『わたくしは、かごの中の鳥……。この、鳥かごの中から見える景色だけが……世界の全て……』


 その人は、そう言った……。

 ただ、体が弱くて、病気にかかってしまった……
 たったそれだけで、当たり前に与えられるはずに自由を奪われた……"鞠絵"という名前の、ボクのあねぇ。


 鞠絵ちゃんは、望んだわけでもないのに、みんなから離れた場所に、
 ひとりで暮らすことを余儀なくされた、まさに彼女の言うとおりの鳥かごの中の鳥だった……。

 元々、一緒に暮らしていない特殊な姉妹関係だったけど……その中でも鞠絵ちゃんは、更に特別になってしまった……。
 それも、悪い意味で……。


 そんなのは許せなかった。

 だから……だからボクは―――




『ボクが鞠絵ちゃんの、足になる! 鞠絵ちゃんの翼になってあげる! 鞠絵ちゃんの目になってあげるから!』




 そして、ボクは鞠絵ちゃんの代わりに色んな所に行った。
 山とか、海とか……とにかく色んなところに。

 その景色を見た時の話や、その時あったことを、全て。
 ちゃんと話せるよう、それらをしっかりと心に刻んで……。

 病気の鞠絵ちゃんのために、いつも療養所の中で過ごしてきた彼女のために、いろんな景色を話してあげたんだ。

 そうして、ボクなりに鞠絵ちゃんに外の世界を与えてあげたんだ……。


 そんな日々を迎えてから……もう、どれくらいの月日が流れたんだろうか……。











 

希望の翼













「衛ちゃーん」


 駅の改札前で人を待つこと数分、ボクの名前を呼ぶそんな声が耳に届いた。
 声の方に目を向けると、そこでボクに向かって手を振る姿は、紛れもなくボクの待ち人のものだった。


「鞠絵ちゃん! 良かった、無事に着けたみたいだね……」
「衛ちゃん、わたくしのこと見くびってもらっては困ります」
「ゴメンゴメン。鞠絵ちゃんの体、あんまり丈夫じゃないから、つい……」
「もうっ! これでも最近は凄く調子がいいんですからね!」


 ボクの反応にちょっとだけ不機嫌そうに頬を膨らませて、拗ねた表情を返してくる鞠絵ちゃん。

 シンプルだけど可愛い帽子を頭に被って、普段は着ない余所行きの服に、いつも愛用している白いストールを羽織った姿。
 その姿は、普段療養所で会う鞠絵ちゃんとは少し違う、特別な印象をボクに与えていた。

 みんなの居る街に戻って来れたことがよっぽど嬉しいのか、鞠絵ちゃんはなんだかいつもよりも気持ちが昂ぶっているようだった。


「その余所行きの格好、すごく似合ってるね」
「でも、"余所行き"の服を着て、それで"帰ってくる"だなんて……なんだかおかしな感じがします」
「あははっ……確かになんかヘンだね」


 鞠絵ちゃんは元々、体が弱く、今も療養所に入院している僕のあねぇだ。
 でも、ここ最近は体調も良好で、お医者さんからも数日間の長期の外泊許可を貰うことができたんだ。

 そうして鞠絵ちゃんは、この街に……ボクたちの姉妹みんなの住んでいる街に、ほんの数日だけ帰って来ることになったんだ。
 その間、鞠絵ちゃんをボクの家に泊まることになっている。
 ……というよりも、ボクから鞠絵ちゃんに泊まるように誘ってたんだけどね。


「でも……こうやって知っている人が出迎えてくれると、なんだか心から"帰って来た"って気持ちになれますね」
「そんなこと言うけどさ……ボクも普段はこっちには居ないんだけど……。ボクだって夏休みだから帰ってきてるだけだし……」
「それはそうなんですけど……でも、それでもです」


 実は、ボクも鞠絵ちゃん同様、普段はこの街には居ない。
 この街から離れた場所にある体育大学に通うため、ひとり暮らしを始めたからだ。
 今は夏休みの間だけ実家に帰省中というわけ。


「衛ちゃん、大学に通うようになってからは頻繁に来てくれていましたから、
 ここしばらく会えなかったのはちょっとだけ寂しかったんですよ」
「それはボクにもどうしようもないよ。
 やっぱり夏休みくらい帰省しないと……ほら、みんなにも、ボクのお父さんお母さんにだって、顔見せてあげないとさ……」


 ボクの通っている大学は、鞠絵ちゃんのいる療養所と近い位置にある。
 大学に通うようになってから、鞠絵ちゃんのお見舞いに頻繁に行くことができるようになったんだ。
 だから帰省中の今はみんなとは会えるけど、その分鞠絵ちゃんとは会えなくなっちゃっていたんだ。

 ……でも、実は大学入試の時にもうひとつ別の学校とどっちにしようか迷っていたことがあったんだけど、
 どっちにしろこの街からは離れなきゃいけなかったし、今の大学に通った方が鞠絵ちゃんの居るところに近いからって理由で、
 今の学校の方に決めた経緯はあったりするけど……それはちょっと誰にも内緒のこと。


「衛ちゃんも……すっかり大学生ですか……」


 突然、ボクの姿を見据えると、感慨深いなにかを改めて噛み締めるような言い方で、静かにそう口にする鞠絵ちゃん。

 そっか……ボク、もう大学生になっちゃったんだなぁ……。

 なんて、鞠絵ちゃんにつられるように、ボクまで思わず感傷に浸ってしまった。


「えへへっ……ボク、少しは成長したかな……?」


 ちょっと照れ気味に、鞠絵ちゃんに自分がどれだけ成長できたのか尋ねる。
 鞠絵ちゃんは、ボクのことをまじまじと見回してから、


「自分のことをまだボクって言っていて、あんまり変って気がしませんね」


 うわっ! ひどっ!


