なにもなければ、なにもなかったかもしれない。

 それでも、"何か"があったから、今あたしたちが成り立っているんだと思う。

 これは、そんな"何か"の先にある、ほんのちょっぴり未来の話……。












「花穂ちゃん、大学合格おめでとーーーっ!!」

「あ、ありがと……」


 花穂ちゃんの大学合格の知らせが届いて間もないある日のこと。
 姉と妹のふたりきりの小さな祝賀会を開いた。
 ま、祝賀会なんて大層なこと言ってるけど、結局のところただ一緒に冷たい物でも飲みにふたりでお店に入っただけ。
 道でたまたま花穂ちゃんと出会って、お互い後に予定が控えていたけれど、それまでの時間が空いていた。
 で、折角だからってふたりで適当なお店に入って時間を潰そうってことになって、
 そういえば自分がまだ合格祝いの言葉を言っていないことを思い出したワケ。
 それで、「じゃあついでに祝賀会にしちゃおう」ってことで、行き当たりばったりに始まっただけである。
 でも、こういうのは相手を祝いたいっていう気持ちが大事であって、
 「会」なんてのはそのための名目に過ぎないから、成り行きも大きさも関係ないわよね。


「いやー、あんなにドジっ娘だった花穂ちゃんも、これからは立派な大学生か。信じられないわー……」

「あー! それ、ちょっと失礼だよっ!」

「人は、時と共に変貌するものねぇ……」

「ちょっとぉ〜、聞いてる〜?」


 口ではそうやって悪態ついてからかってみるものの、心の中では花穂ちゃんが立派に成長していることは認めているつもりだった。

 花穂ちゃんは本当に変わった……。
 以前ほどドジはしなくなったし、今ではまったく転ばない日まである。
 普通の人にとってはそれで当然なんだろうけど、相手は花穂ちゃん。だからそれだけで、物凄い成長を遂げた証になっちゃうのだ。
 今でもたまにドジったり、転んだりするけれど、それでも人並み程度に収まってるのは、
 きっと成長に合わせて大人の落ち着きを身につけてきた証拠なんだと思う……。


「それを言うなら、一番変わったのはそっちの方でしょ」


 人が腕を組んでしみじみと思い出に浸っていると、それは自分だけじゃないと花穂ちゃんは訴えてくる。
 そして、一拍置いてからあたしの名前を口にした。


「亞里亞ちゃん」











 

SWEET MEMORY













「よく言われるわ」


 来年から新大学生になる姉の言葉に、しれっとした口調で軽く返した。
 なんせ過去のあたしを知っている人全員から、
 高校生になった今のあたしを見る度にそういった発言をされるんだから、もう飽き飽きしてるってもんよ。
 タバコを吸っていたら、ぷーっと煙を吐いているところだろうけど、
 あいにくあたしは品行方正な優等生なので、そんな非行に走ったりはしない。


「そりゃあ成績優秀、スポーツ万能、折り目正しく、歌やバイオリン演奏などもこなせちゃうオプション付き。
 尚且つ、こぉーんなに美人さんに成長して現れたんなら、
 あんなにか弱くて、誰もが守ってあげなくちゃって思う、お姫様のような女の子だったなんて、
 信じられないのは頷けるけど〜」

「なーんで、あーんなにのんびりした子がこんなになっちゃうかなぁ……?」

「まーまー、気抜けるのってみんなの前くらいなんだから、リラックスできる時くらいリラックスさせてよ、ね
 ガス抜きしなきゃ、いつか破裂しちゃうんだから」


 聞きながら、複雑そうな表情を浮かべる花穂ちゃん。
 そんな花穂ちゃんに、ケラケラと……もとい、陽気な笑い顔を浮かべて返した。

 仮にも上流家庭に育ったお嬢様な立場のあたし。
 これが結構なお家柄で、その看板を背負っている以上、その名に恥じる事のない態度を取ることを義務付けられていた。
 そのため、幼い頃から様々な英才教育を受けさせられたわけで……まあ、そのお陰か反動か、
 以前のおっとりした消極的な性格から一転、今や真反対の性格になってしまったわけである。
 人は時と共に変貌するものなのは、あたし自身にも当てはまる言葉だったりするのだ。

 お家柄の看板を背負っているあたしは、普段は礼儀正しい良い子ちゃんモードの、いわゆる「猫被ってる」状態である。
 猫の下にある本来のあたしを知っているのは、10人以上居るあたしの姉妹と、
 小さいころからあたしの世話をしてくれたじいやや、お世話係の古株の方々だけ。
 ネコちゃんモードのあたしでは、自身の卓越した実力や美貌を、思ってはいても鼻にかけたりはしない。
 数々の英才教育をこなしてここまで築き上げた、自他共に認める大成果なんだから、
 こんな時くらいちょっとは自慢したって良いんじゃない?


