もうすぐピアノの発表会があります。

  可憐は、そこで今まで一生懸命練習してきた曲を弾くことになりました。


  正直、あんまり自信はないんだけど……

  でも、まだまだ未熟な腕でも、ここまで頑張ってきた成果や素敵なその曲を、

  可憐の好きな人たちに聞いて貰いたい……。


  可憐の想いをその曲に乗せて……


  ……みんなに届けたいです。











 

すきすき☆可憐ちゃん

−前編−













 朝の光が窓から差し込み、小鳥のさえずる声が、まどろみから目覚めようとする可憐の耳に届いてきます。


「おはよっ! 可憐ちゃん」


 そんな中、朝の挨拶を告げる元気な声が、可憐のお部屋の中に響いてきました、窓から


「おはよう、衛ちゃん。勝手に窓から入ってこないでくれるかなぁ」

「えへへっ、ゴメンゴメン」

「"えへへっ"、じゃなくて止めてね。大体まだ5時だし

「あははっ、可憐ちゃんったら、そんな顔も可愛いよ」

「ねぇ、お返事は?」



 可憐にはたくさんの姉妹が居ます、可憐も含めて12人。
 でも、事情があってそれぞれ別の家に離ればなれに暮らしているの……。
 衛ちゃんもそのひとりで、走ることがとっても大好きな、まるで男の子みたいな女の子です。
 だから、衛ちゃんはいつも、可憐を早朝ランニングに誘うために朝早く家にやってきてくれます。

 だからって自分の趣味を人に押し付けるのは良くないっていい加減気がついて欲しいです。

 しかも、いくら走るのが楽しいからって常識で物を見てください。
 朝5時ですよ、5時。

 でも、それでもまだマシな方です……。
 前は朝5時から人の家のチャイム鳴らしながら大声呼びかけてきていたんだけど、
 可憐が、それはご近所迷惑だからって言ったら、止めてくれたことは止めてくれたの。
 そしたら今度は窓から侵入するようになっちゃって……お陰で可憐もこの時間に起きるのが癖になっちゃったみたい。

 パパやママは既にこの習慣に慣れたもので、耳栓をつけて寝ています。
 だからいっつも困るのは可憐だけなの……。
 パパ、ママ。可憐、ふたりのことは大好きだけど、そういう薄情なところは好きになれません。


「バニラも、おはようっ」


 衛ちゃんはバニラを抱え上げて、バニラに向かって朝の挨拶。
 バニラも、それに対して衛ちゃんに挨拶を返します。


    バリッ、ガリッ


 ……もとい、挨拶代わりを返します。
 こんなに朝早くに来て、バニラだってまだ寝ているって言うのに 無理矢理起こされればそりゃ不機嫌になるっていう話です。


「あははっ、バニラちょっと止めてよー」


 いや、あははじゃなくて血が出てますっ! 出てますよーっ!?


「衛ちゃんごめんなさい、バニラが……」

「可憐ちゃんが、ボクのこと心配してくれて……う、嬉しいなぁ


 それもあるけど、お部屋が汚れちゃうから早く血を拭いて。(酷ぇ)


「バニラ、ダメじゃないの!」


 お部屋が汚れちゃうから。(マテ)


「ねぇ、可憐ちゃん、一緒に走ろうよ! 今日は日曜日だからさ、このまま夜までずっと走ろっ!」


 衛ちゃんは、目的の早朝ランニングのお誘いを切り出してきました。
 夜までだなんて……本当に走るのが大好きなんだね……。

 でも衛ちゃんの場合、比喩じゃなくて本気で夜まで走るから洒落になりません。
 この間迂闊にうん、って返しちゃった時、本当にノンストップで夜まで走らされて、すっごく大変でした。
 可憐、途中でへとへとになって倒れちゃったっていうのに、
 衛ちゃんったらそんなことに気にもとめずに、可憐を引き摺ってでも走らそうとするんだもん!
 もう体中全ての筋肉が悲鳴を上げているって言うのに、「まだまだ大丈夫だよ」って……素で気がついていないから余計性質悪いし……。


「ごめんなさい、今日は可憐、やることがあるからお付き合いできないの」

「そっか……残念だなぁ……」


 顔は笑ったまま、でも残念そうにそう言いました。
 衛ちゃんの頭の中には「朝だけって」選択肢は存在しないのかな?
 それとも、思いつけないくらい頭の回転鈍いのかしら?(酷ぇ)
 でも衛ちゃんの頭の回転が鈍いお陰で可憐は助かっているから、絶対に教えてあげません。
 だってそのままずるずると24時間マラソンさせられそうになるし、本気で
 だからいつまでも気づかないままで居てね


「じゃあさ、今度なら……付き合って…くれる……?」

「はい、ランニングになら付き合ってあげていいですよ」


 なんだかニュアンスが変わってる気がするから「ランニングに」ってことを強調して言いました。
 でもこれって、可憐の考え過ぎかな……?


「…………ちぃッ、ランニングだけかよ……」

「はい? 衛ちゃんなにか言いましたか?」

「え? あ、ううん、別になんでもないよ。あははっ」


 衛ちゃんは、碁盤の升目のようにバニラに切り刻まれた顔を向けて、笑いを返してくれました。
 でも、なんだか心の底から笑っているような印象を受けないのは気のせいかな……?


「あ、そうだ。折角ですから……はい、衛ちゃん」


 あるものを取り出して、衛ちゃんに差し出しました。


「え、これって……?」

「可憐が演奏するピアノの発表会のチケットです。
 今度発表会があるから、今日はみんなにこのチケットを渡しに行くつもりなの」


 今度、可憐はピアノの発表会で演奏することになりました。
 そして、その発表会に来るにはこのチケットが必要です。
 可憐、みんなに可憐の演奏を聞いて欲しいから、今日はみんなにそのチケットを渡しにいくつもりなんです。
 それがさっき衛ちゃんに言った今日のご用事です。
 今日のは嘘じゃありませんよ、いつもは嘘も方便だけど。(ぇ)


「へぇー、そうなんだ……楽しみだなぁ……」

「うふふっ、衛ちゃんが一番乗りさんですよ」

「えぇっ!? ぼ、ボクが一番なの!?」

「はい、そうですよ」


 すると、急に衛ちゃんは真っ赤になって俯きながら、なにかをぶつぶつ呟き始めたの。
 一体どうしたんだろうって思って、心配して衛ちゃんを見ていたら、突然……、


可憐ちゃんの一番バンザーーーイっっ!!


 なんて大声で叫びながら、窓から飛び降りて……って飛び降りたー!?!?