「うふふっ……冗談ですよ、衛ちゃんは変りました。
 それはもうカッコよくて、たくましくて、とても男らしくなりましたよ」
「お、男らしくって……」


 くすくすと静かに笑いを浮かべながら、更に「ええ、なりましたよ」なんて付け足してくる鞠絵ちゃん。
 反面、ボクは顔をちょっとだけ引きつらせながら、カラ笑いを返すしかなかった。


 鞠絵ちゃん……ボクこれでも女の子なのに……。
 でも、一応褒めてもらえているんだから、ここは喜んでおいた方が良いのかな……?


「本当に変ったんですね……なにもかも……。衛ちゃんがひとり暮らししてるんですもの……」


 不意に、なにか物悲しそうな声でそう続ける鞠絵ちゃん。
 ふと鞠絵ちゃんの顔に目を向けてみると、その瞳は……今の声と同じように、なにか寂しげな印象を、ボクに与えてきた。


「そういう鞠絵ちゃんは……綺麗になったよね」
「え!?」


 そんな顔を見たくなかったからなのか、さっきの話の続きを鞠絵ちゃんに振ってみた。


「そ、そんなことは…ないですよ……」


 鞠絵ちゃんは、ボクの言葉に途端に顔を真っ赤にして、もじもじと照れ始める。
 ボクにとってはあねぇだけど、こういう仕草はとっても可愛いなぁ……。


「ううん、綺麗になってるよ。男らしくなっちゃったボクとは違ってね」


 なんて冗談交じりに、笑いながら口にした。
 鞠絵ちゃんにはそれが面白かったのか、「うふふっ」なんて声に出して笑いを浮かべたんだ。
 その顔はさっき一瞬だけ見えた寂しげな表情とは反対の、素敵な笑顔を形作っていた。

 やっぱり、鞠絵ちゃんは笑っている顔の方が素敵だよ……。
























「あら?」


 ボクの家まで道を鞠絵ちゃんに案内しながら歩いていると、
 丁度通り道の神社の前を通った時、人やものがたくさんあることに鞠絵ちゃんは気がついた。


「そういえば今日、この神社でお祭りがあるって話だよ」
「お祭り……ですか?」
「うん。なんなら夕方から来てみる?」


 と、聞いてみて、すぐさま失敗したって思った。


「……あ、あんまり無理しちゃマズいか……」


 今日は鞠絵ちゃんの外泊1日目。
 そういうのは大抵移動だけでも結構体力や気を使っちゃうもの。
 普通の人なら平気かもしれないけど、鞠絵ちゃんの体はあんまり丈夫な方じゃない。
 だから、今日だけはボクの家でゆっくりするのがいいはずなんだ……――


「いえ、是非行きたいです! 今日行きましょう!」


 ――と考えていたボクの思いとは反対に、鞠絵ちゃんはすぐさま首を縦に振ってきちゃったんだ。


「え、でも鞠絵ちゃん、今日は疲れているだろうし……それにお祭りは明日もあるからさ……」


 鞠絵ちゃんの体を気づかって、ボクはそう提案する。


「大丈夫ですよ。最近は本当に元気になってきたって、お医者様も太鼓判を押してくれるほどなんですから


 だけど鞠絵ちゃんは平気だってことを主張するように、力こぶを作るようなポーズをとって、元気満々ってことをボクに見せてくる。


「それにお祭りは夕方からでしょうし……それまで休めば十分大丈夫ですよ」
「そう……? まあ大丈夫なら、別にいいけど……」


 結局、ボクは鞠絵ちゃんの考えに賛成することにした。
 ボクだって鞠絵ちゃんに楽しんで欲しくないわけじゃない。
 病弱っていうハンデがなかったら、ボクだってすぐさま鞠絵ちゃんをつれて一緒に楽しんじゃおうって思ってるくらいだもん。
 まあ、本人が大丈夫って言うんだし、本当に無茶してるって思ったら手遅れになる前に無理にでも止めればいいか……。


「じゃあ夕方からは、衛ちゃんとお祭りデートで決定ですね♥♥
「ええっ!? でで、でーとぉっ!?!」


 鞠絵ちゃんの「デート」っていう言葉に妙に反応しちゃったボク。
 どうもボクって、恋愛とかそういうのに免疫が少ないから、そういう単語を聞くだけで過剰に反応しちゃう。
 だから学校の同じ学年の友達どころか、後輩の子にまでそういう言葉でよくからかわれちゃうんだ……。


「わたくしとデート……イヤですか?」


 ただ、鞠絵ちゃんも、もしかしたらそれを分かっていてボクをからかっているのかもしれない……。

 突然「デート」なんて言われて驚いちゃったけど、よくよく考えてみると、
 鞠絵ちゃんと一緒にどこかに行くのって、そんなに嫌なものでもない。
 ううん、寧ろそんなことは滅多にできないから……もしかしたら初めてのことかもしれないから、すごく嬉しい……。