「それは分からなくはないけれど、それにしたって……。
 マシンガントークだし……自信家だし……ちょっと口悪いし……やっぱり変わり過ぎ……」

「あら? あたしは実力相応の誇りを持っているだけよ」

「……えっと、別人ですよね?」


 花穂ちゃんは急に敬語なんて使い出して、真顔で普通に失礼なことを聞いてきた。


「あらあら、随分と冷たいのね、花穂姉やは」


 あたしがふてくされた態度を取ってみせると、
 花穂ちゃんは誤魔化すようにストローを口にくわえ、注文しておいたオレンジジュースを飲み始めるだけだった。
 このまま誤魔化してしまうつもりらしい花穂ちゃんを、ジト目で眺めながら、


「正真正銘、貴女と何度も唇を重ねた本人だっていうのに」

「ぶっ!?」


 まるで予期しなかった言葉に、思わず飲みかけのオレンジジュースを吹き出してしまった。
 ストローをくわえていたため、そのしぶきが辺りに撒き散らされることはなかったけれど、
 代わりにストローを通して勢い良く空気を注入させられたコップは、一度ぼこって泡を浮かべると、
 その勢いで中のジュースが多少こぼれてしまっていた。


「けほっ、けほっ……な、な、ななな……っっ!?!?」


 咽ながら、真っ赤になって狼狽してしまうマイお姉さま。
 どうやらどもって言葉が続かないご様子なので、あたしはそんな姉に代わって話を進めてあげた。


「なぁ〜に〜? 折角の乙女のメモリーだって言うのに、ま・さ・か、忘れちゃったって言うの〜?」

「う、うぅ〜〜……」


 ただし、いやらしい笑みを浮かべつつのねちっこ〜〜くからかう言い回しで。
 そんなことしたもんだから、花穂ちゃんは青ざめながら赤く染まるという器用な表情で困っていた。
 唸るだけで返事は来なかったけど、その態度は、あたしとの関係を否定していない証拠と受け取れた。
 恐らくその心中は、遠い昔の、あの"事故"が思い巡っているはず……。

 時は数年前にさかのぼる。それは、何をトチ狂った神様が用意したいたずらなシナリオ。
 みんなではしゃいで遊んでいた時、花穂ちゃんはいつも通り、持ち前のドジでバランスを崩してしまったのだった。
 まあ、そこまではいつも通りだった……けれど、その時花穂ちゃんの倒れこむ先に幼いあたしがいた。
 もっと言えば、花穂ちゃんの顔が倒れこむ軌道上に、あたしの顔が存在していたということ。
 そんな偶然が揃ってしまったため、そのままあたしたちは……―――


「お互いの意志とは無関係に禁断の愛を誓い合ってしまった、と……」

「ち、誓ってないもんっ!」


 恥ずかしそうに、「そりゃ……しちゃった……けど……」なんてもごもごと付け足す。
 自分の口から、関係を認める言葉を発したせいか、段々と顔が赤く変化していくのが見て取れた。


「冗談よ。ま、どっちにしろごめんね。あの時の花穂ちゃん、白雪ちゃん狙いだったのに」

「ち、違うよぉ〜〜っ!?」

「あ、衛ちゃんか」

「だから違うって〜! 花穂は、あの頃からお兄ちゃま一筋だもんっ!!」


 真っ赤になって、そこだけはハッキリと弁明する。
 花穂ちゃんにとって、兄やは理想的な男性。もちろん、あたしのとっても理想の王子様だ。
 でも花穂ちゃん、もうすぐ大学生になるんだから、そのお兄ちゃまって言うの止めたらどうかしら……?