「ま、衛ちゃん!? 大丈夫で、す…か……って、あ、あれ?」


 可憐が窓から顔を出した時には、衛ちゃんはもう太陽の方向に向かっていたって普通に走ってました。
 っていうか衛ちゃん2階から飛び降りて平気なの?
 遠くから、もう視界から消えた衛ちゃんの「ボクが可憐ちゃんの一番の人だー!」とかなんとか叫ぶ声が聞こえてきます。
 ……衛ちゃん、今が早朝5時ってこと覚えてる?
 朝早くからうるさくしたら迷惑だよ……早朝じゃなくても迷惑だけど……。
























「そろそろ動いた方がいいかな……?」


 時計を見てみると、時間は朝10時を少し回ったところです。


「チェキチェキチェキ……」


 庭にはいつも通り、いつからか居た四葉ちゃんが潜んでいます。

 今日はお出かけするからって身だしなみを整えるのもちょっと念入りにしたり、お掃除やお片づけなんかして時間を潰していたの。
 衛ちゃんじゃないんだから、さすがに朝早くから会いに行くのは常識外でしょうということで。
 10時からでもまだ早い気もするけど、これから11人分の家を回らなきゃいけないから、
 動くんだったらなるべく早い方がいいって思って。
 あ、衛ちゃんにはもう渡しているから、あと10人か……。


「あ……鞠絵ちゃん、どうしよう……?」


 鞠絵ちゃんは街から離れた療養所に入院しています。
 だから、渡すのはやっぱりまた今度になっちゃうのかな……?


「って、そういえば、今日こっちに来るんだったっけ……」


 この間鈴凛ちゃんとお話した時、鞠絵ちゃんが外出許可を頂けたから近々こっちに遊びに来るっていうお話を聞きました。
 それは確か今日だって言っていたはず。
 だから鈴凛ちゃん、鞠絵ちゃんを得意のメカで歓迎するために、最近は研究に張り切って取り掛かっていました。


「もしかしたら会えるかもしれないし……一応鞠絵ちゃんの分も持って行って、渡せるようだったら渡そう」


 会えなかったらその時はまた今度、お見舞いのついでに渡せばいいよね。
 まだ発表会まで時間はあるんだし。


「あ、そうだ。みんなのご予定確認しておいた方がいいかな……?」


 鞠絵ちゃんについては決まったけど、他のみんなについてはまだはっきり決めていませんでした。
 今日は前もって行くって言ってた訳じゃないから、タイミング悪く予定が重なって会えないかもしれないもの。
 春歌ちゃんや亞里亞ちゃんはお稽古や習い事をいっぱい習っているから、もしかしたら今日はそれでご予定が埋まっているかもしれない。
 咲耶ちゃんだって、お友達と遊びに行ったりお買い物に行ったりするかもしれないし……。
 そう考えると、他のみんなも何か予定があって家に居ないかもしれない。
 そう思って、可憐はみんなのご予定を確認することにしました。


「じゃあまずは……亞里亞ちゃんにお電話かけようかな……?」


 亞里亞ちゃんは可憐よりも小さいのに、いっぱいお稽古事をこなしています。
 だから、もしかしたらお屋敷に行っても会えないかもしれないから、先に確認しておいた方がいいって思ったの。

 おんなじ習い事をたくさんこなしている春歌ちゃんは、その日のうちのお稽古は一回だけって感じがするけど、
 亞里亞ちゃんはお勉強やお稽古の先生の方がわざわざお屋敷にまでやって来てくれるって感じがするから、
 埋まる時はそれこそ一日中埋まってるんじゃないかなって思ったの。
 だから、もしかしたら春歌ちゃんより忙しいかもしれない……。
 可憐の方がお姉ちゃんだけど、亞里亞ちゃんのそういうところ、ちょっと尊敬しちゃうかな……。

 電話のボタンを押して、亞里亞ちゃんのお屋敷の番号を入力しました。


『はい、もしもし』


 プルルルル、なんておなじみの音が数回受話器から聞こえてきた後、
 亞里亞ちゃんお付のメイドさん、じいやさんの声が聞こえてきました。


「もしもし、じいやさんですか? 可憐です」

『あ、これはこれは可憐さま。おはようございます』


 じいやさんは、丁寧に可憐に挨拶をしてくれました。
 可憐もおはようございますって挨拶を返したの。


『それで、いったいどのようなご用件で……?』

「はい、実は……」


 可憐はピアノの発表会のこととチケットのことをじいやさんに説明しました。


『そういう用件でしたか。いえ、本日は亞里亞さまに習い事はございませんので、安心してくださいませ』

「あ、そうだったんですか」

『ええ。今は遊びに来ている雛子さまと美味しそうにケーキを食べていたところですよ。
 あ、宜しければ亞里亞さまにお変わりしましょうか? そうしてくだされば亞里亞さまも喜びます』

「そうですね……。じゃあ、変わってくれますか?」

『はい。では、お呼びしてきますね』

「ええ、お願いします」


 可憐がそう返すと、じいやさんは「かしこまりました」なんて丁寧に返してくれました。
 さすがはメイドさん、言葉遣いや礼儀作法がしっかりしています。
 可憐も、いつかはそんな素敵なレディーになれたらいいな……なんて、ついつい憧れちゃいます。

 受話器を耳に当てたまま、亞里亞ちゃんに変わるのをじっと待っていると、
 受話器の向こう側から、「亞里亞さま、可憐さまからのお電話ですよ」なんていうじいやさんの呼び声が小さく聞こえてきました。
 続いて、亞里亞ちゃんと雛子ちゃんがふたり揃って「可憐ちゃんが!?」なんて驚いた声まで。


『はい、なんでも今度可憐さまのピアノの発表会がありまして……』


 じいやさんが、ふたりに説明している声が受話器越しに聞こえてきます。
 その後に、亞里亞ちゃんや雛子ちゃんがなんだか嬉しそうにはしゃぐ声。
 亞里亞ちゃんと雛子ちゃん、それからじいやさん会話。
 受話器から聞こえてくる小さな音は、向こう側で起こっている出来事を音だけで可憐に教えてくれました。
 それを頼りに、頭の中でどんな風になっているかをイメージすると、なんだかとても楽しい気持ちになってきます。
 だから可憐、もっとそれを聞いてみたいなって思って、ちょっと耳を澄ませてみることにしたの。


『ほんとうに……可憐ちゃん来てくれるの?』

『ええ、こちらに訪ねて来てくれるということでご連絡をしていただきまして、そのことで亞里亞さまにお電話を変わってくださるそうです』

『うわぁ〜い! 可憐ちゃんも来てくれるんだ〜!』

『可憐ちゃん来てくれるの〜』


 うふふ……ふたりとも、可憐が行くってだけでそんなにはしゃいでくれて、なんだか可憐の方が嬉しくなっちゃうな。


『雛子ちゃん』

『なに、亞里亞ちゃん?』

帰ってください


 ……うん?