 それに、ボクは今でも男の子みたいだし……鞠絵ちゃんは反対に女の子らしいし……
 だからそういう言葉のあやも、たまには良いかなって思って……


「デート、か……。……うん、それもいいかもね……」


 ついこう返しちゃっていたんだ……。
























 そして夕方。


「ひとり暮らしは大変ですか?」
「まあね。でも、料理は人並みに出来るようになったよ……多分」
「衛ちゃんのことだから、ひょっとしてカップラーメンとかがメインに」
「し、失礼だよ……。……その、否定は…しないけど……」
「うふふっ……否定はしないんですか」


 もう日もすっかり沈みきろうとしている風景の中を、そんな他愛のない会話を交わしながら神社までの道を、ふたり並んで歩く。


「さぁ、ついたよ。……って、うわっ! 人多いなぁ……」


 さすがはお祭りといったところか、目の前に広がる人、人、人の人だかり。
 隙間もないって言うのはこういうのを言うのかなって思うくらい、そこは大勢の人で溢れ返っていた。


「ゴメンね……折角の外泊1日目だって言うのに、こんなゴミゴミした所につれてきちゃって……」


 こんな人だかりの中に入っていっちゃったら、折角の楽しいお祭りも楽しむことより疲れる方が大きいのは目に見えている。
 それは、体の弱い鞠絵ちゃんにとって、他の人よりも避けたいことだ。
 だからボクは、やっぱり失敗だったかなって思って、思わず鞠絵ちゃんに謝る。


「謝らないでください。寧ろこういうところの方がわたくしは良いです」
「え、そう?」


 鞠絵ちゃんはもっと静かなところがすきそうなイメージがあるからか、その返事が意外なものに感じた。


「だって、こんなにたくさんの人が居るんですから……」
「あ……」


 その言葉で、なんとなく気づいちゃったんだ……。

 鞠絵ちゃんは、寂しかったんだ……って。












「はい、りんご飴」
「ありがとうございます、衛ちゃん」


 神社に着いてからは、ふたりで屋台を食べ歩いたり、射的とか的当てとかで遊んだりと、
 ゴミゴミした人の中で結構気を使いながらだったけど、それなりに楽しんで歩き回れた。

 まあ、鞠絵ちゃんはそんなに食べれないからって、買った物はほとんどボクが食べてたり、
 射的や的当てはふたりして的を遥かに逸れた明後日の方向に飛ばして全然だったけど、それはふたりで笑って済ませた。


「ふー、なんだか喉が渇いてきちゃったなぁ……。ちょっとジュース買って来るけど、鞠絵ちゃんはどう?」
「そうですね……。……あの、だったらジュースよりもクレープを食べてみたいな……なんて……」
「クレープ? うん、別に構わないよ。折角のお祭りなんだしさ」


 ボクがそういうと、鞠絵ちゃんは「じゃあ待っている間に、今度こそはひとりで食べてみせますから!」なんて、
 手に持っているりんご飴を前に差し出して、そんなおちゃめな意気込みをみせて来た。


「えっと……なにクレープが良い?」
「……じゃあブルーベリーの入っているもので。ブルーベリーは目に良いですから」
「ブルーベリーだね」
「はい、生クリームたっぷりでお願いします
「じゃあ買ってくるから、ここでちょっと待っててね」
「はい」


 そうしてボクは、鞠絵ちゃんの返事を聞き届けてから駆け足でその場を離れた。












「ええっと……クレープ屋、クレープ屋……っと」


 先に自分の分の缶のジュースをひとつ購入して、クレープ屋を探す……とはいうものの、
 実はクレープ屋さんなら見渡せる範囲だけでもう3軒くらい見つけてたりする。
 だけど逆に「多い」ってことで、一体どのお店で買うかを迷っているところなんだ。
 だから今の声はクレープ屋を探し歩いている声じゃなくてどこで買うかを悩んでいる声。


「うーん……どれがいいのか……」


 あんまり鞠絵ちゃんを待たせるわけにも行かないけど、かといって適当なものは送りたくもないし……。
 一生懸命お店を見比べて、どのお店で買うべきかを吟味する。
 それぞれに多少に違いはあれど、ボクにはその違いが今ひとつ分からない……。


「あー、もうっ! ボクって考えるの苦手なんだからっ!」


 大きくなってもこれだけは変らなかった……。
 スポーツとか体動かしてる時に頭使うのは楽しいんだけど、そうでない時に頭なんて使うのはすっごく苦手。


「もういいや、あのお店にしよっ!」


 だから、こういう時は決まって、こんな風に勘に頼ることになる……。


「すみませーん。クレープ、えっと……ブルーベリーと生クリームの、1つ下さい」


 ただ、――




「あれ? ま、衛ちゃん!?」




 ――どうもボクの勘って言うのは結構鋭いものらしい……。


「あれ、雛子ちゃんじゃない」
「や、衛ちゃん、おひさー」
「亞里亞ちゃんも!?」


 勘で無造作に選んだお店の前は、高校生くらいの女の子がふたり居たのは気づいていたけど、
 まさかそれが、雛子ちゃんと亞里亞ちゃんだったなんて……。
























「久しぶりだね」


 クレープ屋さんから注文したクレープを受け取ってから、雛子ちゃんと一緒に人の少ないところに場所を移す。
 買って置いた缶ジュースのふたを開けながら、ふたりに向けてそう言った。


「ホント、久しぶり」
「あたしに至っては帰ってきてから3回目ってところね」


 雛子ちゃんが先に返して、続けて亞里亞ちゃんが答えた。


「えっ、もっと会ってるよ」
「……? そうだったかしら?」


 亞里亞ちゃんは首を傾げて、記憶にないって顔をしながら、そんな煮え切らない返事を返してきた。
 そういえば、亞里亞ちゃんは今でも習い事とかをこなしているって話だから、それで記憶が混乱しているだけかもしれない。