「だけど、その兄やとは結局今日まで発展なし。その代わり、可愛い妹と数え切れないくらいのキスを交わし……」

「そ、そのあと何度もキスしてきたのは亞里亞ちゃんの方じゃないっ!」


 と、大きめの声でからかうあたしに反論するも、自分が口にした言葉と場所を思い出したのか、
 はっとした顔を見せたあと、しぼんでいくみたいにその場に縮こまって、真っ赤に染まってしまった。

 そう、花穂ちゃんの貞操の喪失はそれだけに留まらなかった。
 花穂ちゃんと行為を行なったことにより、免疫のようなものを得てしまった当時のあたしは、
 その後、花穂ちゃんに熱烈なキッスの嵐を捧げまくってしまったのだった。
 もちろん口に。


「そりゃそうだけどねー。
 でっもぉ、あたしだって花穂ちゃんと衝撃のファーストインパクトがなかったら、
 何度も一線越えるような求愛行為なんて行なってなかったけどね〜」


 当時は、単純に「好き」って気持ちを伝えるだけの行為だと思っていた。
 まあ、実際そういう行為なんだけど……だから、ただ「自分も好きだよ」って気持ちを伝えたい、軽い気持ちでくり返しただけ。
 もちろん、アヤシイ意味は込めていない。
 でも、さすがに今は女同士でするもんじゃないってのは分かっているし、意味が分かっている今じゃ女同士でなんて勘弁して欲しい。
 無知とは恐ろしいものね、うん。

 あたしが当時の心境をぱっと解説してあげてると、
 ズズズ……、なんて唐突に急いでジュースを飲み干したような音が響いた。
 と思ったら、そのすぐ後に、突然花穂ちゃんは立ち上がり出す。


「ん? 花穂ちゃんなに? お手洗い?」

「か、花穂ね、ちょっと外の空気に当たりたくなっちゃったから……も、もう出よっ! ねっ!」


 それだけあたしに伝えると、伝票を手に足早にカウンターへと向かってしまった。


「え? ちょ、ちょっとちょっと……!」


 どうも話題が話題だけに、聞かれたらどうしようっていう不安から、この場にいたたまれなくなったみたい。
 一応、あたしは周りに人が居ないことや聞かれないように意識をしながら話していたけど、
 それでも心配の残る花穂ちゃんは、早々とお店を後にしたかったようで。
 仕方がないので、あたしも頼んでおいたいちごミルクジュースを一気に飲み干して、
 やれやれなんて小言をもらしながら、花穂ちゃんに続くようにカウンターへと進んだ。
 まったく、これじゃあどっちの方が姉なんだか……。












 お店を出た後、別に当てもなくふたりでぶらぶら、どこに向かってんだか分からないまま並んで歩いていた。
 もう少しで花穂ちゃんが予定していた時間を迎えちゃうので、今から改めて別のお店に入ってもなにも出来ないから、
 こんな風な散歩気分で時間を潰すのも悪くない。
 ちなみに、現在、花穂ちゃんはというと、


「お兄ちゃまヘのとっておき……お兄ちゃまへのとっておき……」


 どうもさっきのでトラウマチャンネルにスイッチが入っちゃったみたいで、
 お店を出た後からずっと、ぶつぶつと同じ言葉を何度もくり返して、ふらふら肩を落として歩いていた。


「ごめんごめん。ちょっとからかい過ぎたわ」


 その様子が、あまりにも情けなかったものだから、軽く謝罪の言葉を口にする。
 まあ、意味の分かっている状態でロストするのと、既にロストした状態からそういう意味だったんだと理解するのじゃ、
 起きてしまったあの事に対する印象も変わるというもの。
 あたしは後者な人間なので、花穂ちゃんとそういう関係になってしまった事実をそんなに悲観していない。
 女同士で使っちゃったことをもったいないとは思うけど、甘かったり苦かったりの人生経験のひとつとして考えている。
 なので、前者の気持ちが分からない。それどころか、何度も何度も無駄に消費しちゃったくらいだし。
 だからもし、意味の分かっている状態であの事故を迎えていたら、
 多分、花穂ちゃんと同じく、ちょっとしたトラウマになってたかもしれない。


