「……可憐ちゃん、遅いなぁ……」


 待ち合わせ場所について、待つこと約10分。いまだに可憐ちゃんの姿は見えない。
 昨日、可憐ちゃんとした一緒に学校に行く約束。
 その時間に合わせるつもりで早めに家を出て来たのだけど……時刻は既に寝坊した時の時間帯と一緒になってしまった。
 だっていうのに、一向に待ち人は現れる気配がない。
 そろそろ遅刻に冷や汗かく時間帯に突入しているか……っていうか過ぎてるかも……。
 とにかく本気でヤバイ。

 とはいえ、だからって可憐ちゃんを置いて先に学校に行ってしまうのもよろしくない。
 先に行ったことを知らない真面目な可憐ちゃんが、アタシがお寝坊してまだ来ていないと勘違いして、
 それで待ちぼうけの遅刻させてしまっては申し訳が立たない。
 遅れてきた可憐ちゃんの方が悪いと言えばそうなんだろうけど……だからってわざわざそんな薄情なマネする理由もな―――


    ♪♪♪〜〜♪〜〜♪〜〜♪


 ―――い……っと、


「あ、メールだわ」


 考えを巡らせていると、携帯電話が、メールの着信音に設定しておいたお気に入りの曲を響かせる。
 「Have you ever〜♪ be in love with girl〜♪」ってなリズムをかもし出す、なんともアタシにぴったんこな着信音だ。
 携帯電話を学校に持っていくのは校則違反だけど、
 そんなことまともに守っているのは携帯を買うお金もない貧乏学生か、ごく僅かな真面目生徒のどっちか。
 アタシには資金援助という名目の、出世払いの借入口が存在するので、
 最新機器の購入は、現代機械の研究の必要経費ということで有効活用させて頂いている。
 ……最年長なお姉さまと大和撫子なお姉さまに白い目で見られることを対価に耐えられれば良いだけだし……。
 第一、アタシがそんなキマジメちゃんに見える? 見えるの?

 そんな、誰に問うでもない思考を過ぎらせながら、携帯をチェック。
 液晶のディスプレイには、思ったとおりメールが1件との表示がされていた。


「え……可憐ちゃんから?」


 意外なことに、それは待ち人からのメール。
 なにが意外かって、アタシと違って可憐ちゃんはキマジメちゃんな子である。
 そんな子が、学校に携帯を持っていくなんて反社会的行為を起こしていると思うと意外だった。
 やっぱり真面目な子っていっても、そこまでお堅い訳じゃないか。
 それとも、ああ見えて裏ではヒッソリ、ダークサイドに夜露死苦よろしくしていたのか。


「……えっと、なになに……」


 そんなあほな妄想は置いておいて、可憐ちゃんのメールを開く。



    『ごめんなさい。昨日の通り雨で可憐体調崩しちゃって……今日は学校をお休みすることになったの。
     折角約束したのに、一緒に学校に行けなくなりました。
     連絡が遅れてごめんなさい。遅刻、しないでくださいね』




「昨日の通り雨……。……ああ、」


 千影ちゃんがツッコミを入れたせいで発生した、あの通り雨。
 アタシは千影観光送迎バスで送ってもらったから、さほど濡れずに済んだけど、不幸にも可憐ちゃんは直撃。


「可憐ちゃんもついてないわね……」


 後で千影ちゃんに謝らせなくちゃ。(←ち「私が悪いのか!?」)

 つまり、ただ今可憐ちゃんは体調不良でダウン中。
 待ち合わせているアタシにメッセージを送るため、自宅から携帯でメールを送ってくれたと、そういうことらしい。
 アタシのあほ妄想にあるような闇可憐ちゃんなイメージは所詮妄想の産物で、
 可憐ちゃんの、学校に携帯も持っていかないほどのキマジメちゃんイメージは今も健在でいられそう。


「…………」


 ってことは、可憐ちゃんはアタシが非キマジメちゃんと分かって連絡したって事なのかな……?