『ええ〜!? なんでぇ〜!? 折角遊びに来たのに〜!』

うるせえ、邪魔なの♪


 …………。


『うわぁっ、天使のような笑顔で悪魔のようなこと言ってる!』

『亞里亞……可憐ちゃんとふたりっきりで遊びたいの』

『ヒナだって可憐ちゃんと遊びたいもーん』

『じいや』


    『パンッ、パンッ


『かしこまりました、亞里亞さま』


    『がらがらがら……』


『うっわぁ〜、チョコにアメ玉に、なんだかよく分からないけど高そうなお菓子の山だ〜』

『雛子さま、どうか今日のところはこれで帰ってください』

『もー……はむっ……ふょうははいは〜、あいあひゃんは〜〔しょうがないなー、亞里亞ちゃんは〜〕』


 ……………………。


「か…可憐はなにも聞いてません! なにも聞こえてませんっ!!」


 これはきっと、亞里亞ちゃんのお家の事情にこっそり聞き耳を立てちゃった可憐に、
 神様が「それはいけないことだぞ」って、こんな空耳を聞かせて注意してくれたんだね。
 っていうか絶対そうだよ! うん!(←現実逃避)












 それからしばらくして、亞里亞ちゃんがお電話に出てくれました。
 亞里亞ちゃんに発表会のことと、これからチケットを渡しにお屋敷に行くって説明した後、ほんの少しだけお話も楽しみました。


「じゃあ後でね」

『ばいばいなの〜……』


 そうして、可憐たちはお互い受話器を電話に戻しました。


「じゃあ、次は……」


 …………。


「わ、渡しに行くだけだし、やっぱり特に連絡はいらないよね……!」


 家に直接行って居なくても、代わりに家の人にチケットを渡せば良いんだから。
 空耳だけど、亞里亞ちゃんのところみたいにトラブルがあったら困るからね、空耳だけど!(←再び現実逃避)

 電話での連絡はいらないってことに気づいた可憐は、早速外に出る準備に取り掛かることにしました。
 準備っていっても、顔を洗ったり身だしなみを整えたりするのはもう終わらせているから、
 チケットやお財布、他にもハンカチとかティッシュみたいな物をちょっとしたカバンに入れるだけ。
 用件はチケットを渡すだけだから、このくらいでも十分です。


「いってきます」


 準備を終えると、可憐はすぐに家を出ました。
 外に出てすぐ、何気なく空を見上げてみると、そこには一面の青が広がっていました。


「わぁ……素敵……」


 木の枝の上で小鳥さんたちの可愛らしいお歌がBGMとして耳に響いてきます。
 いつも見ているはずの何気ない景色。
 だけど、そんな何気ない風景を、可憐はついつい見入ってしまいました……。




「あー! あそこに見えるのは姫の大好きな可憐ちゃんの姿ですのー♥♥
 可憐ちゃんに姫のできたてスペシャルお菓子を届けにきたら偶然可憐ちゃんが出迎えてくるなんて、
 姫はなんてツイているんですの♥♥ ムフンっ、可憐ちゃ―――」

「チェキ!!」


    グキッ


はうぁっ!?


    バタンッ




「……え?」


 なにかの悲鳴のような声と倒れるような物音が聞こえてきたので、その方向に目を向けてみたけど……
 でも、そこには特に何もありませんでした。


「おかしいなぁ……今、確かに白雪ちゃんの声が聞こえたと思ったんだけど……」


 ……また空耳かな?

 そういえば、あっちの方向からは四葉ちゃんが隠れてチェキしてきてるから、
 四葉ちゃんが白雪ちゃんのモノマネの練習でもしていたりして。


「まあ、いいか」


 そう一言つぶやいてから、可憐は亞里亞ちゃんのお家に足を向けました。












「ふー」


    ぴくっ……ぴくっ……


「悪く思わないでクダサイ白雪ちゃん……これも四葉の輝かしい未来のため。迷わずジョウブツしてクダサイ……」
























 可憐はまず、亞里亞ちゃんのお家に向かうことにしました。
 折角連絡入れたんだし、だったらすぐに行ってあげた方がいいかなって思って。


「ふんふふふ♪ ふふんふふ〜ん♪」


 青い空の下、可憐は鼻歌交じりに亞里亞ちゃんのお屋敷に向かって歩いています。


「チェキチェキチェキ……」


 四葉ちゃんも後ろからしっかりとついて来ています。
 探偵失格なバレバレの尾行だけど、見つかったら見つかったでガッカリしちゃうから、今は黙っておいてあげてるの。
 四葉ちゃんにはあとで声をかけてあげて、チケット渡してあげなきゃね……。


「あら、可憐ちゃんじゃないですか」

「え?」


 不意に、わき道の方から可憐の名前を呼ぶ声が聞こえてきました。
 声のした方向に目を向けると、そこにはミカエルを連れた鞠絵ちゃんの姿が。


「あ、鞠絵ちゃん」

「こんなところで会えるなんて、偶然ですね」


 本当に偶然……。
 今日こっちに来るっていうのは知っていたけど、
 まさか一番会えないって思っていた鞠絵ちゃんに一番最初に会えちゃうなんて、可憐ちょっとビックリです。
 まあ、厳密には衛ちゃんが一番だけど、衛ちゃんの場合は例外です。

 可憐と鞠絵ちゃんは、一言ずつ「おはよう」なんて挨拶を交わしました。
 それに合わせるようにミカエルもわん、って元気に可憐に挨拶をしてくたの。


「鞠絵ちゃんは、この後鈴凛ちゃんと会うんですよね?」

「はい。公園で、鈴凛ちゃんと待ち合わせをしています。
 約束の時間には結構早いんですけど、鈴凛ちゃんとの待ち合わせの前に公園に着いて、
 その分ミカエルを思いっきり走り回してあげようと思って……」


 たまには違う場所で走り回りたいよね、なんてミカエルに語りかける鞠絵ちゃん。
 ミカエルはまたわんって1回だけ吠えて答えてたの。


「そういう可憐ちゃんはどこに……?」

「亞里亞ちゃんのお家に、チケットを渡しに行くところですよ」

「チケット?」

「はい、ピアノの発表会のチケット。だから、今鞠絵ちゃんに出会えて丁度良かったです」


 可憐は、そのまま鞠絵ちゃんに発表会やそのチケットのことを簡単に説明しました。


「発表会ですか……なんだかちょっと楽しみですね」

「鞠絵ちゃん……来れそうですか?」

「大丈夫ですよ。最近は、お医者様もわたくしの体調が元気になってきたって言ってくれていますから」

「本当ですか!? うわぁ……鞠絵ちゃん、おめでとうございます!」


 鞠絵ちゃん、もうすぐこの街に住むようになって、いつでも会えるようになるのかな?
 そうなってくれたら良いなぁ……。


「……これも恋のせいかしら?」

「え?」

「うふふ……なんでもないですよ」


 鞠絵ちゃんは小説なんかをいっぱい読んでいて、可憐なんかよりもずーっと頭が良いから、
 たまに可憐にはよく分からないことを言います……。


「じゃあ、今の内にそのチケットをお渡ししますね。……あ、だったら鈴凛ちゃんの分もお願いしちゃおうかな?」

「ええ、わたくしは構いませんよ」

「そうですか? じゃあ、お願いしますね」


 カバンからチケットを2枚取り出して鞠絵ちゃんに差し出すと、
 鞠絵ちゃんは「発表会、楽しみにしていますね」なんて言いながら、チケットを受け取りました。

 それから、可憐たちは途中まで一緒に行くことにしました。
 なんでも、鞠絵ちゃんの向かう公園は亞里亞ちゃんの家までの通り道にあるって話です。
 鞠絵ちゃんとは普段会えないんだし、折角ならって。