「お兄ちゃまヘのとっておき……お兄ちゃまへのとっておき……」

「って言ってもねぇ……。そのとっておき、どっちかっていうと花穂ちゃん自身が原因だし……」

「う゛っ……」


 そもそもの始まりである衝撃のファーストインパクトは、花穂ちゃんがバランスを崩したために起こったもの。
 あたしはそれに巻き込まれる形で純潔を失ったわけである。


「それに、もう何年も前のことでしょ? 今更悔やんだって……」

「お、女の子の憧れだよ……。なのに、あんな事故……しかもその後だって何回も取られちゃって……うぅ……」

「はいはい、無知な子供で悪うございました」


 あたしだって、花穂ちゃんとの初めてがなかったら、何度も唇をせがんでなかった。
 価値は良く分かってなかったけれど、それでも特別ってことは分かっていたから。
 だから、一度してしまったってことで壁が取り払われた相手にだけねだっていたんだし、
 その相手がたまたま花穂ちゃんだったってだけのこと。


「お兄ちゃまヘのとっておき……お兄ちゃまへのとっておき……」


 そしてまた、同じようにぶつぶつ呟きながら落ち込みモードに戻ってしまう。
 その様子に、あたしもついついため息が出てしまう。


「はぁ……。大体さぁ、そんなみみっちく引き摺ってるけど、どんなだったか覚えてるの?」

「え……?」

「小さい頃以来でしょ? だーかーらっ、覚えてんのかって言ってんの」


 あたしが花穂ちゃんと愛を育んでいたのは、幼い時日本にいた間だけのことである。
 幼いあたしは、ある日を境に、みんなと会う前に住んでたフランスの地へもう一度戻ったからだ。
 その地で、今の完全無欠なパーフェクト美少女になる努力をしてきた訳である。
 そんな訳で、いくら対花穂ちゃん専用のキス魔となってしまったあたしでも、
 こっちに帰ってくるまで花穂ちゃんとキスするのは物理的に無理だったし、
 向こうにいる時にキスの正しい知識も得てきたもんだから、
 帰ってきてから花穂ちゃんとキスするだなんてこと、考えたこともない。

 なので、例の事故も、その後のことも、もうすっかり過去の出来事。
 あたしもその事実は覚えているんだけど、でもどんな感じで、どんな感触だったのか、
 そんなものは長い年月が記憶の片隅にすっかり追いやっちゃっている。
 だってのに、あまりグチグチ言われちゃ、こっちだって決して良い気はしない。
 忘れてるなら、そのままスッパリ忘れちゃいなさい!
 そう言い放つつもりで、花穂ちゃんに確認した。


「覚えてないけど……でも、花穂たちがそういうことしてたのは事実だし……」


 そんなつもりで、諦めさせるつもりで聞いたはずだったのに……。


「……? 亞里亞ちゃん?」

「……え? あ、うん……」

「どうしたの? 突然黙って……」

「……ううん、なんでも……」


 返ってきた言葉から……なんだか、言い様のない寂しさを覚えて、一瞬反応が止まってしまった。


「そっか……覚えて、ないんだ……」


 花穂ちゃんも、あたしと同じだった。
 遠い昔の事で、それももう、お互いに忘れてしまった……。
 あたしたちの関係は……もう、口頭で伝わるだけの事実だけしか、残っていない。
 そりゃあ、今じゃ女同士でなんて勘弁して欲しいとは思うけど……でも、昔のあたしが、何回も何回も求めたものなんだ……。
 なんだか、切ない。