 というか亞里亞ちゃんは、その"いかにもお嬢様"といった繊細な顔立ちから、
 とても信じられないような口調でボクに話しかけてくる。
 亞里亞ちゃん、ホント昔とは変ったなぁ……。

 ……っていうか、もう別人じゃないのかって思うくらいに……。


 亞里亞ちゃんは、一昔前、1年ちょっとっていう短い間だけフランスから日本に帰ってきたボクの姉妹のひとり。
 なにかの事情があって、またフランスに戻らなくちゃいけなくなったらしく、そのまま亞里亞ちゃんとは別れることになったんだ。
 でもその後、どうやら上手く話が進んだらしく、去年亞里亞ちゃんはめでたくこの街に帰って来ることができたんだ。

 で、その時と今を比べると明らかに性格が180°変っている……。
 この性格が変っちゃった亞里亞ちゃんがこっちに帰ってきたのは、僕がひとり暮らしを始めた後のこと。
 だから、まだ数えるほどしか会ってなくて、昔の亞里亞ちゃんのイメージの方が先行してすっごく違和感を感じる……。

 ……ホント、向こうに行っている時、一体何があったんだろうか……?


「どうして戻ってきたの? 夏休みだから里帰り?」


 まさか自分のことについて考えられていたなんて思いもしない亞里亞ちゃんが、ボクにそんな疑問を投げかけてきた。
 ボクはそんな亞里亞ちゃんに質問に簡単に答えてから質問を返した。


「うん、里帰り。で、ふたりは?」
「デート


 そう言って、亞里亞ちゃんはまるで恋人同士のやりとりみたく、雛子ちゃんの手に抱きついてきた。


「えぇ!? ちょ、ちょっとぉ……」
「ははっ……ふたりともホントに仲良いなぁ」


 抱きつかれて、タジタジになる雛子ちゃん。
 その様子は、まるでさっき「デート」って言われた時のボクの反応さながらだった。

 ふたりとも歳が近かったせいか昔っから仲が良かったけど、どうやら離れている間のブランクもなく今も仲良しみたいだ。
 そのふたりの相変わらずの仲の良さに、ボクの顔からはつい笑いがこぼれていた。


「ま、衛ちゃんは?」


 恥ずかしさに耐え切れなくなってか、亞里亞ちゃんの腕をほどきながら、雛子ちゃんが話を逸らすようにそう言ってきた。


「そうだなぁ……」


 そこで、ボクはちょっとだけ考えて、冗談交じりにこう返すことにした。


「……こっちもデート」
「ええっ!!?」


 案の定、雛子ちゃんは驚いた顔を向けてくる。
 雛子ちゃん、ボクに恋人ができたって驚いちゃったのかな?


「何、可愛い彼女?」


 ……同じ恋人でも、よりによって"彼女"の方ですか……亞里亞ちゃん……?

 これがあの泣き虫寂しがりのか弱い女の子だって言って、一体誰が信じるんだろうか?
 だから、つい「ホント性格変わったね……」なんて言葉がこぼれた。

 ……っていうか、やっぱりボクってそんなに男の子っぽいのかなぁ……?


「違うよ。可愛いじゃなくて、優しくて綺麗な大人しいお姉さんタイプの人なんだよ」


 とりあえず、そんなこという亞里亞ちゃんに合わせて、そう答えてることにした。
 まあ、満更嘘じゃないからね。


「「え゛!?」」


 すると、雛子ちゃんと亞里亞ちゃんは同時に、まるでカエルみたいな声を出して驚いちゃったんだ。
 なんだよぉ……散々"彼女"が居るとか言っておいて、実際にそういう感じの返事返したら驚くんじゃないか……。


「えっ、ウソ! マジで!! 昔っから"男らしい"とは思ってたけど、ホントに彼女作っちゃったの!?」


 亞里亞ちゃんの、小さい頃とのあまりの変貌っぷりに、ボクは思わず顔が引きつりっぱなしになりそうだった。

 ……もしかして、実は亞里亞ちゃんは別の人と体が入れ替わってて、亞里亞ちゃんの体に居るのは亞里亞ちゃんじゃないって事は……ないか。


「亞里亞ちゃん…………亞里亞ちゃんって本当に亞里亞ちゃん?」


 とは思いつつ、ついついそう聞いてしまう、ボク。


「何訳分かんない事ヌカしてるんですか、衛兄や
「兄や、って……」


 やっぱりボクって……ボクって……そりゃ、自分のこと未だに「ボク」って言ってるし、
 この間も後輩の女の子に告白されたり、ラブレターを渡されたりされたけどさ……
 でもそんなに何度も男扱いすることないじゃないか……。


「で、どんな人なの!?」


 あまりにも男扱いされることに内心落胆気味になるボクを余所に、亞里亞ちゃんは興味津々にボクの"彼女"について聞いてくる。
 とにかく、気を取り直してなるべく平静を保ちながら、ちょっとしたイタズラの種明かしのようにこう答えてあげた。