「本……ですか?」


 鞠絵ちゃんと楽しくお喋りしながら歩いていると、本の話題になりました。


「ええ。鞠絵ちゃん、ご本が好きですから、最近はどんなものが面白かったのかなって……」

「そうですね……。最近は……というより、最近もですけど……恋愛もののお話なんかが面白かったですね」

「恋愛小説ですか?」

「ええ。例えば……」


 すると、鞠絵ちゃんはそこから本の内容について元気良く話し始めました。
 そのお話を知らない可憐にも分かりやすく、少しだけ身振り手振りも加えて、鞠絵ちゃん自身も本当に楽しそうに聞かせてくれます。
 その話を聞いているだけで、可憐までまるでその本の登場人物になったような気分になれるくらい上手に話してくれます。
 でも、鞠絵ちゃんの話は確かに面白かったけど、可憐はそのお話の内容よりも、
 可憐に話を聞かせて楽しそうな鞠絵ちゃんの方が楽しいなって思ったの……。
 話している時の鞠絵ちゃんはすっごく生き生きとしてて、まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供みたい。


「そこで主人公の男の子は言うんです、『貴女の姿を一目見た時から、私の心は貴女に奪われてしまった』って」

「わぁ……素敵な展開ですね」


 鞠絵ちゃんは、普段は大人しくて、自分から話すよりは人の話を聞いてくれるタイプっていう感じがするから、
 だから自分からこんなにたくさんの話を、しかも身振り手振りまで加えて話す姿なんてちょっと意外だったかな……もちろんいい意味で。
 鞠絵ちゃん、本当にご本が好きなんだな……。


「それから……こんな風に……」

「―――え?」


 鞠絵ちゃんは突然可憐の腰に手を回して、可憐の体をぐいっと引き寄せて、ジッと可憐の目を見据えながら……


「『これが、その証です……』」


 そう言って、目を瞑って、ゆっくりと可憐に顔を近づけてき、て……って―――


「え? え? え?」


 場面は想いを告げるの場面。
 そして愛の証を見せるシーン。
 そして、鞠絵ちゃんはそれを再現しようとしていて……

 ままま鞠絵ちゃん!? これって……これってぇ……っ!!?


「だだ、ダメ! ダメです! ダメですよ鞠絵ちゃん!!」


 そんな可憐の言葉なんてまるで耳に入らないように、鞠絵ちゃんは顔を近づけるのを止めてはくれません。
 だから可憐、とうとう頭の中が真っ白になっちゃって……もう何にも言えなくなっちゃって、何にもできなくなっちゃって……
 思わず、可憐までギュッて思いっきり目を瞑っちゃいました……。


 そして、そのまま……―――






「や、止めてクダ――止めんかこの病弱メガネーーーッッ!!――ってチェキーーー!?!?


 そんな声が突然後ろから聞こえてきたから、可憐はそこでハッとして瞑っていた目を開けたの。
 その時には、もう鞠絵ちゃんは可憐に回していた腕をほどいていて、流れるように後ろに下がって可憐から距離を取っていました。


ちぇーーーーーきーーーーー!?!??


 そして、それを確認した途端、可憐の目の前―――多分、さっきまで鞠絵ちゃんの頭があった空間を、
 四葉ちゃんらしき物体が高速で横切っていきました。
 四葉ちゃんらしき物体が飛んでいった方向からは、どんがらがっしゃ〜んなんて色んなものが転がってぶつかる大きな音や、
 「チェキー」なんて悲鳴ともうめき声ともつかない、本来の使用目的から外れた言葉が聞こえてきます。


「なに考えてるのよ鞠絵ちゃん! 同じ女の子相手にそんなことするなんて不純よ! 見損なったわっ!!」


 そしてその反対方向からは、聞き覚えのある声でそんな言葉が飛んできました。
 目を向けると、そこには威風堂々と立ち尽くす咲耶ちゃんの姿が。


「可憐ちゃんの唇は私のものよっ!!」

「……咲耶ちゃん、なんか言ってること矛盾してません?」


 咲耶ちゃんの言葉に、鞠絵ちゃんがそう冷静に返してました。
 可憐はそんな鞠絵ちゃんとは反対に、咲耶ちゃんの突然の登場だけでもう驚いて慌てちゃって、何にもできなくなっていました。
 咲耶ちゃんの登場があまりにもいきなりだったので、可憐は思わず、


「咲耶ちゃん、どうしてここに……?」

「さっき、衛ちゃんが『ボクが可憐ちゃんの一番だー』なんて大声で叫びながら家の前を通っていったから、
 心配になってここまで可憐ちゃんを追っかけて来たのよ」


 って言うか衛ちゃん、"さっき"ってことは朝5時から今まで5時間以上も叫んでたんですか!?


「でもそれだけだと場所は……」

「場所は勘よ! 女の勘!! もしくはラブの力よ! ラブの秘密よ!!」


 いや、理由になってませんし、一番最後のはなんか咲耶ちゃんのとは違うし。


「そんなことよりそこのメガネーッ!」


 大声を上げて、びしっと人差し指を突き出す。
 その指が示す先には、メガネをかけた人物―――


「わうっ」


 ……じゃなくて、大型犬が。


「いや、ごめん。アンタじゃなくて……」

「わう……?」


 鞠絵ちゃんは、いつの間にか自分のかけていたメガネをミカエルにかけ、既に場所を移していました。
 咲耶ちゃんはミカエル(メガネ)の両肩に手を置いて、困ったように謝っていました。
 そして気を取り直し、今度はこんな言葉と共に鞠絵ちゃんの方向を指差しました。


「そこの三つ編みーッ!! って言われてからほどこうとするな!!」

「……はーい」


 咲耶ちゃんに三つ編みをほどこうとするところを止められて、
 ちょっと拗ねたように、しぶしぶ間延びした返事を返しました。


「体が弱いとか、普段ひとりきりで寂しいからとか、そういう不幸な境遇には同情するけど、
 だからってそんな……可憐ちゃんに、き、き、き、キスだなんて……例えお天等が許してもこの私が許さないわっ!!」


 キスのくだりの部分が、多少小声になりながらも、最後の方は大きく力強い声で豪語する咲耶ちゃん。


「さっきのは冗談ですよ。最初からするつもりなんてないですから」


 なんて、興奮気味の咲耶ちゃんにサラッと返す鞠絵ちゃん。


「だって……二股は、良くないですからね……」

「「……へ?」」

「なんでもありませんよ」


 ……鞠絵ちゃんは、可憐なんかよりもずっと頭が良いから、たまに可憐にはよく分からないことを言います。


「で、でもねぇ! 例えフリでも、可憐ちゃんとキスしようとするなんてなんて、
 そんな羨まし……じゃなくて、不埒なマネ控えなさいよ! ああ羨ましい!!