 人は、時間と共に変わって。
 時間と共に、手に入れて。
 時間と共に……失って。
 気持ちも……思いも……時間と共に置いてきぼり。
 そんなのは、切な過ぎる。


「…………」


 でも……事実は残っている。
 消えてなんか、いない……。


「……ねぇ、良かったら……また、してみない? 昔みたいに……ね」

「する……って……?」

「もうっ……今の話の流れで分かるでしょ?」


 首を傾げる花穂ちゃんに向け、そっと、自分の口に人差し指を当てる仕草をして。


「キ・ス」

「っっ?!?! ふぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ???!!」


 花穂ちゃんの暗かった表情が、一転して今にも蒸気が噴き出しそうなほど真っ赤になる。


「も、もうっ! じょ、冗談はやめて……って、わぁ!?」


 あまりに突然な展開に、たじろぐ花穂ちゃんは、拍子に後ろにしりもちをついて転んでしまった。
 三つ子の魂なんとやら。切羽詰ると昔の名残が出てくるみたいね。


「イタタタ……」

「あら、あたしは冗談のつもりはないんだけど」

「っっ!?!??」


 転んだ花穂ちゃんに、思いっきり顔を寄せる。
 それは、OKの返事を貰う前に、もう触れ合わせてしまいそうなほど、近く……。
 そんなんだから、起き上がるなり花穂ちゃんは慌てて後ろに飛びのいて、あたしとの距離を思いっきり取ってしまった。


「な……な、な、なっ、なっ、な、なっなななっなななな……」

「とりあえず日本語喋って」

「な、なにを言ってるの〜〜〜!?」


 まあ、当然といえば当然の反応である。
 それでも、昔を懐かしみたい心境と、好奇心と……それから、花穂ちゃんだっていうことが、あたしにそんな言葉を言わせた。


「お互い初めてってワケじゃあるまいし……っていうかお互いが初めての相手だし。
 今更、カウント数気にする仲でもないでしょ? 何回ちゅーし合ってると思ってるのよ?
 既成事実だけだったら今更増えても仕方ないってくらい、数が積み重なってるんだし」

「うっ……」

「そもそも、花穂ちゃんがあたしの奪ったのが発端でしょ?
 百歩譲って、花穂ちゃんに責任を問わないにしろ、あたしだって初めてのキス奪われてるのよ。被害者よ。
 なのに花穂ちゃんだけが一方的な被害者のように言われちゃ、割に合わないってなもんでしょうが」

「そ、それは……その……」

「それに、大学合格のおめでたい時期なんだし、そのお祝いに丁度良いかな、なんてね。
 合格祝いにこんな容姿端麗な女の子のキス貰えるなんて、世の男の子が羨むくらい贅沢じゃないの」

「いや、花穂女の子だし……」


 早口で説き伏せるあたしの言葉責めになんとか食い付いて反論する花穂ちゃん。
 けれど、それも風前の灯。多分花穂ちゃんの言いたいことは半分も言えていないと思う。


「あたしだって女同士なんて気持ち悪いと思ってるわよ」

「だ、だったら……―――」


 言い返そうと、動かそうとした花穂ちゃんの口を、人差し指一本で制止。
 それから、早口でまくし立ててきた今までの口調とは一転した、
 まるで子供に語りかけるママのように、穏やかな口調に変えて語り掛けた。


「でも、ね……なんだか、あの頃の気持ち、懐かしみたくてね……」


 それは、ゆっくりと思い出を噛み締めるように……。
 昔、あたしたちが一体どんなことをやっていたのか。
 どんな気持ちで、どんな感触を味わっていたのか。
 それを、価値の分かるようになった今の自分で行なってみたかった。


「偶然とはいえ、折角できた関係だし……。
 ま、確かにあまり気持ちの良いものじゃないけど……それでも、懐かしいじゃない……。
 だからね、そういう特殊な嗜好でするんじゃなくて、懐かしい思い出の再現ってことで……」


 花穂ちゃんは、しばらくは困ったような表情のままで黙り込んでしまって、次の言葉が出るまでは少し間があった。
 ……ま、事が事だし当然よね。
 そうして、しばらくしてから花穂ちゃんは大きくひとつ息を吐いて、


「はぁ……分かったよぉ」

「なによそれ。仮にもお祝いの品だってのに、イヤイヤやるみたいじゃない」

「だって、こうなっちゃったら亞里亞ちゃん、言っても聞かないし……」


 あたしの押しに抗いきれない花穂ちゃんは渋々了承。
 負け惜しみのように「あーあ、昔の亞里亞ちゃんはもっと素直な子だったのに」なんて、一言こぼしていた。
 花穂ちゃん、所詮この世は弱肉強食なのよ。


「大体……お祝いとか言いながら、花穂の分だって同時にあげちゃうことになるん―――」

「あー、あー、あー、聞こえなーい」

「……はぁ」


 わざとらしい耳を塞ぐ仕草で、花穂ちゃんの意見を言いきる前に却下。
 花穂ちゃんは、なんかもうヤケになるようにしょうがないなってため息を吐いていた。
 仕方ないので、ポケットに入れておいたハンカチを取り出すと、気休め程度に言葉を掛けてあげた。