「病弱で、小説を読んだり、絵を書くことが趣味の……ボクのあねぇだよ」
「「……へ?」」


 そのヒントに、ふたり同時に気の抜けた声を返してくる。


「……それって、ひょっとして鞠絵ちゃん?」
「当たり」


 そこまでのヒントで、雛子ちゃんは見事正解を導き出してくれた。


「鞠絵ちゃんも来てたんだ」
「うん、結構長期の外泊許可をもらえたからね。だったらついでにみんなに会いに行こうってことで一緒に帰ってきたんだ」
「まったく、紛らわしい言い方ね。あたしゃてっきり衛兄やに彼女でも出来たのかと思ったわよ」
「亞里亞ちゃんだって同じこと言ったじゃない。お互い様だよ」


 男扱いしたちょっとしたお返しだよ、なんて感じを含めた笑いを向けながら、亞里亞ちゃんにそう言った。


「あー、あたしの方は特別だからね」
「特別?」
「今日なんの日か分かる?」
「今日って……あ、そういえば誕生日」


 そういえば今日は8月15日……雛子ちゃんの誕生日だ。
 鞠絵ちゃんが来るからって浮かれていたせいで妹の誕生日を忘れちゃうなんて、ボクって雛子ちゃんのあねぇ失格だなぁ……。

 申し訳なさそうに雛子ちゃんに目を向けてみると、
 雛子ちゃんはなんだかひとり顔を赤らめて、ぼーっと物思いにふけっているようだった。


「そ。だからバースデーデートなのよ、これ」
「へー……」


 バースデーデート。

 そういう方面に疎いボクでも、それがなにかロマンチックなものだっていうのはすぐに感じ取れた。

 でもそういうのって普通、男の子と女の子でやるものなんじゃないのかな?
 なんて思ったのも束の間、このふたりだったらそれでも良いかなって、なんとなくそう思ったんだ。

 だって、それくらい、ふたりの仲の良さは周りで見ているボクたちにも見て取れたんだから……。












「じゃあボク行くよ。あんまり待たせるのも悪いからね……っと」


 そう言って、既に飲み干した空き缶をゴミ箱(当然ビン・缶の)に投げた。


    カンッ


「あ……」


 外れた。


「衛ちゃん、昔っから球技苦手だったからねぇ……」


 腕を組んでうんうんと頷く亞里亞ちゃんに、しみじみとそう言われた。
 昔ほどじゃないにしろ、未だに球技は苦手だ。
 さっきも的当てをやった時に豪快に外していたところだ。
 ……というかお店のおじさんに当てちゃった……。

 缶を外した恥ずかしさを誤魔化すように、苦笑いしながら外した空き缶を拾って、きちんとゴミ箱に入れ直す。


「どうする? よかったら鞠絵ちゃんに会っていく?」


 その時、思い出したように鞠絵ちゃんに会わないかを誘ってみた。
 鞠絵ちゃんはこっちに来ている間にみんなに会おうとしていたから、
 今会うのならその予定が早まって丁度良いかもって思ったからね。


「……遠慮しておく。折角、鞠絵ちゃんとふたりっきりのデートなんだからね」


 亞里亞ちゃんがさっきのお返しのお返しのつもりなのか、
 それとも自分たちのもそうだからって、普通にそういう言い回しをしているだけなのか、そんな返答を返してきたんだ。

 そのあとにも二、三言誘ってみたけど、亞里亞ちゃんの返事はどれも同じだった。
 雛子ちゃんは特になにも言わなかったけど、それはきっと亞里亞ちゃんに賛成って意味だからだと思った。

 ……そっか……折角の雛子ちゃんのバースデーデートだしね……

 ふたりの邪魔しちゃ悪いし、それに鞠絵ちゃんとはまた今度会うつもりみたいだから、別に大丈夫か……。
 なんて結論付けて、今回は黙って手を引くことにした。


「じゃあね、ふたりとも」
「ごめんね、折角のお誘いなのに……」


 立ち去ろうとしたボクに、雛子ちゃんが申し訳なさそうに言ってくる。


「ううん、いいよ。ふたりのデート、邪魔するわけにも行かないからね。
 ふたりとも、ホント昔から仲良かったからね……」
「羨ましいでしょ


 そう言って、また雛子ちゃんの腕に抱きつく亞里亞ちゃん。


「もうっ! 亞里亞ちゃんったら!」
「いいじゃないの


 雛子ちゃんは、亞里亞ちゃんをこれ以上調子に乗せないように、照れながらも強く言いつける

 そのふたりの仲良しぶりを……もう、いつでも会うことのできるふたりの様子を……、
 数日だけしかそれが許されない鞠絵ちゃんとを比べちゃって……


「かもね……」


 自然とそんな言葉が、ボクの口から出ていた。
 そして、ボクはそのまま鞠絵ちゃんの元へ戻ろうと足を進めた。


「あ、雛子ちゃん」


 そこで大切なことを忘れていたことに気がついて、動かしていた足を止めて再び雛子ちゃんたちの方向に振り返る。
 そうして、もう既にかなりの距離が開いてしまった雛子ちゃんの名前を呼んだんだ。


「何?」


 ボクの言葉に首を傾げながら聞き返してくる雛子ちゃんに、こう一言。


「お誕生日、おめでとう」
























「鞠絵ちゃーん、クレープ買ってきたよー……って、あれ?」


 雛子ちゃんたちと別れ、鞠絵ちゃんが待っているはずの場所に戻ってくるとそこには、


「みゃー……」


 猫が一匹。


「…………」
「みゃー……」
「えー、っと……」
「……みゃー?」
「…………鞠絵ちゃんが猫になった……?」


 ……訳はない。
 ボクは一体なにを考えてるんだか……。


「だとしたら、本物の鞠絵ちゃんは……――」
「衛ちゃん、こっちです、こっち」


 辺りを見回そうと顔をきょろきょろさせたのと同時に、鞠絵ちゃんがボクを呼ぶ声が耳に届いた。
 声の方に目を向けると、そこには木が鬱蒼と立ち並んでいて、とても道なんて見当らない。
 でも、声は確かにこの奥から聞こえてくる……。