 咲耶ちゃん、それじゃあわざわざ言い直した意味がありませんよ……。


「それよりも可憐ちゃん、咲耶ちゃんに渡さなくて良いんですか?」

「うぉい、聞けやっ!?」


 鞠絵ちゃんは、興奮気味の咲耶ちゃんを軽く無視して、突然可憐に話を振ってきたの。
 急に話を振られたから、可憐、鞠絵ちゃんが何のことを言っているのか最初は分かりませんでした。
 思わず「え?」なんて気の抜けた返事を返しちゃいましたけど、
 そのうち、鞠絵ちゃんの言う「渡す」の主語がチケットのことに気がついたの。
 ダメだなぁ……それが目的だったはずなのに、いきなりにことばかりでついつい忘れちゃうなんて……。


「はい、咲耶ちゃん」


 なんだか収拾がつかなくなってきたから、話を切り替える意味も込めて咲耶ちゃんにチケットを差し出したの。


「なにこれ? チケット?」


 咲耶ちゃんは、可憐からチケットを受け取って、そのままチケットをまじまじと眺めてから一言。


「いやん 可憐ちゃんったら、こんなところでデートのお誘い?」

「なにを勘違いしてるんですか!?」


 咲耶ちゃんはチケットってことで、なんだかデートのお誘いと勘違いしちゃっていました……。


「……違うの?」

「違います! これはピアノの発表会のチケットで、今度可憐がそこで演奏することになったんです」

「か、可憐ちゃんが……この私のためにわざわざ!!」

「ま、まあ、みんなに聞いて欲しいですから……こうやってみんなにチケットを渡しに―――」

「可憐ちゃんが、私だけのために開いてくれる演奏会ッ!?」

「あ、いえ、みんなもご招待しますし、他にも同じピアノ教室の子とかも弾きますし……」

「『世界でたったひとり、誰よりも愛するただひとりの人のためだけに、この曲をプレゼントします』!!」

「あ、あの……普通の発表会ですから、そんな前口上はしないんですけど……」

『誰ーよーり・もー♪ 貴女〔咲耶ちゃん〕のことー♪ 愛・し・て・るー♪』

「弾き語りなんてしませんよー……そもそもそんな曲はありませんよー……」

「そんなっ 私のためにわざわざオリジナルの曲を用意してくれたなんてっ

「オリジナルの用意したのは咲耶ちゃんの方ですよー……」


 咲耶ちゃんは、全然可憐の話を聞いてくれません……。
 しかも、なんだか白雪ちゃんや春歌ちゃんみたいに自分の世界に旅立っちゃいました。
 こうなったら、もう可憐には手がつけれられません……。


「可憐ちゃん……収拾がつかなくなってますから、先に行ってくれますか?」

「う、うん……。チケットはもう渡したし……そうさせてもらおうかな……」


 可憐はそのまま鞠絵ちゃんのお言葉に甘えることにしました。


「じゃあ暴走咲耶ちゃんのことはお任せしますね」


 そう言ってから、春歌ちゃん張りにくねくねポポポッする咲耶ちゃんを鞠絵ちゃんに託してその場を後にしました、早足で。
 ちょっとだけ気になったから、ちらっと後ろに振り向いてみると、



 「えいっ!」


     ビシッ


 「はうっ!?


     バタンッ


 鞠絵ちゃんが咲耶ちゃんの首の後ろに手刀を叩き込んで、
 咲耶ちゃん気絶させたような映像が目に入ったような気がしたけど……き、気のせいだよね……?
























 それからしばらく、可憐はひとりで亞里亞ちゃんの家までの道を歩いていました。
 まだ亞里亞ちゃんの家までは半分ってところかな?
 今まで話しながら歩いていたから、急にひとりになるとちょっと寂しいな……。
 鞠絵ちゃんには普段会えないから、こういうときは思いっきりお話したかったです。
 なんて、可憐が肩を落として残念がっていると、


「わー、可憐ちゃんだー」


 両手いっぱいにチョコやキャンディーといったお菓子の山を抱えた雛子ちゃんが、前からひょこひょこと歩いてきたの。


「あ、雛子ちゃん」

「うっわ〜い! 可憐ちゃんだ可憐ちゃんだー」


 雛子ちゃんは相変わらず元気そうで、見ているだけでなんだかこっちまで元気になっちゃいそう。


「クシシッ……亞里亞ちゃんに買収されて締め出し喰らっちゃったけど、
 ヒナの方が亞里亞ちゃんより先に可憐ちゃんに会えるなんて、ヒナ、ツイてるね


 うん、なんだか物騒な言葉が聞こえてきたけど、
 きっと神様がさっきのことに対するちょっとしたお仕置きの空耳の続きだね。(←とことん現実逃避)


「亞里亞ちゃんったら本当に愚鈍滑稽矮小餓鬼畜生だね♪」

「うふふっ、雛子ちゃんってまだ小さいのにそんな難しい言葉しっていて賢いんだね。
 可憐、おばかさんだから全ッ然意味わかんないや」(←すこぶる現実逃避)

「でもゴメンね。ヒナ、亞里亞ちゃんの持つ経済力の、どす黒い賄賂に屈しちゃったから、今日はもう亞里亞ちゃんの家の敷居をまたげないの。
 ヒナはこの後、この取引した温もりのないブツの山に囲まれて、ひとり寂しく隠居しなくちゃ

「雛子ちゃんって本当に賢いんだね。だからもう聞きたくない単語を並べるのは止めてね


 ……神様、可憐はそんなに悪いことしましたか?
 そんなに空耳で困らせたいんですか……。(←それでも現実逃避)
 可憐おばかさんだから意味は良く分かりませんけど……。(←頑張って現実逃避)


「でも、ここで会えたのは丁度良かったかな」

「ふぇ?」


 可憐の言葉に首をかしげる雛子ちゃん。
 可憐は、カバンからチケットを一枚取り出して、雛子ちゃんに手渡しました。


「雛子ちゃん。はい」

「なあに、これ? ピアノの……えーっとぉ……」


 雛子ちゃんは、チケットに書かれている文字を読もうとしていたけど、まだ雛子ちゃんには「発表会」って漢字は難しかったのかな?
 そうだよね、まだちっちゃいもんね。
 愚鈍とか滑稽とか矮小とか餓鬼畜生とか経済力とか賄賂とか、そんな言葉も分からないほどちっちゃいもんね。(←自己暗示)


「あのね、これは発表会のチケットで……
 要するに、可憐がそこでピアノの演奏するから、そこに雛子ちゃんをご招待してあげるためのものなの」

「ほんと!」

「うん、本当だよ」

「うっわ〜〜い ヒナ、ご招待されちゃった


 両手を挙げながら飛んだりはねたりして、体全体で喜びを表現する雛子ちゃん。

 うふふ……こんなに喜んじゃって、やっぱり、まだ子供なんだね……。
 雛子ちゃんったら可愛いな……。


「やっぱりヒナが可憐ちゃんの一番なんだ〜
 やっぱりぃ、可憐ちゃんに必要なのは無駄に歳喰って老い朽ちることなんかじゃなくて、若さだってことだよね


    ―――ピシッ(←可憐の心の何かがひび割れた音)