「ほら、貸したげるから。終わったらこれでゴシゴシ拭いちゃえば平気でしょ?」


 今更1回分増えたってどうって事ないんだし、と付け足す。
 もうぐうの音も出なくなった花穂ちゃんは、「う〜〜」と、ただただ言葉にならない唸り声をあげるしかなくなっていた。
 それから、もうひとつため息を大きく吐くと、差し出したハンカチも受け取らないまま、観念したようにあたしの肩を抱いた。

 花穂ちゃんはきょろきょろ周りを見渡して、人がいないことを確認する。
 確かに、こんなとこ他の誰かにでも見られでもしたら、優等生で通ってるあたしの沽券にだって関わる。
 あたしも軽く見回して、人がいないことを確認してから、花穂ちゃんに向かい合った。


「いくよ……」


 その一言を聞き届けて、無言で頷く。
 そして、ゆっくりと花穂ちゃんの顔がの距離を狭めてくることを確認してから、ゆっくり目を瞑る……。
 だんだん近付く花穂ちゃんの顔が、降りてくるまぶたの裏に隠れて……、そして……―――


 ・

 ・

 ・

 ・

 ・









「「うぇ〜〜」」


 顔を離しお互いに距離を取ると、ぴろっと舌を出して、揃って気持ち悪いという仕草をし合った。


「やっぱ女同士でするもんじゃないわねぇ。あー、気持ち悪ぅー」

「ホントだよぉ……。もー、分かってるならやらせないでよね」


 一応はお互いの同意のもとに行なわれた行為のクセに、ふたりして散々な言い様だった。
 あたしにいたっては、たった今同性の姉に捧げた唇をごしごし拭いながらである。
 でも、それも本気で嫌がる感じじゃなくて、冗談交じりな口調で。


「でも……なんて言うんだろ……。あったかかった、かな……?」

「え?」

「うん、あったかかった……」


 それは、幼いころに味わった……「好き」って暖かさ……。
 それは、確かに心に眠る、思い出の味。

 懐かしく蘇る、甘い記憶は……確かに消えてなんかいなくて。
 それが分かって、胸が、温かくなよう。


「ふふっ……ありがと、花穂ちゃん


 微笑みながら、ウインクと一緒にお礼の言葉を投げ掛けた。


「ねぇ、これって花穂へのお祝いじゃなかったっけ?」

「まーまー、そんな細かいことは言いっこなしってことで」


 適当な言葉ではぐらかすと、花穂ちゃんは不服そうに言葉を詰まらせていた。
 そりゃ、あたしは懐かしい気持ちを味わえたから良かったといえば良かったけれど、
 花穂ちゃんにしてみたら、ただ気持ち悪い思いをしただけで終わっちゃっただけ。
 花穂ちゃんのためという名目のクセに、寧ろトラウマを引き出しただけに終わってしまったかもしれない。
 ま、どうこう言ったところで、やっちゃったんだから今更遅いわよ、花穂ちゃん。


「まったく……亞里亞ちゃんは変わらないね……」

「へ?」


 突然の、意外な言葉だった。
 不満そうだった顔を穏やかに緩ませて、花穂ちゃんが口にした言葉に、思わず気の抜けた短い声をあげてしまう。
 成長し、再会する人にことごとく「変わった」としか言われなかったあたしが、真逆の評価を受けるだなんて。
 花穂ちゃん自身、さっきまでそう言っていたはずなのに、それが「変わらない」なんて。


「花穂ちゃん、それさっきと言ってること違うわよ」


 花穂ちゃん相手に翻弄されたことが、ちょっとだけしゃくだったから、ちょっとだけトゲを含ませる言い方で返した。


「うん、変わってるけど……変わってないね。」

「……は?」


 更に困惑。
 そしたら花穂ちゃん、あたしのおでこを人差し指でツンとつついて、


「そういう甘えんぼさんなところ」


 そう告げてから、「もう時間だから」と付け足すと、そのまま振り向き歩き出してしまった。
 いきなりのことに、言葉の意味を理解するまで、しばらく硬直したままになってしまう。