「……鞠絵ちゃん、なんでこんなところなんかに……?」


 疑問に思いながらも、林の中に足を踏み入れた。
 折角買ってきたクレープを木やヤブの枝でダメにしちゃわないように気をつかいながら、慎重に足を進める。


「えっ!?」
「うふふっ……偶然見つけたんですよ ここなら誰もいないし、これから始まる花火の特等席です♥♥


 するとそこには、木々に囲まれたなにもない空間が広がっていて、その中心で、両手を広げた鞠絵ちゃんがボクの来るのを待っていたんだ。
 そこはまさに、これから始まる花火をゴミゴミした人だかりを気にしすることもなく見ることができそうな、最高の特等席だった。


「へぇ……良くこんなところ見つけられたね」


 木が壁のように並んで、しかも道なんかどこにもない、
 とても人が入りそうもないこんな穴場を、鞠絵ちゃんは一体どうやって見つけたんだろうか?
 そう疑問に思って尋ねてみると、


「この子のお陰です」
「みゃー」


 すると、鞠絵ちゃんの足元にはいつの間にか、鞠絵ちゃんの代わりにボクを待っていてくれたあの猫が。
 どうやらこの子のお陰で鞠絵ちゃんはこの特等席を見つけたみたいだ。
 ボクが居ない間に、一体ふたりの間に何があったんだろう……?












「はい、クレープ」
「ありがとうございます、衛ちゃん」


 木やヤブの枝から守り通したクレープを、無傷のまま鞠絵ちゃんに手渡した。

 花火が始まるまではまだ少し時間がある。
 ボクたちは、花火が始まるまでの時間を、この特等席で待つことにしたんだ。


「あら? 衛ちゃん、飲み物は……?」
「あ、実はさっき飲んできちゃったんだ。
 偶然雛子ちゃんと亞里亞ちゃんに会って、久しぶりだったから少し話して来たんだ。で、その時に、ね」
「雛子ちゃんたちに?」
「うん。鞠絵ちゃんに会わないかって誘ったんだけど、しばらくこっちに居るからって、今日はひとまずそのまま分かれた。
 それに、ふたりの邪魔する訳にも行かなかったからね」
「そうですか……。じゃあ雛子ちゃんたちに会うのは、また今度の機会にとっておきます」


 付け足すように、「わたくしたちはわたくしたちで、ふたりのデートを楽しみましょうね」なんて冗談交じりの言葉を投げかけてくる。


「……雛子ちゃんたち、今でも一緒なんですね」
「そうだね。小さいころから一緒だったもんね」


 本当にあのふたりは仲良しだったなぁ……。
 ……亞里亞ちゃんは完全に別人になっちゃってたけど……。


「きっと、亞里亞ちゃんがこっちに帰って来た時からも、ずっと一緒だったんじゃないかな?」


 なんせ腕組んでデートしているくらいだから……なんてね。


「そう……亞里亞ちゃん、今はもう、好きな人といつでも一緒に居られるんですか……」
「……え?」
「羨ましいです……」


 そう口にした鞠絵ちゃんの言葉には……暗く、重い、悲しさを含んだ影がのしかかったような、
 そんな重圧を、ボクは感じずには居られなかった……。


「でもわたくしはまだ……数日間だけしかここにいられない」


 そうだった……鞠絵ちゃんは、今でこそこの街で、このお祭りに参加してはいるけど……でもそれも一時のこと……。
 すぐまた、ひとりきりの生活に戻ってしまうんだ……。

 ボクだってさっき、気がついていたじゃないか……。
 その数日間が終われば、鞠絵ちゃんはまた戻ってしまうんだ、って……


「わたくしは、あの療養所に……また閉ざされた世界の中、ひとりに戻ってしまうんですね……」


 鞠絵ちゃんの言う、"鳥かごの中"に……












 ……違う!






 鞠絵ちゃんはひとりきりなんかじゃない!
 かごの中の鳥なんかじゃない!


「そんなことはないよっ!!」


 声を張り上げて、そう叫んでいた。

 だって……鞠絵ちゃんにはボクが居るじゃないか!!
 鞠絵ちゃんをひとりきりにさせないために、今までずっと、ずっとずっと頑張ってきた。
 ボクだけじゃない……みんなだって鞠絵ちゃんをひとりにさせないために頑張ってくれるはず。

 離れているだけで、鞠絵ちゃんは全然ひとりなんかじゃないっ……!




「ええ、そうですね」




 ……………………へ?