「まあ……別にいいけど……。事実だし……」


 顔を苦い顔に歪めながら複雑な心境になりつつも、とりあえず時間も時間なので頭を切り替える。
 携帯でそのまま時間を確認して、根性入れて走ればギリギリまだ間に合う時間と確認すると、
 登校時刻の迫る学校へ足早に駆け出した。






 

Sister's Alive
〜妹たちの戦争〜

12月19日 水曜日

第15話 破られた約束








「はぁ………、はぁ………、はぁ………。ま…間に……」


    キーンコーンカーンコーン……


「……合っ、たぁ……」


 ドアを乱暴に開けて教室に入るとほぼ同時に、タイムリミットを告げるチャイムを聞き届けた。
 ギリギリ間に合ったこと安心感と苦難の終わった安堵感で、ここまでシャットダウンしていた疲労感が一気にこみ上げてくる。
 最後のひと踏ん張りと、自分の座席まで足を引き摺った。
 息を切らながら、席に座るなり机にぐてーっと突っ伏す。
 ただでさえ少ないインドア派の、尽きた体力を少しでも回復させるための救急措置である。


「お疲れ様です、お姉さま……」


 そんなお行儀の悪いアタシに、小森さんが苦笑混じりに労いの言葉を掛けてくれた。


「はぁ………、はぁ………。……うん……間に合った……」


 ワルい子ちゃんな体勢のまま、小森さんの心配に答えを返すよう、彼女に親指を立てるジェスチャーを向ける。
 そのジェスチャーは小森さんに向けたものであると共に、
 メールでアタシの遅刻を心配してくれた可憐ちゃんに向けたものでもあった。
 可憐ちゃん、アタシ間に合いました……。

 ……でもこの遅刻の危機はそのご本人様からもたらされたものなので、素直に喜べない。


「ほら着席しろー。ホームルームはじめるぞー」

「あ、先生来てしまいました。それではお姉さま、また後で……」


 そのうち先生が来て、朝のホームルームが終わって、いつも通りに授業が始まった。












「……で、あるからして…………この時、孔明は……」

「ねぇねぇ、隣のクラスの例の彼……やっぱり噂、本当みたい……」

「え〜? ウソでしょ〜?」

「ここでのbe動詞は…………だから……」

「だからクローン技術じゃなくて……相撲だって……」

「水素と酸素が……」

「物思いにふけるお姉さま……素敵……


 雑談中心に授業を進める先生の声。
 その先生の話そっちのけで私語に没頭するクラスメートたち。
 一定のペースで聞こえてくる黒板を打つチョークの音、ページをめくる軽い音。
 もうすぐ冬休みということもあって、先生も生徒も気軽なノリで行なわれている授業。
 その風景は、昨日や、その前とおんなじ日常の1ページをくり広げている。
 今のアタシが、唯一現実に帰ってこれる、退屈で在り来りな風景。
 内容がややツッコミどころ満載な気もするけれど……今のアタシには全て上の空だった。

 アタシが目の当たりにした、まるで悪い夢でも見ているかのような、戦いの序章。
 元々常識外れのアネキが居たには居たけれど、アタシが巻き込まれたそれは、
 最近おばかの本性を現し始めたあの姉の存在よりも更に常識外で、はた迷惑で、性質たちの悪い冗談だ。
 でも……どんなに、夢だったら良かったかと願っても、あの非現実は、紛れもなくアタシの現実だ……。

 そんな非現実な現実に迷い込んでしまったアタシだけが、この平凡の中馴染めず、ひとり浮いている存在になっているよう。
 だけれども、能力ちからを持たないアタシは、あの非現実な中にも参加できない傍観者。
 非現実にも、現実にも馴染めなくなった、中途半端な存在……。

 そんな自分を、哀れと嘆いてもいいのだけれど、あいにくとアタシの心にそんな余裕はなかった。
 昨日はこんな退屈な授業に安心を覚えていたけれど、
 今日はその退屈が、昨日までに体験したことを思い起こさせる促進剤となっている。
 アタシは、耳に流れ込んでくる音をぼーっと聞き流しながら、心の晴れない思考を巡らせる。


「……っ」


 不意に過ぎったのは、大切な存在を……ミカエルを奪われた、彼女の涙だった……。


「また……思い出しちゃった……」


 思い出しただけで胸が痛くなった。
 今朝、彼女は笑ってくれたけれど……それでも昨夜の泣き顔が、頭のフィルムに焼き付いて離れない……。
 この2日の間、なによりもインパクトのあった記憶。

 だって……だってあれは……ジジを失った、アタシの姿だから……。
 アタシが知っている、大切な存在を失った涙だから……。


「…………」


 鞠絵ちゃんは、やっぱり……ミカエルを取り戻しに行ってしまうのだろうか?
 そう思わずには居られない、あの顔を見てしまっては。
 だからこそ、家を出る前に釘を刺してきたワケだけど……。