「可憐ちゃんに真に寵愛〔ちょうあい〕されているのはヒナだけだっていうのに、
 みんなの、その陳腐な脳細胞じゃまだ理解〔わか〕らないだなんて、つくづく愚劣〔ぐれつ〕だよね
 ヒナと可憐ちゃんの間に闖入〔ちんにゅう〕しようだなんてこと、いい加減叶わぬ妄想だって悟ってもいいのに、
 未だにそんな妄執〔もうしつ〕めいた瑣末〔さまつ〕な非望〔ひぼう〕に惨めに縋〔すが〕っちゃって嘲笑〔わら〕っちゃうよっ


 ……あ…あはっ…、あははっ……まだ空耳聞こえるや。(←運命に抗うように現実逃避)
 もうふりがな振らなきゃ読めないような漢字の羅列ばっか聞こえて……可憐とうとう危ないかも(←本当に危険)


「ねぇ、可憐ちゃんもそう思―――」












 ………その後のことは良く覚えていません。


















「やあ、可憐くんじゃないか…………」


 気がついたら目の前に千影ちゃんがいました。


「はっ! ……あ、え? あれ?」

「どうかしたのかい……?」

「い、いえ、なんでも……」


 可憐、なんだか悪い夢を見ていたみたい……雛子ちゃんに出会ったとこまでは覚えてるんだけど……。
 最近練習に根詰めていたから、きっと疲れが溜まってたんだね。
 毎日きちんと8時間近く寝ていたけど、疲れてたんだね!(←必死)


「それにしても…………こんなところで会うなんて運命だね……」

「いきなり偶然通り越して運命ですか?!」


 千影ちゃんは いつも突拍子もないことを可憐に言ってきます。


「その通り…………君と私は、絶対的な運命の導きで…………今ここに巡り合っているんだ。
 この幾千、幾万にも広がる、星々の巡り合わせの中…………同じ地球〔ほし〕、同じこの時代〔とき〕に存在〔い〕ることは、
 もはや偶然という言葉では、あまりにも粗末過ぎる表現さ…………。
 そう…………それは神が私たちに与えた必然…………運命という名の道標を……―――」


 そして、いつも難しいことを長々と説明してくるので、可憐はいつも半分聞き流しています。
 でも、さっきの空耳に比べたらなんて可愛いのかしら、うふふっ(←後遺症)


「そう、私たちは巡り合うことを運命付けられ…………今ここに存在してるのさ…………」

「あ、終わりましたか?」

「いや…………まだだよ…………」

「そうですか、じゃあ続けててください」

「あ、ああ…………」


 可憐の言葉で、千影ちゃんの普段は滅多に変わることのない表情は
 なんだか少し寂しそうな表情に変わっている気がまあ気のせいだね。(酷)


「私は…………君という掛け替えのない存在に巡り合った運命を……――グハぁッ!?

「千影ちゃん!?」


 なにか大きなもの……丁度ミカエルくらいの大きさの何かが、千影ちゃんの体を突き飛ばしました。
 千影ちゃんの体は、突然の衝撃にまるでゴムまりのようにゴロンゴロンと砂埃を上げながら豪快に転がって、


    ガンッ


ヘブッ!?

「千影ちゃんっ!?」


 壁に激突。


    ぴくっ……ぴくっ……


 千影ちゃんはまな板の上の魚みたく、ぴくぴくと痙攣してその場に横たわってしまいました。


「あ〜ん、花穂ドジだからうっかりコケて、その拍子に千影ちゃんを突き飛ばしちゃった〜」

「か、花穂ちゃんだったの!?」


 千影ちゃんを突き飛ばした「何か」の正体は、なんと花穂ちゃんでした。


「花穂ちゃん……な、なんで?」

「あ、あのね……花穂ね、これからチアの練習に行くところだったの……
 そしたらね、可憐ちゃんが千影ちゃんと話し込んでいるのを見かけたから、
 思わず引き離そうと……じゃなくて、声をかけようと思って近づいたら……」

「千影ちゃんが御臨終しちゃった」(←まだ生きてます)

「うん……。えへへっ……花穂ってほんとにドジだなぁ


 花穂ちゃん、そこは照れるところじゃないよ。
 人一人の命がかかってるんだよ。(←だから生きてます)


「そんなことより、可憐ちゃんはどうしてこんなところに?」

「"そんなこと"って……」


 千影ちゃん……千影ちゃんの命の価値はとても軽く見られていますよ……。


「うん、実はね……」


 可憐は、発表会のことについて、花穂ちゃんに簡単に説明しました。


「へー、可憐ちゃんが発表会で演奏かぁ……楽しみだなぁ〜

「ああ、本当に楽しみだね…………」


 花穂ちゃんは、本当に楽しみって感じにそう言ってくれました。
 っていうか千影ちゃんがいつの間にか復活しています。


「それでね、これがそのチケットなの。はい、花穂ちゃん、千影ちゃん」


 まあ生きているならそれでいいと、そのままふたりにチケットを差し出しました


「じゃあ…………ありがたく頂くよ…………」

「ありがとう、可憐ちゃ……きゃっ!?」

「あっ! 花穂ちゃん!?」


 ところが、花穂ちゃんはチケットを受け取ろうと可憐に近づいた途端、バランスを崩しちゃったの。


「あ〜ん、こんなところにキウイの皮が〜」

「何でキウイ!?」


 ついついツッコミを入れてしまいました……。
 お陰で反応が送れちゃって、


「「きゃあっ!?」」


 可憐まで花穂ちゃんに巻き込まれる形になって、一緒に地面に倒れてしまいました。
 辺りにどすんと大きな音が響きました。
 ……か、可憐はそんなに太っていませんよ……! ふ、ふたり分の体重だから、そうなっただけですっ……!


「ふたりとも…………大丈夫かい?」


 千影ちゃんが心配そうに可憐たちに声をかけてくれました。


「痛っ…たぁ……」


 それでも痛いものは痛いです……。
 可憐は横になって倒れたので右半身を強打しました。
 左半身には何かが乗っかっている圧力が感じられます。
 ああ、押し倒される形で倒れたから、それはきっと花穂ちゃんだね……。


「花穂ちゃん……可憐このままじゃ動けないから、早く降りて……え?」

「…………え゛?」


 今の濁った声は千影ちゃんのものです。
 千影ちゃんの顔を見てみると、ものすごく驚いたような顔をこっちに向けて、
 まるで、驚いてそれ以上は声も出せないといった感じでした。
 でも、可憐も同じくらいビックリしていました……いえ、濁った声を出すほどじゃないですけど……。
 だって……だって……


「ひゃ、ひゃあっ!? ご、ごめんなさ〜〜い」


 急いで体を起こして、花穂ちゃんは可憐から距離を取ります。


「ご、ゴメンね……可憐ちゃん」


 だって……転んだ拍子に、花穂ちゃんの口が……


「えへへ……花穂、ドジだからうっかり可憐ちゃんにキスしちゃった


 可憐の、ほっぺたに……


ムッキャーーーーッッッ!!!