「どうかしたんですか?」
「え……? いや……あの……」


 思いっきり声を張り上げて鞠絵ちゃんの言葉を否定したのに、それをあっさりと「そうだ」なんて返された。
 そのせいでたった今溜め込んだはずの憤りが行き場を失って、ボクは肩透かしでもくらったみたいにぽかんとなっちゃったんだ。


「だって今……自分はひとりに戻っちゃうって……」
「はい。衛ちゃんが帰ってくるまでの間は、ですよ。寂しくなります……」


 まるでさっきの言葉に付け足すような感じに、ボクにそう答える。


「うふふ……衛ちゃん、もしかしてわたくしがいつもひとりきりだと思ってるって思ってたんですか?」
「いや…それは……」


 言葉に詰まったボクに、「あ、やっぱり」なんて呆れたような台詞を返してくる鞠絵ちゃん。
 なんだか上手く頭が働かないボクに、鞠絵ちゃんはまるで教えるような口調で言葉を続けた。


「確かに昔はそう思っていましたけど……でも最近は、そんなこと考えたことなんてないです。
 衛ちゃん……あなたのお陰で……」
「えっ!? ぼ、ボクが……!?」
「ええ。衛ちゃんは凄いです……いつもいつも、わたくしを支えてくれたんですから……」


 それは、さっきみたいな重く暗い言葉なんかじゃなくて、とても明るい、希望がこもったような声だった。


「ある時は山の……ある時は海の……ある時は湖の……その景色や風景を、いつもいつも楽しそうにわたくしに聞かせてくれました。
 その話を聞いているだけで、まるでわたくしもその場行った気になれたみたいで……」


 そう……鞠絵ちゃんは、寂しいなんて少しも感じてなかったんだ。

 そう思ってたのはきっと……ボクの中の、ひとりきりになってしまった時の鞠絵ちゃんの、
 あの寂しい言葉の記憶が、そんな鞠絵ちゃんのイメージを勝手に形作ってしまっただけなんだ……。

 駅で見せた寂しげに見えた表情も、きっとそう……。


「そう、わたくしは、あなたのお陰で、山や海や湖に行くことができたんです……。
 少なくともわたくしはそう思っています……感謝しています……」


 だって鞠絵ちゃんは……今日一日がずっとそうだったように、ずっと明るく笑っていたじゃないか。


「衛ちゃんは、鳥かごの中に囚われていたわたくしと、外の世界を繋げてくれた……希望の翼だったんです」
「ボクが……そんな……」


 そう言うのが精一杯だった。
 ボクはそんな大したものになろうとした訳じゃない。
 ただ……ひとりは寂しいだろうから、だから少しでもその寂しさを埋めてあげたくて一生懸命だっただけなんだ。


「あなたはわたくしの足であり、翼であり……そして、頼れる"兄"でした」
「うえぇっ!?」


 それは意外な言葉だった。
 意外過ぎて、思わず驚いてヘンな声を上げちゃった……。


「ぼ、ボクが鞠絵ちゃんの"あにぃ"だなんて……そんな……。
 そ、そりゃ確かに、ずっと男の子みたいだって言われてきたけどさ、これでもれっきとした女の子だし……
 それに鞠絵ちゃんの方が年上なのに……なんでよりによって……」
「年とか性別とかの問題じゃないです」
「で、でも……だからって……」
「じゃあ、亞里亞ちゃん風に言って"王子様"で」
「……どっちにしろ男の人だよぉ……」
「だってしょうがないじゃないですか。そういう頼れる感じがするんですから」
「う、うぅ〜〜……」


 ボクは言葉に詰まって、そんな唸り声のような声を上げるしかなくなっていた。

 もうっ……! 鞠絵ちゃんまでそんなにボクのことを男扱いして、ヒドいよ……。

 ……なんて、普段なら思っていたのかもしれない……。

 でも、この時ばかりはそういう頼られてるって意味でされるは、そんなに悪くないんじゃないかなって……
 不思議と、いつもと正反対の嬉しい気持ちに浸っていたんだ……。


「ねえ衛ちゃん……もしわたくしが退院する時が来たら……、
 その時は、衛ちゃんと一緒に暮らしてみたい…なんて……考えちゃダメでしょうか?」
「ぼ、ボクなら大歓迎だよ!」


 反射的に、そんな言葉が口を突いて出ていた。


「鞠絵ちゃんさえ良ければ……ボクは大歓迎だから……」
「本当ですか!?」
「うん、嘘なんかじゃないよ……」


 ふたりで暮らすにはちょっと狭くて……ちょっとだけ散らかっている、狭い部屋だけど……その分暖かさを分けてあげられる。


「じゃあ、約束破れないように……――」
「え、―――」






  祭りの最中……木々に囲まれたふたりきりの空間で、ふたつの影が人知れずそっと静かに重なった……。

  それはまるで物語の中の囚われの身だった姫と

  それを救い出した王子様との

  約束を誓う証を交わすかのような

  そんなロマンチックなワンシーンに似ていた……。






「う、うわわわわわわわわっっ!?!?!?」


 なにか不思議な感触が残る口を手で覆いながら、真っ赤になって慌てて鞠絵ちゃんの顔から距離を取る。

 いい、いまっ…今、一体何がっ……?!? 何が起こったの〜〜〜っ!?!?


「うふふっ…… 約束の証、です……♥♥


 顔が凄く火照って、心臓がまるで全速力で走った時みたいにバクバクいっていた。
 そんなボクを見て、鞠絵ちゃんはただ楽しそうに笑っている。


 なにが起きたかなんて、大体分かっていた……。
 分かってたけど……でもそれって……も、ものすごくいけないことなんじゃないの〜〜っっ?!