(……ううん。約束、したんだもんね。)


 帰ったらみんなで話し合おうって。
 鞠絵ちゃんだって、うんって答えてくれた。
 だから、今はとりあえず彼女を信じよう。
 そして帰ったら、みんなで解決策を考えよう。
 春歌ちゃんが次にアタシたちに接触する、その前に……。

 それに春歌ちゃんはきちんと話し合いを持ちかけてきてくれたんだ。
 それは、戦わずに何とかすることができるって証明で、戦うだけが全てじゃないっていう希望で、
 暗い話題しか出てこなかったこの2日間の中では、とてつもなく有益な情報だ。
 話し合えば何とかなる。きっと……ううん、絶対!




  ―――君は………狂戦士バーサーカーの存在を覚えているのかな……。




    ぞくっ……



 突然、今朝、千影ちゃんに言われた一言が、頭を過ぎる。
 思い出した途端、身が震えた。
 彼女が口にした、狂戦士バーサーカーというたったそれだけの因子が、
 アタシの持っていた希望を、根こそぎなぎ払うかのように吹き飛ばしてしまった。

 千影ちゃんは朝食の時、様々な例を挙げて自分なりのバーサーカーの見解を説明してくれて、
 そのどれもが、アタシのイメージと重なっていた。
 様々な逸話がありながら、思い描かれるのはその禍々しい像のみ。

 理性なんて存在しない……在るのはただ、破壊のみ……。
 そんな戦鬼が、話し合いだなんて……。


 あーっ、もうっ! あのあほアネキは、どうしてアタシを不安がらせることばかりいうのかしらっ!!
 そもそも、今問題になっている春歌ちゃんたちのチームは、それぞれライダーとガーディアンって、きちんと判明しているんだから。
 少なくとも、春歌ちゃんたちに関しては話し合いは通じる……。
 直接関わらない不安は後回し……今は、今ある問題を解決することだけ考えよう……。
 折角見えた希望の光を根こそぎ持っていかれないように、暗い考えを振り払って、無理矢理にでも頭を切り替えた。


(さて、と……。それじゃあ、春歌ちゃんたちについてだけど……)


 春歌ちゃんの要求は……別に無茶なことを言っている訳でもなく、それどころか求められたものは真っ当な要求。
 戦いをやめましょう。
 そのために能力ちからを手放しましょう。
 そうすればミカエルは返します。
 平和な日常に戻りましょう。

 確かに、人質を取るなんて手段は考えものだけど、目的はみんなの身の安全に向かっている。
 さすがガーディアンと自ら名乗っただけある「守り」のエキスパートだ。
 同じく、こんな非現実をさっさと終わらせたい身としては、春歌ちゃんに協力して、
 一刻も早いゲームセットを求めるべきなんだろう。
 けれど……


「元気に動けるのは……今だけ、なんだよね……」


 ぽつりと、口からこぼしてしまう。
 元々病弱で、今も療養所にひとり離れて生活している鞠絵ちゃん。
 スレイヴァーとして選ばれたお陰で、今は元気に動くことが出来ると千影ちゃんは言っていた。
 なら、本来は、今も体調が優れなかったかもしれない。
 本来ならこの長期外泊だって、なかったかもしれないんだ……。
 昨日、彼女は公園ではしゃいだと満たされたように話してくれた、それだって、なかったかもしれない……。
 この戦いにどんなに恨み辛みを抱いても、その恩恵だって見過ごす訳にはいかないのも事実。


「はぁ……」


 アタシは彼女を戦わせたいのか、それとも、戦わせたくないのか。
 戦わせたくない、でも十分に元気な体を満喫して欲しい。
 決して両立しない、相反する自分の願望……。
 オルタナティブの譲れない願いを、どちらも選べないまま時間だけが進んでいく。
 その見えない重圧に、気持ちも体も重くなって、もう一度ため息。


「はぁ……」


 始まってからまだ2日だっていうのに、一体何度吐いたことか……。
 この調子で、この戦いが終わるまでには一生分のため息を使い果たしてしまいそうな勢いだ。

 それでも、ひとつだけ決まっていることがあった。


「もう……鞠絵ちゃんにあんな思い、させないから……」


 それは、彼女の本物の笑顔を守りたいためなのか、それとも、過去の自分を救いたい代償行動なだけかもしれない。
 けれど……たったひとつだけでいい……大切な何かを守りたい。
 アタシの力なんて、多くを手掛けられる春歌ちゃんには遠く及ばないけれど、
 でも一点集中な分、そのことに関してだけは守る専門家の春歌ちゃん以上に、アタシの持てる限りを費やすから。

 気持ちだけなら負けてたまるかっ!