 千影ちゃんは千影ちゃんで千影ちゃんらしからぬ言動で妙な奇声を発してきます。
 なんだか目も怪しく光っていて……ホラーもの映画とかだったら、口から白い息を吐きながら凶器振り回して今にも迫って来そうです。


「こ、これは……事故だよね?!」

「う、うん……事故! 事故だね!」

「うん、事故だからやり直そう

「えぇっ!?」


 ―――ぷつっ……


*∀'¥%△$&>♯―――ッッ!?!!?


 千影ちゃんの口からは、既に人語すらも成しえない「音」が発せられてきました。


今殺す! すぐ殺す!! 即殺す!! 腸を抉り出して殺す!!
 地獄の苦痛の中で殺す!!


「わーー! 千影ちゃんが壊れたーーー!!」


 凶々しく光る眼光を花穂ちゃんに向けて、殺意と憎悪に満ち溢れたドス黒い激しい負のオーラをかもし出していました。
 ……いや本当に、視認できますし……。


「ひ、ひゃぁ〜〜ん。千影ちゃん怖いよぉ〜〜」


 花穂ちゃんは、そんな殺意に満ち溢れた千影ちゃんに怯えてしまったのか、
 逃げるようにそのままどこかへ駆けていってしまいました。


逃ガスモノカッ…………!!


 千影ちゃんも、そのまま花穂ちゃんを追って、猛スピードでどこかへ行ってしまいました。
 ああ、もう完全にホラーものです。喋り方が既に片言でカタカナです。追ってる時も「シャーッ」とか口にしていました。
 っていうか千影ちゃん、今浮いてませんでした? 地面から足が離れてませんでした?


「千影ちゃん、相変わらずだな……」


 はい、相変わらずです。
 ええ、これが相変わらずなんです。
 千影ちゃんは本当に変わった人です……。(←既にその次元ではないと思う)

 結局、可憐はひとりぽつんとその場に残される結果となってしまいました。
 ここに居てもしょうがないので、その場を後にし、改めて亞里亞ちゃんのお家に向かうことにしました。


「あ〜ん、花穂ドジだから、千影ちゃんのこと返り討ちにしちゃった〜」


 歩き出す直前、ふたりが曲がった曲がり角から、そんな声が聞こえた気がしたのはきっと気のせいです。
























 そんなこんなで、やっと亞里亞ちゃんのお家に着けました。
 なんだかここに来るまでにいっぱい色んなことがあって、すっごく疲れちゃった……。
 でも、途中で思ったよりも偶然にみんなに出会えたので、このあとはそんなに急がなくてもいいかな?


「チェキチェキチェキ……」


 四葉ちゃんは四葉ちゃんで、途中から元気に尾行を継続していたみたいでなによりです。


    キンコーン


 入り口の呼び鈴を押すと、鐘のような澄んだ音が響いてきました。
 さすが立派なお屋敷だけあって、可憐のお家みたいな「ピンポーン」って感じの普通の呼び鈴の音なんかとは違います。


「いらっしゃいませ。ようこそ、可憐さま」

「こんにちは、じいやさん」


 しばらく門の前で待っていると、格子の門が開いて中からじいやさんの姿が現れました。


「ささ、どうぞお入りくださいませ」

「はい、おじゃまし……げっ!?


 目の前に広がる情景に、可憐ったら思わず変な声出しちゃった…………可憐、恥ずかしい……。
 だ、だってだって、門から亞里亞ちゃんのお屋敷の玄関までの道には、
 メイドさんや執事さんがズラーっとならんでいて、みんなで可憐のことを迎えるためにお辞儀をしているんだもの。
 しかも、声を揃えて「ようこそいらっしゃいませ、可憐さま」って、たくさんの声がサラウンドで聞こえてきて……


「あ、あはは……」

「どうかなさいましたか? 可憐さま」


 いくらなんでも、これはちょっと恥ずかしいです……。












「ようこそいらっしゃいませ、可憐ちゃん」


 お屋敷の中に入ると、そこにはまるでどこかのお姫様みたいにスカートのすそを持ち上げて、
 礼儀正しくお辞儀をする亞里亞ちゃんの姿がありました。


「こんにちは、亞里亞ちゃん」


 可憐もついついつられて、おんなじようにスカートのすそを持ち上げてお辞儀を返しちゃいました。

 その時、後ろからドア越しに「なんだこのヘンな子は!?」とか、
 「怪しいヤツめ」とか、「チェ、チェキ!?」とか、
 「あれ? 確かこの子も亞里亞さまのご姉妹だったはずです」とか、
 「そそそ、そーなんデスよ!」とか、
 「だが今は特に用はないはずですが」とか、
 「つまみ出せ!」とか、
 「チェキーーー?!」なんて言い争った後に、
 さっきのメイドさんと執事さんたち全員で一斉に何かを追いかけ始めたような、そんな騒がしい音が聞こえてきました。


「…………」

「どうかしましたか? 可憐さま」

「い、いえ、なんでも……」


 そんな騒動の音を余所に、可憐はじいやさんに案内されるまま屋敷の奥に向かって歩き出しました。
 まるで後ろで起きている誰かの不幸から目を背けるように。












 案内された先は亞里亞ちゃんのお部屋でした。
 外からは相変わらず「あっち行ったぞ!」とか、
 「チェキーー!?」とか、
 「ぎゃー!? 矢が! 矢がぁっ!?」とか、
 「トラバサミに噛みつかれましたーー!?」とか、
 知ってる誰かの不幸の声が聞こえてきます。
 でも自業自得だから可憐は知りません。(酷ぇ)


「可憐ちゃん……今日は亞里亞とい〜〜っぱい遊びましょう」


 亞里亞ちゃんは、可憐が来てくれたことが本当に嬉しそうに、にこにこと笑顔を向けてきました。
 でも、


「ごめんね、亞里亞ちゃん……。可憐、この後も他のみんなに会わなくちゃいけないから、そんなに長く居るわけにもいかないの……」

「……え…?」


 そんな亞里亞ちゃんの期待を裏切るようで、ちょっとだけ心苦しいです……。


「……そうなの……?」

「うん……」


 可憐がそう答えると、亞里亞ちゃんは悲しそうな瞳を可憐に向けてきました。
 そんな亞里亞ちゃんの悲しそうな瞳は、まるで可憐の心まで悲しくさせるようでした。


「くすん……」


 ううう、苦手だなぁ……。
 そんな悲しそうな亞里亞ちゃんの様子を見て、可憐は思わず何とかしてあげたくなりました……。
 ……そういえば、ここに来るまでにみんなに結構会えたから、そんなに急がなくても大丈夫なんだよね。