    ピューーー…………ドーーーンッ



「あ……」
「花火……」


 ボクたちが約束の証を交わしたちょうどその直後、夜空には大きな花火が花開いた。
 その時、花火の光に照らされた鞠絵ちゃんの顔は、ほんの少しだけ赤く染まっているように見えた。

 きっとボクも同じように……いや、それ以上に赤く染まった顔をしているんだろうな……。

 なんてことを考えながら、ボクはまだ収まらない胸の鼓動を感じながら、
 鞠絵ちゃんとふたり並んで、その綺麗な空の輝きを静かに見入っていた。


「そういえば衛ちゃん……」
「ん?」
「わたくし、衛ちゃんひとつだけ言うのを忘れていたことがあるんです……」



    ドーーーーンッ



「わたくし……―――」












    ドーーーーンッ



「………………、……へ?」


 一瞬、鞠絵ちゃんがなにを言ったのだか分からなかった。


「え? え!? えぇ〜〜っ!?」


 いや、花火の音にかき消されそうにはなっていたけど、鞠絵ちゃんがなにを言ったのかはしっかりと聞きとめたんだ。
 ただ、言った言葉の意味がすぐには理解できなかったんだ。
 だって……


「もうすぐ退院できる〜〜っっ!?」


 そんな唐突過ぎる言葉を口にするんだもん……。


「はい。まだ、先の話ですけど……でも、早くて来月には退院できるって……お医者様が……」


 花火の音と被っていたから、聞き間違えたんじゃないかって、鞠絵ちゃんが答えるまでの短い間に何度もくり返し思った。
 でも鞠絵ちゃんは今、間違いなく「退院」の2文字を口にした。
 今度は花火の音とは重ならないでハッキリと鞠絵ちゃんが言うのを聞いたから、もう間違いはない。


「ず、ズルいよっ……! それ知っていてボクに約束させたの!!」


 思わず、そんな抗議の声を上げちゃうボク。
 でもそんなボクに対し、鞠絵ちゃんはちょっと拗ねたような顔を向けて来るんだ。


「衛ちゃん……もしかしてわたくしが一緒に住めないと思って、慰めのつもりで嘘をついたんですか?」
「そ、そんなことないよっ!!」


 それだけはない。
 一緒に住みたいって言うのは本心だったし、何より嬉しくないことなんてどこにも……――


「――あ……じゃあズルくもなんともないのかな……?」
「そうですよ、全然ズルくなんかないですよ。それに、もう約束の証は交わしちゃいましたからね


 ……なんだか騙されたような気がして、ちょっと腑に落ちないなぁ……。


「……でも、そんなことどうでも良いか……。だって、嬉しいことには変わりないんだから……」


 早くてあと一月で、鞠絵ちゃんはこの広い世界を自由に飛び回る翼を手に入れられるんだ。
 たった数日の間だけじゃなくて、これからもずっと、好きなだけ空を飛んでいられる自分の翼を……。


「あ、忘れてた……」


 一緒に住むんだったら、その準備で色々と大変なんだろうってことは、今は頭の隅に置いておこう。
 そんな先の不安よりも、今嬉しいことをただ噛み締めていたかった。


「鞠絵ちゃん……」


 だって、そのことが何よりも嬉しかったから……。


「おめでとう……」




 これはボクたちには知る由もないことなんだけど……同じ時、違う場所で、
 お姫様に振り回されるナイトのお話はひとつのハッピーエンドを迎えていたんだ。

 そしてここに、もう一組の、お姫様に翻弄されるナイトの物語が……今この時から始まろうとしていた……。





あとがき

八幡さんのポイントリクエスト、鞠絵×衛のほのぼので夏祭りを舞台にした話。
リクを受けた時、『ヒナのひみつのハイスクールらぶ』シリーズの「誕生日の夜に」の裏話で作ってもいいかと聞いたところ、
「それで構わない」と仰ってくださったので、そのまま裏話として製作させていただくことにしました(爆

というか、結果的に裏話にしなかった方が作りやすかったかも知れません(爆
製作までに妙に引っかかった上に、プチスランプっぽいものにかかるという有様でしたから(苦笑
まあそれでも、結果的にそれなりに満足のいく形になったので良しとします(笑

で、リクから完成なんとほぼ一年越しで完成という遅筆もの(大汗
……もうそういうのは気にしないことします、気にしてるとキリがありませんから(ぇー
ただ、その間に見たい作品が変わってしまったのではないか、ということが不安です(苦笑


この作品もそうですが、なりゅーのSSって、衛をとことん"オトコノコ"として扱っているような……(汗
うーん、もうちょっと自粛した話しも考えてみた方がいいかもです。
百合にすると、これ以上ないほど使いやすい要素なのでつい使ってしまいがちですが、
百合だからこそ、「オトコノコとして扱わない」作品の方が面白くなりそうです。


『ヒナのひみつのハイスクールらぶ』シリーズは、妹たちのひとつの未来話です。
故に、衛、鞠絵ともども成長後の話となっていますが……鞠絵の未来話って大抵退院後の話の多い中、
雛子が高校生になるまで病気が良くならなかった作品って、ちょっと鞠絵が不憫かもです……。
まあひとつのパラレルだと思って、寛大な目で見てください(苦笑


ところで、作中の鞠絵の「亞里亞ちゃん……今はもう、好きな人といつでも一緒に居られるんですか……」という台詞は、
別に「恋愛で好き」って意味ではないですので、いくら百合だからってっそういう深読みなさらぬように(苦笑
ついでに、言わせて頂くと、衛も最初鞠絵のことを恋愛感情で見ていた訳ではないのです。
……というか、までそういう目で見てないと思います。
この先、このふたりの話に続きがあるのなら、そういう葛藤にさいなまれながらも、
笑いながら"そっちの方向"に落ちていく衛の姿があるでしょう(笑


更新履歴

H16・10/20:完成


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