「あ、甘えんぼじゃっ……!!」

「それと、こんなに大人っぽく成長してるのに、お店じゃいちごミルクなんか頼んじゃってるとこなんかも」


 やっと動き出せるようになって出した言葉で否定しようとするけど、
 そんなあたしの感情的な態度なんか、にこって微笑んで受け流してしまった。
 言われた言葉に、今度はあたしが真っ赤になってなにも言えなくなってしまう。


「今のキス、亞里亞ちゃんから花穂へは合格祝いのキスだったけど、
 花穂から亞里亞ちゃんへは、ここまで頑張った亞里亞ちゃんへの、ご褒美と応援の分だよ」


 言って、もう一回背中を向けてしまった姉に、今度はあたしがぐうの音も出せなくなっていた。
 そんな姉の背中を、身動きがとれずただただ見送るだけのあたし。
 花穂ちゃんなんかに言い負かされたのはちょっと悔しかったけど……
 でも、胸の中に妙な清々しさがあるからそれで勘弁してあげる。
 やっぱり花穂ちゃんはちゃあんと成長している。
 見送ったその背中は、華奢なクセに、ちょっとだけ大きく見えた。


「自分だって、口じゃイヤな風に言っていたクセに……」


 でもあたし、気づいてるんだからね……。
 花穂ちゃんが、あたしの気持ち、拭わないでいてくれた、ってこと。


「もったいないこと、しちゃったな……」


 女同士だからなんてヘンな意地張って、拭ってしまった唇を、指でそっとなぞりながら軽く後悔。
 昔のあたしなら、そんな体裁関係なしに素直に喜んでた……。
 なんでもできるようになったから、その分色んな不純物も入ってきて、だから純粋じゃなくなっちゃったってことかな……?


「本当は、もうちょっととっておきたかったクセに……。意地っ張りね、亞里亞……」


 別に、花穂ちゃんのことを特殊な目で見るわけじゃない。
 あたしだってそっちの趣味はないし。
 でも……でも、折角できた関係なんだし……。
 なら……


「卒業祝いに、もう1回貰おうかしら……」


 今度は拭わずに、大切に取っておこう。

 あたしが好きな、「好き」って暖かさを。













 なにもなければ、生まれなかったあたしたちの関係。

 それでも、"何か"があったから、ふたりの"今"なんだ……。











あとがき

なにも起こらなければなにもなかったふたり。だけど、偶然から始まって、何かが生まれたふたり。
そんなふたりの未来を描いてみたいと思い、「SWEET SEASON」後のふたりを書いてみました。
まあ、ぶっちゃけ、あの設定をそのまま消すのがもったいないって思っちゃったもので(笑

今回は「特別な感情、だけど恋じゃない」、そんな百合を描いてみたかった訳で、
特に、『自分たちでやっておいて「うぇ〜〜」って冗談交じりに言わせる』がやりたかったのが大きかったりします(笑

花穂と亞里亞はまさにそんな感じで、何もなければ何か起きそうもない組み合わせだと思います。
花穂はどっちかといえば「守られる側」で、亞里亞の求める王子様像とは異なるし、
花穂も、求める相手は自分を引っ張ってくれる尊敬に当たる誰かになると思いますから。
そういう意味で、普通にくっつけ難いふたりと、「SWEET SEASON」の"アレ"はうってつけでした(笑
あと「SWEET 〜」シリーズは「白雪のちゅっちゅちゅっちゅシリーズ」にしても良かったんですけど(爆)、
一応続編に当たるので、タイトルもそれにかけたものにしてみました。

とはいえ、いざ出来上がってみると、続編じゃなくても読めそうな作りにもなっているので、
読み飛ばして読んでもらっても結構大丈夫そう。
ただ、やっぱり前話を読んでくれた方が、色々な積み重なりっていうのが実感できそうですし、
寧ろそれを味わって欲しい気持ちも結構あります。

ちなみに、「高校生版性格反転亞里亞」は、なりゅーの中の成長した亞里亞のデフォです(ぇー
なので「はいすくーるらぶ」のような、でも似て非なるだけの、
そんなパラレル未来の話として楽しんでいただければ嬉しいです。


更新履歴

H17・11/30:完成


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