 心の中、あえて春歌ちゃんの土俵である「守る」という行為で宣戦布告。
 それは、茨の道を突き進むことでその志を強く持とうとするのと同時に、
 春歌ちゃんを中途半端に肩入れしてしまう優柔不断な自分へのケジメのため。
 春歌ちゃんと戦いたい訳じゃない。戦うつもりもない。
 でも、見ているものは同じ「誰も傷つかない終わり」でも、それは今は交わりそうもない道だから。
 だから、今だけごめんね……春歌ちゃん……。

 のほほんとした授業風景の中、重い気持ちを吹き飛ばすようひとりヒッソリ意気込みを新たにする。
 思い立ったが吉日。……というか「吉分」というか「吉秒」というか、なんじゃその新出単語は?
 アタシは早速、そのためにいくつか案を練りはじめた。
 でも、意気込む気持ちとは裏腹に、閃く案は現状を打開するには弱いものばかりで、気持ちだけが空回る。
 奇跡のような一手は閃かないまま、また時だけが過ぎ去って行った。












    キーンコーンカーンコーン……


 そして、昼休みがはじまった……。
 成果の程は………………聞かないで頂きたい……。


「さて、と……」


 今日は聞き逃さなかった4時間目終了のベルを聞き終えるなり、席を立ち上がる。
 そのタイミングをまるで計ったかのように、


    ぐきゅるるる……


 アタシのおなかが正直な気持ちを告白してくれた。

 心配したっておなかは空く。
 そんな訳でアタシは、すっかりおなじみとなっているお昼の「若草学院組姉妹のお弁当パーティー」に向かうことに。
 今日のお弁当パーティーは白雪ちゃんの教室で行なわれる日。
 昨日はお昼休みに入ったのに気づかずにいたという失態を白雪ちゃんに見られてしまっている。
 以前、新作メカの設計図書くのに夢中になって、お弁当パーティーを欠席してしまった前科もあるので、
 今日颯爽と白雪ちゃんのところへ行き、ちゃんと覚えているということを示して、昨日の汚名を挽回よっ!


(フフフ…………汚名"返上"だよ……鈴凛くん…………)


「…………」


 ……気のせいか、千影ちゃんのツッコミが頭の中で響いた気がした。
 あのばか姉に正されるというのは少々しゃくだ。
 いや、それより、なんでそんな声が聞こえるのよ、アタシ?


(汚名を挽回して……どうするつもりだい………? …更に恥を上塗りするつもりかい……? ん? ん?)


 ……………………。


「これは気のせいです。アタシはなにも聞いていません」

「……はい?」


 自分に言い聞かせるように、空耳であることを確定させるひとり言を口にしていると、
 いつの間にかアタシの横にいた小森さんが、アタシのその様子に首を傾げてしまう。


「あ、ううん。なんでもない。それよりなに? なんか用?」


 我がおばかお姉さまの嫌味な空耳は「なかったこと」にして、気を取り直し小森さんへと話題を振った。


「あ、はい……お姉さまにちょっと、お願いがありまして……」

「お願い?」

「はい……。……えっと……その……べ、別に、忘れたわけではなくて、
 昨日も家で一生懸命解いてみたんですけれど……どうしても行き詰ってしまって……。
 5時間目まではお昼休みの時間もありますし……それにお姉さまはこういうことがお得意ですから……」


 小森さんは、なぜか恥じらいながら、言い訳でもするように、何のことか分からないことをひとりもじもじと語り始める。
 どうにも話が掴めない。
 なので、指をこめかみに当てながら小森さんに聞き返した。


「えーっと? つまり……?」

「す、数学のノート……貸して頂けないでしょうか?」

「数学の……? あー、そういえば昨日、宿題になってたわね」


 数学のノートというキーワードが出てきたところで話が読めたアタシ。
 左手のひらにぽんと右手を乗せる、閃いた仕草をしてみせる。

 昨日の4時間目の数学に出された課題。
 そういえば、終わらなかった人は宿題だと言って、昨日の明日、つまり今日の授業までに仕上げるようにと先生から言われていた。
 アタシはとっくに解いてしまって、その日の授業の余り時間を満喫というか退屈に過ごしていたというか。
 話から察するに、小森さんは今も課題が解けずにいて、更に時間も差し迫ってきている。
 真面目な小森さんは、分かりませんでしたと投げ出したりはせず、ギリギリまで宿題を仕上げようという意志を残している。
 なので、アタシのノートを見て丸写し……という不真面目はないだろうけど、
 それを参考に、ギリギリまで問題を解こうと思っているってことね。


