 鞠絵ちゃんについてはもうちょっと話を聞きたかったけれど、事態は緊急を要する。
 聞くことは聞いた。ここで切り上げるのが賢明だろうと、もうひとつの重要事項に話を切り替える。


『変わったこと……? ああ……そういえば……』

「なにっ!?」

『…白雪くんが、家に訪ねてきたね…………。………つい今さっきさ……。30……いや、20分も経ってない………。
 ……鞠絵くんに用があったそうだ……。……しかし、彼女………今日も学校のはずじゃあ……?』


「――――ッッ!?!!」


 あまりのショックに、言葉が出せなくなる。
 あえて「白雪」という単語を避けて聞いたのに、告げられた言葉の中に、その名前が見事引き当てられていた。
 それは、アタシの推理がもうほとんど決定的だったことを証明している……。
 白雪ちゃんは風邪で休んだワケでもない、ということを。
 そして、健康な白雪ちゃんが仮病を使って、アタシの居ない時間帯を狙って鞠絵ちゃんを訪ねる理由といえば……
 考えられる最悪の結末だった……。
 どうして、こう、なって欲しくない結末ばかりが、与えられるんだろうか?


『しかし……今言ったように、鞠絵くんは今留守さ………。……そのことを告げたら…………行き先を聞かれてね……』

「教えたの……?」

『ああ……隠す理由が無いからね………』

「じゃあ、白雪ちゃんは……」

『…恐らく………雛子くんの家さ……』


 鞠絵ちゃんの脱走。
 白雪ちゃんのスレイヴァー確定。

 鞠絵ちゃんが、黙ってひとりでミカエルを助けに行っちゃったことも、白雪ちゃんがうちの来たことも、どっちも最悪の展開だった。
 けれど、偶然にもそれが理由で、白雪ちゃんと鞠絵ちゃんが行き違いになるなんて、少し皮肉な話……。
 マイナスにマイナスを掛け算したら、プラスの結果になったなんて、まるで数字の話みたい。
 でもそのことが、今は寧ろ救い。
 まだ間に合う。
 そんなわずかな希望も得られたんだから。

 でも……同時に疑問がふたつ、思い浮かんだ。
 なんで彼女はお昼まで行動を起こさなかったのか?
 わざわざズル休みまでしてるのに、うちに来たのがついさっきだなんて、行動を起こすにはちょっとのんびり過ぎなんじゃないか。
 まあ、そんなのは白雪ちゃんの事情で、千影ちゃんに聞いても分かるはずも無いことだろうけど。
 だからもう1個、そっちの方の疑問を聞くことにする。


「千影ちゃんは……? 無事なの……?」

『…………? まあ……左のわき腹の傷さえなければ…………無事だが……』

「そっか……」


 何のことだか分からないといった風に答える千影ちゃんの返事に、安堵の表情を浮かべた。
 どうやら、白雪ちゃんは千影ちゃんに手を出さなかったらしい。
 でもなんで白雪ちゃんは手を出さなかったんだろう?
 と、ふたつ目の疑問を頭に巡らせて、すぐその理由に気がついた。
 そうだ、アタシ、ノートには千影ちゃんのこと書いていない。
 千影ちゃんについては、らくがきを始める前に、勝手にマジシャンだなんて自己完結させていたから、書く必要がなかったのだ。
 だから白雪ちゃんには、千影ちゃんがスレイヴァーという確証はなく、まだ迂闊に手は出せない相手。
 千影ちゃんも、白雪ちゃんがスレイヴァーと確証を持っていない状況。
 白雪ちゃんのターゲットは、あくまで鞠絵ちゃんのみなんだから。


『……もう…聞くことはないかい………?』

「うん、ありがと……お陰ですっごく助かった」


 お陰で状況はずいぶんと見えてきた。
 向かうべき場所も分かったし、まだ間に合う希望だって得られた。
 千影ちゃんに2度目のありがとうを言ってから、電話を切ろうと携帯から耳を離そうとした時、付け足すような言葉が受話器から割り込んできた。


『ああ……そういえば……』

「なに? アタシ今急いでるんだから、またくだらないことだったら踏み倒すわよ」

『ならくだらないことを言うしかないじゃないかッッ!?』

「いや、ごめん、冗談抜きに真面目に早く話して……」


 あー、すみません、ものっっっ凄く非常事態なので、冗談は置いておいてください。
 いつもなら「豪語するなぁっ!」とでも口を突いて出るところだけど、もはや呆れ果ててツッコミ入れる気力も沸かない。
 さすがに千影ちゃんも、今のは悪ふざけが過ぎたと気づいたのか、
 受話器の向こう側から「すまない……つい本音を……」なんて謝罪の言葉を口にしていた。
 ……つい本音? いえ、聞いてない、聞いてない。今は緊急事態だから聞いてないわ。