「亞里亞ちゃん、ほんのちょっとだけなら居てあげられるから、それまででいいなら居てあげますよ」

「ほんと……!?」

「うん、本当だよ」


 可憐がそう言うと、亞里亞ちゃんはもう一度笑顔に早変わり。
 やっぱり、亞里亞ちゃんは笑顔の方が似合ってるね……。
 そんな亞里亞ちゃんの可愛らしい笑顔を見ていると、可憐の心もなんだか明るくなってくるようでした。

 ああ、こんな素敵な笑顔をする子が、雛子ちゃんを追い出したんだ。


 あれ? 可憐、今一体何を考えていたんでしょう?
 全然分かりません、もうぜーんぜん。(←全身全霊をかけて現実逃避)












「あ、そろそろ出た方がいいかな?」


 亞里亞ちゃんの家についてからもう1時間以上経ちました。
 時計の針は、もうすぐ12の数字を指そうとしています。
 もうそろそろお昼の時間だから、このままお昼ご飯の邪魔になっちゃうし、出るには丁度いいかもしれないかな。


「可憐ちゃん。亞里亞のお歌、聞いてください」

「あ、亞里亞ちゃん……残念だけど、可憐そろそろ……――」

「らんららーらーらー♪」

「歌ってないでお話聞いてくれるかなー?」


 亞里亞ちゃんはとことんマイペースに勝手に話を進められちゃいました……。
 でも、ちゃんと話すことは話さなきゃ……亞里亞ちゃんはまだちっちゃいんだし、ここは優しく教えてあげなくちゃね。


「あのね、可憐、他のみんなにも会わなくちゃいけないから……」

「可憐さま、どうぞこちらにおかけくださいませ」

「じいやさんもじいやさんで話聞いてくれます?」


 じいやさんはおっきいんですから、ここはしっかり理解してください!
 ……ひとまず気を取り直して……。


「あのね、亞里亞ちゃん。可憐ね、他のみんなにも……――」

「お馬さんになってー」

「って、お歌は途中放棄ですか?」

「可憐さま、こちらで上質の鞍をご用意……――」

「されても困ります!!」


 用意してどうするつもりなんですか、じいやさん?!


「あのね、亞里亞ちゃん。可憐ね、……――」

「おなかすいたの……くすん」


 ……ダメです、亞里亞ちゃんは全然話を聞いてくれません……。
 可憐の方がくすんです……。


「そうですね、そろそろお昼の時間ですし……可憐さま、宜しければこちらで食べていってくださいませ」

「え?」


 すると、とうとうじいやさんがそんな提案を持ち掛けてきちゃいました。
 お昼の邪魔にならないようにって思って、もう出ようと思っていたのに、可憐がしっかりとお話できなかったから……。
 でも、じいやさんたちにそんな手間をかけさせるわけにもいきません。


「あ、いえ、そんなの悪いですから……」


 折角気を使ってもらっておいて悪いですけど、ここは遠慮させてもらうことにしました。


「いえいえ、可憐さまは亞里亞さまのご姉妹なのですから、どうかお気になさらぬよう」

「いえ、他にもみんなの家を回らなきゃいけないですから……」

「お願いします! 生活がかかっているんです!!」

「なんですかその泣き落としは!?」


 結局、可憐はじいやさんの必死の涙混じりの懇願に負け、亞里亞ちゃんのお家でお昼をご馳走になることに……。
 しかもその後も、マイペースに話を聞いてくれない、じいやさんが泣き落としてくる、
 知っている誰かの「チェキー」なんていう悲鳴が聞こえてくる、などなど……そんなこんなで帰るタイミングを逃がしてしまい、
 とうとう時計の針も、お昼の2時ちょっと過ぎを示すまでに時が過ぎ去ってしまいました。


「亞里亞ちゃん……可憐、いい加減そろそろ行かないと……」

「可憐ちゃん……もう、行っちゃうの?」


 あ、今度はちゃんと聞いてくれました。


「うん。そろそろ行かないと、みんなに悪いもの」

「そうなの……」


 亞里亞ちゃんは、しゅんと悲しそうにうつむいてしまいました。
 ごめんね、亞里亞ちゃん……でもね、これ以上ワガママは良くないですよ。


「可憐ちゃん、ショコラにも会ってほしいの……」

「え、ショコラに?」


 ショコラって言うのは、前に亞里亞ちゃんと「好きな動物はなに?」って話になった時、可憐がシマウマさんが好きですよって答えたら、
 その一週間以内に自宅の財力を最大限に活用して、どこからか買い寄せてきた本物のシマウマさんのことです。
 可憐の飼っているネコがバニラだから、それに合わせて「ショコラ」って名前にしたらしいの。
 ああ、突然お屋敷に呼ばれて、「この子をプレゼントします」とか言ってきたときはさすがに腰抜かしたなー。(←遠い目)

 まあ、当然ローン32年の一般住宅住まいの可憐の家で飼えるはずもなく、
 仕方ないからそのまま亞里亞ちゃんのお家で飼うことになったの。


「きっとショコラも……可憐ちゃんのこと、待っています……」


 亞里亞ちゃんは、きっと可憐を引き止めるためにそう言ってるんだって思ったの。


「ううん、やめておくね……。これ以上遅くなっちゃったら、他のみんなに悪いもの」


 だから可憐、ちょっとだけ亞里亞ちゃんに厳しくしてあげなきゃって思って、そう言ったの。
 ……というのは半分建前で、本当の理由はショコラは可憐に全然なついてくれないから。
 当然だよね、だってお世話なんてしてないんだもん。
 それに、いつも可憐の横の三つ編みをくわえて引っ張って来るから、可憐もちょっと苦手です……。
 だから寧ろ飼育係の金田さん(46歳・♂)の方が仲良くなっちゃった。(ぇ)


「そうですか……くすん……」


 亞里亞ちゃんは、納得はしてなくても分かってはくれたみたいです。
 でも、亞里亞ちゃんはまた悲しそうに下を向いて俯いちゃったの。
 でもごめんね、可憐三つ編みくわえられるのも正直勘弁して欲しいから


「じゃあね、亞里亞ちゃん」

「くすん……くすん……」


 分かってくれたとは思うけど、それでも悲しそうな亞里亞ちゃん。
 可憐は、悲しむ亞里亞ちゃんのためにこの場に留まりたい気持ちを抑えて、亞里亞ちゃんのお屋敷を出る準備を始めました。
 亞里亞ちゃん……我慢だよ、我慢。












「可憐さま。ご夕食には魚とお肉、どちらが宜しいでしょうか?」

「だから泊まりませんから!」


 帰り際、じいやさんが「お給料減らされないように……お給金減らされないように……」と、
 すすり泣くように囁いていたのは見なかったことにしました

 

 

 後編につづく


更新履歴

H16・9/25:前編掲載
H16・9/27:前後編あわせて完成、誤字修正
H16・10/2:脱字修正
H17・4/24:書式等大幅修正


SSメニュートップページ

 

広告 [PR]スキンケア  転職 化粧品 無料 ライブチャット