「んー、でもアタシのやり方で分かるかな?」

「い、良いんです。例え解けなくても、お姉さまのノートなら」

「どういう理屈ですか、それ?」


 相手が相手だけに、なにか他意があるとしか考えられない発言には不安を覚えずにはいられない……。


「ま、別に良いよ。はい」


 けどまあ、別に被害が出てるわけでもないし、早く白雪ちゃんのところへ行きたい気持ちもあったので、
 そそくさと自分の机から数学のノートを探し出すと、小森さんに差し出した。


「あ、ありがとうございます……


 なんで「」つけるかな、この人は?


「あはは……じゃあ、あとで返してね」

「あ、ありがとうございます……。このお礼は、今度遊園地に一緒に行くことでお返し差し上げます……。
 ああっ、ごめんなさい! 私ったら調子に乗りすぎました!
 いくらなんでもこんな差し出がましいこというだなんて、私ったら……私ったら……!
 ごめんなさい、お礼なんてウソなんです、結局自分が行きたいだけで……


「いや、アタシ別になにも言ってないから……」


 なんだか白雪ちゃんか春歌ちゃんを彷彿させるかのように妄想しながら暴走する小森さんに、ちょっと戸惑いを隠せないアタシ。
 妄想癖持ちな姉妹の前例からいって、この状態になった場合、戻ってくるには自分で目を覚ましてもらうしかないので、
 一応「じゃあ、あたし行くから」と声をかけて、その場を離れることに。
 前例からいって、多分聞こえていないだろうけど……。


「さて、と……。衛ちゃんは今日も欠席かぁ……」


 今日もグラウンドを横切る衛ちゃんの姿を、窓越しに確認する。
 今日も花穂ちゃんのために一生懸命走っている衛ちゃんは、まったくもって健気な子だ。

 ノートの貸し借り、クラスメートとの会話、そしてお昼のお弁当への期待。
 何もかもが日常で……自分とその姉妹たちの大半が、
 既にそことは別の舞台へ舞い降りてしまったことを思って、少し、物悲しくなった……。


「ま、ごはんでも食べて、心も体も栄養補給と行きますか」

「ごめんなさいごめんなさいお姉さまごめんなさいー♥♥♥♥


 白雪ちゃんのお弁当に期待を膨らませながら、妄想に浸る小森さんはその場に置いておいて、
 アタシは白雪ちゃんの待つ教室へと足を運ばせた。






  ・

  ・

  ・

  ・

  ・






「そうか………鈴凛くんは国語が苦手なのか…………」


 遠く離れた場所にいる妹へ、自分の思念を飛ばすという悪戯を終え、嬉しそうに嫌味な笑いを浮かべる少女……千影。
 世話になっている家の一室で、その家の主の苦手科目を知り、嫌味な笑みを、更に満足そうに妖しくにやけさせた。
 千影は、妹をこうやってからかうのがひとつの楽しみになってきていた。
 彼女の持ち備えている、人知を超えた特異な才を、そんな悪趣味に費やされては、当人にとってはさぞ迷惑だろう。

 さて、次はどうやっておちょくってみようか。
 千影は、悪趣味にもそんな思考を過ぎらせながら、楽しそうに唇の端を吊り上げていた。
 その様子は、傍から見ればミステリアスとも不気味とも妖艶ともかなりアブナイ人とも、どうとも取れるものだった。

 と、悦に浸る千影の耳に、軽く床の軋む音が届いた。
 今世話になっているこの家は決して古いわけではなく、それは単なる人の歩いた気配。
 今、この家には千影と、もうひとりの人間しか存在していない。
 つまりは……そのもうひとりが、この家の中を歩いているに他ならなかった。
 その足音は、注意しなければ聞き逃してしまいそうな些細なもので、
 歩く側の人間が、なるべく音を立てないよう注意して歩いている、そんな足音。
 その音は段々と遠ざかり……千影が予期していた方角へと歩みを進めていく。