『……それで…………白雪くんからの伝言を頼まれたんだ……。何の事かは知らないが…………ごめんなさい、ですの……とね……』


 今日ほど、千影ちゃんのモノマネ下手が憎らしいと思ったことはない。


『それと…………約束、と言って………彼女からお弁当を預かっている……』

「お弁当?」

『"お昼のお弁当"…と言って……渡して欲しいと……言っていた…………』

「え……?」


 突然の伝言。
 ちょっと不思議なことに、千影ちゃんはわざわざ「お昼の」を強調して、アタシに伝えてくれていた。


『君は学校に行っているのだから…………渡せるのは帰って来てからだろう………?
 だから………夕飯の方が…相応しいんじゃないかと聞き返したんだ…………。
 …だが……"お昼"…と伝えて欲しいと、……そう頼まれた』


「…………」



 ……なんだ、



    ―――でも、代わりに冬休みまでの間お弁当は欠かさず持ってきて上げますの!



「約束、守ってくれているんじゃないの……」


 昨日の二択の答えに拗ねて、てっきり今日の分は抜きにされちゃったのかと思ってた。
 けれど、きちんと約束どおり、お弁当作ってくれたんだ……。
 わざわざ、お昼になるのを待ってまで。
 ズルいわよ……。
 ここまでアタシに心配かけさせておいて……ここまで困らせておいて、なのにそんなとこで白雪ちゃんの優しさ、見せるなんて……。
 変わらない優しさ、アタシに見せつけるなんて……。
 そんなことされちゃ……アタシ、白雪ちゃんのこと……恨みきれないじゃない……。
 アタシの目じりからは、熱い何かが込み上げて来ていた。


『伝えるべきことはそれだけだ…………。じゃあ、切るよ…………』

「うん、ありがと……」

『頑張ってくれ……』


 アタシの3度目のありがとうを聞き届けた千影ちゃんは、最後に小森さんと同じ激励の言葉を投げて、
 それから、受話器からガチャリという音が鳴った。
 プー、プー、と、空しく鳴り響く電子音を聞き届けて、アタシも携帯の着信を切った。


「みんなバカよ……」


 親友のために、ひとりで全部を背負って、ひとりで全て解決させようとした鞠絵ちゃん。
 アタシを巻き込むまいとズル休みまでしたクセに、お弁当の約束のためにお昼まで待っていた白雪ちゃん。
 そして……そんなふたりのために、午後の授業サボってまで走り回ってるアタシも。

 こんな不安で、胸が締め付けられるような出来事の中で分かったことは……やっぱり白雪ちゃんは、誰よりも優しい子だってことだった。
 ここに来ても、そう信じている自分が、きっと誰よりもバカなんだろう。

 誰よりも優しくて……誰よりも健気で……誰よりも、自己犠牲で……誰よりも余計な苦労を背負っちゃう子……。
 お弁当作りなんて面倒なこと請け負って、自分ではそのお弁当を食べられないのに、それでも喜んで作って……。
 誰よりも損な性格をしていて……なのに損することで喜んでいる……。
 苦労の分だけ誰かが笑ってくれるから、その笑顔が欲しいから……。

 今日のことだって、それと一緒……。
 無関係なアタシを、これ以上巻き込みたくなかったから、自分ひとりで……決着をつけようとしている。
 きっとそう……だって白雪ちゃんは、そういう子だから……。
 なら、そんな子に……誰かのために、誰かを傷つけて欲しくない。


「ううん……傷つけさせたりなんか、させないっ……!」


 アタシは無力だ。
 一昨日の夜から嫌というほど思い知っている。
 この戦いにおいて、全くの役立たず。
 でも……それでも、これだけは譲れないから……。
 だから、無力な力で足掻いているんだ。


「……鞠絵ちゃん…………白雪ちゃん……」


 大切なふたりの名前を口にして、そして思った。



    ―――姫と鞠絵ちゃん、どっちが大切ですの?



 もしも片方しか選べないのなら、アタシはどちらを選ぶんだろうか……?
 昨日の何気ない会話が、アタシの重く圧し掛かってくる……。
 白雪ちゃんの言葉は、どれもこれもさり気なさ過ぎて、見落としてしまう。
 でも、後から気づく。そこに込められた想いと、その意味の大きさを。

 考えるのはあと。
 今は、ふたりを見つけるのが先決だから。

 身に圧し掛かる、重たい問いかけを頭から振り払って……
 ううん、その重みを背負ったままで、アタシは、雛子ちゃんの家へと駆け出した。










更新履歴

H18・7/31:完成・掲載


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