 千影は、まるでこうなることが分かっていたかのように、にやけ顔を止め、肩をすくめながらひとつ息をついた。
 やれやれ、という感情と、やっと来たのか、という2種類の感情を胸に抱いて、自分も玄関へと足を運んだ。












「…行くのかい…………?」


 玄関に着くと、そこで靴を履く妹に一言、それだけを投げ掛けた。
 声を掛けられた少女は、彼女の語り掛けに思わずびくりと体を震わせた。
 今この家にいるもうひとりの少女、鞠絵……。
 なるべく注意を払い、千影に悟られないよう動いてきたつもりだっただけに、彼女に多少の動揺は禁じ得なかった。
 でもそれも一瞬だけのこと。鞠絵は、姉の言葉に振り向かず、ただ無言で頷いた。


「じゃあ行くと良い…………」


 すると千影は、鞠絵が予想していたものとは真逆の言葉を、さらりと言ってのけてしまう。
 それは鞠絵にとってはまたも意外の展開で、鞠絵の心の動揺は、大きく掻き立てられた。


「止め……ないんですか?」


 振り返らず、玄関の段に座り込んだままの姿勢で、抱いた疑問を投げかけた。
 見つかることは、ある意味予想の範疇。
 止めるなら、機会を見て抜け出せば良いと思っていた。例え、能力ちからを行使してでも。
 自分の能力ちからならば、彼女を振り切れるという自信があったからだ。
 そして、その覚悟も。
 だからこそ、彼女の一言には意表を突かれた。
 てっきり、今ここにはいないあの人の意思を汲んで、制止の言葉を掛けられると思っていたから。


「…君と私は、共同戦線を張っているが……基本的にはお互い自由だ…………。だから私に……止める義理はない………」


 あっさりと、自らの考えを告げる千影。そして更に一言、こう付け足した。


「キミと…ミカエルとの絆を…………甘く見るつもりも、ね……」


 その言葉をきっかけに、辺りを、少しの間沈黙が支配した。

 親友との絆を理解してくれた嬉しさ。
 あの人を裏切る罪悪感。
 それに荷担するよう黙認する、優しさとも薄情とも取れる姉の行為。
 湧き上がる様々な感情に、少女は自身の心境を整理できず戸惑っていた。
 大切な親友のため、覚悟なら決めたはずなのに……。

 埒が明かないと感じたのか、凍りついた空気を先に溶かしたのは千影の方だった。
 一歩一歩、前に進みながら、静かにその場に言葉を響かせた。


「私は………これから今後の戦いに備え…………家から……治療の秘薬とその材料を取りに行ってくるよ………」

「……!」

「まあ………30分から1時間というところだろうが………
 …その間……この家で何が起ころうが…………私の関与できることではない……。…そういうことさ……」


 告げてから、靴を履くため玄関の段に座りこんでいた鞠絵の横を通り抜け、自分も靴を履いた。



「なあに………ただのひとり言さ………」

「千影ちゃん……」

「……鈴凛くんへは………私が誤魔化しておくよ…………。…………私のミスだからね……」


 ドアを開けながら目だけを自分に向けて、フフッ、とかすかに唇の端を吊り上げる。
 そんな仕草を見せた後、千影は、手から銀色に光る小さな何かを、鞠絵に向けて軽く放物線を描くように投げた。
 鞠絵は慌てて反応して、広げた両手をすくうような形に合わせると、


「いたっ……」


 鞠絵の頭に当たった。


「…………」


 ここまでのシリアスな雰囲気がちょっと台無しだった。


「いたいです……」

「いや……すまない………。…手元がちょっと……」


 申し訳なさそうに言い訳する千影を、恨めしそうに軽く一瞥してから、
 自分の頭を経由して床に落ちた銀色の物に目を向けると……それは鍵だった。


「出て行くなら………戸締りだけ頼むよ…………」


 それだけ告げて、千影は先に家を出て行ってしまった。
 共同戦線、だろう……?
 ドアが閉まる直前に目にしたその無言の背中は、優しさに不器用な姉の優しさを代わりに語ってくれているようだった。


「ありがとう……」


 だから、去り行く背中にドア越しに、その言葉を口から零していた。

 そして、お礼の言葉と共に、心の中で謝った。
 目の前でこの場にいないあの人に。
 あなたとの約束を破るわたくしを、どうか許してくださいと。










更新履歴

H18・1/28:完成・掲載
H18・1/29:誤字修正


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